第90話スラムⅡ

「セラー セラー」



名前を呼びながら近づいてきたのは黒髪をセンター分けにした少女だ。


後ろ首の中間辺りで切られた髪が跳ね返り、動くたびに上下に揺れ動く。走れば尚の事、激しく揺れ動く跳ね髪を手で抑えたりして広がるのを防いでいたり、鬱陶しそうに掻きあげている。だが、意味がないとわかると気にするのをやめた。


飛び散る汗も同じく今ばかり気にすることもなく、幼女に向けて一直線に駆け寄っていく。


そのことからも分かるように少女が幼女をどれだけ心配しているのかが伝わってくるというものだ。


セラまでの距離が残り数mになったところで無事を確認するかのように一際大きな声で名前を呼ぶ少女。


名前を呼ばれたセラは一瞬ビクッと肩を震わせたかと思うと聞き覚えのある声に勢いよく顔をあげた。瞬間、がばっと押し倒されるような勢いで抱きつかれる。



「セラ。心配した。心配したよ」



心配したことを表すようにがしっと音がしそうなほど強く抱き締める黒髪の少女。あまりの力強さに苦しそうにバタバタと暴れながら「イタイよ」と漏らす。


少しの間バタついていたセラだったが、不意にバタつきが収まる。嗚咽ををもらし始めた。知り合いにあって気が緩んだのだろう。


自身の肩に視線を転じれば顔をうずめて小刻みに震えているセラの姿を捉える。まったくこの子は…と妙に母性溢れる少女は、セラと呼ばれた幼女を今まで以上に抱き寄せる。途端今まで不安や心配などで一だった少女の目端に溜まっていた雫が流れ落ちた。


とても十歳には見えぬほど穏やかで落ち着いた母性を感じさせる表情である。しかし、少女の泣き顔は年相応の子供っぽいものにみえた。


表情だけ見れば美しいとすら感じられるのだが、ただ一つ残念なのがスラム街にいることもあり、身体の至るところが汚れ、ボロ雑巾のような衣服しかまとっていない点だ。


よしよし、とセラの背を優しい手つきでゆっくりと撫でながら宥めにかかる。


少女に宥められているセラだったが、その間もセリムの服の裾を掴んでいた。


なんと器用な…と素直に驚くべきか、それとも執念深いものと呆れるべきか…どちらにせよ放す気がないことだけはぎゅっと握り締められた手を見れば分かる。


一見して見れば姉妹にも見える抱き合っている少女と幼女。だが決定的に違う点がある。それは獣人としての特徴の獣耳と尻尾がセラにはあって少女にはない点だ。


獣人の中には耳や尻尾のない種族もいる。よって少女が獣人ではないと言う証拠にはならない。だか、姉妹のように見えるこの二人は実の姉妹ではないという事は分かる。


それでもここまで心配し駆けつけたのだからそれなりの仲である事は伺える。もしかしたら、血が繋がっているだけで家族と言える存在よりも深い関係なのかもしれない。


麗しの光景が展開される中、似つかわしくない言葉が発せられた。


もちろん言葉を発したのは――



「この手をさっさと放させろ」



セリムだ――



セラが泣き止むのを待ってから話しかけたのは唯一の優しさかもしれないが、周辺にいた者全員が「今それ言う!?」と言った感じの視線を向けてくるがサクッとスルーを決め込む。


頭上から掛けられた声に一瞬ビクッと反応を示した少女。


後から来たため状況を理解できていない少女は「ん?」と疑問顔を作るが、セリムが向ける視線を辿っていくと理解する。「直ぐに放すように言うので」と言うと、セラに向き直り優しい声音で語りかけた。



