箱庭捜査

大地黒須

「裏路地の足跡」

【1】

 ここ数ヶ月で社会現象にもなった邦画のテーマソングが、五月晴れの下で鳴り響いた。

 筧月春かけい つきはるはたった今自分が出てきた校門前でポケットの中からスマートフォンを取り出し「迫水さこみずさん」の文字列を見ると、着信の文字をタップした。

 スピーカーを耳に当てると聞き慣れた中年男性の声が響いてくる。

「やぁ、筧くん。

 学校の方がそろそろ終わりだと思って電話したんだけど、今良いかな」

「えぇ、大丈夫ですよ」

「じゃあ、ちょっと急なんだけれどこっちに顔出して貰えるかい」

「仕事ですか」

「そうそう。

 マスターには筧くんが来ること伝えておくからいつも通り降りてきちゃって」

「分かりました。 すぐ向かいます」

「放課後に悪いね。 じゃ、また後で」

 手短に通話を終え、スマートフォンを制服のポケットにしまいながら筧は軽くため息をついた。

「……ゲーセンはまた今度だな」

 これからの予定を変更して、筧はまず学校から最寄りの駅へと向かった。

 目指すのは学校最寄りの駅から十五分ほど電車に揺られた後、徒歩で十分歩いた場所にある喫茶店だ。

 いわゆるオフィス街の大通りから二、三ほど入った暗い道を行く人は少ない。そんな道に接する目的の喫茶店は、巨大なビルの影にすっぽり隠れてしまうためいつでも薄暗い。

 「喫茶店マイティ」の看板の下、年季の入った木扉を開くと錆びついたベルの音が鳴り響いた。

 店内には閑古鳥が鳴いている始末で、カウンターの向こうにいる初老のマスターは、暇を持て余したのか折りたたみの椅子に腰を下ろして文庫本に目を通している。

 マスターは筧の来店に気づくと顔を上げて柔和な表情で出迎えた。

「下で迫水さんがお待ちです」

「聞いてます。

 それにしても、今日もガラ空きですね」

「まぁ、こんな薄暗い場所に構えていればこうもなりますて」

 筧はまっすぐ店内を横切り、「通用口 関係者以外立ち入り禁止」と張り紙がしてある扉へと近づく。

 ノブの上にあるボタンで八桁の暗証番号を入力すると、鍵の開く音が四つほど聞こえてくる。

「じゃあ、ちょっといってきます」

「いってらっしゃいませ」

 筧が扉をくぐるときに見たのは、律儀に一礼しているマスターの姿だった。

 扉の向こうにあるのは大人五人ほどが立てば一杯になる小部屋だ。

 ただでさえ狭い部屋だというのに、その中では備品の詰まったダンボールが塔を成しているのだから圧迫感が並大抵ではない。

 ダンボールとダンボールの間に身を割り込ませながら、筧は一番奥にある壁の一部を文字通り、開けた。

 壁と同色で偽装してある小さな戸の内側には数字と記号が配列されたパネルがある。

 筧が迷うことなく十五桁にものぼるパスワードを入力すると、小部屋に変化が起こった。

 周辺を意識してようやく分かる程度の低速で小部屋自体が地下へと降り始めたのだ。

 エレベータは地上からある程度の距離を取ると降下のスピードを早め、地下空間へまっすぐに向かう。

 小部屋は、降り始めてから一分が経とうかというところでようやく静止した。

 エレベータを出た筧が目にするのは白い蛍光灯に照らされた質素な事務室だ。業務用の机が三つと、ロッカーがふたつあるだけの殺風景な部屋がエレベータの正面に広がっている。

