第23話 Leo's mama to Mimizu

「何かいつもと違うね」と奥田は言った。

「ちょっと眉毛の色が落ちて来ちゃって、実は元が金なんです」とおれは言った。

「そうなんだ」

 奥田は、レジに構えるおれの背中をすり抜け、その横で、ウォーマーの中のトレーを、売れ残ったウィンナーや唐揚げをのせたまま取り出し、スタッフルームに洗いに行った。その間におれは、空になったウォーマーにアルコールスプレーを吹き、ダスターで拭き取った。客はいなかった。スタッフルームのドアが開けっ放しで、洗い物をしている奥田の背中が見える、

「いや、流行ってるらしいですよ眉毛染めるの」

「なら元々でよかったら」振り向いた奥田は目を泳がせた。

 おれは奥田が自分の訛りを気にしたのだと思った。しかし、純粋すぎる奥田を騙しているような罪悪感が湧いてきて、ドリンク補充へ行くすれ違い、染めたことを打ち明けた。奥田は、慌てて口に入れていたものを飲み込んだ。

 明け方、オヤジ達はいつもより遅くやってきた。

「ローソンの人にも言ったか?」とオヤジは当たり前のようにおれに話しかけた。

「ええ」言葉に詰まって素っ気ない返事をしてしまった。

「鍵は開けてある、使いたきゃ使え」

「ありがとうございます」

 袋詰めした商品を差し出すと、菊池が取って先に車に戻った。

 お釣りを受け取ったオヤジは、レジに列が出来ているのにも関わらず、足を止めた、

「きなくせえぞお、あいつらは。本物の夫婦かもわからねえしな、何しでかすかわかったもんじゃねえ」オヤジは表情を確かめるようにこっちを見た。「とんだ夏になっちまったなお互い」

 おれはやましさを悟られまいとポカーンとした。

「とにかく元気でやれよ」

「ありがとうございます」

 列をやっつけ外を見ると、昨日まで乗っていた車はそこになかった。不安を払拭するために呟いた。――昨日とは違うレールにいるんだぜ――


 仕事を終え部屋に戻る時は、海とも違う、清々しい夜明けの空気だった。竹藪の息吹を感じながら坂を上った。

部屋は野郎たちの臭いを残し、どこもかしこも足の裏に砂が付くほど砂まみれだった。自分の寝ていたマットレスの砂を払って、オヤジの使っていた目覚まし時計をセットした。――起きたら勝負の一日が始まる――

 目をつぶってすぐに部屋は蝉の鳴き声で一杯になった。気温が急上昇し、起きたら発揮しようと残しておいた興奮を擽った。何度、時計を睨んでも針は進まない。荷物をまとめて外に出た。

 駅の大型コインロッカーに荷物を預け、十時丁度に不動産屋に来た。しかし、開店は一一時だった。そのまま外に張ってある間取り図を読むと、どんな物件も、敷金礼金合わせて三ヶ月分の家賃を必要とすることが見て取れた。冷気を求めて足が自然と駅前のコンビニに向いた。

 立ち読みしているふりをしながら、物件について考えを巡らせた。――訳あり物件なんて今時あるのだろうか、おれなら、カビだらけの物件より自殺があった物件を選ぶ、でもやっぱり、押入みたいな狭い物件があれば一番良い。いくら安くても遠かったらだめだな、ここは田舎だから――


「ございません」

 冷房も十分に浴びられなかった。

 不動産屋のあしらい方が手慣れていたので、夏だけ海に残りたい、と言い出す客がよく不祥事を起こすのかもしれないと思った。要するにおれは厄介者なのだ。

 駅の反対に望む住宅地に向かった。一つ不動産屋の看板を見つけ、電話をかけると、「敷金礼金ない不動産屋は何やって食ってんだ」と怒られた。都会にはあります、とは言い返さなかった。どうすればいいか考えながら歩いた。

 試しに、古いアパートのインターホンを鳴らして、住人に大家を呼んでもらえるように頼んでみた。出てきた若妻は親切と言うよりも好奇心で耳を傾けた。しかし、そこを含め、続けて3つのアパートで大家は住んでいなかった。電話番号を調べましょうか、と言ってくれた主婦もいたが、いざそうなると腰が引け、家賃が高いに違いない、などと決めつけて断ってしまった。詰まる所、羞恥心に負けてしまうのだった。

