第3日 8月5日

第21話 山寺

 その日の目覚めは、いつになくスッキリしていた。

 起き上がり背伸びをすれば、頭が何時になく冴えているような気がした。慣れない布団で寝た時に起きる肩こりもない。

 扉越しに階段下より呼ぶ声が聞こえる。「朝食の準備ができました、起きていれば降りてきてください」

 私はトイレに寄ったあと洗面台で顔を洗うと、食堂となっているダイニングキッチンに姿を表した。すでに上野原先生とぷちれもん先生こと茅野さんが席についていた。

 朝食はトーストと目玉焼きであった。

「ありがとうございます」私は上野原先生にそう言って席についた「用意いただいて」

「礼なら彼女に言ってください。パンを焼くのも億劫な自分の代わりに朝食を用意してくれたから」上野原先生は朝から活気のないような低い声で話している。トーストを手にとりながら、茅野さんに視線を投げかける。

「そうでしたか、ありがとうございます」

「いえいえ」茅野さんは言う「よく休めましたか?」

「ええまあ……」私はそこで茅野さんになにか言おうと思ったのだった。それがなにか思い出せない。なにか昨日茅野さんと話したような気がするのだ。「昨晩、寝る前になにか話しましたよね」

「そうですね」茅野さんは微笑みながら言った「飲みながら話をました。肇さんが先に寝てしまったんです。覚えてない?」

「それは失敬」私は言った。私も酒が弱くなったものだな。

 いやまて、と思った。そんなに酒を飲んだのならなぜ寝覚めがこんなに良いのだろう。そう疑問が浮かんだが、上野原先生の言葉にそれはすぐかき消された。

「水澤さんは食事が終わればすぐに準備をお願いします。さきほど、早急に参内するようにという連絡がありました」

 私は固まった。何を言われるのか。

「ついでに、青柳さんもです。一緒に参内するようにと」

「わたしもですか」

「そのようで。仔細は聞き及んでいませんが」そう言って上野原先生は立ち上がった。「では、私は往診に出かけてきます。予備の鍵は冷蔵庫の横にあるので、よろしく」

「いや、ちょっとまってください」私は言った「参内といっても距離があるでしょう。歩いていけと」

「ああ、それは心配ないでしょう。電話によると――」そういったところで玄関のチャイムが鳴った。「宮様が、車で二人を迎えに来るとのことでした。もういらしたようです」

 上野原先生は玄関に向かう。茅野さんと、みどりさんと、3人で車だって?

 茅野さんを見る。困ったような顔をしているが、しかし深刻そうではない。捕虜の尋問再開というわけではないのは明らかであり、彼女はまだ気楽に構えられる。一方私は謹慎中の身、次の沙汰が一体どうなるかもわからない。そして何より、みどりさんに面会して、どんな顔をしろというのか分からなかったのだ。


 結果として、車の中でみどりさんは私に一言も話しかけてはくれなかった。私から話しかけても、無視はされないが、「はい」「ええ」程度の言葉しか返してくれない。結果として、以下の情報は茅野さんとみどりさんの会話から得た情報である。

 どうやら太政官は昨日の茅野さんの働きを評価し、本人が望まない限りにおいて、官位を授ける予定であるという。私の処遇は不明であるが、少なくとも斬首や切腹申し付け、宮刑はなさそうである。

 皇居も、役場から移動していた。山上にある黒瀧寺という真言宗の寺院を新たな御所としたという。かつて弘法大師が龍を封じ込めたと伝わる山である。中世では細川某なる豪族が僧兵を擁し、長宗我部元親の阿波侵攻に対し立てこもった。要塞とするにはもってこいの地である。

 さてそこへ続く道であるが、やはり他の四国の道と同様心細い一車線の道が続くばかりである。道は次第に高度を上げていく。

「人は鳥路の雲を穿ちて出るが如し、地は是れ龍門水を趁めて登る」

 茅野さんがつぶやいた。思わず私は後部座席の隣に座る彼女の方を見た。

「菅公です」彼女は言った。

「漢詩がわかるんですか」私は尋ねる。

「失礼ですね」彼女はムスッとした「これでも『COMIC白楽天』で連載していたこともあるのですよ。漢詩も漢文も書けます」

「私たちが見込んだ以上に才がありそうですね」運転席のみどりさんが言った。「やはりあなたへの役職は間違いなさそうです」

「なんの官職ですか?」茅野さんは聞く。

「頭弁です。蔵人頭と左大弁を兼ねていただきます。公文書の作成がその職掌です」

「なるほど、漢文を使うわけですか」

「そうです」

「ではどれほどお役に立てるか」茅野さんは言う「聞きかじった程度の知識ですから」

「卑下なさらずに。どうぞ力を貸してください」

「では……よろしくお願いいたします」

 そういった会話をしている間に車は山上についた。突然狭路の向こうに広場が出現し、駐車場となっていた。車を停めると、みどりさんは下車するように告げた。駐車場から道を挟んだ反対側には山寺の山門が見える。

「主上への拝謁です、くれぐれも粗相のないように……」

 そうみどりさんが言った瞬間であった。遠くからサイレンが聞こえてくる。高校野球や、映画やドラマで空襲警報として流れる、あのサイレンである。スピーカーから流されていると思われる音は、山々にこだましながら次第にその音色を変え低くなっていく。

「もう来たか!」みどりさんは叫んだ。そして寺の石段を駆け上がると、山門の向こうにある鐘を鳴らした。ゴーン、ゴーン、ゴーンと三度鳴らす。鳴り止んだサイレンに変わり、今度は鐘の音が山間に響き渡る。

「どうしたんですか」私と茅野さんは息を切らせながら彼女に追いついていった。鐘をつき終わった彼女は、今日はじめて私の問いにきちんと答えた。

「敵襲です。ついに、自衛隊がやってきました」神妙な面持ちで彼女は言う。「どのサイレンを鳴らすか、事前に決まっています。予想通り、195号線沿い、阿南方面より軍を進めているようです。戦闘は避けられません」

 そして彼女は私の肩に手をおいた。

「あなたの罪は多々あります。しかし、今は戦時。主上に拝謁後、私とともに部隊の指揮のため上那賀地区へと向かいます」

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