部屋

 …………すた…………すた…………すた…………すた…………


 深夜。点滴の音で目が覚める、いったい、今日何回目だろうか。午前中の御所浦医師との会話のおかげで記憶の整理はだいぶつけることができた。否、きっと、そうではないのだろう。今日、おそらくは、本当に久しぶりにあのアイスピックよりも鋭く尖った世にもおぞましい脳みそにぶじゅっ、と施されるという電極治療を施行しなかったたったそれひとつの理由によって、私の記憶は保たれてあるのかもしれない、そう、何度も何度も、自問自答して結論づいたのである。そんな末恐ろしい治療など、今後一切やってなるものか。

 まずは、この病室から抜けだし逃げださねばなるまい。

 第一、この点滴だって、どんな薬物が混ぜられているのかなんてわからないんだからな。こんなもの、抜いてしまえっ。

 

 よし、とりあえずうまくいった。そして抜けだすのだ。この病院というなの牢獄をな。

 さすがに深夜の病院、あの、御所浦医師とやらも、寝静まっていることだろう、楽勝だ、一気におさらばしてしまおうぜ。

 ん。なんだ、なにか聴こえる、もしかして幻聴かな、畜生、あの点滴にモルヒネでも混ぜられていて、もうすでに禁断症状が出始めているのではないだろうか、そうであるとするなら、この逃走、困難なものになってしまうぞ。

 ああ。やっぱりだ、声が聴こえる、いかん、これでは集中できないぞ。なんだ、なんだか聴き覚えのある声だ、誰だ、いったい。こ、この声は、もしかして、少年の、声か。

「だめだよ、いっちゃだめだよ」

 ああ、やっぱりだ、あの少年の声、クソッ、これは確実に幻聴だ、邪魔で仕方がない。

「だめだ、いっちゃだめだ、すすんでいっちゃだめだ」

 なにを言いやがる、進んで行かなければ逃走もへったくれもないだろう、せっかくここまで来ているというのに。

「だめだよ、そこをまがっちゃ、まがっちゃだめだ」

 なにを言う、ええい逆をいってやれ、曲がる。

「だめだ、さらにすすんじゃだめだよ」

 そんなら進んでやるって。

「だめだよ、つぎのかどをみぎにまがっちゃだめだ」

 ええい、とうとう方角まで誘導してきやがった、ええい右に曲がる。

「だめ、つきあたりまでまっすぐすすんじゃだめだって」

 そんなら突き当たるまでまっすぐ進んじゃいましょう。

「だめ、はしからさんばんめのとびらをひらいちゃだめ」

 なんと具体的なナビ。もうそうするしかないじゃねえか。

「ダメ、本当にダメだったら!」

「うるさーい、えええい」

 うあっ、なんなんだこの部屋は……酩酊してしまう、狭苦しいただの病室であるはずなのに、違う、ここは永遠に奥まっているぞ、なんだこの浮遊感は、よく見るとたくさんのドアが部屋の中空を漂っているぞ、そして、なんだこの、ぐにゃぐにゃしたドアは、まるでダリの絵画じゃないか、グニャグニャどろどろで……よぉく見たら、ダリの絵画みたいな砂漠がひろがっているじゃないか、どういうことだ、こんな広い部屋は初めてだぞ、うぁぁぁ、ドアが奔放に、ばたん、ばたん、閉じたり開いたりして、けたたましく止めどないじゃないか、ああ、うるさい、はやく鎮まってくれないか、うああっ、部屋の空気がすべて酩酊しているぅ、部屋の事象さえ、すべてが、どろどろ、べとべとに、曲がり、うねり、変形して踊りくねって波うって止まらないじゃないか、なんだこの酩酊感、重い、空気が重たい、まるで、重液のような、まとわりついてでろでろぬちょりねちょついた、気味のわるい、グロテスクな、変形のうずだ、ぅうお、吐き気が、ゲロがでそうになってくる、まるで、食道に向かって、でろでろどろりとこの曲がりくねった事象や空気の重液を流し込まれたような倦怠……ぅおおぅえっ、吐いた、吐いてしまたっ、うあああっ、なんだ、空から、永遠に奥まったこの部屋の不思議な天井から、まるで雨、いや洪水のように降り注ぐゲロの粘液がっ、臭いっ、酸っぱいっ、ここはなんだ、イメージを具現化する最低最悪のパンドラの匣の中身じゃねえか、気味が悪い、吐き気がする、延々止めどない、最悪の連鎖だ、ダメだ、もう我慢できないぉううううおおああぁぁぁげろぅぅおぉあああぅうわあっ、うああああっ、また空から降ってきたあああ、地面にぃ、砂漠のじめ……否、違う、さっきから砂漠砂漠と思い込んでいたのは……の、脳みそじゃねえかああああぅあああああああっ、なんだああっ、これは、私の、脳みそじゃねえうぅくわあああぅぅぅうあああぅ、そして、たくさんのべちょべちょり溶けた、まるでチーズのようなとろけたドアから生まれているのは、バンバン中から溢れてドアを開け閉め開け閉めしてとどまることをしらないその勢いうぁぁぁあっ、私の脳みそから放たれた映像ぅ、そう、想念という名の映像じゃねえくぁぁぁぁぁああうぅぅ、ああ、いかん、いかん、もう狂いそうだ、狂いそうもう狂っている、あああわからん、狂ったやつが狂ったかどうかなんて判断できるわけがなかろうううぅっわあああああっっぉつっっっっっううぅおおおぅう、うおおう、そしてええぇう、とうとう、空から降ってきたああああああ、ああああっ、槍だああ、槍の大雨あられが降ってきてえええええ、脳みそにどちゅ、どちゅ、どちゅ、どちゅ、どちゅ、どちゅ、どちゅ、どちゅ、どちゅ、どちゅ、どちゅ、ぅああああああああ、もう狂っちまったああああおおおおおおおぅうううううううううううう……………………

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