6-3 エレとニーオ、そしてアキ3
「件の闘争の後、瀕死の状態だったニーオは、今の俺達の上の連中……『組織』に回収された。
何と言っても、モスキートと融合した初めての人間だ。コルドゥーンにとってみれば、千載一遇のサンプルになる。
どんな変異があるのか、目が覚めたニーオ───連中は、ニーオの人格が消えてモスキートが表層に現れると思ってたらしいけど───が何を語り、何をするのかを、あらゆる派閥のコルドゥーンが注目していたそうだよ。
実際にニーオが目を覚ましたのは四十年後だったわけだけど、その間、片時も目を離さずに監視していたんだっていうから、恐れ入るよな」
「四十年眠っていたって、コルドゥーンがそうさせたわけじゃなかったの?」
「いや。アキだよ」
少年が断言する。
「あいつは……アキは、モスキートの中でもどうやら変わり種らしい。本人がそう言ってるぐらいだからさ」
「ニーオと融合してその体を得ていながら、アキはニーオの人格を圧殺して自らが乗っ取ろうとはしなかったんだ。
四十年ニーオを眠らせ続けながら、浸食し合い、それでもじっくりお互いの領域を確保し合った。つまり四十年かけて、ニーオに自分の存在に慣れさせた、とも言えるね」
「時間をかければ、何とかなるものなの?」
「まさか。力尽くだったならどうしたって、免疫を何とか出来るなんてことはない。
アキはさ、四十年かけて自分をニーオに合わせて作り変えていったんだ。
じりじり様子を見ながら、拒絶反応が起こる寸前まで、一進一退を繰り返し続けた。
……つまりアキは、ニーオを支配下に置きもしなければ、殺しもしなかった。
免疫を騙して、共生する方向を選んだんだ」
エレは、肩を竦めた。
「ニーオの『魂』と半ば入り混じるように同化しているアキは、ニーオの意識がない時以外は、滅多に表に出てこない。
ふたりが同時に活動する時は、今はもうどちらも、同じ肉体の内に在るのではなく、互いに傍にいるものと自動的に錯覚を起こすようになってるんだってさ。
互いの、自己防衛による反射運動ってところ?」
「……今まで聞いてきたモスキートの話と、ちょっと違う気がするけど」
「だから、変わり種。
アキは、自ら変化を指向するモスキートの中に在っては、どちらかというと、変化を傍観するのが好みなんだってさ。
ニーオやコルドゥーンや……人間がやらかすことを見ている方が面白いんだって。……本当かどうかは、知らないけどね」
「?」
「いくらかつてのニーオの友達の人格を模倣しようと、アキがモスキート……人間じゃない存在であることに違いはない。
その思考が人間のそれと、本当はどれぐらい違うものなのかなんて、誰にもわからないんだよ」
「で、でも」
湧き上がる不安を振り払うように、慌ててジェイは口をはさんだ。
「エレもニーオも、その……アキが傍にいることを認めていて。上手く付き合えているんでしょう?」
漏れ聞いた昨夜のふたりの会話には、互いに警戒も敵意もなかった。むしろ気の置けない友人同士のそれのように、遠慮のないものでさえあったような気がするのだ。
「基本的に、アキが俺達に好意的なのは事実だよ。でも、完全に俺達の味方かどうかはね……」
少年の優しい面差しに、苦い笑みが浮かんだ。
「今回のことだって、ジェイが俺達の話を聞いていることに気付いていながら、君を不安に陥れるようなことをわざわざ聞かせた。
一歩間違えれば……まあ、実際、こんな状況になってるけど。
ジェイやサミー、それにニーオも俺も簡単に危険な状況へと足を踏み外すってわかっていて、それでも平然と言ってのけたんだよ、あいつは」
「ど、どうして?」
「興味だよ」
苦々し気にエレは言った。
「アキは、話を聞いていたジェイが次に何をするのかに、興味があったんだ」
血の気が引いていくのをまざまざと感じながら、ジェイは言葉を失う。
「ニーオとの融合に四十年もかけたのだって、確かに奇跡的な巡り合わせの機会を、慎重にものにしようとしたんだろうけど。
同時に、それだけの時間をかけている間に他のモスキートの動きがどんな展開になっていくのか、興味があったんだと思う」
「………」
「アキも、モスキートであることに違いはないんだ。変化を指向する。目的がある」
顔を強張らせたジェイに、そして、エレは困ったように口元を緩めた。
「それでも……。うん。味方かどうか、本当のところはわからないけど。
それでも、少なくとも今のところ、敵ではないことだけは確かかな。
……俺達の『仕事』に協力することは、今のあいつにとって最も面白いことなんだから、さ」
「『仕事』? モスキートを取り戻すこと……って言ったわよね?」
「そう。『箱』から飛び去ったモスキートを回収すること」
エレが頷く。
「目が覚めて、ニーオは四十年前に起こった事の真相を教えられた。
……コルドゥーンの側としても、予想外だったんじゃないかな。アキがニーオに主導権を明け渡したまま、表に出てこないなんてさ。
人類という同じラインに降りてきたモスキートに接触して、その探求を目論んでいただろう連中としても、当てが外れたようなものだったんだろうな。
それならそれで、と『組織』の連中は居直った。さっさと今度は、ニーオを利用する方向に舵を切ったんだ」
「利用?」
「あの連中のことだから、たぶん脅迫に限りなく近かったと思うけどね。
四十年前の真相……『箱』から逃がしたモスキートのために、当時その場で巻き込まれて惨殺された人達のこと。四十年間、おそらく犠牲になっただろう無数の
