15話 『沈黙の狼煙 1』

【ガルド】

 ここはクロイス国から遥か北の国、元軍事国家ガルド。

 年中雪が積もっているその地の気候、また現地民程でなければつかめない激しい地形。

その為に他国との干渉はあまりない。

 他国との干渉が極端に少ないのは、戦争の無い平和になった現在でもそれは変わっていない。

むしろ戦争時代と戦後を比べれば、一と零の違いで訪れる人の数は変わったと言える。

そもそもこんな場所へわざわざ観光をする者等いないし、他国からの招集もない。

 俗で言われるような別国名で、冬の要塞国家や、冷凍バームクーヘン等と呼ばれている国だ。ただ寒くて国柄感じが硬い国、戦後で戦の為の招集が無くなってから、人は行き来していない。人が寄り付かないのも無理はないのだ。

 力はあるが、孤立している国。

戦争時代のガルドを知る者のイメージは正にそんなイメージだ。

 ガルドは高い城壁で何層にも囲まれており、城と砦に組み込まれたような城下町は、中心地に集中している。

何層にも重なった砦が外を遮断するが如く建てられており、過酷な自然環境を逆手にとった国自体の防御は世界でもトップクラスだ。戦争時代、魔物の軍団は何度も攻めてきた。しかし魔物がガルドを抜けた事は一度も無い。

 防衛面以上にガルドの優秀なところを見れば、必然的に軍事力だろう。

勇者無き時、グローザキース最大の国が魔族に攻められた際に、グローザキースから緊急要請をガルドへ送り、要請を受けたガルドの軍はその戦に出陣して、圧倒的な魔物を相手に城の陥落を防いだという事もある。

 最大の国と称される、巨大な国家が滅ぶ寸前を守り切った規模の軍事力を誇っている。

だがこの規模であるのにもかかわらず、ガルドはギルドに所属していない。

 この国は王国ではない。この国を統制しているのは王ではなく、騎士と傭兵等のそれぞれの個人や組織であり、他国への援軍や派遣憲兵、傭兵、武器武具の製造と輸出輸入で国は潤っていた。

  しかし戦後の今は、それ程潤っているわけではない。

 戦無い世に戦の道具は必要ない。もう何百年でもすれば人々の考えも変わるかもしれないが、時代がそれを望んでいなかった。

 今はそういう世界なのだ。


 非常に優れた軍事力と鉄壁の防御を誇るこの国。その防御面である砦群は、現在、他国との交友の弊害となっている。

輸出輸入ができないならば、生産業の農業を、とそう思うが、しようにもこの土地では不可能だった。


 一人の騎士が、屋敷の自室で報告書を読む。

部屋は薄暗く、数本のろうそくを机上の燭台上で灯しているだけで、室内は暗い暖色に染まっている。

 そんな部屋の中、彼の隣には鎧を身に着けて兜を片手に持つ男が立っている。

「ハーベルク様。如何でしょうか」

「うむ、鉄とスズもここらあたりでは使えんしな、この国も堕ちるとこまで堕ちたものだ」

 白いマントを纏う者、隻腕の騎士は報告書を丸めると元通り紐で結んだ。

「そろそろ頃合いだろペイル。五日後出発し、セルニアへ向かうぞ」

「いつでも用意は整っております」

「よいな。もう下がってよいぞ」

「はっ! 」

 ペイルという男が、隻腕の騎士ハーベルクに敬礼して出て行こうとする。

その時ハーベルクは、どういうわけか部屋の外に懐かしいモノを感じた。

ペイルは何も感じていないようで、今にも扉に手を付けて、この部屋から出ていこうとしている。

(やれやれ。わざわざクロイスまで行って、隠居生活の準備も整ったと思ったのだが、引き返されるとはな)

 ハーベルクは愛する者達と隠居生活をする為に、自分の情報編集とその他個人記録の書類や国家記録の情報編集をしようと考えた。そこで噂に聞いた編集屋のカンノーリという、エルフとのハーフの男が現在クロイス国にいる事を知り、三週間程前にクロイス国へ訪れたのだ。

 事はハーベルクの思う通りになり、この屋敷に戻って一週間が経つ。

 愛する妻は体が弱く、今は殆ど眠っている。

ハーベルクは妻の祖国、セルニアに移り住むつもりだった。

 何故か、それは戦争がもう終わったからだ。それをハーベルクは何度も自分に言い聞かせていた。しかし、何度忘れようとしても受け止めても、戦争は何度でも夢に現れ、心に現れる。

