第293話 教えてもらったことを、僕はきっと忘れない

 ついに来てしまった金曜日。

 明日にはもうこの街を出る……。


 けれど僕は、未だにおばちゃんへと伝えることができていなかった。


「あー、どうしよう」

「アキ様……」


 言わなきゃいけないことは分かってる。

 でもその勇気が、出てこないんだ。


「なんて言えばいいんだろう。これだけお世話になって、僕はおばちゃんになにか返せただろうか」

「……大丈夫ですよ。きっと」


 作業場の椅子に座ったままため息を吐く僕に、シルフが優しい風で撫でてくれる。

 そのことに嬉しくも感じながら、同時に情けなさも感じてしまう。

 僕は本当に弱いままだ。


 思えば、おばちゃんには最初からお世話になりっぱなしだ。

 初めてのスキルも、採取道具も、なんなら調薬の作業だって……全部がおばちゃんの手助けをもらってる。


「おばちゃんと出会わなければ、僕はこんなにもこのゲームを楽しめていなかったのかもしれない」


 だからこそ、余計に踏み出せない。

 おばちゃんがどう思うのか……。

 なんて言われるのか……それが怖くて、おばちゃんに話を振れないでいる。

 おばちゃんが酷いことを言うなんて、そんなことを思ってる訳じゃないんだけど、それでも話せないのは、きっとこの関係を終わりにしたくないんだろう――なんて、そう思う。


「それでも、今日しかない。分かってるんだ」

「はい……」


 僕の傍にいてくれるシルフも、表情は少し暗く、僕に対してなんて言えばいいのか分からないような、そのうえ自分の気持ちにも整理がついてないような……そんな雰囲気を纏わせていた。


 そんな風に2人俯いて、何もしないままどれだけの時間が経ったんだろう。

 気付けば窓の外は暗くなっていて、街を包んでいた喧噪も鳴りを潜めていた。


「あんた、そろそろ作業は終わりなよ」


 外の景色に気付いたのとほぼ同じくらいのタイミングだろうか。

 突然そんな声が作業場に響いた。


「おばちゃん……」

「なんだい、今日は作業してないのかい? 道理で静かだったわけだねぇ。どうしたんだい、何か悩み事かい?」

「あ、えっと……うん。そんな感じ、かな」


 言葉に言いよどむ僕を見かねてか、それとも僕の態度に何かを感じたのか……どちらか分からないけれど、おばちゃんは“しょうがない”と言わんばかりに少し息を吐いて、作業台を挟んで僕の前へと座った。

