背柄山の首吊り病院

背柄山の首吊り病院は鼠取塚町でも有名な心霊スポットです。

背柄山の首吊り病院

 やあ、ぼくの名前は新貝哲也あらかい てつやっていうんだ。

 今、鼠取塚ねずみとりづか町にいる。三人が暑い夏には肝試しに限るぜ、とか盛り上がってたので、一緒の車でついてきちゃった。


 背が高くてひょろ長いのが八田部やたべ。小太りで眼鏡、汗っかきなのが酒崎さかざき。いたってミーハーでオカルト好きな夏子なつこ

 男たち二人は夏子が好きなんだけど、彼女の方は友達以上には思っていない、みたいなんだ。八田部と酒崎は吊り橋効果を狙ってるってわけ。


 吊り橋効果って知ってる? 怖い目にあって心臓がどきどきするのと、人を好きになって鼓動が早まるのは似ているから、カン違いしちゃうって話。

 本当かな。マジでパニクった姿見ちゃったら恋愛もクソもない――ってぼくは思うんだけど。

 恋なんて幻想だ。というか、本音を隠して表向きの殻を作っていて、他人はその殻しか知らなくて、殻に対して恋をする。本音なんて知らない方がいい。


 背柄山はいからやまは鼠取塚町の端にある、標高120mしかない低い山さ。

 山頂には公園が整備されていて、キャッチボールできるくらいの広場があり、囲うように桜の木が植えてある。春には花見の名所の一つだ。子供用の遊具もある。一応舗装路がふもとからつながっていて、車でも行けるようになってる。

 小学校の遠足の定番なので、町の人なら誰でも一度は訪れたことがあると思う。


 『首吊り病院』はそのふもとにある廃病院を指す。

 病院といっても、もとは民間の外科医院だったんだ。医療ミスで連続して患者を死なせてしまい、資金繰りのあても信用もなくなってしまった。それで院長が首を吊って自殺しちゃったんだ。

 鼠取塚町でも一二を争う、有名な心霊スポット。幽霊の目撃例多数。不可解な事故も記録されてる。


 ぼくたちはそこに入っていこうってわけ。


 大きな懐中電灯を持ち、八田部が先頭に立った。

 酒崎は右手にコンパクトカメラと、左手にごついアルミ製のライトをアメリカの警官風に逆手に握っている。

 正面玄関には鍵がかかっていた。

 ぼくらは横に回って割れた窓から侵入する。足元は粉々に割れたガラスと砂で、踏むとじゃりっと音がした。

「マジではいんのかよ」

 酒崎が小さな声で言う。

「せっかくここまで来たんだ。写真の一枚でも撮って帰らないと格好がつかないだろ」

 八田部が答える。

「そりゃそうだ」とぼくが言う。

 小さなLEDライトを持った、すでに怯え気味な夏子は「ねぇ、今何か聞こえなかった?」と言った。

 何も聞こえないけどな。山に近いから動物が入り込んでるのかもね。うちの母屋から離れて立ってる物置小屋にいつの間にか猫が入り込んで出産してたことがあったっけ。子猫がかわいかった。


 ここまで進んでくると床もまだ壊れていなくて、歩きやすい。

「うっ」

 とうめいて先頭の八田部が足を止めた。「見ろよ」

 照らされた先の壁には、真っ赤な矢印が大きく描かれている。

 示す先は手術室に見える。

「これマジにヤバいやつだって。帰ろうよ」

 夏子が本当にがたがた震え出した。

「酒崎、これ写真撮っとけ。それだけ確かめたら帰るからさ」

 八田部はなんか妙にハイになってて、取りつく島がない。

 ぼくみたいなホラー映画のファンから言わせてもらえれば、演出過剰だ。ぼくは壁の近くまで寄ってみる。案の定、血ではなくて赤いペンキのようだ。おフザケにしても、たちのよくないやつらが来ているらしい。まだ、

 八田部は気づいてないのかな、この妙に甘ったるい匂い。

「あっちが明るいぞ」

 灯りが床の近くから漏れている。携帯用のランタンだろうか。

「おっと」

 床に直置きしてあった缶ビールを蹴とばす。半分ほど残っていた中身が床にこぼれて広がった。

「八田部、上、上!」

 ――ん?

 八田部が見上げると、宙に浮いた足が揺れていた。

 若い男の首吊り死体が揺れていた。


 その横に、なにかがいる。

 天井に、ヤモリのように張り付いた、白衣の中年の男。

 首ががくんと逆に反り返って逆様になった状態で見下ろしている。

 明らかに位置のおかしい目が懐中電灯の光を反射して深海魚みたいに光っていた。


「うわあぁ――っ!」

 酒崎が悲鳴を上げて逃げ出した。

 夏子は固まってしまい、真っ青な顔で卒倒しかけている。

 八田部は夏子の手を取ると酒崎の後を追って走り出した。

 先を走る酒崎の体が不意に浮いた。

 照明が外された後の、天井の穴から下がったロープが、酒崎の首に巻きついている。

 信じられないような力でロープが引き上げられる。

「あがっ……!」

 酒崎の足が床を離れる。


「八田部、踏み台になって! 早く、首の骨が折れる! 酒崎、ロープを首から外すんだ」

 ぼくは叫んだ。

 八田部が身体を丸めて酒崎の下に潜り込んだ。八田部を踏んで余裕のできた酒崎は自力でなんとか首に巻きついたロープをほどいた。

「ち」

 と小さな舌打ちが聞こえた。


 天井の穴から男の目だけがのぞいていたが、すぐに闇の中に消えた。


「もうだー」

 夏子が半泣きで叫ぶ。

「逃げろ!」

 みんな血相を変えて逃げだした。


 建物の外に出ると夏子がへたり込んだ。

 一息ついたところで、八田部と酒崎がぼくをじっと見る。

「俺たちは三人で来たはず――


「院長を邪魔するためにぼくがいるんだよ。もう来ちゃだめだよ。ああなるから」

 ひゅん、と風を切る音がした。

 直後に、がしゃあと、スイカが割れるような音。

 人間が――屋上から落ちて、頭から地上に激突した音。

 たぶん、中で隠れて大麻を吸っていたやつの仲間だろう。


 酒崎が真っ先に逃げ、八田部も追いかけた。

 夏子は一人振り返って、

「……助けて、くれたのね」

 と言った。

「最初の医療ミスで死んだ少年って……きみなの?」

 ぼくは答えずに手を振った。

 ありがとう、と言葉を残して夏子も車へと走っていった。

 車にはから手形を残しておいたんだ。いつ気づくかな。

 幽霊にだって、茶目っ気はあるさ。


 心霊スポットに気軽に行っちゃだめだよ。

 中にはが混じってるかもしれないからね。


 八田部と酒崎のどちらかが夏子とつきあった、なんて話はそれから聞かない。

 吊り橋効果なんてあてになんないだろ?




                    終

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