第31話 剣撃

 世界が無音に思える。ただ聞こえるのは自分の心拍のみ。それくらい私は緊張していた。嫌な汗が背中を伝っている。

 男は、はて、どこでしたでしょうか、と首をひねっている。その答えを私はもう知っていた。さすが茅野さん、絵は本当に上手である。

 ふりかえると、千歌も何やら考え込んでいる。

「ど、どうしたんだ?」私はなんとか声を発した。

「いいえ、あの男の人なのですが、どこかでお会いしたことがあるような気がいたします」

 また前を向く。彼はまだ考え込んでいた。一か八か、これはチャンスかも知れない。

「いえ、お会いしたことはないですよ」私はできるだけ平静を装いながら男に言った。「ただの登山者です、いまから山を下るところなんです、では失礼……」

 考え込んでいる千歌の首根っこを掴んで引っ張りながら立ち去ろうとしたときだった。千歌と、男は、同時に得心したように手を打った。

「思い出しましたわ!」「ああ、思い出した」

 男は歩み寄ってくる。

「すぐ忘れるとは僕も呆けたものだな」男は言う「昨日会ったばかりだ。そうですよね、丹生谷で」

 これはまずい。どうすべきか、ともかく逃げなくては。千歌に早く逃げるぞと目配せするが、彼女は自信に満ちた顔で言う。

「お兄様、慌てることはありません。あの方は、悪い人ではありませんわ」

 慌てるなだと? こいつが何をしでかしたか知っているのか?

「少しお話を聞かせていただきましょうか」

 彼は懐に手を入れた。そして何かを取り出そうとした……取り出そうとしたときだった。

 一つの影が、私と、男の前に躍り出た。

 みどりさんであった。

 彼女は錫杖を振り下ろしていた。男は後ろへと飛び退く。その先は男の手元をかすめ、何かをはたき落としていた。

 それはひらひらと舞って、地面に落ちる。何やら文様や文字が書かれているように見える。おそらく呪符であろう。

 男は払われた右手も打たれたのか、それとも響いただけなのか、左手で右手をさすっている。顔を歪めているが、しかしその口元には笑みがあった。

「やっぱり君もいたか」男は言う「ヘリで敵陣に入ってくるとは、流石いい度胸だ」

「あなたこそどうしてここにいるんですか? てっきり死んだかと」できるだけ冷静さを装うような彼女の声には一抹の安堵が感じられたが、それは気のせいであろうか?

 それよりもだ。彼にはヘリが『見えていた』ことになる。

「先輩、どういうことですか」先程からうろたえるように見ていた美幌さんが声を上げた「ヘリってなんですか、それにこの人達は……」

「テレビを見なかったのか? あれが『丹生谷王朝』の皇女様だ」

 美幌さんはつばを飲んだ。すなわち目の前にいるのが敵の親玉……

 そう思った次の瞬間、男――すなわち和田氏は背中のケースを投げ捨てていた。その中身だけを手にしている。

 手にしていたのは、1メートル程の長さの物体。すぐに鞘を投げ捨てる。同時にみどりさんへと踊りかかった。

 みどりさんは錫杖でそれを受け止める。金属で補強していなければ真っ二つだったかもしれない。

 それは刃渡りは二尺数寸ほどの日本刀であった。彼は抜き放ちつつ切りかかったのである。

 みどりさんはそれを受け流しつつ杖を反転させる。ちょうど石突きのように加工してある反対側で、太刀筋を受け流されバランスを崩している和田の腹を突いた。

 和田は後ろに飛ばされるがなんとか踏みとどまる。すかさずみどりさんが錫杖を脳天めがけて振り下ろさんとするのを、彼は刀で弾いた。返す刀でその胴へと切り込もうとするが、やはりリーチは杖が長い。石突きで刀を弾き返すと、後ろへと飛び退いた。

「やはりこれでは埒が明きませんね。これをお願いします」みどりさんは言い、その錫杖を後ろにいた私に投げてよこすと、腰より佩いた太刀を抜く。

「そう来なくては」和田は言った。その時彼は気づいた。一緒に登ってきていた自衛隊員が、ライフルを構えていることを。

「手出しは無用!」彼は一喝する。「私より美幌くんを護衛せよ!」

「他人の心配をするとは、余裕ですね!」みどりさんは甲段より斬りかかる。今度は和田が受け流す……受け流したかに見えた彼の脇腹に蹴りが入った。足技である。

蹴り飛ばされ、胃液を吐きながらも、彼はなんとかつぶやく「相変わらず足癖がわるいね」そしで袖で口元を拭うと、彼女に切りかかった。

彼は焦っていたのかもしれない。顔は平静を装いながらも、思ったより時間がかかっていることに焦っていたのだろう。それにこちらが術を使おうにもそれをさせぬぞというように間髪なく切りかかってくる。実際それを受けるので精一杯であったのだ。

