アル中独り者生記
@tomatofripp
第1 俺(その一)
アル中独り者生息記
俺 その一
俺は、アル中である、家族と呼べるものはいない。
子供のころテレビでアルコール中毒についてのドキュメントを見た、その番組ではモルモットに毎日一定量の酒を与え、少量ずつより多量に毎日酒を与え続けられたモルモットが次第に体が痙攣をおこし、ついには死に至る場面や、精神病院に入院させられたアル中患者が始めての夜、離脱症状の幻聴、幻覚症状から暴れだし数人の看護人に捩じ伏せられ猿轡をはめられたうえに拘束衣を着せられ保護室に放り込まれるシーンは今でも強烈に思い出すことができる。大人が何故酒を飲んでいるのかもわからない少年時代のころの記憶である。世の中にはおかしげな人がいるもんだなと驚いたぁ
次におれは高校1年のころ持病を発症してしまいその頭の中にラジオ局が埋め込まれた様な違和感と得体の知れないものの幻のようなものが現れ消えする混乱との中で不登校となり親が精神科を受診させたところ、気がつけば精神病院の思春期病棟の檻の中に居る自分を発見した。
その結果 留年、休学を含めて5年間精神病院から高校に通学することとなる。
幸いかぁ災いかぁ高校がその病院から歩いて10分のところにあり学校全体に俺が精神病患者であることが知れ渡るにはそう時間はかからなかった気がする。
70年代の精神病院は,特に思春期病棟ではまだまだ看護人という強面の連中がのさばり。ちょっとでもおかしな行動をとれば少年時代にアルコール中毒患者が保護室に放り込まれるトラウマが現実のものとなって立ちはだかっていたのである。俺はいつしか羞恥心というものと退屈といった感情をあまり感じない人格を造っていったようなきがする。
親はまさに羞恥心の塊で「高校だけは出ておけ」の一点張りで、毎日多量に服用させられるメジャートランキライザーでのけだるい体を引きずるように時折襲い来る発作に苛まれながら高校は卒業できた、当然成績は最下位の部類であった。
20歳になっていた。
そのご頭の中の混乱、時折の発作のなか丁度葉食い虫に食い荒らされた葉っぱのように大小の穴に覆われた生き方を余儀なくされていた感じだ。
そしてそこにいつしか酒という便利なものの味を知り、アル中となって精神病院へ舞い戻ることになるとは不思議なめぐり合わせである。
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