第100話 どうぞ

「――すっ、すすすすみません! 起こしちゃいましたかっ?!」


 ぱぁんと焼き栗が弾けるが如く、私は自分でも信じられないほどの瞬発力で長田さんの方に傾けていた身体を起こした。


「おうおうそんなに勢いよく離れなくたってよぉ……」


 寂しいじゃねぇか、なんてリップサービスまでしてくれつつ、長田さんは唇を尖らせた。


「すみません! ごめんなさい! 決しておかしなことをしようとしてた訳では……っ!」

「おかしなこと? 何だ、『油性ペンで額に肉』とかか?」

「そっ、そんなことしませんよ!」

「マジか。このシチュエーションでやる『おかしなこと』つったら『油性ペンで落書き』一択かと思ったんだけどなぁ」

「そうなんですか? いや、もっと色々ありますよ!」

「お? マジで? ちなみに、高町さんの言う『おかしなこと』っつーのは、どういうやつなんだ?」


 眉を寄せ、小首を傾げつつ尋ねてくる。本当に『油性ペンで落書き』なんてハードなやつしか知らないのだろうか。


「たっ、例えばですね……。えぇと、頬っぺたを突っついたりですとか」

「成る程。――どうぞ」


 そう言って、私の方へずずいと左頬を差し出す。


「――はい?」

「どうぞ」

「え? え? じゃ、じゃあ遠慮なく……?」


 恐る恐る、ふに、と突っついてみる。思ったよりも柔らかく、けれど弾力のある頬っぺただった。でもこれだけは言える。確実に私よりもお肉は付いていない。


「よし、交代」

「え?」

「俺にも頬っぺた突っつかせろ」

「ど、どうぞ……」


 とは言ったものの、かなり恥ずかしい。このふくふく頬っぺた、山口からは大層評判良いけど……。


 ――ふに。


「ふは」

「ふぇ?」


 ――ふにふにふにふにふにふにふにふに。

 

 あれ? ちょっと長くないですか?


「ふはは。やっけぇなぁ、高町さんの頬っぺた!」

「うぅ……」


 そりゃあもう、育てに育てた自慢の頬っぺたであるからして!


「はぁ、堪能した。次は?」

「つ、次? 次ですか?」

「そ。他にもあんだろ? バリエーション」

「あります……けど……」

「全部やらしてやっから、言ってみ」

「でもそれって、そのまま私にも返ってくるんですよね……?」

「ぐはは。バレたか。大丈夫、力の加減はする」

「そういう問題なんですか?!」


 長田さんは大きな口を開けてカカカと笑った。こっちの気も知らないで、と、ちょっとだけ怒りが込み上げてくる。私からすれば、頬っぺたなんて無防備な部分に触れることも、そしてもちろん触れられることも、しかもそれが世界で一番大好きな人だっていうことに口から心臓が飛び出しそうなのに。


 長田さんはきっと、こんなの何でもないことなんだ。私だけがドキドキしちゃって、何だか恥ずかしい。


「ほい、次次。もっとキッツいやつでも良いぞ」


 なんて余裕たっぷりに笑いながら。


 ……むぅ。そっちがそんなこと言うんだったらですね。うんとやつ言ってやりますから!


「……ちゅ、とか」

「……ちゅ?」

「……ちゅーです、ちゅー! っていっても、ほ、頬っぺたですけど!」


 ど、どぉーだぁっ!

 何故か得意気に、ふん、と鼻息荒くそう言ってしまってから私は気付いた。

 いや、確かにこれはうんとキッツい。

 

 ――私がね!


 いやいやいやいや!

 これ、「それはさすがにパス」って拒否られても「OK。どうぞ」って言われてもかなり厳しい! だって、ちゅーだよ? いくは頬っぺたでも。

 馬鹿じゃないの、私!?


「いっ、いまのナシナシ!」


 顔の前で大きくバツを作り慌てて訂正する。目をぎゅっと瞑ってぶんぶんと首を横に振りつつ。


 しかし、長田さんから何の反応もなく、私は、そぅっと薄目を開けた。


 ――え?


「お、長田さん?」


 彼はぴたりと静止していた。

 先ほど差し出してきた左頬をさらに近付けて。


「――結構この体勢キツいな」

「え? いや、あの、長田さん?」

「あれ? してくんねぇの? 俺、すげぇドキドキしながら待ってるんだけど」


 し、して良いんでしょうかぁっ?!


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