神の盾

(株)ともやん

第1話

 目の前で、私に槍を向ける男がいる。

 剣も槍も失った私には、もはや自分を守る手段すらない。

 死ぬのだろうなと、そう思った。

 それはそうだ。ここは戦場なのだ。誰かの生き死にを考える前に、自分の生き死にに必死なのだ。いや、必死にならなければいけないのだ。私も、そう覚悟してここに来たはずだった。

 それがどうだ。私は、自分の武器を奪われたくらいで生きることを諦めてしまった。

 最初から父の跡を継いでおけばよかったのだ。国を守る使命などに現を抜かし、英雄となる夢を見てここに来た。死んだとしても自分の責任なのだ。誰に咎められるわけでもないと。

 端的に言えば、人間の、生き物の「本気」というものを見誤っていた。

必死になれば何でも出来るとはよく言ったものだ。命が懸かっているのだ。戦場に立つ戦士たちの目は、狂気に染まっていた。

 私はと言えば、所詮は今まで気ままに家畜の世話をしていただけの男だ。多少鍛えていようが、戦場で生き抜いてきた者の本気になど敵うはずがない。

 同じ「本気」でも、両者には決定的な違いがあった。それに、私は戦場に立つまで気づくことが出来なかった。

 現実を見るというのは、簡単なようで難しい。どこかで通用するのではないかと思ってしまう。そんな私の希望的観測をあっさりと打ち砕き、「現実」は目の前に迫る。

 迫る槍の矛先は、いずれ「私の死」という現実に変わるのだろう。


「…………死にたくない」


 つぶやきが漏れる。


「助けてくれ! 私は死にたくない!」


 みっともないと思う。

 誰もが命を懸けて、覚悟を持って挑む戦場で、私は命乞いをしたのだ。そんなことは覚悟の決まった者のすることではない。

 目を閉じる。自分の死を受け入れるのさえ怖くなった。

 ザクリ。槍の切っ先が心臓を貫く音だ。思っていたよりも痛くないものだと思う。

 いや、死というものが何も感じなくなることだというのならば、これこそが死なのだろう。恐る恐る目を開ける。

 身体を貫く槍が見える。心臓を一突きされ、致命傷であることは間違いない。白い槍を赤く染めた血が、切っ先から滴り落ちる。

 その様子を見ながら、私は呆然とする。

 槍が引き抜かれる。背中から刺されたであろう槍が、その軌跡をなぞるように身体から引き抜かれる。ジワリと染み出した血が服を濡らす。槍が引き抜かれた瞬間に、ぽつりと血が私の頬を濡らす。