 けれどおばちゃんは特に何も喋らず、僕の方とは違う方……つまり窓の方を見ているだけだった。


 きっと今が言うタイミングなんだろう。

 だからこそ、僕は言わなきゃ……言わなきゃ。


「……おばちゃん」

「なんだい」

「えっと、その……」


 街を出る。

 たったそれだけの言葉が口から出せない。

 その言葉を口にしようとするだけで、僕の身体は強ばって、視界が少し滲むようなそんな気がしてしまう。


 だけど、


「明日……街を出ようと思うんだ」

「そうかい。どこに行くんだい?」

「イルビンの街」

「あの街かい。1人じゃないだろうね」

「大丈夫、一緒に行く人がいるから」

「そうかい。気を付けて行ってくるんだよ」


 ああ、違う。

 違うんだ。


「僕は、この街を……」

「――わかってるさね。勘違いはしてないよ」

「っ」

「そのうち来る時なのは分かっていたからね」


 驚く僕を置いて、おばちゃんはそう言って笑い「ちょっと待ってな」と椅子から立ち上がると、そのまま作業場から出て行った。

 展開の早さに理解が追いついていなかった僕が、なんとかおばちゃんの言葉を理解した時、おばちゃんがガチャガチャと音を鳴らしながら部屋に入って来る。

 その音に扉の方を見てみれば、両手一杯の荷物。

 なんか色々持ちすぎてバランス悪そうなんだけど……。


「――よいしょっと」


 ドガシャと音を立てながら、作業台の上に置かれたのは……様々な品々。

 調薬道具に、なんかよく分からないものまで一杯だ。


「おばちゃん、これって」

「私からの餞別さね。あんた、ここを使ってるから殆ど道具持ってないだろう?」

「いや、そんな悪いよ!」

「いいから持っていきな。どれも私のお古で邪魔になってたものばかりだからね」

「え、えぇ……」


 どうみても、お古って感じじゃないものも見えるんだけど……。


「しかし、そのうち来るだろうと思ってたけど、それがこんなに早いなんてねぇ」

「おばちゃん……ごめんなさい。僕、まだ何も返せてないのに」

「何言ってんだい。アンタはアンタの道をまっすぐ進めばいいんだよ。そうやって少しずつ大きくなってから、返せばいいのさ」


 そう言って、おばちゃんは快活に笑う。

 まるで、今返そうものなら受け取らない、と言わんばかりの笑い声に、僕は申し訳なさを抱えつつも、おばちゃんの出してくれた餞別の数々をインベントリへとしまった。


「それでアンタ、どれくらい作れるようになったんだい?」


 おばちゃんの笑い声がおさまった後、話す内容に困っていた僕を見かねてか、おばちゃんはそんなことを訊いてきた。

 それも少し……試すような目とセットで。


「どのくらいって言われると、その」

「なんだったら作ってみてくれないかい? そうだね……味付きの最下級でも」

「む。……わかった」


 おばちゃんの目は変わらない。

 つまりこれは……おばちゃんなりの試験みたいなものなのかもしれない。

 それなら、受けて立つぞ!


「それじゃおばちゃん、しっかり見ててね!」


 「ああ、もちろんさね」と頷いたおばちゃんの前で、僕は鍋を取り出して、作業を開始した。



「この街とも、今日でお別れか」

「そこまで離れてないから戻って来れるけどねー」

「頻度は減る」


 街を出る日が来た。

 街の南側、そこにある南門を出れば草原があり、その先には次の街――イルビンがある。

 そんな南門のすぐ近くで、僕らは街との別れを惜しんでいた。


「あらあら、アキちゃんもハスタちゃんも、ラミナちゃんも。別れるときは泣いてちゃだめよぉ?」

「はっ、さっさと行くぞ」

「リュンはもう少し空気読めるようにならないとねぇ……」


 涙こそ出ていないけれど、寂しさからか少しテンションの低い僕らから一歩離れて、苦笑気味のフェンさんと、とても面倒くさそうな顔をしたリュンさんがそんなことを話していた。

 そんな2人の会話が聞こえたからか、僕もラミナさん達も惜しむことを切り上げて、門の外へと足を向ける。

 踏み出す一歩一歩が……そのまま僕とこの街の、距離になる。


「……やっぱり、少し寂しいな」

「なんだい、弱気だねぇ。ほら、シャキッとし!」


 南門を抜けた直後、僕の耳に聞き慣れた声が突き刺さった。

 顔を上げてみれば、そこには、


「おば、ちゃん?」

「なんだい、その締まらない顔は。そんなんじゃ、これから先が心配になっちまうよ」

「え、だって、なんで?」

「なんでもなにもないよ。見送りさね」


 頭の追いつかない僕の前でそう言って、おばちゃんはまた快活に笑う。

 そして、「あとこれを渡すついでさね」と、僕に1枚の木札を渡してきた。


「これは?」

「ちょっとした紹介札さね。それをイルビンの大工、ジャッカルに渡せば、まぁ融通きいてくれるだろうさ」

「じゃ、ジャッカル?」

「ま、私の紹介っていえば大丈夫だろうさね」


 おばちゃん……いったい何者なんだろう。

 そんなことよりも、なんでこんな。


「……あんた、イルビンの街のドコで作業する気さね」

「あっ」

「その様子だと、やっぱり持ってきて正解かい。まったく、調薬師が作業場のこと考えなくてどうすんだい」

「……すみません」


 「まぁ、いいさね」と少し呆れつつも苦笑しながら、おばちゃんは僕の方へと近づいて……僕をぎゅっと抱き寄せた。

 そして、「頑張るんだよ。無理はしないようにね」と、優しく呟いた。


 その言葉に、僕の目目がじわっと熱を持って、思わず涙が零れそうになる。

 でも、分かれるときは泣いちゃだめだって、さっきフェンさんも言っていたから。


「うん、ありがとう。頑張ります」


 と、短く返して、僕はおばちゃんから離れる。

 そして、僕らのことを見守ってくれていた、4人の仲間達の方へと合流して、おばちゃんへと振り返って叫んだ。


「それじゃ、行ってきます!」

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