もっと古い建物を探そう。古い物件なら家賃も安いし家主自ら管理している可能性が高い。古い物件を探して家主に直談判。それしかない。

 町で一番汚いアパートを見つけて、近くの老人に家主を訪ねた。老人は「何の用だ」と一瞥し、部屋に逃げ込もうとした。「部屋を探しています」と言えたのは、老人がドアを閉めたのと同時だった。他の住人に聞いたところ、やはり老人が大家だった。完璧な厄介者になろうと決心したのに、これではただの不審者だ。いくらパラソルを売ることができていい気になっても、自分の為に使える勇気がないんじゃあ、どの道おれはおしまいだ。

 さらに日中気温が上がり、寝不足の体が言うことを聞かなくなった。少し歩いては日陰を見つけ、しゃがみ込んだ。アスファルトの照り返しが景色を歪ませていた。

「ハロー、ミミズのミイラたち。ここは浜の何倍も暑いよ。君たち生まれた場所間違えたな、ハハハ」

 浜のことを思い出すと、今この瞬間もマホナがおれに会うために部屋に来ている気がした。こうなったら片端から聞いてやろう! おれは立ち上がった。

 辺りに住宅がなくなったところで折り返し、違う道を使って駅方面へ戻った。やる気と裏腹に、アパート自体が町中探しても、さっきの数件だけだった。折り返してからは三階建以上の建物がなくなり、ぽつぽつある建物は、多くは一階がテナントになっていて、暇そうな事務所か、ぱっとしないスナック、飲食店が続いた。建物も道も観光地となっている旧市街と比べ、独自性のないどれも似たような作りだった。最後にパチンコ店とフィリピンパブ、ビジネスホテルが加わり、駅に着いた時には、夕日が山に落ちようとしていた。

 通るたびに気になっていた東急の回転寿司の横を通ったので、疲れすぎて食欲はなかったが、最後に良いものを食べてやろうと意気込んで中に入った。やはり、おすすめはキンメだった。そいつを大事に頬張った。歯ごたえがなく、旨味もない、大体どっちかあるもんだ。腹が目を覚まさないうちに店を出た。

 駅前のベンチで口直しにコンビニのおにぎりを食べながら携帯電話を取り出した。道中メモした電話番号が一件ある。見当違いだと言われるのが怖くてかけなかった工務店。この時間はもう営業時間外かもしれない。掛からないと思うと掛けやすかった。

「わかりました。明日までに決めたいと思います」

 頭の中とは裏腹に口が流暢に動いた。自分が何を話しているのかさえ、理解できないほどだった。苦労が報いたから喜ぶべきなのだろうか、本当に残ってローソンで働きたかったのだろうか、答えはすでに曖昧になっていた。しかし、結論はこうだ。自分の信じることをやる場合、損得なんてどうでもよくて、どんな小さな動機でも体と知恵を絞って手にすれば、少しずつ自分の居場所が変わっていく、終いには人と違うところにたどり着ける。そうやって主体的に全力でぶつかっていく奴が周りを巻き込む権利を持っている、誰かさんのように。おれは嘘つきに憧れていた。


 マホナからの電話に出た。

「レオママがあなたに会いたいって。すごい人なのよ」

「そんなのただの試練じゃん」

「仮にそうでも来てくれるんでしょ?」マホナが大きな目を輝かせて言ったのが見えた気がした。

 店に着いた時、女二人はすでに楽しそうにやっていた。おれはマホナの隣に座った。向かいにレオママと呼ばれる人がいた。すでにテーブルの半分に料理がのっていたが、おれが到着してレオママがまた注文し、テーブルにやっとのるだけの皿が広げられた。

 レオママは若かった。化粧は濃かったが、若者向けの服を着て、息子を心配して来た母というよりは浜にいた女たちに近かった。マホナからは、レオママは家賃収入で暮らしていると聞いていたが、本人は、ファッションブランドを営んでいると言った。おれは金が有ると同時に色んな事が出来るのかもしれないと思った。こっちが出来る自己紹介は名前だけだった。話題はおれが着く前からしていたであろうレオママの彼氏の話に戻った。おれが口を噤むと、レオママは「私、若い男がいっぱい食べるところを見るのが好きなの」と言った。おれは早速食べることに集中した。

「マホナ、ホステスやることになったのね、へえ」

 話しはスナックのママとの出会いになり、レオママは、おれが話す、その奇縁を感心しながら聞いた。次に、この町に残るか聞かれ、悩んでいると答えた。

 マホナは心置きなくレオの話が出来る相手に会えて嬉しそうだった。常にレオママに対して自分から話しを広げ、会話が途切れそうになると、二人が会う度に繰り返されてきたであろうレオの些細なエピソードを持ち出した。その姿は楽しそうでもあり懸命でもあった。