いい加減、戦争から心を引きたかったのだ。

 だが何故だろうか、何故、そう願う者の前に、戦争の片鱗は現れ、退路を防ぐのだろうか。

 部屋の通路にいるモノは、確実に扉一枚挟んだところまで迫っていた。

ペイルがドアノブに手を掛けたところで、ハーベルクは彼を制した。

「ペイル。急ぎ戸から離れ、奥で用心し構えよ」

「は……? ――はッ!! 」

 ペイルは遅れたが、その異様に気が付いた。

兜を身に着け、戸から離れて剣を抜き、万全に構えた。

 外からの物音はしないが、通路でうごめく物を感じる。

暫くすると木製の戸は腐り、ぐじゅぐじゅに異形の物に浸食されていった。

「――ポイズンスライム!? 何故魔物が、それにスライムがここまで――」

「誰か、招き入れた者がいるのだろう」

 ペイルは急ぎ、自分に対してスキルの毒耐性を使用した。

 スライムに物理攻撃は殆ど通じないという厄介な特性があり、それに加えて毒を含む物も存在する。

毒は多種多様であり、半液状の体に液状の毒が混じっている物から、体自体が毒で出来ている個体もある。体が毒で出来ている場合は、体を気化させ、広範囲に気体の毒をまく場合があり、今対峙しているポイズンスライムは後者である。

「……なかなか大きい奴だな。屋敷の者達は……、そうか」

 ハーベルクは席を立ち、壁に掛けてあった剣を手に取ると、スライムに近寄った。

「なかなかに強力な奴だな。こんな物を差し向けてくるとは、もしやもう国が堕ちているのか……」

 ペイルは必死に氷魔法を使用し、ポイズンスライムを停止させようとするが、あまりにも広範囲の為に、ペイルでは間に合わない。

 通常のスライムならば核を潰せば殺せるが、ポイズンスライムの場合、そもそも近づけない。矢で射ようとも、強力な毒を持つ場合は、核に届く前に矢が腐食されて威力も死ぬ。

 それ故ポイズンスライムは通常火炎で葬るが、その際に中途半端な火力を出せば文字通り自殺行為である。

 圧倒的火力で焼き切らなければ、あたりは蒸発した体が毒ガスの様になって覆われる。

 戦争で行っていたポイズンスライムの討伐手段は、まず分散されぬよう、気化されても問題が無いようにプロテクトで囲んで燃やした。

 だがしかし現在は密室状態で、一か所しかない出口をスライムの体で防がれて、廊下もぎちぎちに詰まっている為、この状況は所謂積みだ。

 ペイル一人であれば、そのまま抵抗も虚しく毒に飲まれていただろう。

しかしハーベルクの場合そうはいかない。

 ハーベルクの右腕はデュラハンに刈り取られたが、その後も左腕で戦場を生きた男だ。生きる術は有る。

「貴様もレベルの桁が違うポイズンスライムのようだが、俺も人間のレベルとしては、少し違うぞ」

 猛毒スライムに対して、近づいてはいけない距離まで平然として歩く。

「いい毒だが、俺の毒も、なかなかだぞ? 」

 ハーベルクは左手の剣をスライムの前にかざし、ペイルに振り返って命令した。

「ペイル、全力で毒耐性をかけろ。オールガードは無理でも、バリアとプロテクトを忘れるな」

「は、はッ!! 」

 死の恐怖が迫っているペイルは言われるまでも無く、自分にできる最大の防御をしていた。

「さて、できるだけ撒かせずに核を潰さねば。ペイルが死んでしまうからな」

 スライムに向き直り、左手の剣をスライムの中へ突き刺している。

普通の人間ならば、この距離に近づいただけで体が解けてドロドロに腐っていくが、ハーベルクはスライムの体に触れてもお構い無しだった。

 ハーベルクの剣とスライムの体が触れた時、剣に触れたスライムの体が勢いよく溶ける。

 黒くドロッとした液体が床を流れ、また床にも穴が開く。そのどろどろした液体の周りの空気がゆらゆら揺れている。ハーベルクの毒により、猛毒スライムの体が腐ってずり落ち、気化しているからだ。

