丹生谷王朝興亡記
淡嶺雲
プロローグ
プロローグ
君子は怪力乱神を語らない、とは孔子の言葉である。語りえぬものに対しては沈黙すべきである、とウィトゲンシュタインは書いた。しかしいまここで、私は、私自身が体験したこの奇妙かつ途方もない、そして筆舌に尽くしがたい事件について書こうとしている。だが、書き出すまでにどれほど時間がかかったことだろうか。山間の村に伝わる伝説や、私の記憶、そして当時の新聞記事など、どれをもってしてもおぼろげで断片的であり、全体像がつかみかねるのだ。調べるだけでも数週間という時間がかかる。それでもなお、もはや書き出すほかはなかった。記憶と現実の齟齬は時間とともに大きくなる。今を逃せば、もはや書くことはできない。
さてしかしどこから書き始めるべきか、私は無い知恵を絞ることになる。イザナギとイザナミの国生み神話から語り起こすことも可能だ。二人が生み出したオオゲツヒメは阿波神山へと降り立った。天孫降臨のころからでもよいし、もう一人の天孫であるニギハヤヒが天下ったときのことでもよい。律令国家成立で長国と粟国が阿波国となったころでもよいかもしれない。保元の乱の結果、崇徳院が讃岐に配流されたことも、事件を複雑化させた遠因だ。今回の事件に直接関係するという意味では、壇ノ浦の戦いでの平氏滅亡からが適当かもしれない。後醍醐帝が吉野に逃れ、一天に二君のおわす時代が訪れたことや、その後の後南朝、そして熊沢天皇事件までこの事件とはおおいに関連があるわけだから、そこから語ることもできる。文政二年、丹生谷の農民三千が藩に対して一揆をおこしたことも、この事件と深いつながりがある。そして、先の帝がご退位あそばされたことこそ、今回彼らが踏み切った原因であるのは明らかであり、畏れ多くも上皇陛下の本紀より話を始めることも可能である。
だがこれらはすべて歴史や世相の話であり、私がじかに見聞し、経験したことではない。この物語は新書ではないのだ。やはり私の経験から書き起こすことが適当だろう。
よって物語は、あの年の八月、涼風吹く剣山の山頂で、彼女と出会ったところから始めようと思う。
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