第10話 Insyuunten to Taiho
どこまでも続く青い平面の上を、巨大な白い立体が、いとも簡単に滑っていき、また光を隠すと、体感温度が一気に下がった。おれはボーボーいっている耳に指をもっていって、耳のくぼみに溜まった砂を指の腹でふき取った。弁当を食べ終わり、ビーチベッドごと砂まみれになって寝ている時、あの夫婦がオヤジに、バイクを取りに戻りたい、と頼んでいるのが聞えてきた。
「車出すなら、俺もついてった方がいいだろ」とオヤジ。
「わざわざそんな悪いですよ」とレオ。
「一緒に行っても良いですか? おれ、運転したいです」おれはダメ元で口を挟んだ。
「それがいい! レオがみているから大丈夫です。ねー、レオー」
オヤジは般若のような悩ましい顔をした。
「社長おねがい」
「お前に任せたからな」オヤジはレオに車の鍵を渡した。
「嬉しい、ありがとう、しゃちょお」マホナは両手をオヤジの左肩の上にちょこんとのせた。
カップルは寮まで行った後、スクーターでデートするのだろう。おれは仲良くなった二人の行先に羨ましさを感じつつ、とりあえず、車を運転したかった。
こうして話している間にも、菊池は一人、強風のために傾いたり、飛んでいったりしたパラソルの立て直しに走り回っていた。これは、彼の自責の念にかられた有志であって、ばつが悪いから止めてくれというのが、レオとマホナとおれの考えだった。オヤジもまだそこまでは要求していない。
おれたち三人は浜の駐車場にやって来た。先頭を切って車を探し出したおれの耳に、後ろ二人の話し声が聞こえてきた。
「見た? あんなのちょろいから」とマホナが言って、低くて下品な声で笑った。
「しー、ダメだよそういうこと言ったら」レオはひそひそ声だった。
「は? 聞こえるわけないでしょ」
「あれ、社長、鍵違ってる」
どうやら、オヤジがレオに渡した鍵は軽トラのものらしい。おれは、こっちにも聞こえるように言わなければ車を探せないだろうと苛立だったが、すぐにマニュアルを運転できる喜びでいっぱいになった。
「おーい、行き過ぎ!」おれはレオに呼び止められた。
軽トラはお尻をこっちに向けて、右にセダン、左に白い砂利山に挟まれていた。
レオとマホナは荷台に回り、おれは運転席に座ってキーを回した。一発でかかってドキッとする、アクセルを踏むと砂利山に近づいてしまった。「おっと」
すかさず、レオが飛び降りた。おれは運転席を譲ったが、未練がましく、すぐに車に乗らないで見よう見まねのオーライをかけた。
「道に出たら大丈夫だから」とおれ。
「いいよ、僕が運転する」とレオ。
観念して助手席に移った。しかし、本当の冒険はここから始まった。
国道に入るやいなや、あれだけ強気だったレオが、「マニュアルは運転したことない」と言いだした。「そうなの?」と言いながらも疑うという発想はなかった。後から思い返すと、レオは何度か軽トラを運転していたが、その時は気にとめなかった。それより運転できる喜びを隠すのに必死だった。レオを意固地にしないように、それだけを考えた。
レオはローギアのまま車を走らせ、車は悲鳴を上げ続けた。昼過ぎの国道は空いていたが、自転車並の速度で進む軽トラは、たちまち渋滞を引き起こした。
「そろそろ代わるよ。ここからなら運転できる。大丈夫だから」
崖を越えた所でやっと道路が、追越停車可能になった。クラクションを鳴らされる前に車を停めることができたのは幸運だった。後続車は機械的なトラブルを考慮してくれたのだろう。そして再び出番が回ってきた。
おれは助手席から降り、荷台にいるマホナに笑いかけた。
「あなたが運転するの?」
「マドモアゼルどちらまで?」
「ローソン」
今日のマホナは素っ気ない。いつもおれを使ってレオを嫉妬させるものだから、喧嘩でもして、今更レオに気を使っているのだろう。
「あいよ」
慎重にアクセルを踏み、車はなめらかに加速した。
レオとマホナは荷台に乗っている。レオは、運転席のおれと壁を隔て背中合わせ。隣のマホナと一緒に体育座りで後方を眺めている。
「ここだよね!」とおれは窓の外に向かって叫んだ。
「たぶんそう」レオは体をねじり耳もとで答えてくれた。
サインを出して、巻き込み確認をする、のったりと歩道を跨いで駐車場へ乗り入れた。・・・・・・何だかいつもと違う。広々とした駐車場はいつものローソンの景色じゃない。知らないスーパーの駐車場だ。
「間違った、前の出口から出る!」とおれは叫んだ。
「ぜんぜん平気」とレオが言った。
なんてことはない、前の出口を出て右折し、国道に戻ればいい。
しかし、気づいたのは曲がった後だった、
「あっ! 本当はここ通っちゃ行けないんだよね?」
狭い一方通行で戻れない。先にはもと来た国道が見えている、
「すぐ抜けるから」
「いっちゃえ! いっちゃえ!」後ろの二人は面白おかしく盛り上げた。
見つからないうちに出てやる。アクセルを踏むと歓声が上がった。そのまま一方通行を逆走し、国道の交差点に差し掛かかる、逆走の進入を許可する信号なんて存在しない、歩行者側が青だが通行者は見あたらない。今だ! さらに加速させ、ハンドルを切る、全身にGがかかる、信号を待っていた対向車とすれ違う、青の小型車、運転席の中年女性の険しい表情。
ローソンまでの間、いやそれからもずっと、二人の笑い声が心地よかった。感じたことのない一体感だった。飲酒運転だった。
レオが捕まったのはその翌日だった。
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