#18 真相 呼び声は遥か遠く


 『祖なる神の神殿』は、魔人の、それも敬虔な修験者めいた熱心な祖神信仰の信徒だけが訪れることあたう険しい立地にあるためか、永く、永く、無軌道な暴力や心無いものの悪戯に晒されずにその美しい姿を遺していた。

 あるいは、誰のどのような手段によっても、これを破壊することは叶わなかったのかもしれない。

 その白く美しい、巨大な錐型の建造物は、内側にいかなる柱をも用いずに姿を維持しており、中に入ると、外から見た形のままくっきりとかれた広い空間が目に入る。照明は見当たらないが、部屋中の壁や床が必要なぶんだけ発光しているかのように視界には不自由しなかった。

 部屋の中央には、魔人たちに御神体と崇められる、青い巨大な結晶構造体が台座に収められており、それは完全な球体に見えながら内部で様々に光を反射して輝いて見せた。

 もとより宝石の好きなエナがぱたぱたと駆け寄って、遠巻きにそれを眺める。


「すごい綺麗……でも、お供えとか、されてないんですね」

「祖神は脆弱よわき者からの施しを嫌うという信仰だ。魔人の文化観の反映かもしれぬな」


 自らも魔人でありながら、フィーネは淡薄に言う。

 そうして彼女に先導される先、床の両辺に整然と口を開けた階下への道を降り、暗さを感じぬ清潔な廻廊を進むと、やがて再びあの障壁の扉が現れた。フィーネは正確に刻まれた紋様をなぞり、行く手を阻む力場を消滅させると、広々と、しかし些か雑然とした大部屋が一同を出迎えた。


「平時においては禁忌とされる部屋だ。神の玄室と言われておる」


 その他と比べると随分薄暗い部屋には、先程と同じような球状の結晶構造体が中央に、そして複雑に切れ目の入った床や壁から、ところどころ、博物館の展示物のように様々な大きさの水槽が飛び出していた。

 水槽の中身はそれぞれ一切の気泡もなく、小さな、薄いプラスチックのような板に、文字もなく、多種多様な図柄が刻まれていた。類人猿の進化の系譜。地球生物の樹形図。原子核と電子の仕組み。太陽系図と天の川銀河、その中心の大質量ブラックホール。星々の成り立ち。数種の動物の比較解剖図。いずれも紫音には見覚えのあるものだ。


「こ……れ……」


 紫音は軽い目眩を覚えながら、ふらつく足取りで、床から半ばほど飛び出た一際大きい水槽に近寄る。同様に思うところがあるのだろう、真輝那が後に続いた。

 水槽に継ぎ目はなかった。その中には、精緻な紋様のような細い線がびっしりと刻まれた四角い板が幾つも重なって、それぞれが半透明な糸によって接続されていた。恐らく――金属を介さない導線だ。板の上には、集積回路や抵抗部品のような、小さく盛り上がったパーツが見て取れる。


「ねえ紫音さん、これって……」


 未知の液体に浮かぶ回路に目を奪われながら、真輝那は日本語で呟いた。

 他のアルフェイム人に聞かせていい情報なのか否か、自分では判断がつかなかったためだろう。紫音も応じて、日本語で返す。


「ええ、機械です。多分ね。とんでもなく進んでますけど……他にも馴染み深いものが沢山」

「これはちょっと、ひょっとして、ものすんごい発見なのでは?」

「そうですね、帰り道で死ねなくなりやがりましたねー……」

「そういうこと言うと死ぬからやめよ!? 一足先に秘密を知っちゃった人って死ぬ要素しかな――」


 瞬間、部屋中がぱっと明るくなり、光の帯がくるくると旋回するように壁を走りはじめた。

 紫音たち二人が反射的に振り返ると、部屋の中央に安置されていた水晶球も、ちょうどその円周の径に、水平に光を走らせている。

 一同、一斉に身構え、キララクラムを庇うように立ったシパードが低く声を上げた。


「な……何だ? 何が始まりやがった?」


 その言葉を最後に、程なくして光は止み、仄暗かった部屋がすっと明るくなった。

 どのような手法によってかは解らない。だが、水晶内部で複雑に反射していた光が自然と集束し、それぞれ文字の――文章の形を取った。ところどころ欠けのようなものも見られるが、紫音が見れば、欠けを補って読むことができた。