「セラ、お兄ちゃん困ってるから放そう? ね」



少女の肩に顔を埋めたままフルフルと頭を振り拒絶の意思を示す。セラの態度に困ったように眉を八の字にする少女。



「どうして?」


「セラを…助けてくれた、からっ…皆も」



舌っ足らずでそれだけ言うとせっかく泣き止んだというのにまたしても泣き出してしまった。


セリムは何言ってんだコイツ…と思っていたが、セラの言葉を聞いた少女は「そうか、そうか」と理解していた。


セラが落ち着くのを待ってから少女は顔をあげ、セリムへと視線を向けた。


助けてくれたことへの感謝なのか会釈程度に頭を下げると「少し、私たちの事を聞いてもらえますか?」と何の脈絡もなない言葉を発した。


いや、それよりもこの手をさっさと外せよ…と思いながら面倒そうな表情を一切隠しもせず浮かべる。


否定がなかったことから肯定されたのだと受け取り、少女はまず自己紹介からし始めた。



「私はルインと言います」



ルインと名乗った少女は、助けてくれたことへの感謝を述べた後、自分たちのことについて話し始めた。


ルインとセラはどちらも捨て子だった。生まれて間もない頃にスラムの一角に放置されていた。


スラムと言う無法地帯では赤ん坊が生きてくのは難しい。


幼い為に拾ったなら数年程度は自身で育てる必要があるが、奴隷にしたり、言葉通り実験体にしたり使い道はある。


仮に育てることが面倒ならば性別年齢など関係なく 使用・・ 出来る方法を取ればいい為、捨て子などはすぐに誰かに拾われてしまったり殺されてしまったりと悲惨な末路が多い。


そんな中、ルインは奇跡的にもスラム街の端にある孤児院を営む人物に拾われた。おかげで何も理解できずに死ぬということはしなかったものの、それは一時的なものでしかなかった。


孤児院ということでそこには他にも幾人もの子供がいた。人数がいるということで、食事は満足に得られず、かと言って街の外にでてお金を稼ごうとしてもモンスターなどに襲われ何人もの子供が命を落とした。


獣人は身体能力が高い。だが、戦闘経験などない子供であれば仕方ない結果だ。


"力"がないことで出来る事が限られてしまっている。端とは言っても孤児院のある場所はスラム街。治安は最悪。半端に実力のある冒険者崩れ、スラムを取り仕切る組織"獣爪ビーストヴォルフ"。


子供では敵わない者たちばかりだ。


せっかく稼いでも暴力を振るわれたりしてお金を取られる。ここでは当たり前のこと。だがそれでも稼がなければ、お金がなければ食べるものすら満足に得ることすらできない。だから働く。毎日毎日がそんな自転車操業の苦しい生活。孤児院事態の雰囲気が暗く沈むことも多々あった。


だが、不幸が続くことはあっても永遠と言うわけではない。その言葉を表すようにある日、善い事が起きた。


ルインが捨てられていた赤ん坊を拾ったのだ。


この世界の残酷さなど知らず穏やかに笑っている。そんな表情で眠る赤ん坊を見たときにルインは思った。



――何て幸せそうなのか



孤児院に連れ帰り院長先生に伝える。すると今までの暗く沈んだ空気が吹き飛び諸手を上げて喜んだ。それはもう院にいる誰よりも。まるで一番大きな子供のようだとルインは思っていた。


この子のためにも頑張らないとなと皆の表情が引き締まった。


血のつながりなどない。拾っただけの子の為だったが、院のみんなにとってはそんなことは些事であった。


ここにいる者たちは皆、血など繋がっておらず、院長先生に助けられた者たち。自分たちが生きてこられたのは先に院に居た子達が面倒を見てくれたおかげだから。


そんな当たり前の事が先程までは霞んでしまっていた。だが、赤ん坊と言う誰かの助けがないと簡単に死んでしまう存在を目にしたとき、彼ら彼女らは思い出したのだ。


その日は今までの空気を払拭するようにどんちゃん騒いだ。皆疲れ果てるも「明日から頑張るぞー」と言う院長先生の声に「おぉー」と答え、笑みを浮かべながら泥のように眠った。


