マイワールド・クロスネス

一水ケイ

第一章 あたしと魔物とエクソシスト-1

「あーっ、のばらが巫女さんやってる!」

 正月も今日で三日目を迎えた。陽が落ちて随分経ち、木々や仮設テントに吊るされた提灯でうっすらと照らされた神社境内。寒い中初詣にやってくる人の波も徐々に収まって、辺りを支配するのは、背筋の伸びるような凛とした静けさ。

 ――その厳かな雰囲気を見事にぶち壊す声が耳に飛び込み、あたしは思わず顔をそちらへ向けた。しかも自分の名前を呼ばれたので、相当な速さで。

「本当に巫女服着てるー! 紅白だ! やっほー巫女さーん!」

 同じクラスの友達である明日香あすかちゃんが、あたしに向かって大きく手を振っていた。参拝者の方々の視線を気にする素振りは全くない。赤いダウンジャケットのボタンをきっちりと全部閉め、その上にマフラー、手袋、イヤーマフの重装備。真っ白に凍った息を吐いてにっこり笑い、大きなデジタル一眼レフカメラを顔の横へ持ち上げて構えてみせる。

「改めまして皆さん! あけましておめでとうございます、新聞部です! 旧年中は格別のお引き立てありがとうございました、本年もどうぞよろしくお願いいたします! さて早速ですが、巫女バイト中の陸上部の皆さんのお姿を撮影させていただ」

「こーら、初瀬はせ明日香!」

「ぶッ」

 営業用笑顔を振りまき捲し立てていた明日香ちゃんが、突然前のめりに倒れ込んだ。

 その後ろから現れたのは、あたしと同じく赤と白の巫女服を纏った長身の女性。綺麗に明日香ちゃんの頭を叩き終わった格好で立っている、三年生のあずま先輩の姿があった。

「い、痛たたた、東先輩、あけましておめでとうの挨拶にしてはちょっぴりマニアックじゃないですか」

 石畳の上に座り込み、片方の手で後頭部を押さえ、もう片方の手でカメラを抱えながら、明日香ちゃんが涙目で東先輩を見上げる。対する東先輩は腰に手を当て、ふん、と鼻息を荒くした。白い空気が鼻からふわふわっと飛び出た。

「やかましいわ、このパパラッチ部め。わたしたちはお手伝い中だし、もちろん参拝者の方もいらっしゃるんだ。お前は大人しく家に帰って、温州みかんでも食いながら新春特番を見ていろ」

「むー、だって我が守本もりもと中学校生徒会と陸上部の、毎年恒例のボランティア活動でしょう? 素晴らしいじゃないですか、自主的な地域貢献活動。新聞部として、きちんと取材して全校の皆さんに伝えないといけないと思います。しかも巫女服着用ですよ、とっても目を引く写真記事が書けます!」

「その最後に付け足した数文字が目的でしょ」

「さっすがのばら、よく分かってる! さあ巫女服を着こなすはらのばらさん! 似合ってるぅ! さあさあこちらへど」

 明日香ちゃんは再び沈んだ。


 明日香ちゃんの言うとおり、ここ守本神社での年始のお手伝いは、光原みつはら市立守本中学校生徒会および陸上部の恒例行事だ。

 住宅街から少し離れた高台に位置する守本神社の参道には、百二十四段の階段がある。陸上部は筋トレで階段を使わせてもらっているのでそのお礼に、また生徒会は地域貢献活動をということで、合同でお手伝いをしているのだ。女子は巫女服を着ておみくじや甘酒の売り子、男子はお茶を始めとした荷物運び。中学生なので無給のボランティア活動なんだけど、途中で甘酒や柚子茶を飲ませてもらえるから、皆「巫女バイト」って呼んで楽しみにしている。二年生のあたしを含む現役部員だけじゃなくて、東先輩のように引退した三年生も参加する一大イベントだ。

 そういうわけで、あたしは白い小袖に紅い袴を纏って、この三日間、おみくじを扱う白い仮設テントの下でお手伝いをしてきた。今日が一月三日、最終日。

 で、大体毎年、参拝客が減る一月三日の巫女バイト終了間際になると、新学期の学校新聞のネタを仕入れようと、新聞部がカメラ片手に現れる。そしてそれを阻止せんと陸上部が対抗する。ここまでセットで恒例行事みたいなものなのだ。