 地下なので当然窓はない。

 一応、別の部屋に通じているらしい扉が幾つかあるが、これらは筧も知らないパスワードに守られているため先を見たことはない。

 エレベータから一歩出た筧を男の声が出迎えた。

「ご足労どうも、筧くん。 やはり事務所が通学路上にあるというのは良いものだね。

 私は我慢弱いというわけではないけど、待ち時間は少ない方が良い」

 向かいあった一対の先にある、三つ目の業務机についた男が声の主だった。

 白いシャツに、赤のチェック柄ネクタイ、サスペンダーの三点セットは今日も彼を迫水隼人さこみず はやとたらしめている。

「定期券内で行き来できるのは確かに便利ですけれどね」

 そんなことよりも、と筧は切り出した。

「今日の仕事はなんです? またいつもと同じヒト探しか、モノ探しか……」

「や、や、仕事の話に入りたいのは山々だけれども、その前に紹介したい新人がいてね」

 新人、という言葉を聞いて筧は怪訝な顔をした。

「この事務所に新人配属なんて珍しいですね。 今まで俺ひとりだったのに」

「お上の考えなんて、僕にだってよく分からないものだよ。 さ、入っておいで」

 苦笑の後、迫水が手招きしたのはどこに繋がっているのか分からない扉のひとつだ。

 合図と共にその扉が向こう側から開き、ひとりの少女が姿を現した。

 紺地に緑の線が入ったブレザーと、首元の白いリボン。恐らく自分と同年代ということから、筧はどこかの高校の生徒だとアタリを付けた。

 件の女子高生は後頭部でまとめた黒い長髪を揺らしながら革靴を鳴らし、やがて迫水の隣に並んだ。

 筧の目線と、わずかに下から見上げる彼女の目線が交錯する。

「本日からこちらで働くことになりました、比良塚真刀伊ひらつか まといです。 よろしくお願いします」

 現代社会の高校生にしては珍しく、比良塚は筧に握手を求めた。特に断る理由もないので、筧はその手を取る。

「俺は筧月春、どうぞよろしく。 剣道の練習ってやっぱり大変?」

「……はい?」

 手を離すタイミングで放った筧の一言に、比良塚は眉をひそめた。

「あぁ、適当に聞いただけ。 初対面の人によくやるんだけど、ほぼ当てずっぽうなんで」

 比良塚は眉をひそめたまま隣を見たが、迫水はニコニコ顔をしながら肩をすくめるだけでなにも言わない。

「紹介も終わったわけですし、そろそろ仕事の話を聞いても良いですかね、迫水さん」

「おぉ、そうだねそうだね。 では、君たちふたりに頼む仕事を紹介しよう」

 比良塚はしばらく不思議そうに自分の手のひらを見つめていたが、迫水の一言でふと我に返ると、立ち位置を変えて筧の隣に並んだ。筧と共に迫水に向かいあう形だ。

「一週間ほど前から、都内で魔術の使用された痕跡が検出されている」

 迫水がふたりに見えるように掲げたのは多摩川沿いの地区を中心に描かれた都内某所の地図だ。

 その住所を筧はスマートフォンのメモ帳アプリに書き込んでおく。

「君たちにはこの反応の正体を探ってもらううよ。 その上で自然的、人為的に関わらず発生している魔術を停止して欲しい。

 要件はこれだけだけど、なにか質問は?」

 比良塚が挙手する。

「付近に登録のある魔術師は?」

「特筆するようなのはいないね」

「反応の規模は?」

「大規模ではない、とだけ言えるかな。

 うちみたいな小さい事務所にお鉢が回ってきたのも、お上が動くほど大きな問題ではないと判断されたからだろうね」

「人数は割きたくないけど、気にはなるってところですかね。 解決までの猶予は?」

「上からは指示されてないけど……そうだなぁ、五日以内に報告出せれば良いかな。

 それ以上かかりそうな場合には必ず僕に報告する、それでどう?」

「オーケーっす。 比良塚さんは?」

「私も異存ありません」

「ようし、では捜査開始といこうじゃないか。 特に比良塚さんはこれが初仕事なわけだから、景気付けにパーっとやろうか」

 ニコニコ顔の迫水はそう言うや否や、摘んでいた地図から指を離した。

 だが地図は床に落ちるよりも先に、裏面に記してあった刻印から発火し、灰になる。

 事件に取り組む際の「儀式」を見届けてから筧と比良塚は事務所を後にした。



【2】

「……なんです? アレ」

 魔術の使用が観測された地区にほど近い駅に到着し、口を開いたのは比良塚だった。

「アレ、っていうと?」

「迫水さんが最後に地図を燃やしたやつです。 刻印発火式魔術のようでしたが、毎回あんなことをしているのですか?」

「まぁ、本人は事件が無事解決するよう景気付けるつもりでやってるみたいだけど、そこまで深い意味はないんじゃないかなぁ」

 筧は答えながらスマートフォンの地図アプリを立ち上げ、メモしておいた住所を入力する。

 ものの数秒で現在地点から目的の住所までの最短距離が表示される。大まかな道のりを頭に入れてから筧は歩き始めた。

 追いついてきて横に並んだ比良塚が聞く。

「握手のとき、なぜ私が剣道をやっていると思ったのですか」

「指の付け根にあるタコと、左手の平の手首近くにあるマメで」

 言葉を強調するでもなく、筧は淡々と答える。

「タコはなにかを日常的に握り、振っていることを連想させる。 で、左手の平にあるマメで、握っているものが竹刀だと分かった。

 剣道は左手中心で振るから、右手よりもマメが付きやすいだろうなぁ、って感じで」

「なるほど……」

 感心した様子の比良塚は自らの右手と左手を交互に見比べている。

「あの短時間でよくそこまで考えましたね」

「この仕事、自分であれこれ見ながら頭を捻る機会が多いんで自然と練習になるから」

「当てずっぽうだなんて嘘じゃないですか」

「だって自信満々に推理して外してたら恥ずかしいし。 だから間違いだって言われる前にごまかすわけ……っと、この辺りか」

 筧と比良塚は住宅が立ち並ぶ路地の入り口で立ち止まった。

 住宅地、と言えば聞こえは良いが築数十年は経っているであろう木造住宅が中心で、老朽化した街灯や、道のわきから伸びる雑草を見れば手が入っていないことは一目瞭然だ。

 午後四時半を回った現在、オレンジ色の太陽光ではこの薄暗い路地を照らすには役不足らしい。すでにポツポツと影法師が伸びて路地の不気味さに拍車をかけている。

 当然、そんな路地を使う人はおらず、辺り一帯に通行人の気配はない。

 絵に描いたような「裏路地」を目の前にして筧は盛大に溜息をつく。

「……じゃあ調査開始といきますか。 暗いせいであんまり気は進まないけど」

 人差し指で頬をひと掻きしてから筧は裏路地に一歩踏み込んだ。

 入り口付近の足場はコンクリートで固められていたが、奥に進むとやがてそれもなくなった。代わりというように道には地面が露出し、所々に黒ずんだ水たまりや、腰の高さまである雑草も散見された。

