CALL MY NAME

宇部 松清

ふくふく系女子、恋に落ちる

第1話 彼女は私を名字で呼ぶ

「高町さん、鈴木主任が呼んでたわよ」

「あ、はぁい。わかりました」


「高町さん、203号室の山田さん、お願い出来るかしら。『たかまっちゃんを呼べ!』ってきかないのよ」

「あーらら、山田のおじいちゃんまたですか。うふふ仕方ないですねぇ」


「おーう、たかまっちゃん! 今日も元気だねぇ~」

「そういう田中さんこそ。今日はとっても顔色良いじゃないですかぁ」


「高町さん」

「はぁい」

「たかまっちゃん」

「はいはぁーい」

「高町~」

「お呼びですかぁ?」

「高町!」

「はいっ!」


 たかまち

 たかまち

 たかまち

 たかまち

 ………………

 …………

 ……


「――高町ぃっ!」

「――っ、はっ! はぁいっ!」


 自分の名を呼ぶその声に、私は勢いよく立ち上がった。

 それによって膝の上に置いてあったリュックサックが落ち、床に転がる。幸いなことに、チャックを閉めておいたおかげで中身が飛び出すことはなかったけれども。


「あ、わわわ……」


 慌ててリュックを拾い上げ、ふと気付く。周囲の人間が自分を好奇の目で見つめている、ということに。


 そして――、


「ちょっと恥ずかしいんだけど」


 隣に座る親友――山口が肩をちょいちょいと突きながら横目でじろりとにらんでくる。


「ごめん……」

「どんな夢見てたのよ、アンタ」

「あはは――……。未来……の……?」

「何それ。――ほら、もうすぐ着くから準備せぇよ」


 山口の言葉通り、電車は駅に到着した。プシュウウゥゥ――――という音と共に開いたドアに向かって、人々が吸い込まれるように流れて行く。


 なーんかお風呂の栓を抜いたみたい。


 そう思った。

 あの水はどこに流れ着くのか、ということまでつい考えてしまう。排水溝に吸い込まれた水が最終的に行き着くところなんて下水道だ。だけど水ならまたきれいになって戻ってくる。じゃ、人は?


 いやいや、違うよ? 


 何もあの人達が、下水道を目指してあんなにせかせかと移動してるなんて言いたい訳じゃないんだよ。そこだけは誤解しないてほしい。


 だけどさ、彼らはそれぞれの目的地に辿り着いて何やかんや過ごした後、再び電車ここに戻ってくるわけでしょ。行きは電車だけど、帰りはダーリンのお迎えで、って羨ましいパターンもあるかもだけどさぁ。

 でもほら、共通点。水も人も全く同じものが戻ってくるわけじゃないでしょ。似ーてる似てる。


 例えば美容室とかエステとかジムとかに行ってさぁ、それこそ水みたいにきれいになって、ルンルン気分で戻る人もいる。

 仕事だとしてもだよ。やりきったーって、充実した一日を送って、満ち足りた疲労感と共に戻る人もいると思う。

 だけど、きっと大半の人は、きれいになるどころか、どんどん腹の底に汚いものを溜め込み続けて、それでも表面だけは取り繕って笑顔を浮かべて、あるいはそれを包み隠さずあらわにしてる。

 腹の底に沈んだはずしりと重い。腹が重くなるから、足取りも重い。その証拠に、彼らは皆一様にのそりのそりと歩いている。

 

 ――私?


 私もそうかな。

 小さい頃からの夢だった看護師になるために短大に入学し、数ヶ月が経った。勉強は大変だけど面白い。まだ理想と現実のギャップに苦しむほどの経験もしていない。

 それでもなぜか、日々腹の底には形容しがたい黒いが溜まり続けていくのがわかる。

 毎日毎日少しずつ溜まり続けて、いよいよ喉から溢れてきそうになると、それをこうして捨てに行く訳だ。


「楽しみだね、


 リュックを背負い、山口に向かってそう言った。声に出せば、気持ちがもっと高まる気がする。共感してもらえれば2倍だし。


 ちなみに、名前の方を呼んだのはわざとだ。私達は、漢字こそ違えど、偶然にも同じ『サキ』という名前なのである。だから紛らわしいので、普段は名字で呼びあっているんだけど、例えば軽い喧嘩をして仲直りした時や、何だか特別じゃれ合いたい時にあえて名前を呼ぶようにしている。どちらかが仕掛けて、それに乗っかれば成立だ。

 ただ、山口の方ではまだ少し呆れたような顔をしていたけど。

 でも、楽しみなのは彼女も同様だし、それにいままでこれに乗っからなかったことなんてない。


「もちよ、


 そう返して、イヒヒ、と笑ってくれた。

 山口マジ良いやつ。大好き。

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