人頭蜘蛛のカササカさん

甲乙 丙

第1話

 七門ななつかどクルミは少し変わった女の子だった。

 化粧や男子の話で盛り上がる友人とお喋りするよりも、町中を駆け回って、通った事の無い道や、人が歩かない草むらの中を探検する事が多かった。

 蛇や蜘蛛、虫といった、大半の女子が敬遠するであろうカサカサウネウネした生物が大好きで、道端でそういった類のカサカサウネウネを見つけると、ワーとかキャーとか可愛らしい声を上げ、五分も十分もその様子を観察すると常に決まっていた。

 ペタペタとした蛇やカエルの手触りを楽しみ、カサカサと動く蜘蛛や虫の奇怪な造形にウットリと目を緩ませる。一度くらいなら、巨大な蛇に首を締め付けられたり、蜘蛛の糸に全身を絡め取られたりしてみても良い、と半ば本気で思っていた。


 夕食の買い物帰り。この日もクルミは、中身の詰まった重たいビニール袋をブルブルと揺らしながら、影となった路地の端や側溝の中を隈なく探りながら歩いていた。

 蟻が列をなして行進していたり、壁のヒビからトカゲが頭と手だけをひょこりと出していたり……。クルミはカレらを見つける度に、つい嬉しくて声を掛けてしまう。

「あら、アリさん。荷物が重そうね。ワタシと一緒だわ。大変よね」

「トカゲさん。その隙間はとっても涼しそうね。ワタシも潜り込みたいわ」

 そんな風に挨拶しながら歩いているから、自宅まで十分といった道程も非常に時間が掛かってしまう。

 道を照らす赤みを帯びた陽射しが次第に暗くなり、夕餉の匂いが辺りにフンワリと漂ってきていた。


 まるで湯気がたちそうな程熱くなったアスファルト道の真ん中に、カラカラに干からびてしまったセミの死骸が転がっていた。

 クルミはその死骸を指でつまみ上げると、

「このセミは死んでから道に転がったのかしら。それとも生きたまま熱い地面に焼かれたのかしら。なんにしてもこのまま放っておくのは少しかわいそうだわ」

 そう言って、側溝のチロチロと流れている水の中に落としてあげた。死んでしまってからでもせめてその骸は冷たい水に浸らしてあげようと思ったのだ。セミの死骸は細い水の線の上をたどたどしく流れていった。


 幼少の頃から通っている美容院の前を通りがかった。

 その美容院と隣のクリーニング店との間に、人が一人なんとか通れる程の狭い路地があって、クルミは自宅までの近道になるかしらと、その狭い路地に体を押し込みグイグイと進んだ。

 路地にはみ出した室外機からは生温い風が吹き、汚れたホースが絡まってのたくるように道を遮り、割れた植木鉢が危なげに積み重なっている。

 ホッとかハッとか言いながら、横歩きになったり大股で飛び越えたり、少し屈んですり抜けたりと、器用に進んだ。

 クルミは中学三年生だったけれど、それよりも幼く見える小さな体はこんな時には好都合で、胸も尻も、持っている買い物袋も、どこにも引っ掛けること無く進むことが出来た。


 前方に木箱がうず高く積まれていて、その積み重なった木箱と木箱の隙間から何かの気配を感じた。時折カタカタと音をたてて細かく揺れている。

 ――なにかな、なにかな?

 クルミは慎重に木箱に近づき、首を伸ばして影となったその隙間を覗き込んだ。

 隙間にいる何かはクルミの存在に気付いたのか、隙間の奥にグリグリと身を潜り込ませていた。短い毛が生えた蜘蛛のような脚がほんの少しだけ見えた。

 ――あら、蜘蛛かしら。それにしては大きな脚ね。こんな町中で珍しいわ!

 大きな蜘蛛は図鑑で見たことがあるけれど、実物には出会った事がない。オオハシリグモとかタランチュラを想像して胸が高鳴った。

 どうしても姿が見たくて、色んな角度からその隙間を覗いてみたのだけれど、その蜘蛛は上手く身を隠していた。

 クルミは一歩二歩と後ろへ下がると、息を殺して動きを止めた。口元を手で覆い、できるだけ存在を消して、蜘蛛が出てくるのを待った。

 ――ワタシは石。石になるのよ。目をギラギラとさせたり息を荒くしてはダメ。


 室外機から吹く風がブオーと鳴っている。薄闇の路地は、日が沈む事でさらに闇を濃くしていたけれど、クルミの頭上には大きな窓があって、そこから灯りが漏れ、湿気て濡れた路地をテラテラと照らしていた。

 三分から五分程、クルミは身動き一つせずにジッとしていた。

 口元を覆う左手は熱がこもって汗で濡れ、右手の指先に引っ掛けるようにして下げていた買い物袋が重たくて、なんだか痺れて感覚が無くなって来た頃、ついに木箱がカタカタと揺れ、隙間から這いずるようにして、ゆっくりと蜘蛛が出てきた。

 クルミは息を飲んでその光景を見守っていたのだけれど、窓の灯りに照らされて蜘蛛の全貌が明らかになった瞬間、「アッ」と小さく声が漏れてしまった。


 毛深いモフモフとした脚が八本、蜘蛛のように胴体から生えているけれど、それはどう見ても蜘蛛ではなかった。

 クルミの掌くらいの大きさで、瓢箪や落花生のサヤのようにポコリポコリと丸みを帯びている胴体は茶色い毛で覆われている。そのポコリの片方に頭が付いているのだけれどそれがどうにも奇妙だ。

 なんだか、人間の頭のような……。いや、まさしくそれだ。テニスボールくらいの大きさをした人間の頭がそこに付いているのだ。

 四十歳前後のおじさん顔。頭頂部は毛が無くてツヤツヤと光っていて、所々にかさぶたのようなモノがついている。頭の横に平べったい耳が付いていてその周りにだけモサリとした毛が生えている。

 鷲鼻に腫れぼったい唇。眉根を寄せて、小さくて丸い目をキョロリとさせ、困ったような、疲れたような表情をクルミへと向けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る