 ふたりとも黙ってその裏路地を進んでいたが、ある地点を通り過ぎたところで筧が口を開いた。

「どうやら俺たちが探している相手は最近になって魔術を覚えたみたいだ」

「なぜそう思うのですか?」

 筧はなにも言わない代わりに少し先の地面を指差した。辺りが薄暗いため、注意しないと分からないがそこには明確な窪みがある。

 そしてその窪みは、人間の足跡にも似た形状をしていた。

「これは……」

 比良塚はその窪みに近づくと身を屈め、右手をそっとかざした。

 魔力の残滓ざんしを拾う方法は、魔術師が基礎の基礎として習うことのひとつだ。

「……ゴーレム」

「そう、ゴーレムの足跡」

 魔術を方法として生成されるものは数多あるが、ゴーレムはその中でも一躍有名な存在だと言える。

 土や岩から人型に作られ、魔術師の思うがままに使役される忠実な下僕。ゴーレム自身に意思はなく、人間よりも遥かに力強いため純粋な労働力として重宝されることが多い。

 裏路地の奥の方に目を凝らした比良塚は他にもゴーレムの足跡を確認する。

「歩幅から推定するに、体長は一・八から二メートルってところか」

「でもこれだけで魔術を覚えたばかりと判断するのは早計な気がします」

「それはこっちを見ると分かる」

 次に筧が指差したのは地面よりもっと上だった。道の片側に伸びるアスファルトの壁だ。

「ここに手の形をした土がべったり付着してる。 大きさが人間のものとはかけ離れているためゴーレムである可能性が高い。

 当のゴーレムは路地を歩いていて、この辺りで倒れかけた。 そこで自分の体を支えるために壁へと手をついたんだ。

 さっき割り出した体長から考えてもこの高さは全然不思議じゃない」

 説明を途中で区切り、筧は少し道を進む。

 すると、同じ壁の同じ高さに、同じような土塊が付着していた。

「基礎を習熟した魔術師にとってゴーレムを操るなんてたやすい。 だというのにこの短距離で二度も転びかけるのは、基礎すら学んでいない魔術師が使役している証拠だ。

 だから魔術を覚えたばかりと言ったんだ」

「……」

 筧の説明を聞いた比良塚は、顎に手を当てて思案顔だ。筧の言葉には説得力があるが、真実はどうか分からないとでも言いたげだ。

「足跡はこの奥から進んできて、さっきの場所で折り返してる。 先を辿れば自ずとなにが正しいのか分かるだろうよ」

 比良塚の無言にそう返すと、筧はゴーレムの足跡を辿って先へと進んだ。

 時刻は夕方で空はすっかり茜色だ。

 しかしふたりが進む裏路地はというと街灯が等間隔に並んでいるはずもなく、道中で見たのは光源として役割を果たせていない壊れかけのものがひとつだけである。

 当然、時間の経過と共に裏路地も沈むように暗がりへと変わっていき、数メートル先になにがあるかも分からない状態だ。

 そんな場所を十数分歩くと、道の両端にあったアスファルトの壁がなくなり、開けた場所に出た。

 相変わらず雑草が目立つものの、建物の裏口らしき鉄格子が裏路地の終端に表れた。

 つい最近まで人の出入りがあった様子で、鉄格子自体の汚れは少ない。

「行き止まり、みたいですね」

「ゴーレムの足跡はここから伸びている、ってことはこの中に魔術師が潜伏してる可能性が高い」

 鉄格子の周りを細かく観察する比良塚と対照的に、筧はスマートフォンを取り出して地図アプリを立ち上げていた。

 ここに来るまでの道のりを画面上でも追いかけ、この建物の正体を調べる。

 答えはものの数秒で出た。

「工場だったみたいだな、ここ。 規模から見て大手メーカー向けに細かい部品を納品していた、とかそんな所だろう。 今は廃墟みたいだが」

「町工場って奴でしょうか。

 どうしますか、侵入して魔術師を――」

 比良塚が途中で言葉を切ったのはふたつの理由による。

 ひとつは、隣に立っていた筧が「シッ」と息を吐きながら彼の唇の前に人差し指を立てたため。

 そしてもうひとつは、筧と比良塚以外の第三者がすぐそばで足音を立てたためだ。

「そこでなにをしている」

 ふたりのすぐ背後から中年の男性と思しき声が投げかけられる。

 筧は制服の襟に留めてあった校章を素早く外してポケットに隠すと、引きつった笑いを浮かべながら振り向いた。

「どうもすみません。

 僕たち、学校の写真部なんですけど……次のコンクールに向けて、町中の写真を撮ってたらここまで入りこんでしまいまして……」

 振り向いた先にいたのは、作業着らしき古びたツナギと土埃のついたスニーカーを身に付けた齢四十代も後半の男性だった。

 頭部の髪はわずかに薄くなり、腹も出ているがその眼光は鋭く、筧と比良塚に対して明確な疑惑を持っていることが見て取れる。

「写真部にしてはカメラを持っていないようだが?」

「今はコレがありますから……」

 筧が見せたのはスマートフォンだ。

 彼と比良塚の顔を交互に見ていた男性の目線がそちらに移る。

「もしこちらが私有地ということであればすぐに出ていきます。 なんなら写真のデータも全て消して――」

「いらん。 御託はいいからさっさと出て行け」

 筧は苦笑いのまま「すみません、すみません」とヘラヘラ謝りながら比良塚の手を引き、道を引き返していった。

 裏路地を抜け、比較的人通りの多い道に出たところでようやく筧は口を開いた。

「あの男だな」

「そのようですね。

 足跡に残っていた魔力の残滓と同じものをあの男性からも感じました」

「これで今回やることがはっきりしたな。

 あのおっさんを捕まえてゴーレムの使役を中断させる」

 比良塚も同意を示した上で、筧に尋ねた。

「今のうちに確保しますか?」

「……比良塚さん、武器の方は?」

「今は護身程度の必要最低限しか」

「じゃ、止めておこう。

 あそこで動かしてるゴーレム、質は悪いがその分数を揃えられる。 生半可な装備で乗り込んで返り討ちにあったりしたら迫水さんにも笑われる。

 今日のところは出直して、後日改めて乗り込む。 明日の授業が終わるのは?」

「早上がりなので三時は回らないかと」

「よし、じゃあ四時半にここ集合だ。

 武器の使用許可については俺から迫水さんに話しておく」

「分かりました」




 翌日のことだ。

 筧は想定よりも早く下校することができたため、十分ほどの余裕を持って集合場所に到着した。

 しかし、その場に比良塚がいたものだから思わず舌を巻いた。それとなくいつからいるのか聞いてみると、集合時間の三十分前にはすでに到着していたらしい。

 時間の遅れが場合によっては致命的になりうるという考えから、必ず余裕を持って行動するようにしている、というのが比良塚の弁だ。

 それを聞いた筧は思わず呟く。

「……優等生」

 態度、発言、そしてこの行動。

 昨日から比良塚と行動を共にしてきて、この比喩があながち間違いではないことを、筧はここで実感したのであった。

 辿る道筋は昨日と同じだが、一度足を運んでいるぶん進みは早かった。昨日はじっくり二十分はかけた裏路地を半分ほどの時間で歩き、ふたりは再び鉄格子の前に立っていた。

「それで、ここまで来た訳ですけど、どうやって中に入りましょうか」

 比良塚は鉄格子にくくり付けられた太いチェーンと、大人の握りこぶしほどはある大きな錠前を見て半目になっていた。

「まぁ考えてあるから安心しろって」

 筧はその場にしゃがむと、登校時から今まで持っていたリュックサックの口を広げる。

 これは普段から携行しているわけではなく、今回のような事態のときだけ持ち出すものだ。

 中から現れたのは一対の手甲。

 筧の手を指先から肘まですっぽり覆うほどの大きさで、五指は全て独立している。色は金属特有の光沢を持った黒で、指先は異様なほど鋭利にできていた。

 比良塚が着目したのは、手首と肘のちょうど中間である、前腕に取り付けられた平べったい箱のような物体だった。この部分だけ取り外しが可能なのか、箱の側面には擦り傷がいくつもついている。

 見ると、同じ箱型の物体が六つ括り付けられたベルトを、筧が腰に巻き付けている。

 背中側に下がった六つの小箱はさながら銃火器の予備弾倉のようでもある。

「その箱、魔力が充填されていますね?」

「あ、バレた? 足跡からゴーレムが分かるくらいだしやっぱり分かるよな」

 右と左。

 両方の手甲を腕に装着した筧は、五指を曲げたり伸ばしたりしながら動作を確認する。

「まぁ早い話、この『弾倉』から手甲に魔力を供給することで……色々と便利になる。

 こんな風にな」

 百聞は一見にしかず。

 そう言いたげな筧は手甲を纏った五指で錠前を軽く握った。

 ほんの一瞬、前腕に装着された「弾倉」から五指に向って青いラインが現れ、光ったかと思うと、筧の手の中にあった錠前が粘土のように変形していた。当然、鍵としての役目はその時点で果たせなくなっている。

