言葉ヲ紡グモノ

RAY

前篇


「コンニチハ! コンニチハ!」


 ペットショップの自動ドアが開いた瞬間、ウインドチャイムの涼しげな音色とともに、愛らしい、しゃがれた声が耳に飛び込んで来た。

 行き付けのゲームセンターでゲットしたぬいぐるみを小脇に抱える私の目に、かしこまった姿勢で止まり木にとまる、一羽のオカメインコの姿が映る。

 薄黄色のふわふわな毛並み。寝癖のついた髪のようにクルンと曲がった冠羽とさか。照れてほおを赤らめたような、オレンジ色の模様。オニキスを思わせる、真っ黒な瞳。

 首を傾げてジッと見つめる仕草に、心臓がトクンと音を立てる。

 それは、世間で言うところの一目惚ひとめぼれ。二十九年生きてきた私にとって初めての経験。「この子とずっといっしょにいたい」。そんな気持ちが心の奥底からふつふつと湧きあがるのを感じた。


 一人暮らしを始めてかれこれ十年が経つが、ペットを飼ったことはなく、飼いたいと思ったこともない。

 平日は、仕事で帰りが遅く帰宅後は疲れて何もする気が起きない。休日は休日で、遅く起きて溜まった家事をこなしていると一日が終わってしまう。自分のことで精一杯で、ペットの世話をする余裕などない。

 実際、生き物が好きと言うわけでもなく、これまで飼ったペットと言えば、小学三年生のときのカブトムシぐらい。そのときも飼いたかったというわけではなく、夏休みの宿題で生き物の観察日記をつけることとなったため、無難なものを選んだに過ぎない。

 恋愛小説やトレンディドラマで、よく一人暮らしのヒロインが小綺麗なマンションで可愛らしいペットを飼っているが、そんな生活に憧れたこともない。おそらく、私は、その手のヒロインには縁遠い存在なのだろう。


★★


 高校卒業と同時に上京し、関東でホームセンターを展開する中堅企業に就職した。

 当時は、終業のベルと同時に退社する、お気楽なOLだったが、二年が経った頃から男性社員と同じ仕事を任されるようになった。

 能力が認められたと言えば聞こえはいいが、もともと出世欲があるわけではなく、良い男性ひとがいれば仕事を辞めようと思っていただけに、あまりうれしい気はしなかった。

 寿退社の機会に恵まれないまま時間だけが経過し、いつしか、将来一人で生きていけるよう、できるだけ蓄えを増やしておきたいという気持ちが強くなっていた。


 はたから見れば、仕事中毒ワーカホリックのような私ではあるが、仕事以外にのめり込んでいるものがある。

 あのの大ファンで、あまり大きな声では言えないが、自宅のワンルームマンションは関連グッズで溢れている。

 もともと、東京ネズミーリゾートTNRのリピーターで、毎週でも行きたい気持ちがある。ただ、体力と資金の関係でそれもままならない。上京前は、バスと電車を乗り継いで六時間以上かかった場所が二時間程度で行けるようになったものの、二ヶ月に一度ぐらいしか行けていない。

 そんな欲求不満を解消するために集め始めたグッズは、等身大のぬいぐるみから携帯ストラップ、缶バッチのような小物までざっと見積もっても千個近くある。生き物と違って世話をする必要もないため、気に入ったものはすぐに購入してしまう。今回、ゲームセンターのUFOキャッチャーで獲得した、レトロ風のぬいぐるみもその一つだ。


 ペットショップに立ち寄ったのは、隣りのヘアサロンの予約時間を間違えていたためで、時間を潰せる場所ならどこでも良かった。

 そう考えると、この出会いは偶然のような必然。まさに運命の出会いだと思った。


「好キ! 好キ!」


 オカメインコがつむぐ言葉に、目尻が下がって口元がだらしなく緩む。後ろから話し声が聞こえた瞬間、我に返って思わず顔を引き締めた。

 インコやオウムが話す言葉は、誰かの見よう見まねであって、言葉の意味を理解しているわけではない。特定の人に対して発しているものでもない。そのことは、重々承知している。しかし、そんなことはどうでも良かった。