「そうなのよ。あの人ったら弱いの、優しすぎるのね」とレオママは言った。

 二人がこっちを見たからおれも大きく頷いた。息子に対する彼女の話し方は、先に上がった彼氏の話とは比較にならないほど、優しさに満ちていた。おれはレオがいかに良いやつか、ボディーボードのことなどあまり豊富でない経験から話した。

「レオと彼は本当に楽しそうに遊ぶの、あっという間に意気投合したのよね」とマホナは言った。

「最近元気ないから心配していたのよ、二人とも本当にありがとう」とレオママは言った。

「ちょっとお手洗い行ってくるわね」と言って、レオママは立ち上がった。「あなたたちすごくお似合いなんじゃない」

 マホナは頬を赤らめた。そして、レオママが背を向けると、おれの肩に額をのせた。おれはレオママに全て見透かされている気がしてゾッとした。二人ともそれでいいのだろうか、女ってやつはよくわからない。

 おれは先に店を出た。

 ローソンに向かっているときに携帯電話がなった。二つ目のトンネルの中だった。

「来て」

「今から? どこに?」

「駅前のビジネスホテルの305号室。待っているからねー」

「ちょっと待って。バイトに連絡しなきゃ」

「そうしな。じゃーねー」

 ローソンに電話すると先に出勤していた奥田が出て、遅れることを平然と了承した。

 駅まで戻るとそのビジネスホテルはすぐに見つかった。看板は青く華やかに光っていたが、対照的に、中は薄暗く、フロントがあるのに誰もいないのが不思議だった。悪いことをしているような心境で階段を登った。この薄気味悪い廊下の先にマホナが待っている、とは想像し難かった。絨毛を思わせる絨毯を蔑み、風の死骸をペタペタとビーチサンダルで撒き散らして歩いた。この部屋だ。インターホンは設けられていなかった。このドアをどう開けるかを試されている気がした。おれは間隔を開けて三回ノックした。働いていた保険屋で、二回のノックはトイレのノック、三回するのがフォーマルのノック、と教えられていたからだ。そのことを知ってからノックをする機会があれば自分が優位であると錯覚した。よし、正しいノックをしたぞ、と。この時もそう思った。部屋番号をもう一度確認した、間違いない。変な汗がにじみ出た。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと引っ張った。

 ドン!

チェーンが引っ張られた鈍い音が廊下に響いた。その音に誰よりもおれが驚いた。隙間から部屋の明かりと冷気が放たれた。すぐに人影がそれを塞いだ。心臓が止まりかけた。

「静かにして、隣の部屋にレオママ寝ているんだから」とマホナが言った。

 おれは無性にふざけたくなって、チェーンを張ったまま、ドアを開けることをせかした。

「一回手を離して、今開けるから」とマホナは平然と言った。

「はい」

 中に入ると、マホナはベッドに座り、おれはソファーに座った。敷き詰められた灰色のカーペットに、家具を退かした後や煙草の焦げが無数に散らばっていた。窓のない無機質な部屋だった。荷物は見あたらなかったが、寮を出てから三日間はここにいたのだろう、とおれは推測した。

「ね、て、た」とマホナは言って思い出したように立ち上がり、冷蔵庫から酎ハイを投げてよこした。「冷やしておいたの」

「仕事があるから十二時半に戻るよ」

「え、何で休みにしなかったの」

「できないよそんなこと」

「いいわよ、じゃあ」

「なにがいいの?」

 マホナの隣に座った。安物のスチールベッドが音をたてて軋んだ。

「静かにしてってば」

 おれは何度もうるさいと言われながらマホナを押し倒した。

「触って」

 マホナはおれの手を掴んで自分の下半身へ持っていった。手には力がこもっていた。

「痛い!」

「?」

「めっちゃ痛い」

「ふーん」

 おれは二人の間に自分の両腕を出した。大きく腫れた右手は、手首がどこにあるのかわからなくなっていた。人を殴ったことを心底後悔した。

「脱がせないなら自分で脱ぐわ」とマホナ。

「こっちも脱がせてよ」

「絶対嫌」

「入れてほしいんだろ?」

「隣に聞こえちゃうでしょ。触ってほしいの。ねえ、早く触って」

「違うだろ、本当は入れてほしいんだろ?」

「ずっと触っていてほしいの、それが好きなの」

 おれは殴る相手を間違えたと思った。

「時間がない」

 おれはビジネスホテルを背にしながら走っていた。

「すいません。もう10分遅れます」

「わかりました。気を付けて来てください」と奥田は丁寧に言った。

 奥田の敬語を初めて聞いた時、これが本当の優しさだと思った。

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