 ハーベルクは全身をスライムに漬からせながら、核を探す為に歩いている。床は既に液状化していた。

(屋敷が台無しだな、やってくれるわ。……これは、ペイルは無理だな)

 出た部屋からカシャッという音が聴こえ、ハーベルクが戻って部屋を覗くと、一つの腐食した鎧の中から、異臭と共にドロッとした液体が出ている物を見つける。

「すまない、ペイル。休んでくれ」

 敵でこの姿は何度も見てきた。己の部下がこうなる姿は、初めて見る。

ハーベルクは自身の持つ毒の能力により、毒に対して完全耐性がある。

しかし完全耐性があるのはハーベルクだけで、仲間は毒を喰らえば普通に死体となってしまう。

それは魔物だけでなく、ハーベルクの能力の毒でも同じことがいえるのだ。だから自分と共に行動する同部隊や部下達には、毒耐性を常に鍛えさせており、並みの魔物の毒では何ともない。

 何故ペイルが腐液と化したのか、それは今回のポイズンスライムが、規格外だったからだ。

おそらくこの屋敷も、外から見れば酷い姿なのだろう。

ハーベルクが部屋の中で気が付き、今の間でここまでを起こすのだ。知性の無いスライムだからこそ、無でもって圧していく魔物、非常に恐ろしい存在だ。

(スライムが単体でこんな場所を狙うはずがない。今までのスライムはあくまで受信機だった。魔王という発信機があったから、スライムは自我を持ったように人類を攻撃対象としていた。ならば今回もそうだ、誰かが、誰かが操っているんだ)

 毒物を毒しながらスライムで埋もれている廊下を進むと、溶けの遅い球体があった。

「これがこいつの核か……、フンッ」

 ハーベルクの剣が、弾力のある黒い球体を貫く。

核が解け崩れ、周りの体は毒気が消えて、ポイズンスライムの体はどこへともなく消えていった。

「魔物か、ガンツは生きているかな。……早々には死なんか」

 自分の朽ち果てた屋敷を歩く。通りにある従者の部屋は、見なくとも状況がわかる。

上階へ行き、妻の元へ行く。

「……すまない」

 ハーベルクは妻の部屋を通り過ぎた。

この瞬間、ハーベルクの願いは完全に潰え、死んでもいいと思った。

 何が起きてもいい、これ以上の絶望は彼に無かった。失うものが無くなった彼は、表皮の変わらぬ修羅となった。

 一階から二階へ吹き抜けているアトリウム、街が一望できる大きな窓から見える外の光景。

時が流れるに連れて交戦の音が聴こえ、その音は水の波紋の様に広がっていく。


「コレは、戦争ではないか」


 外壁に囲まれた国、その中で静かに戦争は行われていた。

ハーベルクは暫く外を見ていた。ただ見ていた。きっと見たかったのだろう。

 隠居を進めていたこの国の英雄は、この戦場を見ても、もはや何も思わなかった。

戦争から心を引きたいと願っていたのが、まるで大昔の様に感じられたのだ。

ハーベルクは外の、戦場の情景を目に焼き付けると、今度は引き返して滅んだ妻の部屋の前に戻った。

 何をするわけでもないが、溶けて見るも無残な部屋をただ見ていた。そこにはもう、妻の遺体らしき物すら確認ができない状態だ。

 ハーベルクは部屋の有様をしっかりと確認すると、悲しむことはせず、妻がいた部屋に対して微笑み、再び廊下に出た。

(む、あの砦が炎上している、飛ぶものもいるのか……。セリーヌ、行ってくるぞ。少し、待っていてくれ。俺もすぐに戻る)