 信じて疑わなかったから――私たちが相思相愛であることを。


 すぐに店員に声を掛け、オカメインコを鳥カゴごと購入した。

 こうして、「運命デスティニー」と名付けられた、生後四ヶ月の彼と私との共同生活がスタートした。


★★★


 デスティニーと暮らし始めてから、私の生活は一変する。

 入社当初のように、終業のベルと同時に退社するようになった。残業に充てていた時間は、デスティニーとの触れ合いタイムに取って代わられた。

 とにかく一秒でも早くデスティニーの顔が見たかった。いたいけな瞳で見つめられた瞬間、夢見心地になって一日の疲れがどこかへ吹き飛んでしまう。

 キュートな写真を携帯電話の待受けに設定して、暇さえあれば眺めた。しかし、実物と写真は全くの別物。それぞれ楽しみがあり、コース料理で言えば、前菜とデザートほど差がある。

 

 帰宅後、鳥かごの掃除をして入浴した後、いっしょに夕食を食べる。そして、一休みしてから、デスティニーの愛らしい姿を写真に収める撮影会を執り行う。

 単独のショットも凛々りりしいが、何かといっしょに撮るショットも絵になる。私の部屋は、可愛らしいグッズにこと欠かないため、ぬいぐるみやフィギュアといっしょに撮ったり、ポスターを背景に私とツーショットを自撮りしたりした。

 デスティニーの表情や仕草が日によって変わることはない。他人ひとに話したら「無駄なこと」と笑い飛ばされるかもしれない。ただ、デスティニーとの撮影会はスキンシップの一環であり、互いの距離を縮めるうえで大きな意味があると思った。


 最後に、デスティニーに言葉を教えるようにした。

 自分が教えた言葉をペットがしゃべるというのは、オウムやインコを飼う者にとっては至極の喜びだと言える。

 挨拶程度の短いものであっても構わない。心と心がつながっているような感覚は、飼い主冥利に尽きるというものだ。


 そんなこんなで、私は、よわい二十九にして人生最良の時を迎えることができ、デスティニーと神様に心から感謝した。


★★★★


 新生活が始まって一週間が経った頃、マンションに刑事が訪ねてきた。

 刑事が来たのは、初めてではなく、ここ半年で三回目――と言っても、私が何かをやらかしたわけではない。


 半年前、この辺りに通り魔が現れ、ひとり暮らしの二十代の女性が襲われた。帰宅途中に後をつけられ、人気ひとけのない雑木林に引き込まれそうになった。女性が携帯の非常ベルを作動させたため犯人は逃走し、女性は手と顔に軽傷を負った程度で済んだ。

 しばらくして犯人は捕まったが、それから二ヶ月後、再び同様の事件が発生した。襲われたのは、やはり一人暮らしの若い女性。

 玄関先で激しく抵抗されたため、犯人は女性をナイフで切り付け、女性は右腕を六針縫う大ケガを負った。後日、この犯人も捕まったが、新聞の特集記事を見たところ、女性は精神的なダメージが大きく、いまだに社会復帰ができていないようだ。


 今回警察がやって来たのは、数日前、三度みたび一人暮らしの女性が襲われる事件が発生したから。現場が私のマンションから数百メートルしか離れていないため、付近の住民に注意喚起を兼ねた聞き込み捜査を行っていた。


 この辺りは緑が多く、子供を連れたファミリーの姿も目立つ。ただ、それはあくまで昼間の話。民家は点在しており、夜になると人通りがめっきり少なくなる。街灯もところどころにしかないため、木々の陰に誰かが潜んでいてもわからない。

 刑事から、帰り道では、自分の周りに細心の注意を払い、マンションのエントランスや自室の前では、鍵を開ける前に改めて周囲を確認するよう言われた。

 今回の犯人は、今までとは別の者であるにせよ、半年の間に同様の犯行が三度も起きたのは異常としか言いようがない。はっきり言って、気が気ではない。


 そんな中、心強く感じたのは、ネズミキャラのぬいぐるみの存在。擬人化して話し掛けたりいっしょに眠ったりすることで、自分が独りではないと実感することができ、不安な気持ちを払拭することができた。

 被害に遭わなかったのがぬいぐるみのおかげだと言うつもりはないが、半年間、心の平穏を保てたのは、彼が近くにいてくれたからだと思っている。私は、少なからず彼に感謝している。



つづく

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