狐の嫁入り
@yasuo310
狐の嫁入り 伝やんの憂鬱
軒下の縁側には春の温かい日差しがサンサンと降りそそいでいる。
縁側の前にある小さな花壇では赤、白、黄色の帽子をかぶった花達が一斉に咲き誇って、あっちにこっちに頭をふりふり踊っている。
赤、白、黄色の帽子の間をチョウ達が、こちらもあちらにヒラリ、こちらにヒラリと舞い踊っている。
伝やんの飼い猫のミケも当然有頂天である。
チョウを相手にその華麗な跳躍を披露し、時には見事な回転レシーブを決めている。
ポン、ポン、ポンと三度大きく大きく跳躍し、くるりと見事な回転レシーブを決めた。
(してやったり!どうだい)
ミケはチラリとご主人様の方に目をやった。
当然パチ、パチと手ばたきがし、
「すごいぞ、ミケ。もう一回やってみろ」
そしてホレ、ホレと好物の煮干しが2~3本飛んでくるはずなのである。
ミケはこの2~3日好物の煮干しに全然ありついていなかった。
「ちぇ!またか、いったいどうしちゃったんだよ~」
ミケのご主人様である伝やんは相変わらず、縁側に深く腰を掛け首をがっくり落とし両腕もダラ~ンと落としたままである。
もう、小一時間もである。あのようにダラ~ンとしたままなのである。
時折、フゥー、フゥーと深いため息をついている。
その度にダラリと落とした両腕の間からは、ユラ、ユラ昇る煙草の紫煙が鼻先辺りで小刻みにかき消されている。
ミケは好物の煮干しの事を考えると、もう既にヨダレが口元を濡らしてしまっている。
(いや、俺は煮干しがほしいのじゃない。ご主人様が本当に心配なだけなんだ)
そう言い聞かせて、
思い切り甘えたゴロ、ニャンをもって伝やんの足元にすり寄っていった。
だがしかしそれは、伝やんの無造作に出したタバコを持つ手にあっさりと払いのけられてしまったのである。
「お~、何だ、何だ、危ねえじゃねえか~火傷しちゃうよ」
しばらくの間、出てくるヨダレをどう止めようかと考えはじめたミケであった。
伝やんは本当に憂鬱なのである。
また大きなため息をフゥーとついた。
「なに!また伝助だまされたんだって」
葉タバコと米を作るぐらいしか能のない深い山に囲まれたこの盆地の片田舎にようやく、田を耕す耕えん機が入り始めた頃である。
ド、ドッ、ド、ドド、空ふかしの耕えん機に腰かけている三郎に話かけたのは伝助の幼馴染の竹男である。
「あのバカよ、今度はよ、興野の橋あっぺ、あそこの蕎麦畑で、やっていたんだって、深い、深いって」
「そんでよ・・・」
竹男は得意になってしゃべりだした。
・・・そう、伝やんはわからなかったのである・・・
その日伝やんは、用事で橋を渡って隣町の烏山町に出かけひさびさの繁華街ということで、ついつい知り合いの一杯飲み屋でしこたま、いや!どっぷりと飲み過ぎてしまったのである。
店の主人に急かされて重い腰をあげた頃には、あたりはすっかり暗くなりかけ、おまけに雨まで降りだしていた。
心配した店の主人が貸してくれた傘をさして、町を出てなんとか興野の橋の近くまでヨタ、ヨタと帰って来た時・・・この大雨の中・・・
橋のたもとの土手にある、大きなケヤキの木の下にうら若そうな女性が傘もささずにたたずんでいる。
丁度、反対側にある電柱の淡い灯りが大きく張り出したケヤキの枝の下にぶっかっている。
薄暗闇、降りそそぐ雨粒。そこだけがボォーと明るく浮かび上がり、あたかも
伝やんは、一瞬、降りつくす雨も忘れたかのように2~3度、濡れた手で目をこすり引き付けられるようにそのケヤキの木の下に近づいてしまった。
女は大木の下で雨宿りをしているつもりだろうがこの大雨である、ビショ濡れである。
へばりついた衣類は、豊満な胸元を浮かび立たせ乳房の先まで見透かせそうであった。
雨の雫は優美な胸元を伝わりポタ、ポタと垂れ落ちていた。
ゆら、ゆらとそこから白い湯気は立ち昇っていた。
伝やんは、慌てていた、慌ててしまった。
緊張すると、慌てると、どもってしまう。
「ど、ど、どうしたんだや、ビショ濡れでねえけ、帰える《けえる》のけ、興野け、俺も興野だ・・・」
「傘ねえのか入って行くけ、か、か、それじゃ風邪ひくべや・・・」
若い女性となんか、まともに話したことのない伝やん。
どうしても衣類がへばり付いた豊満な胸元に目がいってしまう。
豊満な胸元に目を奪われないように話すには、これが精一杯の言葉であった。
女はか細い声で、しかし、しっかりと聞き取れる声で言った。
「ありがとうございます。帰ろうと思うのですが、だけど橋が、橋が・・・」
女の指さす方を見て伝やんは愕然とした。
なんと、なんと
橋が途中から見えなくなっているではないか。
崩れ落ちているではないか。
ちゃちな橋で、良く水嵩が増すと崩れ落ちるが、
まさか・・・
今朝がた渡って来たのに、それもこれ位の雨で崩れ落ちるなんて、
にわかに信じがたい光景に唖然としていると、
女は、
「私、私どうしても今夜中に家に帰らないと・・・帰らないと・・・いけないんです」
とボソ、ボソと繰り返していた。
伝やんが、女の顔を覗き込もうとした時、
女は両手で顔を覆いながらしゃがみ込み、とうとう泣き出してしまったのである。
伝やんは、途方にくれていた。
この橋を渡らなければ伝やんも家に帰れないのであり、女の手助けにもならないのである。
この上流にも、もう一つの小さな橋があるのだが当然この橋がダメなら上流の橋もダメである、渡るのは無理である。
雨はあいかわらず強く降りそそいでいる。顔を覆いうずくまる女のか細い両肩に、濡れたほつれ毛がへばりつく真白いうなじへと雨粒は伝え散りはじける。
「くそ!」伝やんは唇を噛み、何度か地団駄を踏む。
伝やんの脳裏には、女の濡れそぼる真白いうなじが何度も何度も浮かんでは消えた。なんとしてもこの女の手助けになりたい。
伝やんは拳を2度大きく震わせるや思いきる。
「川の中州を突っ切るか、多分中州なら川の真ん中に中の島が出来るくらいだから今日だってなんとか浅かっぺ」
「中州までは、アユ釣りでは胴長長靴で行けるんだ、水が増したって胸位の深さだろう・・・」
「おし!渡るか、中州を突っ切るぞ」
一世一代の決心をした伝やんであった。
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