第313話 インベントリの不思議

 オリオンと念話を終えた後、自分たちでも土地を探そうと街を散策していたアキは、露店で売られていた牛串を見て、とあることを思い出していた。

 そう、それは……インベントリに入れられたままの、レアドリンク。

 [ネオタウロス牛乳]のことだった。


「ねえシルフ。[ネオタウロス牛乳]って、覚えてる……?」

「今まで忘れてました……」

「僕も忘れてたんだけどね。忘れてたせいで、想像したくないことになってそうで怖いんだけど……」

「いえ、私も思い出してすぐに気付いてしまったので、その……タイミングを合わせれば……」

「ゲットしてから結構日が経ってるし、腐ってるっていうか、別の何かになってたりしてね」


 そんな話をして気を紛らわしてはいたけれど、目を背け続けるわけにはいかず、僕は意を決してインベントリを開いた。

 表示されたウィンドウの中、変わらずそこにある[ネオタウロス牛乳]に、僕の鼓動は早鐘を打つ。

 大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出して……「よし」と、僕はそのアイテムを外へと取り出した。


「ッ! ……あれ?」

「特に何も起きないですね?」

「んー、一回鑑定してみようか。もしかすると腐ってても匂いが出ないのかもしれないし」

「そうですね」


 シルフの頷きを確認してから、僕は目を見開いて<鑑定>を行った。


[ネオタウロス牛乳:ネオタウロスから稀に取れる牛乳。

美味しい。そしてヘルシー。賞味期限は2日]


「あれ?」

「アキ様、いかがですか?」

「変わってない。内容が全然変わってない!?」


 そう、テキストの内容がまったく変わってないのだ。

 確か[最下級ポーション(即効性)]が腐ったときには、アイテムの後ろに腐って文字が追加されていたはず。

 そうなると、この牛乳は腐ってない……?

 もしかして、インベントリの中では時間が経過しない、とか?