日々命の危険にさらされ怯える世界。そんな世界で小さな命を見つけた。助けられたことはルインにとってどんなものにも変えられないほど嬉しいことだった。


命の価値がとても軽いスラム街において、自身が護ったと言う気持ちが自然と口角を釣り上げ、笑みを浮かばせた。


どうしようもない理不尽な世界に一筋の光が差し込んだような、絶望に染まりきっていた心が浄化されていく感覚の中でルインは眠りについた。


新たな命を向かい入れた事で生活は苦しくなったが、暗くなったりはしなかった。寧ろ今まで以上に明るく過ごしていた。


だが、そんな些細な幸せをも壊すものが突如として現れた。


やっとここからが本題か…と疲れたように息を吐き出すセリム。


途中、案内役に使うために生かしておいた獣爪ビーストヴォルフのメンバーが這々の体で逃げ出そうとした為、踏みつけていた。潰れたカエルのような声をあげ、「すいません、すいません」を連呼する男。謝罪がうるさかったので頭を踏みつけ地面にめり込ませ黙らせると顎をしゃくり先を促す。



「ここからがこの子…セラが言いたかったことなんです」



だったら今までの話はなんだったのかと首を傾げずにはいられないセリム。



「セラが来てから数年は特に変わらない毎日だったんですが…」




そう言って話し始めたのはスラムで現在進行形で行われている犯罪についてだった。


一年位前からスラムでは毎日のように人が拐かされている。普通ならスラムだし人が消えた所で別段不思議なことでもないだろうが、一人二人ではないのだ。数十人規模でいなくなっている。


今までも偶に大勢いなくなるということはあったが年に一回あるかどうかだった為に然程問題視されていなかった。


だが、今回は毎日のようにいなくなっている。孤児院の子供も既に何人もが行方不明になっており、スラムでは次は自分なんじゃないかと皆恐怖していた。


そこまで言うと地面に顔面を埋めている獣爪ビーストヴォルフのメンバーをキッと睨むように見つめる。



「で、俺にそのいなくなった奴の捜索でも手伝って欲しいのか?」



めり込んでる男から視線を外すことなく、「誰がやってるかはわかってるんです」と言った。


視線と言葉には大事な人を殺されたことへの恨みと怒り、そして憎しみが込められていた。


視線と言葉に込められた感情から誰が犯行をしているのかを察する。



「犯人は知ってるから、そいつらからお前のとこの奴等を取り返してきてくれ、と?」


「…多分そういうことだと思います。ここには獣爪ビーストヴォルフと事を構えようとする人はおろか、自ら近づく者などいません。噂では獣王国のトップと繋がりがあったり、国とのパイプを利用し凄腕の護衛などを雇っていたりで…セラにもよく言い聞かせているんです。逆らっちゃダメだって」



そんな誰も近寄らない危ないところに助けに行って欲しいとはなんとも嫌な話である。


言葉では逆らっちゃダメだと、逆らうことが出来ないと分かっているから

こそセリムに協力を仰いだのだ。


ルインの目には、助けられるだけの力があるならば自分で助けたい!というような強い意思の炎が宿っている。だが、そんな力がないからこそこうやって助力を請うのだ。



「夜、寝かしつけるときに本を読んであげるんです。"正義の魔法使い"と言うタイトルで、タイトルが示す通り、魔法を悪いことに使う人を正義の魔法使いが正していくんです」



ルインの話をきいたセリムは一人なるほどな、と納得した。


結果的にだがチンピラから救ったとき、チンピラ~ズと戦ったときに向けられた眼差し。その意味を理解したのだ。だが、同時に不快さも覚えた。


セラにとって正義の魔法使いとは地球で言うところの戦隊ものや仮面ライダー的な、皆を助ける格好良く強い味方だ。


誰もが逆らわず恭順する獣王国を仕切る裏組織、獣爪ビーストヴォルフ


誰もが見て見ぬふり、自身に火の粉がかかることを恐れ助けることを選ばない。我が身が一番大事という考えかた。身勝手と言うのは簡単だが、結局のところ"人"という生き物は自分が一番可愛い生き物なのだ。ましてスラムなどという死が直ぐそばで手招きしているような場所なら尚更そう言える。


