6-2 エレとニーオ、そしてアキ2

 口元だけで笑みを作り、苦い眼差しのまま、エレは言葉を継いだ。


「サクリファイス候補の子供を……トゥームセラではどういう基準で選んでいるのか、知らないけど。

 俺の時は、単純に裏社会に売られた子供達だった。

 俺達、候補の子供達は、サクリファイスが残した血清を、まず投与されたんだ」

「血清?」

「うん。予防接種ワクチンみたいなものだよ。死んだサクリファイスの中に残っていた、モスキートのほんの僅かな、ウィルス同然に小さな欠片を投与される。

 予防接種と違うのは、に対する抗体を作るためじゃなくて、モスキートに対する拒絶反応───肉体的なものと精神的なものの免疫をためだったことだ。

 摂取した欠片は、二、三年かけてゆっくりと、己を受け入れる素地を宿主の内に作り上げていく。

 ……たぶんジェイの場合は、何かの治療の際にどさくさに紛れて投与されたか、食事に混ぜられたかして、摂取させられたんじゃないかな」

「………」

 愕然とするジェイから目を逸らして、エレは己の膝に視線を落とした。

「欠片は宿主に何の自覚症状も感じさせないまま、その体質を変えていく。

 そうだな。モスキートにとってみれば、自分の一部を埋め込んで乗っ取ったようなものかな」

「それじゃ私はもう、モスキートにとり憑かれているってこと?」

 思わず、ジェイは身震いしてしまった。

「嫌な言い方をすれば、そうなる。

 君の中のモスキートに部分は、そして絶えず本体と引き合う波動を発している。

 映画なんかであるだろう? 血を吸われマーキングされた犠牲者が、夢遊病のように無自覚に吸血鬼の元に呼び寄せられる。

 サクリファイスの候補者も、似たようなものなんだ」

「で、でも私、今までそんなふうにことなんてないわ」

「モスキート本体が、他の子供サクリファイスの捕食に専念していたからね。

 君や、おそらくはまだ数人……あるいは数十人いるのかもしれない候補の子供達は、ただモスキートに繋がれたまま、放置されているに等しい段階なんだ」

「それが……印?」

「うん。もとよりモスキート本体の波動は、サクリファイスの死亡とほぼ同時に発現する一瞬の力のそれだけでしか観測出来ない。

 なのに、そうした複数の子供が常時発信している波動が反響を起こしているから、ますますモスキートの存在は隠されてしまう。

 計算されていることなのか、本能的なものなのか知らないけど、厄介な話だよ」


「……今回、どうして私を見つけられたの? 私だって、他の候補だっていう子供と同じなんでしょう?」

「サクリファイスが死亡したからだよ」

 目だけでジェイを見上げながら、エレが言った。

「次の犠牲者を繋がれた候補者の中から、おそらく無作為にモスキートは選ぶんだ。

 ばれた候補者は、その波動が変わる。幾重にも反響し合う波動の中からでも、すぐにわかるぐらいにね。

 けど映画と違って、自らモスキートの元に行ったりはしない。……センサーを持った所有者の手下が連れに来る」

「……その、センサーとかいうのも」

「モスキートの欠片から作られる。候補者と違って体内に投与されるわけじゃないから、センサーの所有者にはない。

 特定の形に変わった波動の持ち主だけを察知するそれに導かれて、獲物となった候補者をどこまででも追い続けられるわけさ」


 もちろん、ジェイには思い当たる物があった。そうとはっきり視認しなくても、いつでも、認識出来た物。


 追手の男達が身につけていた、金色の徽章。


 ───では、エレとニーオは?


「ニーオと俺は、センサーなんて持ってない。……そんなもの、いらないんだ」

 ジェイの心の疑惑が聞こえたわけではないだろうが、少年は再び俯いた。

「俺は候補者じゃなく、サクリファイスだった。……この四十七年の間で、サクリファイスにまでなりながら生き残った、唯一の存在らしい」

「唯……一……」

「モスキートが、サクリファイスを食う。捕食する。俺達はそう言うけど、もちろん通常の意味でモスキートが子供を食べるわけじゃない。

 はたから見れば、殆ど同じだけどね」

「………」

「……そもそも人間から見れば悪魔や呪いに等しいモスキートに、はない。

 力や熱量が凝った『場』なのか、高次の意味での生物なのか、人間如きに理解の仕様はないけど、ともかく物質としての姿かたちはない。

 どんなに大規模な自然災害に等しい災厄を起こせても、一瞬で何万人もの人間を殺せても、と規定すべきがない。事象の一形態でしかない」


 わかるような……わからないようなエレの言葉に、ジェイは眉根を寄せる。

 少年の横顔が、困ったように笑った。


「人間から見たら途轍もない恐ろしい現象が起こせても、モスキートには何の影響もない。だってそこに、んだから。

 ……だからコルドゥーンは、モスキートを単なる力、上手く制御出来ればこの世界そのものすら変えられる奇跡の源として、追い求め始めたんだと思う。力として利用するために」