 最愛の妻の元に戻ることを想い終える。ただ妻の元へ帰る前に、少し遊んでくることも妻に想い伝えた。

 横目に見えるのは大きなガラスが割れる様、一本の矢が自分めがけて飛んでくる。

「フンッ」

 振り向き様に剣を振って矢を止める。

割れたガラスは乾いた高い音と共に割れ、下の階へ落ちた。

 開いた開口からは黒い鳥の群れが入ってくる。その鳥は実態があるようには見えない、シルエットのような姿だ。

「シャドウバード、昔は飽きる程見ていたが、今では愛おしいぞ」

 次々に突っ込んでくる。ハーベルクは来た順にシャドウバードを斬り捨てた。

「能力『沈黙』解放」

 ハーベルクの体から瘴気が溢れ、自身の立つ床でさえ腐りゆく。

「おぉ、コレはいかん。オーラと制御複合、我が家とガンツを解除」

 床の腐食は止まるが、シャドウバードは相変わらず突っ込んでくる。

「だがお前は許可しない」

 本来、シャドウバードは攻撃対象に浸食して影を喰っていく魔物。

しかし今は、飛び込んだ勢いそのままにハーベルクの猛毒に喰われた。

何匹も同じ様に、瘴気に触れた一瞬に気化する。

 シャドウバードが消滅した後、ハーベルクは柵から身を乗り出して庭を確認した。

「……イビルナイトもいる、奴の使役獣ってとこか。どれ、相手になってやる」

 ハーベルクは跳び、窓から地上の庭へと飛び降りた。

「スキル『プロテクト』」

 地面に硬く重いハーベルクの落下音鳴り響き、庭へ下り立ったハーベルクが対峙した魔物は――

「お前もお前で、上級か」

 頭上を音なく飛び回るシャドウバードと数十匹のアンデットを引き連れて、イビルナイトはそこにいた。

「寂れた軍事国家へようこそ、敗残兵ども。このハーベルク・ラーウェイが受けて立つ」

 左手で持つ得物の剣先をイビルナイトへ向ける。

アンデットの呻き声、灰の匂い漂う魔物は、イビルナイトの掲げた剣により動き出す。

ぞろぞろと、周囲を包囲する者もいれば、真正面から、およそ今までアンデットでは遭遇したことが無い歩術を用い、急接近する者もいた。

 肉体の限界を考えずに攻撃するアンデット、もちろん彼らに痛覚はない。頭を無くさない限り、無の破壊衝動は続けられる。

 アンデッド達は体の四肢を振るい、口を大きく開け歯を剥き出しにしてハーベルクに迫る。

真正面から急接近したアンデットは、瘴気に溶かされながらハーベルクの剣で四肢を捥がれ、頭も自然と溶けていく。

 ハーベルクの想定外の速度で襲い掛かる。前から、右から、上から、左から、そし死角から。

(――早いな、だいぶ、それに)

 右から急接近するアンデットに対して、旋回と同時に剣を横に振る。

頭を両断するつもりが、わずかにかわされ頭頂部を削ぐだけとなった。

(明らかに、昔の魔物共ではない。アンデットが攻撃をかわすなど、それも、こんなにも俊敏に――)

 脳天を削られ、毒によるダメージが瞬時に迫る。切り口は溶け、その溶けだした液体がそのまま毒となる。既にさっきのアンデッドの頭は半分も無いのに倒れない。

(比べ物にならないほどタフになってるな。記憶だと、その時点で灰に戻ってたはずなんだがな)

 正面の敵をじっくりと観察することができたが、気をとられすぎた。

カシャンカシャンと近づいてくる音が聴こえなかったのだ。

背後に近づくのは、このアンデットの群れの生みの親であり先導者、または発信者であるイビルナイトだ。

 ハーベルクは少し遅れてその雰囲気に気が付くと、姿勢をわざと崩して、できる限りの低姿勢をとり、転がって敵を通り過ぎてイビルナイトの攻撃をかわした。

 振り向けば、先ほどのアンデッドは胸から解れ真っ二つになっており、その転がった下半身はイビルナイトに吸収される。

 次第に上半身が発する唸り声はイビルナイトの中に消え、そのアンデッドは残らずイビルナイトに吸収された。

(どこからそんな長い剣を……、考えても無駄か。魔物だしな)

 イビルナイトは最初に見た普通の剣とは明らかに違う武器を持っていた。闘うにはあまりにも長い剣。しばらく見ていたつもりだったが、気が付けばそんな武器はどこにもなく消えていた。

 イビルナイトはまた、鎧の擦れる様な足音を鳴らして後退していく。

後退したイビルナイトの姿は、瞬く間にアンデットの群れにより見えなくなる。

 ハーベルクに近づくだけでも表面から溶けていくアンデッドだが、アンデッドの速度と耐力は、溶解時間を少しだが超えている。故に、今までは剣を抜かずとも勝てる戦いだったが、今はそうではない。アンデッドの体が解ける前に肉片が、骨片がハーベルクを引き裂くことは容易だったからだ。