それは五歳の女の子にはあまりにも酷で厳しい現実と言わざる得ないものだ。


こんな世界にいれば正義の魔法使いではないが、腐った世界から救い上げてくれる存在を欲したとしても不思議ではない。


ルインから話を聞いたセリムはフンッと馬鹿にするように鼻で笑った。


それはセリムを知らないからこその言葉だ。


セリムが今までやってきた事、これからやろうとすることを知れば、"正義"なんて言葉は不釣り合いすぎて笑えてしまう。


人を殺した。


最初殺ったときは罪悪感的なものも抱いたが、今はまったくない。


何も感じない。いや…殺すたびに自らが満たされていくように充足感にも似たものを得られる。胸に空いてしまった穴を生を奪うことで埋めるのだ。



こいつは誰かに大切にされているかもしれない


あいつは誰かの最愛なのかもしれない


そいつは…



自身の大切なものを奪われた怒り、悲しみをこの世界の奴らに味あわせる。それが心を満たす。どこまでも自分のためだけに殺し、奪う。人の為などではなく、自分のためだけに、穴を埋めるために…


これはセリムが自身を慰めるためだけに行う復讐。何人も邪魔はさせないし、自身のためにしか動かない。


セラが言いたいことをルインから聞いたセリムは仮面越しに冷めた目で見下ろす。 それ以上は聞くのも不快と言わんばかりに強引に裾を引っ張り手を引き剥がす。


頭を踏みつけている獣人の男のケツを蹴りたたき起こすと「案内しろ」と吐き捨てる。


「あぁうっ」と奇っ怪な声をあげながら起きた男はケツを摩りながら「こちらです」と怯えた表情で案内をしだす。


「あっ」という希望を失ったからか、悲哀を感じさせるような声音が聞こえる。裾を掴んでいた手は、再びセリムと言う希望を掴もうとしているのか虚空に残されたまま彷徨っている。



「勝手に期待してんじゃねぇよ。んなもんは捨てろ」



期待して、願って…叶えばまだいい。


だが、裏切られたら?――そうなれば傷つくのは自分だ。



体験したからこそ分かるどうしようもない気持ち。


期待も願いも祈りも…希望を抱くのは勝手だ。だが世界が期待を抱いた相手がそれに答えてくれる保証はない。いつだって期待も願いも祈りを向けるのは、自身よりも優れた者にだ。だがそいつらだって人であり限界がある。神ではないのだ。


期待して、願って、祈って…できないと知った時、抱いた想いはどうなるのか…自分を責めるならまだいい。だがそれが期待した相手に向くことだってある。そうなれば哀れの一言だ。もしかしたら哀れなんて生ぬるく"醜悪"なんて言葉がぴったりかもしれない。



――"なんで救ってくれないんだ!"



かつてセリム自身もこの世界に来るきっかけになった事故で、駆けつけた救急隊員に期待した。


願った。

祈った。



だが、叶わなかった――



そして同じ失敗をした。



神敵者である自分がいなければ家族は助かるんじゃないかと勝手に期待してしまった。



――だから思う。



そんな考えは何かに縋っていなければ生きていけない者の考えだと。


期待なんてするくらいなら最初から諦めてしまった方がどれだけ楽か…


人の繋がりというなのは麻薬に似ているんだろう。頼って頼られて…それで成功しているうちはいい。だが失敗したら責任の擦り付け合いだ。


麻薬のように使ってから数時間は効果があるが、効果がなくなった途端、ダメになる。新たな麻薬人との繋がりを求める。醜いとしかいいようがない。


そんなんなら一人の方がいい。何をやっても全てが自分の責任。期待することもない。人と付き合うにしても上辺だけの付き合い。生きていくのにはそれだけで十分だ。


期待して、願って、祈って――裏切られて…



また同じ過ちを犯して――



――俺はもうそんな想いすんのはごめんだ



二人の女の子を残し、セリムは歩き出した。


期待なんてすることもされることも全てがひどく煩わしい。そんな思いを抱きながら…


虚空に伸ばされた手を気に止めることも振り返ることもなく――


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