「………」

「その結果が、『箱』だ」

「……ニーオが開けたっていう?」

 少年は頷いて、顔をあげた。まっすぐにジェイを見据える。


「その闘争が『箱』を奪い合うためのものだったのか、それとも『箱』を使って相手方を攻撃しようと持ち出されたものなのかは、知らない。

 ただ激しい戦闘の最中さなかに、『箱』を所持していたコルドゥーンが殺され、巻き込まれて半ば死にかけていたニーオの目の前にそれが転がり込んだことだけが、現実だ」


 数時間前の、雷光と轟音が席巻する戦場を思い出して、ぶるり、とジェイは身を震わせた。


「瀕死の状態の……死の間際まで追いつめられた人間が放つ波動……それが脳波なのか、他の何なのか、アキは教えてはくれなかったけど。

 少なくとも、その時のニーオのそれが、『箱』の中に封じられていたモスキートの一体にとって、最も同調しやすいものだったことは確かだ。

 だからそいつは、半ば意識を失いつつあったニーオに命じた」


 無表情に、エレは言った。

「『開けろ』」


「───」

 顔を強張らせるジェイを、不安そうにサミーが見上げる。

「───そして、。命じたモスキートが、そのままニーオに融合するのを」

「融……合……?」

「同化でもいい。言っただろう? モスキートに自我があるかどうかはわからないけど、少なくとも目的はある、って。

 ニーオも言ったよね? モスキートは常に変化を指向する」

「……媒体となるものを、求める……?」

「あるいは───この世界での己の確たる存在、己の一部となる肉体を」

「───!」

「変化も変転も、己がそこに在ってこそ意味がある。

 自分と全く違う次元の何物かを変えてみせたところで、何になる? 神様でもあるまいし。

 全く己の与り知らぬ他者にどんな凄まじい影響を与えるような変化を起こそうと、畏れられようと崇められようと、には何にもならないんだよ。

 指向する変化には、モスキート自身も含まれてこそ意味があるんだ」


「魂なんかいらないって……。つまり、欲しいのは、生身の肉体だけってこと……?」

「うん」

 きっぱりと、躊躇いなくエレは頷いた。

「休眠するために宝石や聖遺物に潜むことは出来ても、生物に入り込むことはモスキートには難しいんだよ。一時的に操ることは出来ても、わりとすぐに弾き出されるらしい。

 精神的……霊的? っていうのかな? 生きた個体には、免疫みたいなものがあって、自己の中に侵入しようとする他者を、問答無用で攻撃する反応を起こす。

 どんなにモスキートが強力であっても、それこそ宿主が自らの命を落とすことになっても、絶対にその拒絶反応が覆ることはない。

 ……ウィルスが、時によって宿主を死に至らしめるようにね」

「………」

「乱暴な言い方をすれば血を、遺伝子を継承するために特化した生物は、モスキートとは全く正反対の存在だ。

 だからというわけでもないけど、モスキートの力を持ってしても、生物を無から作るのは途轍もなく難しいことらしい。当たり前だけどね。

 ましてや、を持ってこの世界を変容しようとするに従うなら、獣なんかではなく、この世界中に最も大きな影響を及ぼす人間の体を得ることが最も効率がいい。

……そして、その方法を、モスキート達はしまったんだ」


「それで───サクリファイス」


 コルドゥーンの抑圧から逃れ、モスキートは、そして己の目的を叶える方法を理解して、世界中に散らばったのだ。媒体やどぬしを求めて。


「もっともこの四十七年、融合に成功したモスキートが存在しないのは、一番重要なことを理解しないまま飛び散っていったからだろうけどね」

「一番重要なこと?」

「死の間際にある人間なら、誰でも同化出来るわけじゃない。……力尽くでその全てを奪えるわけじゃないってことだよ」


 一度視線を落とし、それから少年は再びジェイと目を合わせた。

「ニーオの中には、あいつと同化したモスキートがいる」

 話の流れから予想のついていたことではあった。

 しかし、改めてエレの口から告げられた事実に、ジェイは息を呑まずにはいられなかった。


「昨夜、俺と話していた奴。口調とか雰囲気が、ニーオとは全然違ってただろう?」

「……うん」

「あれね、ニーオの、施設にいた頃の兄貴分の人格を模倣しているんだって。

 ニーオが最も受け入れやすい別人格として、あいつの記憶の中から引っ張り出したらしい」

 目を瞬かせるジェイに、エレは言葉を継いだ。

「自分の体内に別の存在がいるって、普通の人間なら耐えられることじゃないよ。

 妊婦でさえ、突然、胎児が自分の体の中から話しかけてきたりしたら気が狂うよ、きっと」

「それは……」


 ジェイも、思わず頷いた。

 自分が、自分である、という認識。

 それが揺らいでしまったら……自己と他者の区別がつかなくなったら、それは確かに正気でいられるものではないだろう。


「俺達が、彼をニーオと呼んでいるから、そのファースト・ネームの一部を自分がもらうって、宣言したんだって。

 最初に俺があいつに会った時に、言っていた。

 ……だから、アキ。それが、ニーオの中のモスキートの名前だよ」

「名前……」


 そして、別人格。

 それは、ニーオと融合・同化したはずのモスキートが、その体内で全く別個のもののまま存在しているという意味に他ならない。

 普通の人間なら耐えられないはずのその在り方を───それが不可抗力であるかどうかは別として───あえて、は選択したということになる。


 ───何故?


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