「いいじゃないですかぁ東先輩、減るものじゃないんですからぁ!」

「やーめーろ初瀬明日香ッ、服にしがみつくな、着付けが崩れる!」

「むー!」

「こら暴れるなっ、……うわっ!」

振り解こうとする東先輩と、どうにか東先輩にすがりつこうとする明日香ちゃんの手が触れた瞬間。ぱちっ、と弾けるような音がここまで届いた。反射的に二人が、お互いから距離をとる。

「おっ……お前なあ、静電気体質なんだから、冬は特に自重しろ!」

「うう、すみません」

 心臓がどきどきしているのか、胸を押さえ、手を遠ざけて東先輩が言う。明日香ちゃんが、静電気の起きた右手をぷらぷらと振ってから、不意に真面目な表情をした。

「でも東先輩、あらゆる障害を乗り越えてこその記者魂だと思いませ……」

 ――本日三回目。静電気対策なのか、今回は甘酒を載せるお盆を手にしての一撃だった。

「まったく」

 うずくまる明日香ちゃんを仁王立ちして見下ろし、東先輩が大きくため息をついて振り返った。視線は隣の、甘酒販売テントへ向かう。

「同い年の伊吹いぶき花折かおりを見習え」

「はい?」

 その、短い返事だけで。

空気が一変する。花が、そこに咲き、舞うのが見えた気すらした。

よく通る、澄んだ可憐な声。振り返り、こちらを向いて微笑みながら小首を傾げた。真っ直ぐで艶やかな黒い髪が、ふわりと広がった後、背中をはらりと流れる。

ぴんと背筋を伸ばし、背が高くくびれのついた身体に巫女服を纏って、大人びた雰囲気。風紀委員長の伊吹さん(甘酒担当)だ。

「私をお呼びですか?」

「いや、お前は本当にオトナだよな、って話」

「そんな」

 東先輩にそう言われ、伊吹さんは顔に微笑みを浮かべたまま手を胸元で小さく振る。

「私は当たり前のことをしているだけですわ」

 あー、美しい……。

 卑下するのではなく、嫌味にもならず、自分を凛と主張するその姿。完璧だ。「ですよねー」って口を半分開けて数回頷くあたしと、本当に同い年なのかな、この人? 成績は学年トップ、大抵のスポーツも軽々とこなし、先生と生徒の満場一致で風紀委員長に選ばれた彼女の実力を今、あたしは目の当たりにした。

 伊吹さんがふと、明日香ちゃんを見た。何かに気づいたかのように、手にしていた甘酒の容器を持ち上げる。

「初瀬さん、今来たばかりよね。甘酒、飲むかしら?」

気配りまでばっちりだった。

「甘酒っ?」

 伊吹さんが甘酒を湯のみに注ぐのを見て、明日香ちゃんがぴょんと立ち上がる。けれど、いざ伊吹さんが湯のみを両手で包んで渡そうとすると、出しかけていた手を引っ込めた。

「あっ……ごめん花折ちゃん、そういえば、わたし甘酒苦手なんだった」

「あら、そうなの?」

「うん、去年飲んだら酔っちゃったの、忘れてた」

「妙なところで繊細だな、お前」

東先輩が肩をすくめた。

 そのとき、野太い声が耳に入ってきた。

「賑やかだなあ、お嬢ちゃんたち」

 下駄に踏まれた砂利が音を立てる。人のいい笑みを浮かべ、守本神社の宮司さんが恰幅のいい身体を揺らしながら近付いてきた。

「す、すみません」

 東先輩を筆頭に、あたしと明日香ちゃん、伊吹さんが身をすくめて謝る。縮こまる巫女服三人と赤いダウンジャケット一人を前に、宮司さんはおおらかに笑った。

「いいさいいさ、楽しそうで何より。……さて」

 そのまま辺りを一通り見回してから、左手の腕時計に視線が向かう。

「そろそろ九時か。参拝客の方も減ってきたし、終わりにしよう。あんまり遅くなっても、親御さんが心配するだろうからね。……おーい! 守本中学校の皆、集まってくれるか!」