 そんな一部始終を、私を殺すはずだった男が再現した。

 倒れた男は、私に体重を預けながらその命を終えた。

私は震える手で男をそっと地面に置いた。男の身体はまだ暖かいが、「置く」という表現が最も適切であると思わせる程に命ではなくなっていた。


「良かった」


手が差し伸べられる。命を奪ったとは思わせない美しい手だ。助けられたのだ。助けられてしまったのだ。

私は今、一人の女性に助けられた。

 エメラルドの神をなびかせながら私の前に立つ女性は、この戦場において唯一人、命を奪う行為でさえも美しいと思わせた。

 手を取ることなど出来はしない。戦場での覚悟すらも固まらぬ男の手など、どうして握らせることが出来ようか。死ぬ覚悟どころか生きる覚悟も無い。

覚悟が無いだけではない。命乞いまでしたのだ。私は、見習いといえど王国の騎士としてこの場で最も恥ずべき行為をした。

 傍にあった槍を握る。その切っ先を自分に向け、目を閉じる。

届かなかったこの槍を、今度こそ私の心臓に至らせるのだ。

だが、またしても槍は私の心臓に至ることは無かった。


「何をしているんですか!」


拳を握り締めながら、私を助けた彼女は言う。私は、彼女の拳が打ち抜いたであろう頬を押さえる。

からんと二本の槍が地面に落ちる音がする。再び私は武器を失い、同じく武器を持たない彼女の両手に肩を掴まれる。


「私の前で、自ら命を絶つなど許しはしません」


彼女は激怒している。顔を真っ赤に染めながら怒りを浮かべる彼女は、それでもなお美しい。


「私は……王国の騎士たちを貶める行為をしたのです」


王国の騎士たちは、みな覚悟を決めてこの場にいる。同じ「騎士」としてこの場に立った以上、私の行動は王国の威信にかかわる。

その私が命乞いをした。敵国の兵に、命乞いをしたのだ。到底許される行為ではない。


「王国が何ですか。国民に自ら死を選ばせる国などあってたまるもんですか。死を自ら選ぶことが矜持だというのなら、そんなものは捨てなさい。貴方が死ぬことは、この私が許しません」


彼女はそんなことを言う。

真っ白な騎士の甲冑に身を包み王国の紋章を胸に掲げた彼女は、少なくとも私なんかよりよっぽど位の高い騎士なのだろう。

そして、剣閃と血の飛び交う戦場であるにもかかわらず、彼女の甲冑には返り血一つ見当たらない。

そんな地位と実力を兼ね備えた彼女が、王国騎士の矜持を捨てろと言う。


「そんなことを言っては、貴女が王国の騎士たちに叱られてしまいます」


私が言うと、彼女は首を横に振る。


「騎士とは命を守る者です。決して戦いを求める者でも、死を矜持だと言う愚か者でもありません。少なくとも、私が生きる王国ではそうです」


諭された私は、恥ずかしくなる。

戦って武勲を挙げることこそ騎士の使命だと信じていた。敵を屠り、時として自らの死さえも称えられる存在になるのだと。

だが、彼女はそれを「愚か者」だと言った。自分の生き死にでさえ覚悟の決まらない私は、守る相手などまるで考えたことが無かった。

彼女の言葉に従うならば、私は騎士ですらない。いや、騎士を志すという時点にすら立ってはいない。

何も言えずにいると、再び彼女の手が目の前に差し出される。


「生きていることを誇ってください」


私が未だに手を取れずにいると、彼女は私の手首を掴んで強引に引き起こす。

立ち上がった私と、およそ同じくらいの背丈である彼女の目が合う。


綺麗だ。


この戦場で、最も場違いと言っていいであろう思いが浮かぶ。

 見習い騎士のうちの一人でしかない私は、王国の危機であると駆り出されたこの戦場で、誰よりも強く美しく生きるその女性を好きになった。


「名前を教えていただけますか?」


 唐突だった。彼女が私に向かって言ってくる。彼女に見惚れていた私は一瞬固まってしまう。こんな美しい女性に名前を聞かれた経験など無い。いや、そもそも女性と話した経験すら乏しい。

私の周囲にいるのは母と妹だ。美しくないとは言わないが、少々慣れが勝ちすぎる。


「アイギスと言います」


 答えると、彼女は笑う。


「アイギス、どうか必死に生きてください。生きていることは、唯それだけでどんなことより素晴らしい。自分と、愛する誰かのために生きてください」


 彼女は立ち去ろうとする。

 まずい。このままでは、彼女に礼を伝えることすら出来なくなってしまう。


「待ってください!」


 叫んだ声で彼女が驚く。

 振り向いた彼女があまりに綺麗で、言おうとしていたことが全て吹き飛んでしまう。

 何を言おうとしていたんだ? 何が聞きたくて彼女を引き留めた?


「なんでしょうか?」


 透き通るような声で彼女が言う。

 忘れてしまった言葉を紡ぐことが出来ず、時間だけが過ぎる。

 何かを言わなくては――――――

「貴女の……名前を教えていただけませんか?」


 私が言うと、彼女は「ふふっ」っと小さく笑う。こんなことしか言えず、気の利かない男だと思われただろうか?

私では名前を聞くことすらスマートにはこなせないのだ。


「アテナです。私の名前はアテナと申します」

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