わらし

鈴木タロウ

わらし

 Fさんの父方の実家は和歌山の田舎にあって、代々、金物問屋を営んでいた。


 昔は田んぼや畑ばかりだったらしいのだが、Fさんが生まれた頃にはもう、まわりにはそこそこの数の民家が建っていて、少し遠くには単線のローカル電車も見えるほどになっていた。

 それでも、当時大阪市内に住んでいた子供のFさんにとってはかなりの田舎である。帰省する度にいつも、裏手の山や小川で従兄妹たちと夢中になって遊んだそうだ。

 しかし、やがてFさんが高校に上がる頃には自然と行かなくなり、正月には両親だけが帰省する程度になってしまった。

 そのうち、祖母がまず癌で亡くなり、数年前には、元気だった祖父も体調を崩して入院するようになる。それをきっかけに、大人になったFさんもまたちょくちょく顔を出すようになったのである。

 しかし、少し痴呆もあった祖父の体調は入院後もあまり良くならなかった。結局、最後のほうは、本人の希望もあって自宅に戻って療養していたという。

 ある年、いよいよもうこの夏はもたないだろうと医者が言うので、ちょうど会社の夏季休暇ということもあり、Fさんは、祖父が伏せっている和歌山の田舎に帰省することにした。

 今から二年前のお盆のことである。


 Fさんの祖父の痴呆は、日によって程度が違ったそうだ。

 家族の顔と名前を間違えない日もあれば、朝食を食べたかどうかさえ忘れてしまう日もある。しかし、病状が悪化してきてからは、意識のない日が多く、ほぼ寝たきりに近かった。

 亡くなる数日前になると、おじいさんはいよいよ、しきりにうわ言を言うようになった。たいていは意味の分からない言葉ばかりで要領を得ない。それでも、一日のうちでたまにはっきりとしゃべることもあった。

 はっきりとはいっても、やはり声そのものもは小さくて弱々しい。そこでよくよく耳を近づけて聞いてみると、

「わらしがいる」

 というふうに聞こえる。

 『わらし』とは、もちろん子供のことなのだろうとFさんは思った。

 確かに、大阪に住んでいる妹が、小学二年生になる一人息子を連れて数日前から実家に来ている。

 そこでFさんは、ひいおじいちゃんが呼んでいると、その子を祖父の寝室に招き入れることにした。

 ところが、Fさんがひ孫が来たよとそっと声をかけると、祖父はいやにはっきりと首を振る。

 そして、

「わらしがいる」

 と、またうわ言を繰り返すのだった。


 夕食の席でふとその話をしてみると、Fさんの母親が、座敷わらしの話なら昔聞いたことがある、と言い出した。

 

 その昔、Fさんの祖父はとても病気がちの子供だった。

 そのため、たいていは大事を取って大きな畳の間で寝てすごしていたそうだ。

 近所の他の子供たちは、家事や親の仕事の手伝いの合間を見つけては、かけっこやら鬼ごっこやらとみなで遊んでいる。もちろん、祖父はそんな輪の中に入れるはずもない。

 そんなある日、祖父がいつもの部屋でひとり寝ていると、ひとりの男の子が縁側に面した庭で遊んでいるのが見えた。

 どうやら自分と同じ年ぐらいではあるが、一度も見たことがない見知らぬ男の子だ。

 こざっぱりした着物を着て、妙に楽しそうな様子である。

 その子は時々、祖父のほうをちらっと見たりはするものの、ひとりでちゃんばらごっこをやって遊んでいる。

 ひとの家の庭に、一体どうやって入ってきたのだろう?

 不思議に思うと同時に、その楽しそうな様子にうらやましくもなってきた。

 しかし、その子がいなくなった後、家族の誰に聞いてみてもそんな子は見ていないというのだ。

 それからほぼ毎日、その見知らぬ男の子が祖父に顔を見せに来るようになった。

 最初こそ一体どこから来たのだろうと不思議に思っていた祖父だが、その楽しそうな様子につられて次第に布団から出るようになり、さらには縁側に座ってその様子を眺めるまでになったという。

 ある日、祖父がとうとう庭に下りてその子と遊んでいると、縁側の庭には滅多に来ない母親に偶然見咎められた。

 そんな身体でと母親が怒るので、祖父が友達と一緒に遊んでいると答えて振り返ったところ、その男の子の姿はどこにもなかったという。


 それ以来、見知らぬ男の子は現れなくなったが、祖父の病気は徐々に良くなり、その後は風邪も滅多に引かなくなったそうだ。

「おじいちゃんが、その子は座敷わらしやったと思うって言うのよ。それっきり見かけなくなったらしいんやけどね。たぶん、大昔のこと思い出してんねやろうねえ」

 その日の夜、せっかくだからと、昔座敷わらしを見たという畳の大部屋にみなで祖父を移すことになった。


 それから数日後、Fさんの祖父は眠るように亡くなったという。


 その年の夏が終わった十月のある日、Fさんは四十九日の法要でふたたび和歌山を訪れた。

 無事に法要も終わって夜になり、畳の部屋でみなでご飯を食べていると、Fさんの母親がそうそうと言って、一枚の写真を持ち出してくる。

 見てみると、セピア色に変色したかなり古い写真である。

 写真はどこかの縁側で撮られたもので、着物を着た小さな子供が四人と、その両親らしき一家が写っていた。

「これな、おじいちゃんの遺品を整理してたら出てきたんよ。昔、おじいちゃんに、この子がそうやって見せてもろた記憶があんねん」

 母親はそう言って、写真に写る部屋の奥を指さす。

 そこには、身ぎれいな男の子がひとり、立っていた。

 薄暗くぼんやりとはしているが、少し笑って楽しそうな顔をしていることだけはわかる。

「この奥に写ってる子が、あの座敷わらしやって。おじいちゃんの病気が治った記念のこの写真に、写っとったらしいねん。これ、おじいちゃんの仏壇に飾ったらなあかんわ」

 へー、本当の話だったのかと、Fさんたちはその写真を酒の肴に大いに盛り上がった。

 すると、その写真をしばらくじっと見ていたFさんの妹の子が、こんなことを言う。

「こんな顔してなかったで」

 え? と、大人たちが一斉にその子のほうを見た。

「こんな顔ちゃうわ。もっとすごい顔しとった」

 そう言うと甥っ子は、左目を手で隠してから、もう片方の目を指で下に思いっきり引っ張り、白目を作った。そして、口を半開きにして顔を左に傾けるのである。

 それはまるで、何かの事故で死んでしまったひとのものまねのようだった。

 そのままの顔でじっと動かない甥っ子に、Fさんたちはぎょっとなる。

 慌てて、座敷わらしがそんなもののわけがないと口々に言うと、その子は不満そうに口を尖らせて、

「だってほら」

 と、畳の部屋の片隅を指さすのである。

 Fさんたちは恐る恐る振り返った。


 そこにはもちろん、何もいなかったという。

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