「俺は『黒御簾くろみす』って呼んでる。 便利だろ?」

 自慢げな笑みを浮かべながら、筧は鉄格子を開け放った。


 当然、建物の中は電気が通っているはずもなく、裏路地以上の暗さだった。

「【篝火かがりび】よ」

 比良塚が手のひらを前に差し出し、言葉をひとつ暗闇に投げかけた。すると差し出した手の上に白い輝きを放つ光の球が現れた。

 光源を作り出す初歩の魔術に今更驚く筧でもなく、視界を確保して奥へと進んでいく。

 かつては事務室だった部屋、倉庫だった場所などいくつかの部屋を探索し、最後に残ったのは大きな扉だった。

 古びて剥がれかけている「関係者以外立ち入り禁止」の張り紙と、くすんでほとんど見えなくなっている会社名のロゴから、比良塚の言っていた町工場という予想は正しいように思えた。

 その扉を横にスライドさせると、広い空間が視界に入ってきた。

 小学校の体育館ほどの広さでキャットウォークがあり、天井からは等間隔に円盤型の照明器具がぶら下がっている。

 床の上は塵と埃以外ほとんどなにもないが、部屋の隅に一台だけ、高さ五メートルほどある機械が鎮座していた。

 その上部は整備のためだったのかキャットウォークと接続しているが、現在の工場の雰囲気も相まって二度と動かないと思われた。

「こりゃあいよいよ廃墟予備軍だな」

 思ったことを率直に述べる筧に対して、比良塚は半ば呆れたように言う。

「それよりも魔術師ですよ。 他の部屋に潜伏している気配はありませんでしたが」

「だったら、ここだけだよなぁ」

 鋭い手甲の指先で、一部分だけ白くなっている前髪をいじりながら筧は口を開く。

「《協定機構》の者ですが、どなたかいらっしゃいませんかー? 抵抗せずに出てくれば、措置は軽いもので済みますよー?」

 部屋の広さも相まって筧の声は反響した。

 しばらくの間、わずかな隙間風と塵芥が床の上を転がる音だけが響く。

 そこに、なんの前触れもなく異音が混じった。

 べちゃ、という粘土質のものが床に落ちた音は部屋の隅、ちょうどたった一台残された機械のあたりから響いてきた。

 最初の異音を皮切りに、ふたつ目の音が響いたかと思うと、三つ、四つと増えていく。

 明確な異常事態がじりじりと近づきつつあるのを悟って、比良塚は【篝火】の魔術で作り出した光源を大きくし、天井付近まで飛翔させた。

 明かりが灯ったことで、部屋の全体像が浮き彫りになった。

 最初の印象は、人。

 しかしその体色は全体的に茶色で、本来目のある部分はわずかな窪みがあるだけだ。

 二メートルはあるヒト型のソレが、一歩踏みしめるたびに、粘土質の音が反響する。

 例えるなら、軟体動物が陸上で無理やり行進するように、体を揺らしながら数体のゴーレムが筧と比良塚を包囲していた。

「強硬手段、ね」

「上の通路で待ち伏せていたようです……あそこに魔術師も」

 比良塚はキャットウォークの方を指す。

 今でこそ明確な光源があるため部屋の全体像を認識できるが、入ってきたときはどこもかしこも薄暗かった。ふたりを取り囲むゴーレムはその暗中に潜んでいたのだ。

 そのことを証明するように、キャットウォークにひとつの人影が屹立している。

 ふたりのいる位置からは距離があるため人相こそはっきりしないが、ゴーレムを使役している魔術師に違いないと比良塚は考えた。

 自然と筧と比良塚は背中あわせの形になる。筧が荷物を床の上に置いて『黒御簾』に包まれた拳同士を打ち合わせたのに対し、比良塚は中からふたつの物体を取り出すと、通学用の鞄を脇へ放った。

 ひとつは太く、三十センチほどの長さがある半透明の筒。もうひとつは、刃を欠いた刀の柄だ。

 比良塚は片手で筒の蓋を開けると、中身をコンクリートの床上にぶちまけた。一見すると砂のような、さらさらとした細かい粒状のものが比良塚の前に広がる。

「……鉄の粉?」

 わずかに振り仰いだ筧が呟く。

「同僚なので話しますが、私が得意とするのは【土】の系統魔術です。 そこのゴーレムと同じ系譜なのは少し癪ですが……」

 鉄粉が入っていた筒も捨て、左手に柄だけを握ったまま比良塚は右手を差し出した。

「その応用として鉱物由来の金属を使役することができるのです」

 差し出した比良塚の右手が輝く。するとその光に呼応するように、床に広がっていた鉄粉が微動し、自ら動き始めた。

 比良塚が発する光に魔術的な脅威を感じたのか、ゴーレムたちは体を揺らすのを止め、戦闘態勢を取る。

 やがて床に広がっていた鉄粉は螺旋を描きながら宙へと浮かび上がり、その形状を溶かしながら互いに混ざりあい、最終的に球形の液体となる。

 魔術を完成させるための鍵。

 きっかけとも呼べるその一言は比良塚の口から放たれる。

「【銀糸ぎんし】」

 言葉に反応して、浮遊する鉄の液状球はさながら噴水のように、その中身を比良塚が左手に持つ柄に向かって射出した。

 銀色の液はするりと柄の中に入り込むと、今度は固体へと状態を変える。

 細長く、平らで、鋭利な刃へと。

 宙に浮いていた液状球が全て絞られた頃には、刃は切っ先まで形成され、比良塚の左手に一振りの刀が完成した。

 比良塚は自らの魔術で作り上げた刀を一、二度振って感触を確かめると、その切っ先をゴーレムに向けた。

「いつでもどうぞ」

 数体のゴーレムが、術者の合図でふたりに襲いかかった。




「なるほど、手のタコとマメは竹刀じゃなくて本物を握ってできたわけだ!」

 ゴーレムの拳を、筧はひらりと避けてカウンターとばかりに『黒御簾』の抜手を胴体目掛けて放つ。

 鋭利な爪を持つ『黒御簾』の五指は容易くゴーレムの体を貫通し、背中側に露出する。

 勢いを付けて手を真横に抜くと、ゴーレムの腹部を構成していた土塊や砂利、石ころが辺り一面に散らばる。腹部が歪な形状になったゴーレムは自重を支えきれるはずもなく、粘土質の音を響かせながら崩れ落ちた。

