洋上のゆりかご
@Wheat_BRAN
洋上のゆりかご
またいつもと同じ場所で目を覚ました。右からはいつも通り寝息が聞こえる。
「起きろベティ、もう朝だぞ」
そう声をかけ、体を揺すってみても起きない。仕方がない、散歩にでも行こう。
そう思って洞窟を出た。が、道がわからない。
ここに漂着して以来いつもベティに案内してもらっているばかりで、自分一人では一度も歩いたことがなかった。逡巡していると、後ろからベティの声がかかった。
「先生、おはようございます。どうなさいましたか?」
「ああ、おはよう。ちょっと散歩にでも行こうかと思ってね」
「散歩ですか、素敵です!どこになさいますか?」
「今日は島で一番大きな木に登ってみたいんだ」
「かしこまりました」
ベティはにこっと微笑んで、ついさっき昇ったばかりの太陽を背にして歩き出した。
ベティは獣道を頼りに崖を下り、森を抜けていった。
その途中、ベティは木からりんごをもいで、いくつかを私に手渡した。
「大事な食料です、大切に食べてくださいね」
「ありがとう、ベティ」
私とベティがリンゴを食べ終わる頃には、太陽は真上に来ていた。
「さあ、行きましょう、もうすぐですよ」
ベティは川を飛び越えて、また森を抜ける。私はその背中を追いかける。
ほどなくして、少し開けた林にたどり着いた。木々の中に、ひときわ目を引く巨大なシュロの木があった。高さはゆうに十メートルはあるだろうか、見上げるだけで首が痛くなってくる。
「ほら先生、あれが島で一番大きい木です」
言うやいなや、ベティは木にしがみつき、登り始めた。数メートル昇ったくらいで、ベティが私に微笑みかける。それに触発されるように、私も無心に木を登った。
やがて、ベティはシュロの一番高い枝に腰掛けた。後を追う私を見下ろして、座れと言わんばかりに自分のすぐ横を軽く叩いた。
ベティの隣に腰掛けると、島の全景が見えた。小さな、まん丸い島だ。端から端まで歩いて6時間くらいだろうか。そしてその回りは、どこを見渡しても海ばかりだった。
「とんでもないところに流されてしまったんだな」
「ええ、でもきっと助けが来ますよ」
「どうだろうね」
「来なくても、先生と一緒なら私、幸せです」
そう言うと、ベティは私に少し寄りかかった。少女の体は、思っていたよりも重くて、暖かかった。確かに、ずっとこのままでもいいかもしれない―――
気がつけば、もう日が傾いていた。
「もうこんな時間か」
「そろそろ帰りましょうか」
今度は私が先に降りる。降りた地面は、ここに来たときよりも少し冷たくなっていた。鮮やかな橙色の夕焼けを背中に受け、ベティが降りてきた。
「先生、こっちですよ」
ベティはこちらを見て微笑み、そして私の手を握った。
それからは、ずっと手を繋いで帰った。
洞窟に帰ってきた頃には、もう月が出ていた。
「もう寝る時間ですね」
「そうだな」
私は洞窟の壁にもたれかかり、目を閉じた。長い散歩の疲れで、ほどなくして私は眠りに落ちた。
「今日も異常なしです、教授」
狭い部屋にはおびただしい数のモニターが設置されており、それらには島の至る所の映像が映し出されている。洞窟やシュロの木も例外ではない。そのモニターの前には白衣を着た若い男が座っていた。彼は同じく白衣の、たった今入室したばかりの老人に声をかけた。
「ベティも何一つ故障していないようだ。随分と精巧に作ってくれたじゃないか」
「私の技師としての腕を甘く見てもらっちゃ困ります。あ、コーヒー要ります?」
「いや、遠慮しておくよ」
「そうですか。しかし教授、最早救う手立てのない記憶障害の患者を無人島に流し、ずっと同じ一日を送らせるとは……とんでもない計画ですね。洋上のゆりかごとでも言うべきでしょうか」
「息子のためなら、父親は何だってする。そういう生き物だ」
「でも、ベティがロボットだとも知らずにあんなに親しくしてくれると、何だか息子さんに申し訳ない気持ちになります」
「気にするな、明日になったらアイツはまた全てを忘れているのだから。アイツには自分が無人島にベティという女性と一緒に漂着し、数日間暮らしたという記憶を埋め込んでいる。それ以外は何も覚えてはいないし、何も覚えられない」
一瞬の沈黙の後、老人が続けた。
「だから彼は毎日ベティを起こして島一番の高さの木を見たいと言い出し、毎日ベティにリンゴをもらい、毎日シュロに登り、毎日洞窟で眠る。それだけだ」
「…そうですね。23日目、監視続行します。きっと教授の息子さんは、ずっと幸せでいてくれますよ」
またいつもと同じ場所で、彼は目を覚ます。
洋上のゆりかご @Wheat_BRAN
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