亡国のセシル

南野 智

竜騎士は、ひとり静かに立ち上がる。

第1話

「あの、美しい国は、もう――ないのだな」


 彼の故郷があったはずの場所には底知れぬ空洞が存在していた。ひとつの国を丸ごと飲み込んだ圧倒的な闇がそこには広がっていた。呆然とした表情で竜騎士はひとり呟いた。


 かつて、ここには豊かな水によって育まれた美しい国があった。七割が砂漠化したこの世界で数少ない不可侵の水源を持つ国。国の規模は小さくとも、唯一無二の存在として、その名を知られるのがラスターという国だった。


 その国が、いまはもう……ない。


 精気のない主人に反応してか、飛竜が寄り添うように鳴き声をあげた。

 飛竜の声に身を委ね、竜騎士は愛すべき故郷の情景に想いを馳せたが、闇が放つ存在感に思考が吸い込まれてしまい、何一つ思い起こすことはできなかった。


 自由にならない思考の中で、たったひとつ確かなことがあった。彼の国を奪った敵のことである。ぼんやりとしていた思考が形を成し始めた頃、かちかちという音を歯が立てていたことに気づいた。音を立てているのは歯だけではない。全身を包む黒色の甲冑も鈍い音を立てていた。


 全身が小刻みに震えていた。慟哭の代わりのようで、いつまで経っても震えは止まらなかった。定まらない両手で鞍に掛けていた兜を取り、慎重にかぶり直して息を吐いた。


「許してくれ、セシリア」


 竜騎士は想った。嫁いだばかりの娘のことを。父娘ふたりの家庭で育ちながら、まっすぐに育った娘が嫁いだ先はグンガルグ王家――――我が国ラスターを滅ぼしたかつての友国であった。


 自らの命、残りすべてを投げ売って敵を討つのだ。問答無用で討ち滅ぼし、故郷の民の無念を果たす。最愛の娘を犠牲にしてでも。


 竜騎士は決意を新たに、敵国グンガルグの首都一直線に飛竜とともに飛び去った。もう二度と、自分がこの地に戻ってくることはないのだという直感があったが、竜騎士が振り返ることはなかった。

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