 筧の背後では、一振りの刀と共に比良塚が応戦している。

 学校の制服を着ているとは思えない軽やかな身のこなしでゴーレムの攻撃をいなし、すれ違いざまに一閃を与える。

 今回の場合は人間でいうところの膝裏だ。

 人と同じ五体を持った構造の場合、自重を支える部位が必ず存在するため、そこを切断しまえば自ずと崩壊する。

 現に、比良塚が相対していたゴーレムもバランスを崩し、前のめりに倒れている始末だ。

 しかし。

「我が御言を以って敵を討ち滅ぼせ、忠実な土の下僕たちよ!」

 キャットウォークに佇む魔術師が使役の言葉を唱えることで、ゴーレムたちは再び立ち上がる。

 筧が吹き飛ばした腹部の土が、比良塚が切断した膝裏の土が、崩折れたゴーレムの元に集まり、再び人型を作り上げる。

 そして、再度ふたりに襲いかかるのだ。

「やっぱり自己再生が面倒だな……。 比良塚さん、ゴーレムの核の位置って分かる?」

 両手を広げて取っ組みあっていた筧は、ゴーレムの腹部に蹴りの一撃をお見舞いして距離を取る。

「少し時間を下さい」

 比良塚はというと、刀を順手に握って一体のゴーレムの攻撃を連続で避けていた。

 正拳突きは体を右側にひねり、次の足払いに対してはごくわずかな跳躍で対応し、着地を狙ったアッパーカットは首を反らすことでやり過ごした。

 ゴーレムは体のどこかに核を持っており、これが中心となって土の体を作り上げる。

 また、核が魔術師からの命令を受け取るアンテナの役割も果たすため、これさえ破壊すればゴーレムを完全に無力化できる。

 比良塚が回避に専念するのは、少しでも集中して核を見つけ出すためだ。

 ゴーレムの中でも核は最も多くの魔力を有する部分。言い換えれば、ゴーレムの体で最も魔力の反応が強い場所が核だといえる。

 比良塚は攻撃を避けながら、ゴーレムの中でも魔力が強く感じられる部分はどこなのかを探る。

 相手の攻撃を十は捌いた頃だろうか。

 比良塚は、相手にしているものとは別のゴーレムが背後から近づくのを感じつつ、「隠し場所」を見つけて息を呑んだ。

「左胸、心臓の位置です!」

 筧が比良塚の声を聞いたのは、まさにゴーレムの懐に潜り込んだ、そのときだった。

 筧は左手で、右手に装着している『黒御簾』の前腕部にあるスイッチを入れた。

 応じるように駆動音が唸る。

『Break』

「ウォラッ!」

 放つのは右の抜手だ。

 しかし、先ほどの抜手とは異なり、前腕部の「弾倉」から五指に向かって青いラインが発光している。

 魔力が供給された五指には、鈍い青色の輝きが灯る。

 突き出した指先がゴーレムの左胸に触れた瞬間、青い輝きが突如膨張し、指向性を持った破壊の奔流となって土塊の体を貫いた。

 『黒御簾』が持つ機能のひとつだ。

 「弾倉」から供給される魔力を一気に消費することで、【力場】の魔術が発動。これによって、攻撃時の衝撃を何十倍にも上昇させることが可能になる。

 その結果、ゴーレムの左胸には大穴が開き、今度こそ完全に沈黙した。

 土で汚れた『黒御簾』の手中には白い輝きを放つ六角柱状の結晶が握られている。

 これこそゴーレムの核だ。

 筧は『黒御簾』の力を借りて核を握りつぶすと、右前腕の「弾倉」を外した。そして、ベルトに下げていた予備のひとつを再装填して比良塚の援護に向かう。

 比良塚の背後にて機会をうかがっていたゴーレムに飛びかかった筧は、相手の両肩を力いっぱい掴むと、もろともゴロゴロと床の上を転がった。

 相手を組み伏せたまま、筧は自らの右腕へと力を集中して『黒御簾』を駆動させる。

 すると、さながら幼稚園児が粘土細工を弄るかのごとく、ゴーレムの左腕が容易く千切れた。同様にして右腕も引きちぎり、自由を奪う。

 芋虫のように全身を揺らし、もがいていたゴーレムだったが、頭部を筧の左腕に押さえつけられそれすらも封じられる。

 トドメは『黒御簾』の爪だ。左胸に深々と突き立てられ、結晶を貫く。

 加勢がなくなったと分かり、比良塚は身のこなしを変化させた。今まで回避主体だった動作を、カウンターに集中したものへと切り替えたのだ。

 筧とは異なり、比良塚の体躯は華奢な方だといえる。当然、頭ふたつ分は身長差があるゴーレムに真っ向から挑むのは要領が悪い。

 ゆえに比良塚はその体躯を活かし、動きをコンパクトにまとめた反撃を主体とすることで、相手を圧倒した。

 ゴーレムの体には、攻撃を放つたびに受ける反撃のため、深い刀傷が増えていく。やがて、自ら放った拳の反動にすら耐えきれなくなって、ゴーレムの右手があらぬ方向へと歪曲した。

 その隙を見逃さず、比良塚は左胸目掛けて切っ先を真っ直ぐに突き刺した。明確に、土塊を刺すものとは異なる感触が両手に走る。

 間もなく、ゴーレムは膝を折って崩れ落ち、人型から解き放たれた元の土や石として辺りに散乱した。

 一体分の相手を終えるとすぐさま筧と合流して、再度背中あわせになる。

 ごく短い間に幾度も攻めと守りの応酬をしたものだから、ふたりの心臓は早鐘を打ち、頬から首筋にかけて汗の筋ができあがっている。

 最初九体いたゴーレムが、今は六体。核を破壊して絶対数を減らしたものの、戦力差は未だに明確だ。

 残ったゴーレムたちは前後三体ずつとなって筧と比良塚を挟むようにしてにじり寄る。

「いやぁ、仕事できる同僚がいると楽で助かる。 ひとりだとここまでスムーズにはいかない」

「軽口を叩くのは現状を理解した上で、全部終わらせたあとにしてもらえますか?」

 比良塚は眉間に皺を寄せて吐息する。

「ご指摘どうも。 で、ここからどう終わりに持っていくかだが――」

 軽口を叩いたときとは一八〇度異なる、真剣な声色で筧は言った。

「ここの六体は俺が引き受ける。 比良塚さんはキャットウォークにいる魔術師本人を無力化してくれ」

 その言葉で比良塚は筧の意図を悟った。

 相対して初めて分かったことだが、ゴーレムの動きにはまだまだ緩慢なところがぽつりぽつりと見て取れる。筧の推理通り、操っている魔術師がまだ未熟な証拠だ。

 だがゴーレム本体の力は馬鹿にできず、全てを倒すにはふたりがかりでも時間がかかる。

 長期戦になると体力や集中力の低下を起こし、致命的な一撃をもらう可能性が高くなる。

 なにより、劣勢が表面化すれば魔術師の逃亡を許してしまうかもしれない。今でこそ数的有利な立場を理由に、キャットウォークに留まっているが、どこで均衡が破れるかは筧にも比良塚にも分からないのだ。