そうした数多の犠牲を生む契機になった、その償いをしろって迫ったんだ。
もとよりニーオは、四十年前の事件の時に死んだことになっている。自分達の気分次第で、いつでもその通りに出来るんだぞ、ってさ」
「そんな! ニーオが望んだわけじゃないのに……っ。酷い……!」
「うん。
……元来、コルドゥーンでさえ、モスキートを捕獲出来る確率は途轍もなく低い。それまでの四十年間『組織』が総力を挙げても、逃がしたモスキートのうち、せいぜい二、三体ぐらいしか捕らえることは出来なかったそうだから。
『組織』以外のコルドゥーン達も、モスキートを手に入れようとかなりの戦力を注力したようだけど、どのグループも同様だったみたいだ。
───それで、それならモスキートにはモスキートをぶつけたらどうかって、発想が採用された。
もはや異形と言っても過言ではない、モスキートと共生している人間なら、あるいは失われたモスキートを取り戻せるのではって思惑と、ニーオがどれぐらい
少年の青い瞳が、ふと、空を滑った。
「……脅迫なんて、必要ないのにな」
「……うん」
罪滅ぼしだ、と目を伏せたニーオ。
サミーの小さな背中を撫でていた、優しい大きな手。
───誰よりも、彼自身が自らを責めて、今も贖罪に身を捧げているのに。
「あんたのせいじゃないだろうって、いくら言っても、その言葉だけはニーオに届いてくれない。
あいつはモスキートを回収する……ひとりでも多くのサクリファイスを救う
泣きそうな青い瞳が、ジェイの元に戻ってくる。
無理に笑おうとした口元が歪むのを、ジェイは胸が塞がれるような気持ちで見つめた。
「そして、ニーオはモスキートを捕獲する『仕事』に乗り出した。
そのうえで……ニーオとアキがどういう経緯で、どんな勝算があってそれを決めたのか、ふたりとも教えてはくれないけど。
コルドゥーンの監視の下の最初の『仕事』で、連中よりもよほど巧みに素早く捕獲した最初のモスキートを、ニーオは、コルドゥーンに介入する間さえ与えずに自らの体に封じたんだ」
「え?!」
「コルドゥーン共にとっては驚天動地の事態だったろうな」
目を見開くジェイに、溜息を吐いてみせたエレのそれは、彼らの上層部の人間達に対する皮肉が籠っていた。
「アキが……同化したモスキートが、あっさりニーオの意向に同意して協力したのにも驚いただろうけど。それはまだ、ニーオがアキというモスキートを文字通り『力』として使いこなしたんだと、理解することも出来ただろう。
けれどまさか、ニーオがさらに他のモスキートを食って自らに取り込むなんて、彼らの思惑を超えて、まさに有り得ない事態だろうからさ」
「なに……それ? そんなこと出来るの?」
「アキの協力があったから、出来たことだよ。
ニーオはさ、自分自身を新たな『箱』にしたんだ。
数十年、あるいは数百年かけてコルドゥーン達が蒐集した
「どうして……そんなこと」
「それも……ニーオにとっては、罪滅ぼしなのかもしれないな。
結局、自分達の野心のために災厄を使おうとしたコルドゥーンの存在があったから、その犠牲者が出たということも事実だ。
強制されるままに連中のためにモスキートを取り戻すことを、ニーオは自らに許せなかったんだろう。その引き金を引いてしまったのが自分であるからこそ、その報いとしてニーオはそれを選んだのかもしれない」
ジェイは言葉を失った。
「アキと融合しただけでなく、新たにモスキートを取り込んでみせたニーオは、けれど『組織』に抗う意思を見せなかった。
だから、連中は表立ってニーオを始末する機会を逃した。
何よりも、アキと結託してモスキートを捕らえるニーオの能力は、コルドゥーンのそれを遥かに凌駕する。この七年でニーオが封印したモスキートは、すでに数十体を越えているんだからさ」
「………」
「ともかく『組織』は、ニーオを自分達の都合のいいようにはコントロール出来ないことを理解している。
複数の
同時に、ニーオは今や『箱』として重要な存在でもある。それも意志を持ってアキの力を利用することも、サクリファイスへと変化した子供の波動を察知することも出来る、稀有な存在だ。
連中の望み通り、取り戻すことが難しいモスキートを容易く捕獲してみせる唯一の手駒でもある。
……だから今は、ある程度の自由をニーオや俺に認めざるを得ないんだ」
機密である彼らを追って大量のコルドゥーンが入国したと、アンジェリカが言っていた意味を、ようやくジェイは理解した。
どんなコルドゥーンよりも確実に災厄の力を手に入れる能力を持ち、また今も新たにモスキートを食らい続けているというニーオは、奇跡すら起こせる力の源を体内に封じているという彼は、あらゆるコルドゥーンに狙われておかしくない存在なのだ。
───『組織』に監視されている、と昨夜アキが言っていた意味をもまた、ジェイは悟らずにはいられなかった。
「アキの協力で、ニーオと俺はモスキートの波動に限らず、コルドゥーンが観測するあらゆる波動を打ち消しながら生きている。アンジェリカが言う隠匿装置、って奴だけど。
「エレ……も?」
エレは頷く。そして意を決するように、大きく息を吐いた。
「四年前、俺はとうとうサクリファイスとしてモスキートの前に引き出された」
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