 少し離れたところでお守りを売っていた一年生や、お茶の入ったやかんを運んでいた男子たちが、わらわらと集まってきた。

 集まった中学生の数を確認してから、宮司さんがぽん、と両手を叩く。

「さて、守本中学校の皆さん。三日間、忙しかったとは思うけれど、よく頑張ってくれた。ありがとう」

 あたしたちはお互いに顔を見合わせた。ちょっと照れくさくて、笑い声でざわざわする。

「これからもお互いに助け合って、頑張っていきましょう。と、挨拶はこれくらいにして……いや、実は、頑張ってくれた皆さんに、少しプレゼントをしようと思ってね」

「プレゼント?」

 いつの間にかあたしの隣にいた明日香ちゃんが、首をかしげて呟く。明日香ちゃん、すごく自然に溶け込んでるな。

 宮司さんが上半身をひねって後ろを見る。ちょうど、何かを抱えた職員さんが二人、こちらへ来るところだった。

「ああ、来た来た。中学生のボランティアということだから、大したものは渡せないんだけど」

 職員さんが宮司さんを挟んで立つ。抱えたたくさんの何かが、からんからんと音を立てる。

 そのうち一つを手に取り、宮司さんが掲げた。

「この絵馬をね、一人一つずつもらって下さい。ペンも一本ずつ取っていって。願い事を書きましょう」


「のばら、何書く?」

 肩を叩かれて振り返ると、ペンと絵馬を手にした明日香ちゃんが後ろに立っていた。

「うーん、まだ考えてる途中。……っていうか明日香ちゃんも書くの?」

「うん」

 当然だと言うように明日香ちゃんが頷く。溶け込みすぎだ。

 ある種の才能に感嘆交じりのため息をつきかけたとき、突然後ろから延びてきた手があたしの肩を抱えた。

「わっ!?」

「なんだ原のばら、まだ書いていないのか? わたしはもう書いたぞ」

 犯人、東先輩が自慢げに胸を張る。

「陸上部ならこれで決まりだろう。そうだ原、顧問の先生から聞いたぞ。今年の冬、特に階段トレーニングを頑張ったそうじゃないか。それはこのためだろう?」

 東先輩が、力強くわし掴んだ絵馬をあたしの目の前へ突き出した。

 ――「試合でいい成績をとれますように」。

「今月末には市民大会もあるしな。今年もお前は短距離とハードル走に出場か?」

「それはそうですけど、……っていうか東先輩は三年生なんですから、とっくに引退してるじゃないですか」

「甘いな原のばら。真のアスリートなら、いつでもどこでも心は全力で百メートルを駆け抜けているのだ。そもそも……」

「先輩、こういうのって四字熟語で書くものじゃないんですか?」

 百メートル走で県一位だったスプリンター・東先輩の演説に、明日香ちゃんの呑気な声が割り込む。

「……そうなのか?」

 指摘された東先輩が、少し疑わしそうな顔をする。それを見た明日香ちゃんが、あたしの後ろを指差した。

「ほら、花折ちゃんも四字熟語で書いてますし」

 振り返ってみると、伊吹さんが、はらいもはねも完璧な美しい字で「健康祈願」と書き終えたところだった。

「えっ、そ、そうなのか」

 東先輩の声が、若干焦ったようなものに変わる。得意げな顔をして明日香ちゃんが口元にペンの尻を当てる。

「うーん、わたしは何にしようかな」

 しばらく唸った後、

「これにしよっと」

 きゅきゅっ、とペンを走らせて、……丸くて可愛い、癖のある文字で、絵馬の真ん中に大きくお願い事を書いた。「金運上昇」。

 東先輩はしばらく自分と明日香ちゃんの絵馬を見比べていた。そして視線が五往復くらいしたあたりで、「……いや、これでいいか」とすっきりした顔で言った。

「皆、書けたかなー? 書けたらここに結んで吊るすんだよ」

 宮司さんの声が聞こえた。

 う、まずい。のんびりと明日香ちゃんの絵馬を見ていたんだけど、気付けば周りの人はほとんどが絵馬を書き終えていた。もう奉納場所に吊るしている人もいる。

 どうしよう。願い事、かぁ。

 東先輩の手前、あたしも「試合でいい成績をとれますように」のようなことを願っておきたい。それなりに冬休みの練習を頑張ったんだから、今月末の試合でいい記録が出ればいいとは思うし。

 あとは、……考え出せばたくさんある。二学期の成績、特に数学が残念な結果に終わった学生としては、「学業成就」を願っておきたい。試合でいい成績をとるには伊吹さんが書いている「健康祈願」も必要だし、「家内安全」に「交通安全」、……まとまらない。どれを書こう? いっそこの雑多な願い事を全部まとめてくれるような四字熟語はないの!?