 ゆえに、ひとりがゴーレム六体を同時に相手し、ひとりが魔術師を捕縛する。

 筧はこの方法が最善だと判断したのだ。

 だが、当然のことながらリスクもある。

 特に、ゴーレムを相手取る方には、数的な不利がより強く働く。

 ……筧の意図をここまで汲んだ上で、比良塚は口を開いた。

「戦力を二分することには、私も賛成です」

 ですが、と言葉は続く。

「それぞれの相手は逆の方が効率的です。

 私がゴーレムを処理するので、筧さんが魔術師を無力化して下さい」

「……それ、本気で言ってる?」

「はい。 見栄でも慢心でもなく、私であれば数秒で仕留められます。

 むしろ――」

 割り込む形でゴーレムの拳が振り下ろされた。

 見越したように、比良塚は筧の腰に軽い蹴りを入れた。突然のことだったため、筧は避けることもできず、後方に向かってたたらを踏む羽目になった。

 ふたりで立っていた場所にゴーレムの拳が落ちると、土煙とコンクリートの破片が舞い上がった。衝撃でできた窪みがその威力を物語る。

 これで包囲網の中には比良塚がひとりで残る形になった。最初の一体を皮切りに、六体による連続攻撃が始まる。足先のステップでそれらを避けながら彼女は言った。

「他に人がいるとやりにくいので。 魔術師の方、頼みましたよ」

「……分かった。 でも無理すんじゃないぞ、優等生!」

 筧は走りだした。目指すのは部屋の後方に唯一鎮座している機械だ。

 高さのため、魔術師がいるキャットウォークへと直接登ることはできない。

 しかし、機械には手がかり、足がかりになりそうな部位がいくつもあるため、それを使えば立ち入ることができると考えたのだ。

 走った勢いのまま跳躍して、機械の中ほどの高さにあったレバーを両手で握る。

 部品と部品の隙間に『黒御簾』で包まれた指を入れ、体を上に持ち上げていく。

 機械の一番上まで辿り着くと、キャットウォークに飛び移り、休む間もなしに魔術師目掛けて一直線に走り出した。

 当の魔術師はというと、ゴーレムを使って筧が登ってくるのを阻止しようと命令を繰り返していた。

 しかし、そのどれも比良塚によって阻止されていたため酷く声を荒げていた。

「ひとりになにを手間取っている! さっさと始末してしまえ!」

 キャットウォークの上から見た比良塚の戦法は、再びカウンターを一貫するものだ。

 ゴーレム一体に時間をかければ他の五体に囲まれてしまう。ゆえに、一体に多大なダメージを負わせるのではなく、返す刃で六体を均等に相手する戦い方を選択していた。

 相手の動きが緩慢なのを良いことに、走り、跳び、時には転がって翻弄する。こうした動作の合間合間に刀を一振り、傷をつけていく。

 そうやって作られた貴重な時間を使い、筧はあと五メートルというところまで魔術師に接近する。

 当然のことながら、魔術師には簡単に捕まる気がないらしく、反対方向に向かって駆け出した。

 キャットウォークは部屋いっぱいのスペースを使ったU字型で、その始点と終点には別の場所へ通じる扉がある。

 魔術師は一目散に始点側の扉をくぐり抜けてこの空間から逃げ出した。

「待て!」

 筧も同じ扉をくぐると、より一層強い力を足裏にこめた。


 筧の走る音が遠ざかっていくのを聞いて、比良塚は息をひとつ吐いた。

 すると、命令なのか、あるいは魔術師から一定距離を保つように予め仕込まれていたかは定かでないが、比良塚を包囲していたゴーレムの一体が出口を目指していきなり走り出した。

「お待ち下さい」

 両者の間には三メートルほどの距離があったが、比良塚は居合の要領で刀を横に薙いだ。切っ先がゴーレムの背中にピタリと重なった瞬間、その切っ先近くだけが液状に変化・分離し、遠心力を使って飛翔した。

 雫状だった液体の鉄はゴーレムに接近するにつれ再び固体へと変化していく。

 その形は弾丸状で、貫通力と破壊力とをあわせ持つ。

 即席の弾丸は吸い込まれるようにゴーレムの膝を撃ち抜き、その足を止めた。

 そのゴーレムはというと、膝を再生しながら自らの標的をいま一度再認識した様子で、他の五体と共に隙のない包囲網を作り上げた。

「まったく、好都合です。 他に誰かいるともっと集中力が必要になりますからね」

 比良塚は六体のゴーレムを品定めするかのように見渡しながら歩む。

 そして六体から等距離――つまり円状の包囲網における中心で止まると、左手に刀の柄を握ったまま、開いた右手の人差指と中指を真横に振った。

 指の動作と連動して左手の刀にも変化が起こる。これまで固体として刃を成していた部分の輪郭が崩れ、液体へと状態変化したのだ。

 しかし、液体の鉄は柄から溢れることなく、刃としての形状を維持している。それは器に並々と注がれた、溢れる寸前の水を連想させた。

 比良塚の企てを察したのか、六体のゴーレムは無言で同時に飛びかかった。

 土と岩の塊である彼らの重量は単体で百数キログラムになる。それが六体ともなれば華奢な比良塚を抑えるには十分な力となる。

 それでも彼女は、極めて冷静に、事務的に、器へと「最後の一滴」を注ぎ込んだ。

「【山荒やまあらし】」

 手のひらでくるりと、柄を順手から逆手に持ち替えた比良塚はためらうことなく床目掛けて振り下ろした。

 液体となっていた刃は床に触れると薄く、そして広く、さながら水たまりのように広がっていく。

 液体の鉄は、ゴーレムが比良塚に殺到するよりも速く円形に広がり彼らの足元を濡らした。

「貫いて下さい」

 比良塚の一言で、ゴーレム全ての核が一瞬で破壊された。

 床に広がっていた液体の鉄が再び形状を変化させ、細く鋭い針となったのだ。ひとつふたつではない、何百という針が床から隆起し、比良塚以外の物体を全て真下から刺し貫いた。