 フィーネが驚いたように駆け寄り、言葉無く立ち尽くす紫音と真輝那の顔を交互に見比べ、問いかけた。


「どうした? 何と書いてある?」

「……“該当。言語情報を取得しました、自動翻訳を開始します。”……日本語で、そう、書いてあります」


 ――そう、日本語で。

 おそらく二人が、ほんの少しだけ日本語で会話した、その音声を拾って判断したのだ。


「け……検索したの? 『』の……ネットワークから?」


 真輝那はぎゅっと胸元を握って、半歩後退る。

 直後、水晶に表示されていた文字が消え、代わりに一際明るい光を発し始め――そして、わずかに劣化したような雑音混じりの合成音声が、淡々と響いた。


「――こんにちは。日本語でメッセージを再生します。よろしいですか?」


 その言葉を理解することができない他のものを後目に、紫音と真輝那は同時に顔を見合わせる。

 紫音は彼女に一度掌を向けて制すると、ごそごそと荷物から小型のレコーダーを取り出し、そのスイッチを入れてから、改めて頷き、水晶に向き直った。


「「はい」」


 短い返事に水晶は応じ、ところどころぼやけて欠けた立体映像が空中に映し出された。

 それは、魔人よりも更に禍々しく、奇妙に身体を歪められた人のような姿をしていた。尖角は大きく曲がりくねり、筋肉は服の下にも解るほど強靭に膨れ上がって、あちこちが鱗や甲殻に覆われていた。肩や肘からは尖って突き出た骨のような棘がいくつも点在し、毛髪は鬣にも似て上半身を取り巻いている。

 賢王グリンが最後に変貌した姿は、ちょうどこの映像の者によく似ていた。

 故にフィーネはあの時と同じ、遥か遠い伝承に伝わる祖神の真名を口にする。


「……『魔神アル・ディヴァル』……!」


 部屋には俄に戦慄が走るも、立体映像の『魔神』は、一同の喫驚に何の反応を返すこともなく、ただ事務的に語り始めた。


「この音声記録は、我々の子供たちが全てを忘れないために、また忘れてしまった時のために遺されたものです。

 今、この音声を聞いている我々の子供たちが、充分な精神と充分な技術を有していることを願っています――」



*



 音声記録は語った。はるか、はるか遠い『来訪者』の、過ちの追憶を。


 かつて、滅びゆく惑星ほしがあった。

 理由は様々だ。技術の発達にモラルが追いついてこなかったのが共通して言える原因だろう。気がついた時には、既に取り返しがつかなくなっていた。

 惑星の住民は、様々な手段で滅びに抗い、諸々の技術を以てして運命を変えようとした。しかし、滅びは既に大地に根付き、いかなる手段を用いても逃れ得ぬかに見えた。

 そんな折に浮かんできたのが、惑星間の移住計画だ。

 この、故郷よりも遥かに理想的な居住環境を持つ惑星が発見されたのは、全く意図の異なる超光速技術の研究中の、偶然の産物だった。

 まだ故郷を諦めない者達は多く居たが、音声記録の言うところの『我々百と二十八人』の独断により、移住は決定された。もはや用途の無くなってしまった深宇宙探索船をひとつ改修し、小さな恒星間移民船として、彼らは故郷を棄てて出発した。


 そうして辿り着いた新天地で、『来訪者』は原生動物の中でも自らの姿に似た種の――ちょうどネアンデルタール人の勢力に追いやられていた、新参者のホモ・サピエンスの遺伝子にちょっとした手を加えて、進化に手を貸し、ある程度の知恵を持ったその種族を支配して、この惑星上での発展の助けにしようとした。

 トバ火山の噴火と、ヴュルム氷河期の到来があったのもこの頃だ。『来訪者』はこのとき、人工的に生成維持した小さな時空連続体に適当な大陸をひとつ取り込んで『避難所』を作り、その閉じた時空連続体の中をひとまずの拠点として、神様気取りで猿たちの文明の発達を待った。閉じた時空連続体は、相対的な時間の進み方をある程度自在に制御することができたからだ。


 数万年の時間をすっ飛ばし、やがて人が高度な知恵と言葉と文化を持ち、この『避難所』で共に暮らす者たちも増えてきた頃――異変が始まった。


 『来訪者』たちの肉体は、力場の計算の狂いか、日を追うごとに少しずつ濃縮されて異常な濃度となった虚数質量体のフィードバックを受けて、アポトーシス障害を起こし、醜く変貌していったのである。

 遺伝子が蛋白質を生成し、ニューラルネットワークに作用して意識体振動を起こし、力場を発生させる『魔法』現象の真逆――すなわち、意識体が周囲の環境変化を感じとり、脳がDNAの半保存的複製を選択的に失敗させる信号を出してしまうという、指向性を持つ遺伝子の変容現象。紫音たちが反動性細胞変質症と読んでいるものだ。

