第36話 熊野

 熊野別当。これを説明しようと思えば、まず熊野という土地について語らねばならない。

 熊野は、地理的には紀伊半島の南端にあたり、現在の和歌山県および三重県にまたがる地域である。上古には熊野国と称したが、大化の改新以後は紀伊国と志摩国に分割された。古代からの木々が黒々と覆う山々は、それほど高くはなく、森もそれほど深くもないにもかかわらず、古来限られた人々しか足を踏み入れることはなかった。

 熊野は「死者の国」であったのだ。

 古代神道では死者の霊は山に登るという。そしてその霊が集うところ、「死者の国」こそが、熊野であったのだ。人馬の通わぬ山を死者の魂だけが越えてゆく。死者の魂はそこで生まれ変わるのである。

 そしてそれはいつしか、仏教の浄土信仰と結びつく。熊野こそが地上に顕現した浄土であると考えられるようになる。極楽往生を願う人々は蟻のごとく列をなして熊野へ詣でた。

 かくいう私も熊野へ行ったことがある。那智勝浦駅よりバスに乗り、大門坂で下車する。そこから杉並木の古道を歩いていく。車道からほとんど離れていない、熊野古道の中でも観光客向けのルートではあるが、それは異界と呼ぶにふさわしかった。

 この世のものではない何かがここにはいる、人を超えたなにかがいる。

 私はこの熊野詣の旅で、熊野に行く前に伊勢に寄っていた。外宮も、そして内宮も極めて清潔であり、神聖な空間が演出されていた。

 だがそれとは何かが違う。伊勢の皇大神はもともと宮中に坐したものをこの地へお遷しして祀ったものである。建物も二十五年ごとに遷宮で新しくなる。最高神を祀るのに、ふさわしい舞台が整備されている。

 熊野は異なる。そもそも祭神の熊野三所権現からして正体は不明である。おそらくは神武天皇のご東征、ひいては天孫降臨以前からここにいた土着の神なのであろう。そしてその上にいくつもの死者の霊や巡礼者の祈りが堆積している。苔むした石段を踏みしめる度に、有史以前からの神々や先人の霊が湧き上がってくるような気がするのである。そこに感じられたのは神聖さとは呼べない。ただ畏れがあるのみであった。

 そのような山道を歩き切ったところでついに視界が開ける。現代的な駐車場とコンクリートの階段が私を出迎えた。そして鳥居をくぐりさらに登れば、朱塗りの社殿が見える。これぞ、熊野三山の一つにして、かつては西国霊場一番札所として観音浄土と讃えられた、熊野那智大社であった。

 

 熊野三山の歴史はまことに古い。那智大社に至っては第5代孝昭天皇の御代だという。そしてその信仰は古代末期から中世にかけ花開いた。はじめて熊野に御幸を行った上皇は宇多法皇であった。それに西国霊場中興の祖として知られる花山法皇が続く。そして白河院がじつに9度にわたる御幸を行い、熊野はその名を広く知られるようになる。

 同時にそれは、それまで地方の霊山に過ぎなかった熊野が、中央の支配体制に組み込まれた瞬間であった。

 白河院は先達を務めた園城寺の僧・増誉を三山検校――つまり熊野三山の統括者として任命した。だがこれは名義上のもの過ぎなかった。実際に熊野を統治したのは、それに先立って成立した熊野別当である。当時の別当・第15代長快は、法橋(僧階の一つ)に叙任され、その地位もまた朝廷に保証され、熊野別当は権勢をほしいままにするのである。熊野別当は、熊野の軍事、経済、政治の実権を握り、熊野三山に所属する僧や比丘尼、神官、巫女はもちろん、地方の山伏も統括したという。

当時の大寺院の例に漏れず、熊野も武装していた。熊野を特徴づけるのはその水軍である。森の連なる熊野は木材の産地である。それにより船を作る。熊野に至る道は、ほとんど修行の道であるから、交通も自ずと海運に頼ることとなる。こうして発達したのが熊野水軍である。

 熊野はこのように強力な軍事力を有していた。度々水軍で伊勢の神領を犯したり、京都へ大挙して強訴に訪れた。そしてその力が遺憾なく発揮され、そして歴史の流れをも決定づけたのが、寿永4年3月の、壇ノ浦の戦いであったのである。


「第21代熊野別当・湛増は当初平氏に味方していました。しかし、源氏に味方した新宮や那智との抗争に敗れ、そして頼朝の挙兵を聞くに及んで、彼自身も源氏に鞍替えしたのです」語るのはみどりさんである。

「彼は念入りにも、神託を準備していました。しかも2度も。田辺で神託を得た後、さらに闘鶏でどちらに与するかを占ったのです。2度とも『白いほうが勝つ』という結果になるや、かれは平家を見限り、源氏について壇ノ浦へと馳せ参じたのです」

「しかしそれでは……」私は言う「彼が我々を攻撃するのは当たり前ではないのですか。熊野なのであれば、平氏を敵対視してくるのでは」

「もう一つ、忘れたらあかんことがある」今度は美嘉が口を挟んだ。「熊野いうんは、どこにある?」

「そりゃあ紀伊半島の南だろ。奈良の南よりもさらに奥の山の中。そう、奥吉野よりさらに奥……」そこまで言ってはたと気づいた。「吉野朝……南朝か!」

「そのとおりです」みどりさんが続けて言う「そもそも後醍醐天皇の皇子、大塔宮こと護良親王じたいも山伏の格好をして諸国を巡ったわけです。彼らは熊野と何らかのつながりはあったでしょう。そしてその残党も、一部は熊野の山の中に潜伏し、蜂起を繰り返したのです。そして彼自体が、そんな南朝遺臣の末裔なのです」

 私は彼を見た。彼はやはり物怖じすることなく堂々と立っていた。

「まあ、僕の紹介はそれくらいにして」彼はいった「そろそろ連れて行かなくていいのかな。早くしないと夕方になってしまうよ」

「そんな事言われなくてもわかっています」みどりさんは眉間にシワを寄せる「早く着いてきなさい」

 みどりさんは彼を引き連れて行く。後ろには、彼に銃を突きつけている衛士が続く。千歌はそれを追いかけようとしたが、私は彼女の腕を掴んで引き止めた。

「なんで止めるんですか、彼がどうなってもよろしいのですか?!」

「宮様は酷いことはしないよ」私は言った。「それよりも、しなければいけないことが他にあるんだ」

「他に、とは」

 私は視線を感じ取っていた。美嘉からの視線だ。それは同時に、検非違使別当からの命令であるぞというニュアンスも込められていた。裁判直後、検非違使別当が美嘉に言っていたことを思い出したのである。

「そう、処遇を決めなければならないんだ」私はできるだけ落ち着くように言った。なぜだかわからないが嫌な汗が首筋を伝う感じがした。「和田さんの処遇は決まった。今度は、千歌、君の処遇を決めないといけないんだ」

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