 その結果、彼女の周囲には今まさに飛びかからんとする格好のゴーレムが六体、糸に釣られた人形のように留まっている。足も腕も腹も頭も、そしてもちろん左胸の核も全て貫かれた土人形は全身を穴だらけにして完全に機能を停止した。

「……はぁ」

 床に柄を付けるため、膝立ちの姿勢になっていた比良塚は腰を上げながら息を吐いた。

 柄が床から離れるのにあわせて、ゴーレムを刺し貫いていた鉄色の針は水たまり状になり、最終的には全て比良塚の柄の中に収まった。さながらビデオを逆再生したように。

「……犯人は捕まったでしょうか」

 率直な疑問を口にしながら比良塚は筧の後を追った。




 キャットウォークの扉を抜けた先には簡素な下り階段があった。降りた先はたった今出てきた大部屋の入り口だ。入ったときから変わらず「関係者以外立ち入り禁止」の張り紙がしてある。

 だが筧の追う魔術師は扉とは反対方向に伸びる廊下を駆けているらしく、靴裏がリノリウムの床を叩く音が聞こえてくる。

 迷うことなく、筧も廊下を走った。

 数秒ほど走って難なく魔術師の背中を見つけることができた。古びたツナギと土埃がついたスニーカー。その姿には筧も見覚えがあった。

 魔術師は追手が近づきつつあるのを悟ると突如として駆ける足を止めた。そして、進行方向の反対側……つまり筧に向けて叫んだ。

「【玄武げんぶ】、我が身を守れ!」

 魔術師の呪文を聞きながら筧は廊下の隅に複数の土嚢が置かれているのを見た。彼の言葉を受けた土嚢は前触れもなく全て破裂し、その中身が床一面にばらまかれた。

 だが魔術の効果はそれだけではなかった。

 床上に広がった土塊が集まり、隆起し、筧と魔術師の間に一枚の壁を形成したのだ。廊下は高さも幅も非常に狭いため、両者の間が完全に遮断された形だ。

「時間稼ぎのつもりか!」

 目の前にバリケードが出現しても、筧は足を止めなかった。それどころか、足により力を入れて、左前腕のスイッチを押した。

『Break』

 使うのはゴーレムに放ったものと同じ抜手だ。

 五指全てが土壁に打ち込まれ、一瞬遅れて青色をした破壊の奔流が突き刺した方へとなだれ込んだ。

 魔術師にとって渾身の出来であった土壁はあっけなく崩れた。青い奔流の衝撃に煽られた彼も共に吹き飛ばされ、廊下の壁に五体を打ちつける。

「土の防御魔術【玄武】……。

 習いたての初心者にも使える一方、練度が高い魔術師なら壁の強度を向上させることができる。

 裏を返せば初心者が作った土壁くらいならこの『黒御簾』で十分破壊可能だ」

 左腕の「弾倉」を予備と交換しつつ、筧は魔術師に近づいた。

「お前……写真部のガキか……」

 魔術師――昨日、工場の入り口近くで筧と比良塚に声をかけた中年の男が呻く。

「その節はどうも。 もうこれ以上抵抗しても無駄だ、おとなしくお縄についてくれ」

「誰がッ!」

 男は怒りに満ちた目のまま上体を起こそうとしたが、打ちつけた体の痛みにうめき声をあげて断念した。

 相手から交戦の意思が消えたことを認めた上で筧は問いかける。

「……どうしてこんなことやったんだ。

 《魔術協定機構》は常に登録のない魔術の使用を監視している。 ゴーレムを始めに作り上げた段階で、遅かれ早かれ調べが入ることは決まってたんだ」

「子供には分からんだろうさ。

 他人の都合で大事な工場を潰されたやりきれなさと悔しさはな。

 俺たちはな、汗水流して必死になってメーカーに部品をおろしていたんだ。 ところがどうだ? 奴ら事前の通達もナシにいきなりウチとの業務提携を解消しやがった」

 筧は昨日の予想を思い出す。

『工場だったみたいだな、ここ。 規模から見て大手メーカー向けに細かい部品を納品していた、とかそんな所だろう』

「吹けば倒れる小さな工場だ。 メインの収入源を失ってから倒産するまでそう時間はかからなかった……。

 これほどまで自分の無力さを嘆き、他人を恨んだことはない」

「……動機は復讐か」

「あぁそうだ! あの土人形を使って、俺や従業員たちの暮らしを狂わせた奴らをひとり残らず皆殺しにするつもりだった!」

 男は瞼を開いて筧を睨みつける。

「俺の復讐を止める権利がお前にはあるのか! ろくに社会へ出たこともない、青臭いガキのお前なんかに!」

 筧は男の怒号を正面から浴びると、頭を掻いてから小さくため息をついた。

「いや、アンタの言うことは分かる。

 確かに俺はまだ高校生で、ろくに社会で働いたこともない子供だ。 だから働く大人たちが普段どんなことを考えているのかよく分からない。

 それに、将来アンタと同じような立場に置かれたら俺も復讐を考えるかもしれない。 ……復讐を、俺は否定しない」

 筧からそのような返事があるとは思いもいなかったらしく、男は驚いた顔を見せた。

「だが、俺はアンタを捕まえる。

 《協定機構》によって禁じられている魔術をアンタは使った。 で、俺は端くれでも《協定機構》の人間だ。

 理由はそれで十分だ」

 筧が話し終えて男はしばらく黙っていたが、うめき混じりに忌々しそうな顔をして口を動かした。

「……チッ。 ガキのくせに割り切れてやがるのが一段と腹にくる」

 言葉による最後の抵抗も、筧には無意味だと男は悟ったらしい。

 疲労と痛手のためか、その口調も次第に弱くなっていく。

「しかし、ここまで仕事熱心なガキに負けて……俺も……歳を取ったな……」

 男はそれきりなにも言わなくなり、意識を手放してしまった。

「別に、熱心ってわけでもないけどな」

 そう嘯く筧の脳裏には優等生……比良塚の顔がなぜだかよぎっていた。

 さて、あれだけのゴーレムを本当に処理することができたのかと疑問に思う筧だが、こちらを目指してくる比良塚の足音を聞いて杞憂だったと実感するのであった。



【3】

「それで、今回の犯人はその後どうなったのですか?」

「迫水さんに身柄を渡して、終わり。 

 その迫水さんもあくまで《協定機構》の本部に連行するだけの役割だから、処遇がどうなるかは分からないってさ」

「…………なんだか手柄を取り上げられた気分ですね」

「悔しいのか?」