 このアンデッドの瞬間火力を持ってすれば、ハーベルクの身を守るプロテクトとバリアはたやすく割られるだろう。

 防御最高位の複合スキルであるオールガードですら、亀裂が入っているではないか。

(強いな、とてもレベル28のアンデットとは思えない)

 後方に跳躍して前のアンデッドの斬撃を交わすハーベルクに、四方から死の手が伸びる。

オールガードの効果はいま切れた。再使用までは時間が掛かる為、生身でアンデッドからダメージを受ければ直接死につながる。ハーベルクは素早くアンデット一体のモモを切断し、切断部位の断面に手を突っ込むと、内面にプロテクトバリアを張り、液体毒を充填した。

 片足となったアンデットの足をはらい、よろけるアンデットはそのまま動かせる腕でハーベルクを襲う、しかしその攻撃は当たらず、代わりに一太刀浴びると、腕と首の断面から溶けて灰になって散る。

 ハーベルクは敵の包囲から脱し、細く嗤う。

「沈黙のプレゼントだ死にぞこないども」

 切断された脚は灰となり消え、代わりにドス黒い瘴気の詰まったプロテクトの塊が現れる。アンデットに対してのフェイクは今までは必要無かったが、この強力なアンデット達と、イビルナイトの目は盗む必要があった。

 ハーベルクはプロテクトカプセル内の液体毒を高気化性毒に変化させ、高濃度の猛毒液は毒ガスへと変化する。やがてその物理的圧力と魔力に耐えられなくなり、プロテクトとバリアの耐久は限界を迎える。

 あまりにも一瞬の出来事。プロテクトの塊を確認した瞬間に、イビルナイトの手は挙げられ、それを確認したアンデット達は散り始めた。

 だがそれでは遅かった。

 プロテクトに亀裂が走り、中身が解放された。

猛毒のサーモバリック爆弾。爆弾のカプセルはプロテクトとバリア製だが、ハーベルクのそれを超える圧力は、屋敷の庭一帯を爆風に包むには十分過ぎた。

 爆風を受けた屋敷の窓は全壊し、毒ガスは庭と屋敷の中を充満する。だが屋敷は毒の溶解対象から外してある為に溶けない。

 しかし、アンデットは違う。

ただの爆弾ならいい、体が吹き飛びぐちゃぐちゃになるだけで、相当に運が悪い奴だけが頭を破壊されて死ぬ。

 しかしこれは、気圧力による猛毒爆弾。音速を超える爆風から逃げられるわけでもなく、最悪の毒がその速度で周囲に舞うのだ。

 庭を覆って制圧していたアンデットとシャドウバードは全滅していた。

ハーベルクの館の庭は息を吸うどころか、生物が存在できない場所となった。

(ここは静かに戻ったな)

 唸り声は沈黙し、ここは地獄と化した。

だが一体の魔物だけは、カシャンカシャンという足音を響かせて近寄ってくる。

 その漆黒の鎧から影が漏れ出す。昔の様なぎこちない歩き方ではない。一歩一歩確実に歩を進め、迫ってきていた。鎧の中身は恐らく、昔の様な上級アンデットが入っているわけでもないのだろうと思いながら、ハーベルクは漆黒の鎧を睨んでいる。

 今日出会う魔物は全て雰囲気が違った。

「生きてたなイビルナイト。こい」

 その声に反応したか、イビルナイトは無言で駆けだす。手には何も持っていない、得物無く勢いよく走り迫る。

 ハーベルクの手前十m程の距離で、イビルナイトは右腕を大きく外に振り回し、どこからともなく現れた巨大な長剣を握っていた。

(さっき見た長剣か、そこで剣を出したってことは、その距離でも十分斬撃範囲内ってことか)

 イビルナイトはその長剣を、まるで短剣を操るが如く軽々と操る。それを見てか、ハーベルクは一振りを避け、攻撃を余計に受け止めず、敵との距離を最短で一気に詰めた。

(長物では、零距離に対処できまい)

 ハーベルクは剣を口で銜え、左手でイビルナイトの首部を掴むと、そのまま兜と鎧の隙間に液体毒を流し込み、鎧内部にいるであろう、本体の魔物を殺そうとした。

しかし毒に対して全く反応無しだ。

 イビルナイトの右手にはさっきまでの長剣はなく、ゼロ距離のハーベルクに対してダガーを振りかざさんとしている。それを見たハーベルクは口に銜えた剣を離すと、左手で逆手に持ち、イビルナイトのダガーを空中で受けた。

