桜の枝、揺れて
日高 森
桜の枝
視線を感じて窓のほうを見ると、いつも桜のてっぺんがある。まだまだ冬のただ中だから、裸の枝だ。けれどそれは自らの意思で、のそりと壁を這い上がって来た動物の一部のよう。
私はまた困りながら、桜から目を反らす。こんな勘違いをこの職場でやらかすのは、何度目だかわからないから。
(ここは4階だし)
職場のビルは6階建てで、前庭は公園として開放されている。ビルのすぐ横に、100年以上は経た桜の大樹が生えているのだ。
朝の挨拶も夕方に帰るときも、桜を意識せざるをえない、圧倒的な存在感がある。だから視線を感じても仕方ないと、私は諦念を繰り返す。
だがある日、私は別な方向からの視線に振り向いた。それは窓とは反対側の廊下からで、ひんやりしている。
桜からの「視線」にはまるで感じない、冷たく重いそれ。それで始めて、桜の視線がやわく温かいと認識できた。
ひんやりした視線は、暖房をいれた南側の事務室でも、私を冷え込ませた。何度廊下側を見ても、何もいないのに。
気にするのをやめ、パソコンの画面に集中しようとした。すると近くのドアが開く気配がし、誰か入ってきたのかと、そちらを見た。
最初は白いベストを着た、水色のカラーシャツがおしゃれな、しかし見知らぬ社員に見えた。なぜか首から上を見るのに躊躇する。ネクタイも銀で、小太りだがしゃれていた。
同僚がドア方向へ向かったので、私は再びモニターへ戻ろうとした。けれど呼ばれた気がして、また白いベストの男を見た。見てしまった。
もやもやした黒い煙をまとったような顔には、メガネがかけられている。嫌な雰囲気にまた目を背けるが、目の端で男の首が伸びたのがわかった。
首は激しく伸び縮みし、煙をまとった顔は目をぎらつかせ、笑っていた。私は硬直したまま。
(首が伸びてきたら、どうしよう)
自分の恐怖を煽る妄想に、さらに固まった。だが、首が伸びてくる前に、何かがふわりと私を包んだ。
振り向けば、桜。裸のはずが、こんもりとピンクに、「手」を伸ばしてきたようだ。
安心して廊下側の壁を見ると、いままで私を硬直させていた白いベストの男は消えていた。
わけがわからないが、私は内心で桜にお礼を言った。桜の枝はすでに元の裸に戻っていて、なんだか笑いがこみあげる。
(だって、イタズラが見つかった子供みたい)
助けられたのにそんな感想を抱き、私は後ろめたかったが、桜は毅然とそこにいた。
しばらく後に同僚から聞いた話によると、このビルの地下で首を吊った社員がいたという。そして私は知っている。公園には古墳が眠っているのを。
桜はたぶん、あの白いベスト男も助けたかったんだろう。そんな気がする冬の午後だった。
桜の枝、揺れて 日高 森 @miyamoritenne
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