 上段から切りかかった彼の太刀はまたも彼女に受け止めたれた。それだけではなかった。間合いはこれまでよりもずっと近かった。

「悪くて結構!」

 みどりさんは言いながら自分の刀で相手の刀の動きを制しつつ、今度は手元に蹴りを入れた。相手は左前へとつんのめる。そしてすかさずみどりさんは刀を返し、それを相手の首筋に後ろから打ち下ろしたのである。

 その後想定された惨状に、私は思わず目を覆った。

 だが悲鳴は聞こえない。おずおずと目を開けてみると、そこに首級は転がってはいなかった。

 いたのは刀を手にしたみどりさんと、地面にうつ伏せで倒れている和田であった。頭は胴体にちゃんとついており、血も流したあとはない。

 呆然とする私に気づいた彼女は声をかける。「安心してください。峰打ちです。気絶しているだけ」

 ああ、殺生はなされていない。ほっと胸をなでおろす。

 だが黙ってみていられないのが護衛できた自衛隊員である。彼は手出し無用と言われても、その者が敵に討ち倒されたのでは捨て置くわけにもいかない。ライフルを構える。

 それにみどりさんはすぐ気づいた。土をひとつかみして、直後土煙とともに消えた。

 いや、消えたのではなかった。次の瞬間には、約30メートル以上は離れていたであろう彼のところにいた。何がなんだか驚いている彼をよそに、柄を彼のみぞおちに突きこんだ。

 やや後ろに飛ばされる彼。だが流石に自衛隊、ベストか何かの影響か衝撃は身体まではとどかない。よろめいたもののすぐにライフルを構えようとした。

 だがここで間髪入れずに首筋に回し蹴りが入った。彼は飛ばされ、太龍寺の名前が彫られた石柱に身体を打ち付けると、気絶した。

 さて、と周りを見回すみどりさん。もうひとりいたのはどこへ行ったのか。

 見回すと、さっきまでいた女性の姿はなかった。私も二人の戦闘に気を取られていたせいか、どこへ行ったかわからなかった。

「お見事です、宮様」私は言った「あと一人はどうします、捜しますか?」

「いいえ、逃げたのなら追わなくてもいいでしょう」みどりさんは言った「見るからに非戦闘員に思えました。それに今彼女を捉えたところでここに留まるわけではないのですから秘匿しなければならない理由もありません。彼や、そして貴方の妹にまで、遁甲を破られていたのであれば、他の者に見つかっていてもおかしくありません。彼女が報告したとして、なんでしょうか」

 彼女がそういったとき、後ろで千歌の声がした。「ちょっと、何しておいでですか!?」

 振り返ると本田某がまだ気絶している和田を縛り上げていた。千歌はそれに抗議したらしい。

「お兄様、この方は私の恩人なんです。それが一体どういうことでしょうか」

 彼女は私とみどりさんに怪訝な目を向ける。それを無視するようにみどりさんは言った。

「ありがとうございます、彼を尋問すればいろいろ聞き出せるはずです。捕虜としましょう」

「捕虜!?」千歌は目を丸くした。「お兄様、答えてください、この方たちは何なのですか」すがりつくように私に言う。「もしやお兄様……」

 私は視線をそらした。今ここで、素直に答えるわけにはいかなかったからだ。

「殿下、ヘリはすでに連絡しています。まもなく迎えが来るかと」

 本田左衛門尉が言った。みどりさんは頷いた。千歌は終始、こちらに訴えるような視線を投げかけていた。

 ほどなくして先ほどと同じ、呪文が機体を覆った霊的ステルスヘリコプターが爆音とともに到着した。本来なら着陸して回収するが、スペースがないため仕方がない。まず本田氏が上がると、今度は抵抗する千歌をなだめハーネスで持ち上げた。そして私が上がり、次に気絶した和田を持ち上げた。途中和田のスーツのポケットから何かが落ちるのが見えたが、何かわからない。それは風圧ですぐに飛ばされてしまった。

 最後にロープで上がってきたみどりさんを回収すると、ヘリは太龍寺をあとにした。

 敵情は偵察できなかったが、それ以上のものを得た。おそらく敵の中では誰よりも情報を持っていそうな男と、そして、いまだ不審の目を私達に向けている我が妹であった。

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