第2話 Shigoto to Douryou
翌朝、ワゴンの後部座席はいつの間にかに片づけられ、昨日見たより少ない数のパラソルとベッドが乗せてあった。
「今のうちが練習だからな」と車の中でオヤジは言った。
半袖では寒かったが、前日とは打って変って良く晴れた。
「昨日教えたところわかるだろ、あそこに皆連れて荷物を運んでくれ、俺は車を止めてくる」
おれはパラソルを抱きかかえ、二人を引き連れて浜に入った。すると中学生に見える坊主が、隣にいた兄貴分のロン毛に促され、近づいてきた、
「お、お兄さん、パラソルどおっすか?」
おれは両手に持っていたパラソルを杓って言った、
「同業者です、よろしく」
「あ、ども」坊主はそれだけ言って、恥ずかしそうにロン毛の元へ戻った。
おれは入口から離れるとオヤジに悪いと思って、先にいた彼等の傍に荷物を置いたものだから、おれたち三人は心細くなりながら、オヤジの戻りを待った。浜に入ったオヤジは、二つのグループとそれぞれ会話を交わし、それからこっちへやって来た、
「もうちょっとあっちだ。あの辺にパラソルを立てろ」
昨日の威勢とは裏腹に陣地は端に追いやられたようだった。おれは、言われた通り、オヤジの顔色を窺いながらパラソルを立ててみた。しかし、何度も砂を踏みつけても終いには傾いてしまう。
その様子を黙って観察していたオヤジは「シャベル!」と怒鳴り、おれはそいつを手渡した。
オヤジの作る穴は最小限だった。掘るというよりは、突き刺すようにしてシャベルの刃と同じ形の隙間を作った。すると、おれがやったように蟻地獄にはならなかった。支柱を刺した後、砂を埋めるのも楽だった。パラソルは斜めに傾け広げられた。
「こっち向きにしろ」
「風向きを考えて立てるんですね」
オヤジはおれの問いには答えず、皆に聞こえるように声を大にして言った、「わかったな、こっちに向けろ!」
「はい」おれたち三人は揃って返事をした。それから練習として、陣地周辺に数本パラソルを突き立てた。
「向こうのボスは来てないんですか?」とおれ。
「もう会った」とオヤジ。
想像より若いから気づかなかったが、オヤジが話をしていた相手がそうらしい。さっきの女みたいなロン毛が黒いパラソルのボスで、パンチパーマの太っちょが赤いパラソルのボスだ。
入口で声をかけてきた坊主が、たまに通る客に、投げやりな声掛けを続けていたが、足を止める人はいなかった。
「見てろ」とオヤジはおれに耳打ちし、丁度こっちへやって来た女子大学生と思しき二人組に並んで歩きだした。
「お嬢ちゃんたちどこから来たんだい?」
手前の肌寒そうに腕を組む女は、進行方向から目を逸らさずに笑い、もう一人の女は全く聞こえないふりをした。
「東京からか? そうだろ、そうだろ、やっぱりな、お洒落だからすぐにわかる」
「オジサン何?」
「オジサンじゃねーだろ、よく見ろ、イケメンだろ? えへへ、パラソルやってんだ」
手前の女は面白がり、歩きながらも半身をオヤジに預けた、
「じゃあ、おにいさん? 海似合いますね」
「なんだよ、照れるじゃねぇか、もうなげえからな。しかし、お姉ちゃんたちはわかっちゃいねえ、綺麗なお肌も真っ赤っかになっちまう、おれゃ、そういうのを何べんも見てきたんだ」
「えーどうしようっか、借りる?」
「今日もこれから暑くなる、悪いことは言わねえ、同じ値段なんだから今借りちまった方がいい、砂だってフライパンになっちまう。みんな無くなったころに貸してくれだ、後に言われてもないものは貸せねえ、早い者勝ちだ」
「そうする?」女は友達を見た。
「おい、パラソル一個に、ベッド二個だ。このべっぴんに一番良いとこ、案内してやれ」
「良かったね」黙っていた女が微笑んだ。
「はい!」おれは大きな返事をして、言われた物とショベルを持って、オヤジと入れ替わった。
「三千円だぞ、ちゃんと受け取れ」
「わかりました」
おれは女たちに追いついき、海に近い方がいいか聞いた。白いティーシャツの下に蛍光色のビキニが透けていて、目のやり場に困った。明るくオヤジと話した女に、うん、とひとこと言わせただけだった。
始めはこんなものだろう、とおれは思った。先週まで新卒で入った保険会社で電話営業をやらされていた。電話口に一日200件決まったセリフを言う仕事だった。法人向けの商品案内を任されていたが、何てことはない悪徳商法で、入社一週間が経った頃、商品知識やその商品を導入した会社の行く末を知り、この仕事を続けても何の能力も育たない、むしろ、感情が削がれていく気がした。友達の中で給料は一番良かったが、辞めるのも一番早かった。自分の純粋な欲望を満たしつつ、目の前の相手を喜ばせるような人間になりたい、浜の仕事はまさにうってつけに思えた。
ワクワクしながらオヤジの元に戻ると、オヤジがまた、「今のうちは練習だからのんびりやってくれ」なんて言うものだから、肩透かしを食らった気分になった。客より売り子の方が多いのだから仕方ないが、同じ台詞を何度も聞くと、繁忙期を待つオヤジを不憫に思えた。オヤジがそんなことを言わなければならなのは、おれの後に来た二人が消極的なせいもあった。おれは柄にもなくオヤジと二人の間を行き来した。
色白の田中18歳は、まごつく癖があるものの、もう一人よりも可愛げがあった。おれたち二人は、今年の夏は楽しくなりそうだ、と意気込んでいたのだが、(昨晩迎えに行った時点で、ワゴンの中から田中を観察したオヤジは、おれに「あいつはだめだ」と耳打ちした。「見ればわかるだろ、真っ白じゃねぇか」)昼前には、肌を真っ赤にして不調を訴えた。すると、それを待ってましたとばかりのオヤジに熱射病だと騒がれ、初日のうちに帰されてしまった。
もう一人は社会人短距離走者の筋肉マン菊池。オヤジは、初日から脱ぐと肌にわりいぞ、と言ってすぐに上半身裸になった彼を気使ったが、彼が太陽に負けるとは考えてはいないだろう。茶色い長めのスポーツ刈は少し癖が出始めている。若く見えるが年上の31歳。おれの方から、オヤジを眺めてばかりいる菊池に、一緒に客に近づこうと誘ったら、まだ慣れない、と断られた。菊池はオヤジを社長と呼び始めた。体育会系特有の口調には、上下関係を作りたいという意志が窺える。部屋で、オヤジとおれの間を陣取ったのは彼だ。「社長、先風呂いただいていいっすか」
三階に上がったところにあるもう一つのドアは、シャワーの使用のみが許された風呂場だった。
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