(ただのタフマンじゃあ無いことはわかるが、中身も毒が効かんか)

 イビルナイトのダガーでの一撃は、短剣を思わせない衝撃をハーベルクに与えていた。

ハーベルクはその威力を利用して後退すると、イビルナイトを少し観察する。

(武器の形状がコロコロ変わる。それに俺が奴の鎧パンパンになるまで入れてやった毒が――)

 イビルナイトの鎧の隙間からドプドプと液体が流れ落ちる。その液体はイビルナイトの血液でもなく中身の腐った液体でもない。

(俺の毒が、そっくりそのまま流れ落ちている。あの『中』は空洞なのか)

 離した距離を、イビルナイトが再び武器も持たずに走ってくる。

(なんだ奴は。まぁ、俺の闘ってきた魔物とは別物と、再度認識したよ)

 勢いのある走りから一歩の低姿勢跳躍、イビルナイトはその勢いのまま右手で拳を硬め、ハーベルクに殴りかかる。ハーベルクはそれを避け、剣を突き出して突きによるカウンターをしようとするが、イビルナイトの左手に持つマンゴーシュで防がれる。剣を返し、兜を跳ね飛ばそうと首元に剣先をかけるが、イビルナイトは後退と共に右足で回し蹴りを繰り出す。

 剣による防御は間に合わず、ハーベルクはオールガードを使用して身を守った。

(やれやれ、厄介だ。奴は影だな。それを操って……いやむしろ操られているのかもな)

 イビルナイトの正体が少しだけ見えてくる。

(その正体、拝ませてもらおうか)

 オーラでの強化に加え、剣へ付与魔法をかける。

「見せてもらおう、中身を」

 双方鍔迫り合いとなるが、一方の剣が片方の剣を喰い、イビルナイトの首元に剣が迫る。

「貰ったァッ! 」

 強化されたハーベルクの剣は、鎧と兜との繋ぎ目に剣を刺し入れて、兜を飛ばした。

中を舞う漆黒の兜、固まる首無しの鎧。

(――そうか)

 ハーベルクが感じた感触は、何を斬ったわけではなく、ただ兜をとった。その感触だけであった。

 後に残った鎧の首元からは、その陰の中にうっすらと黄ばんだ白いものがみえる。

その断面とつながっていた物は、飛ばした兜の中にあるはずだった。しかし、地に転がった兜を見て彼の考えは確信に変わる。

(あの中に、『頭部』が無い。このイビルナイトは奴の『影』だったわけだ)

 ハーベルクの右肩の断面が、皮膚で覆われたその部位が疼く。実際には感じえない痛みが、痒みが、無い部位を無意識で必死に動かそうとしていた。

 兜を外されたイビルナイトの首から、影がまるで湧き水の様に漏れ出して、どこへともなく流れ出る。

その後のイビルナイトは、先ほどの俊敏な動きはなく、ゆっくりとした鈍い動きだった。

それでもハーベルクに向かっていくが、先ほどの様に歩きながら、影から生み出される長大な剣は、形を形成するのがやっとなのだろうか、ところどころが大きく割れている。

「もう保っていられないか、ならば逝け」

 振り下ろされた影の剣を容易く砕き、とどめを刺すべく踏み込んだ。

 縦に一閃。

鎧の表は縦に割れ、更につなぎ目を切断すると、装甲がずり落ちて鎧の中身が露わになる。

「……上級アンデットが、骨と核だけ残して影に喰われていたのか」

 本来頭の中にあるアンデットの核が、今それは肋骨に囲まれていた。

鎧が砕かれ、漆黒の鎧とアンデッドを支配していた影は流れ出る。全て流れて残った物は、首無しアンデッドの黄ばんだ白骨体だけだ。

 影の呪縛から解かれた核は、そのまま鎧と共に朽ちて灰となった。

(イビルナイトを喰い操っていたのか、シャドウバードとはまた違う、実体のない影か。そりゃ俺の毒じゃ殺せんわけだ)

 ハーベルクは周囲に散らばった毒を吸収して足を進めた。

(貴様がいることはわかったぞ、首無しの騎士デュラハン。貴様も生まれ変わったというのなら、今度は私がお前を滅ぼしてやろう)

 沈黙を続ける最愛が眠った屋敷には振り向かず、前方から広く聴こえる戦の旋律に一人進軍した。

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