「いえ。 ただ、なんだかこう、モヤモヤしたものを胸に抱えているような……そんな感じがするんです」

「仕事の結果は迫水さんも、多分上の人たちも認めているさ。 でなきゃ、こうして飯にありつくこともできないんだからな」

 そう言って、筧はサンドイッチを一口かじった。

 ふたつ右の席に座る比良塚も、目の前に置かれたスコーンを食べてみた。

 小麦の香りと、かけられている蜂蜜の甘みが口の中いっぱいに広がり、思わず目が丸くなる。

「美味しい……ですね」

「立地はアレだが、料理のクオリティは近所で一番って言っても過言じゃないと思う」

 ふたりが食事を楽しんでいるのは、地下事務所への入り口がある喫茶店マイティのカウンター席だ。

 夕暮れ時の店内には、ブラインドの隙間からわずかに茜色が差し込んでいる。

 ゴーレム使いの魔術師を捕まえてから二日後のことだ。

 筧は報告書を迫水に提出したついでに軽食でも取ろうと喫茶店に立ち寄ったのだが、カウンターに比良塚の姿があったのだ。

 筧は意識せずいつも使っているカウンター席についたのだが、比良塚はそこからふたつ隣の席にいたので自然と仕事の話が始まった、というのがここまでの流れだ。

「召し上がっていただいた方からそう言って貰えると、材料を厳選した甲斐があったというものです」

 初老のマスターは皺の刻まれた顔に柔和な笑みを浮かべつつ、カウンター越しに飲み物を差し出した。

 筧はホットコーヒー、比良塚は紅茶だ。

 みずみずしいレタスにトマト、ジューシーで分厚いベーコンが挟まったサンドイッチを腹の中に収めて、筧は淹れたてのコーヒーを一口飲む。

「でもまぁ、犯人の処遇どうこうじゃなくても、気になる点はまだあるけどな」

「あの男性が一体どこで魔術を覚えたか、ということですね」

 比良塚の指摘に筧は椅子へもたれながら「そ」と頷いた。

「魔術を修める方法は《協定機構》に所属する魔導士から教わる以外にない。

 教わるにしてもいくつも手続きを踏む必要がある。 だから真っ当な魔術師なら必ず《協定機構》に情報が残るはずだけど――」

「今回の犯人について、情報は存在しませんでした」

「迫水さんの説明通りなら、登録されていたものが抹消されたんじゃなくて、そもそも最初から情報が存在しなかったことになる。

 こりゃあ、面倒くさいことに首を突っ込んだかもしれないなぁ」

 つぶやきの後、筧は残ったコーヒーを全て飲み干した。


「さぁて、ぼちぼち帰るとしますかね」

 マイティを出た筧は首をぐりぐりと回し、両腕を真上に伸ばしながらそう言った。

「あの、筧さん」

 喫茶店の扉をそっと閉めた比良塚が口を開く。

「なに?」

「そのなんといいますか、今回の初仕事を終えて、あなたの実力が信頼に足るものだと実感しました」

「ご丁寧にどうも」

「それを踏まえた上で、お聞きしたいことがあるんです。

 ただ、これは私の勘違いかもしれないのでお気を悪くさせてしまったらすみません。

 あなたは――」

 比良塚は口を開き、一度閉じかけた。

 中間に喫茶店の扉を挟む形で、ふたりは向きあっている。

 意を決して比良塚はひとつの問いを放つ。

「……あなたは、魔術師ではありませんね」

 そのとき、街路樹の葉をさらさらと揺らしていた風が突如として止んだ。オフィスビルで囲まれた箱庭のようなこの空間に、耳の痛くなるような静寂が舞い降りる。

 問いを突きつけられた筧はというと、しばらくは無表情のまま黙っていた。しかし五秒ほどして、「バレたか」と悪戯を見つけられた子供のように笑って頬を掻いた。

「どこで気づいた?」

「違和感を覚えたのはゴーレムの足跡を見つけたときです。 魔力の残滓を調べるのは初心者でもできる芸当、なのにあなたは自らそうしようとはしなかった。

 このときはほんの少しだけ、変わってると感じるだけでした」

 「でも」と比良塚は呟く。

「ゴーレムと戦ったとき、違和感はいよいよ大きくなり、あなたが魔術師ではないと仮定するようになりました。

 錯覚しがちですが、あなたが使っていたのはあくまで『黒御簾』の機能だけ。 自身では一切魔術を使っていませんでした。

 つまりあの手甲は――」

「――カモフラージュ。 俺があたかも魔術師であるように見せかけるためのな。 当たりだ」

 口元にわずかな微笑みさえ浮かべて、筧は補足する。

「俺は《協定機構》の末席にいる身だが、魔術を使わない……いや、正確には使えない」

「普通の人、というわけですか」

 筧は答えず、ただ寂しげに笑った。

「……このことを迫水さんや、《協定機構》本部の人は知っているのですか?」

「前者は知ってる。 後者は知らない奴がほとんどだが知ってる奴も少しだけいる」

「あなたは……なぜ魔術が使えないのに、この仕事をしようと思ったのですか」

「なぜ、って聞かれたら個人的な理由になる。 この仕事を通じてしかできないことがあるからだ…………でもその内容は」

 筧は口の端を上げて微かに笑った。

「まだ内緒、ってことで。

 じゃ、暗くなってきたしここらで失礼するよ、比良塚真刀伊さん。

 くれぐれも夜道には気をつけて、また」

 話はこれで終わりだ、とばかりに筧はくるりと背を向けて歩き始めた。

 比良塚は追いかけることも、声をかけることもしない。ただ、その背をじっと見つめるだけだ。

 止んでいた風が今頃になって吹き始める。

 筧が着ている詰め襟の制服が、風にあおられて裾を揺らす。

 比良塚にはなぜだか、その黒い生地が事物の詳細を覆い、輪郭を曖昧にしてしまう霧のようにも見えた。




 古き時代より脈々と受け継がれてきた魔術は、その使い手と共に管理される時代となった。

 すなわち《魔術協定機構》の台頭である。

 旧来の自由と探求の時代は終わりを告げ、魔術師たちは皆一様に新たな体制への息苦しさを感じ始めていた。

 いつしか魔術師たちは拘束と一律一様の時代を皮肉交じりに、こう表現した。

 「箱庭」と。

 これは「箱庭」を舞台に、な魔術事件を追って奔走する人々の物語である。


(つづく)

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