 皮膚は正常な代謝能力を失い、鱗や甲殻に変わった。

 体毛は硬く束ねられてケラチン質の角のようになり、一部の骨は皮膚を突き破って棘になった。

 この変貌を経てもなお、生命や思考能力を保つことができたものは幸運だったと言えるだろう。多くのものは細胞が癌化し、あるいは重要臓器の細胞が致命的な変質を経て機能を失い、死んでいった。知性のない獣に身をやつして野山に消えていったものもいた。

 変化は『来訪者』だけでなく、『避難所』にいざなっていた人間たちにも現れ始めた。

 『来訪者』は急ぎ、艦の設備を用いて皆の遺伝子を操作し、この現象から致命的な影響を受けないように諸々の処理を施した。


 しかし――その緊急対処が終わる頃には、事態は手遅れだった。


 百二十八人の入植者の中でも、大多数の技術者が死んだ。人間の中でも、髪や瞳の色が変わり、角が生えたり耳が尖ったりしたものたちは、その遺伝子の変容自体を治すことはできず、人類の亜種として固着した。そうならなかった人間たちも、この時の遺伝子操作の影響で、虚数質量体に意識の波を伝える手段を身に着けていった。

 ……そうして時空間の制御を行える知識と技術を持つものは全て死に、取り残された『来訪者』と多くの人間たちは、この『避難所』から出る術すら失ったのである。


 この音声記録が残された時点で、既に、これと同じものを他に建造できる技術や手段すら、残ってはいなかった。

 時空連続体を維持管理する手段もまた、とうに失われて久しい。もともと単なる『避難所』として作られた場所だ、それほど長く保つものではない。だがこれを安全に戻してやる方法は、もう、誰にもわからないのだ。


 我々は失敗した。

 音声は、淀み無くそう結論を述べた。


 やがて、この時空間が寿命に近づくにつれて、隔てられた境界は薄くなっていくだろう。

 元に紐付けられた惑星の中から、何かの拍子にこちら側に移動してしまう者すら出てきてしまうかもしれない。逆は無いだろう。水は高いところから低いところに流れる。……数少ない生き残りは、そう指摘している。

 もしも、この音声記録が聞かれている時、既にそれが起こってしまっているのなら。

 もしも、この音声記録を聞いている者が、そうやって境界を超えてきたのなら。


 備えて欲しい。

 もうすぐ世界は弾けて消え、この大陸は、元の場所に戻される。


 我々はもうおしまいだ。それだけでなく、この惑星の生き物までも巻き込むような結末に終わってしまった。

 すまなかった――――


 ――――と、音声はそう結んだ。



*



 二人は、ただ絶句して、しばし放心したかのように口を開けて、さっきまで立体映像が映し出されていた虚空を見上げていた。

 言葉の解らぬ他のものたちも、その反応を見て只事ならぬ様子を察したのだろう。互いに顔を見合わせながら、黙して佇んでいる。

 やがて、力なく地面に膝をついていた紫音が、震える指で、手にしたレコーダーの録音を切った。


「……し、報せ……ないと……」


 震える肩にエナが寄り添い、真輝那もまた同様にしゃがみ込んで、彼の腕に手を添える。


「た、大陸は……アルフェイム大陸は、元々地球にあった……ってことでしょ? それが……地球に戻る?」

「それだけじゃない」


 ばっ、と勢い良く振り返り、紫音は鬼気迫る表情で真輝那の両肩を掴んだ。


「それだけじゃない……! 転移時の青白い光の膜はどうして出ていると思う!?」

「え……」

「核融合反応だ! 転移バブルの境界線では二つの世界の大気組成物質同士が重なり合って原子核が反応し、わずかなエネルギーが放出されている!

 普段の転移の分くらいなら、ほんの僅かな質量だからその放射線量は身体には全く無害な程度だけど……!」


 言われたことを察して、真輝那もまた、赤い眼鏡の向こうで大きく目を見開いた。


「たっ……大陸一個分の……核融合爆発? 放射線が撒き散らされるってこと……?」

「量子単位の薄膜の表面上だけとはいえ、そこまでの面積だとどうなるか想像がつかない! 場所によっては津波や地殻変動も……っ」


 紫音はそこで一旦言葉を切り、自分を落ち着けるように深呼吸をすると、迷う瞳をもう一度真輝那に向けて、消え入るような声で続く言葉を口にした。


「人類は……滅ぶかもしれない……」


 水晶は、もはや何の光も返さなくなっていた。

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