「そうなってくると、即効性をわざわざ別にしてた僕の頑張りは一体……」

「あ、アキ様。まだそう決まったわけではありませんし、落ち込むのは確認してからにしましょう?」

「そ、そうだね! うん!」


 それじゃ確認……と思ったところで、今はイルビンの街の中にいることを思い出した。

 こんな場所で腐った即効性の臭いを爆発させたら、大変なことになる。

 そう思った僕は、イルビンの外へと向かおうとして……すでに日が暮れかかっていることに気がついた。


「そっか、今日は学校終わりに実奈さんの家に行ってからログインしたんだっけ……」


 それにしてはゲーム内の空が明るかったような……。

 もしかすると、ギルドアップデートと同時に、時間的なものも変化が来たのかしれない。

 “その辺りはまた後で確認しておこう”と、僕は思考を纏めて、システムの時計へと目を向ける。

 すると、そこに表示されていた時間は、すでに夜の9時過ぎを示していたのだった。


「うわっ!? もうこんな時間じゃん!」

「……?」

「とりあえず、今日はもうあっちに戻るよ。明日はラミナさん達とギルド設立しなきゃいけないから、それまでに実験しておきたいかな」

「わかりました。でしたら、臭いが出ても大丈夫そうな場所を探しておきますね」

「うん。そうしてくれると、すごく助かるかな」

「はい!」


 にこっと笑うシルフに、僕はごめんねと手を合わせてから、「それじゃ、また明日」とログアウトボタンを押すのだった。


◇◇◇


 日が変わって日曜日。

 僕は現実世界の朝7時にログインしたはずだった。

 しかし、空は……まだ暗かった。


「あー、こうなるんだね……。時間ズレに関しては公式のアップデート情報に入ってたから、もう納得はしてるんだけど」

「アキ様、おはようございます。お早いですね」

「早いというか、僕も予想以上に早い時間に来ちゃってびっくりしてるところだよ。この時間だと、まだ門が開いてないんじゃないかな」

「そう、ですね……」


 シルフと二人、顔を見合わせて苦笑し、「どうしよっか」と僕は途方にくれる。

 しかし、シルフはそんな僕の前で、にっこりと笑顔を見せてから「大丈夫です!」と僕の手を引いた。


「ん? もしかして、探してくれてた場所って街の中にあったりする?」

「中といいますか……ちょっと特殊な場所ではあるかもしれません」

「特殊な場所?」

「でも、絶対にご迷惑にはならない場所かと」

「そっか。なら案内して貰える?」

「お任せください!」


 シルフは引いていた手を離し、僕の前でふわりと空に浮き上がる。

 そして、「こちらです」と、先導するように街の中を進んでいくのだった。


 案内されるまま、街の中をすり抜けて行くこと十数分。

 僕は街の西にある門の近くへとやってきていた。

 イルビンは東西南北の四方から道が繋がっている街なため、四方に同じような門が設置されているのだ。

 そんな西門の近くまできたシルフは、西門のすぐ近くから、今度は路地へと入って行く。


「シルフ? どこに向かってるの?」

「もうすぐですので」

「もうすぐって、ここ西門の近くだよね?」

「はい!」

「いや、まだ門は閉じてるって……」


 出発時点で話していたことを忘れたのかな?

 なんて、そんなことを考えていた僕の前に、唐突に塔のような建物が現れた。

 いや、塔って言うにはちょっと低いか。

 高さ自体は2階から3階程度の高さで、すぐ近くにある門よりも少し高いくらい?

 きっと、門の向こうを見るためのやぐらといった感じの建物なんだろう。


「もしかして、この上……?」

「いえ、この上から門の上に行きます!」

「……どうやって?」

「こう、飛んで……」


 指で空中に線を引くシルフの横で、僕は自分の目が点になったことを悟った。

 飛ぶっていったって、シルフさん。

 シルフと違って、僕は普通の人間なんですけど!?


「……いや、何事も経験かもしれない。トーマ君だってすごいジャンプとか、消えるようなダッシュとかするわけだし」

「アキ様なら大丈夫です! 私もサポートします」

「サポート? ま、まぁやってみるよ」


 そんなわけで、レッツチャレンジ! と、まずは櫓の中に誰もいないのをシルフに確認してもらう。

 そして、誰もいないことに半ば落胆しつつも、はしごをよじよじと上った。

 ……結果、少し後悔するレベルの高さだったことに気づいてしまった。


「け、結構高いよねー……?」

「はい! 少しだけ!」

「少しって言うのかな、これ」


 空を飛んでいるシルフからしてみれば、少しっていう表現も間違いじゃないんだろうけれど……。

 でも、普段は地上を歩いている僕からしてみれば、この高さは十分高いと思うよ!?

 たぶんこれ、2階から3階の建物くらいの高さはあると思うし!


 しかし、そうやってずっと後悔を続けていても意味がない……と、とりあえず考えるのをやめて、僕は櫓の柵の向こうにみえる門へと目を移す。

 門の上までの距離は大体3mくらいだろうか?

 櫓の方が少し高いし、柵の上から飛ぶことを考えれば……いや、遠いよね?

 立ち幅跳びの平均がいくつか、とか知らないけど、遠いってことだけはわかる。


「いや、やっぱり無理じゃない?」

「大丈夫です! 私が追い風と、下からの上昇気流でサポートします!」

「う、うーん……」


 ギリギリで届かなかったら、顔とか手とかを門にベシッとぶつけることになるんだけど……。

 でも、キラキラした目で見てくるシルフの手前、やっぱりやめようって言うのもなぁ……。

 仕方ない、ここはVRだし現実よりも飛べるかもしれないし、やってみよう!


 なんで実験場所を求めて、2回も気合いを入れ直してるんだろうとか、考えると辛くなるので考えるのはやめよう。


「それじゃ、いっせーので飛ぶからね!」

「はい! その瞬間アキ様を風で押し出します!」

「……まるで人間大砲みたいだよね、それ」

「……大丈夫です! たぶん」


 そこはせめて大丈夫って断言してくれないかなぁ!?

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