「あ、そうだ!」

 あたしはペンのキャップを取った。力を入れて漢字を四文字書く。

 明日香ちゃんが覗きこんできて、あたしが書いたばかりの文字を読み上げた。

「……『世界平和』?」

「うん、まとめたらこんな感じ!」

「なんか壮大だね」

「そ、そう言われればそうかも……」

 確かにちょっと規模が大きすぎた気もするけれど、まあいいや!

 あたしは、明日香ちゃんと伊吹さんに挟まれたところに絵馬を吊るした。書きたての絵馬が揺れる。

「っていうかさあ、のばら、願い事をまとめて言いたいんだったら『心願成就』なんじゃないの?」

「……あ」


 こうして、あたしの年始巫女さんバイトは、多少のミスがありつつも、絵馬を手に入れて終わった、はずだった。



「じゃあね、のばら。また新学期に!」

「うん、またね!」

 手を振りながら走っていく明日香ちゃんの姿が、小さくなっていく。その手はしっかりとデジタル一眼レフカメラを掴んでいた。……絵馬にお願い事を書いた後、ここぞとばかりに巫女服のあたしたちや宮司さん、神社の風景を撮った、データがたっぷり詰まっている。明日香ちゃんの顔は、ここまで遠くなっても分かるくらいほくほくだ。

 住宅街の中の狭い交差点に、あたしは一人残された。

 初めは陸上部の皆と一緒に帰っていたんだけど、あたしの家は守本神社から一番遠いところにある。東先輩と別れ、伊吹さんと別れ、そしてこの交差点で明日香ちゃんと別れてここからはあたし一人で帰る。家に着くまで、あと十五分は歩かなきゃいけない。

 ……早く帰ろう。

 あたしは歩き出した。辺りは暗い。

 この辺りは古くからの住宅街だ。狭くて往来の少ない道の両脇に、瓦屋根の家がぎゅうっと並んで建っている。大抵、あたしの身長と同じくらいの高さのブロック塀が家を囲んでいて、家々の明かりが遠く感じる。電柱につけられた街灯も、ぽつぽつと灯っている程度。

 それに、寒いなあ。

 制服のブレザーの上から、紺色のダッフルコートを羽織っている。通学時のいつもの格好だけど、夜も九時を過ぎたので相当冷える。首元を冷たい風がさらっていった。思わず首をすくめる。洗った後に乾かすのが面倒だからって、髪を切るんじゃなかった。一週間前に美容院で、肩に届かない長さまで髪を切ってしまったことを、今さら後悔する。身体がぶるっと震えた。

 通りかかった家から、家族でテレビでも見ているんだろうか、賑やかそうな声が一瞬だけ聞こえた。でも通り過ぎればすぐに消える。あとはあたしのスニーカーがアスファルトと擦れる音だけ。

 ふと前を見ると、先にある街灯が一つ、暗くなっていた。じじじ、と揺れる街灯は、じわ、じわ、明るくなりかけて、一瞬だけ眩く光を放ち、けれどすぐに黙り込んだ。

 ……。

 あ、怖い。

 意識した瞬間、一気に恐怖が背中を襲った。あああっ、馬鹿、どうして自分から怖さを増幅させてんの、あたし! いやいやいや大丈夫大丈夫ほら家まであと十分だもんこんなの怖くない怖くない怖くない、嫌あああ余計に怖い!!

 考えれば考えるほど、どんどんどつぼにはまっていく。そ、そうだ、走ろう! 筋トレも兼ねて、走って帰ろう!

 あたしは半分ほど泣きそうになりながら、なんとか一歩目を踏み出した。

「――ひっ!?」

 踏み出して、そこで終わった。

 突然、後ろから、冷たい風が吹いた。頭から足までが一気に硬直する。

 冬だから冷たい風が吹くことなんて当たり前なんだけど、そうじゃなくて、動けなくなる、怖いくらいの冷たい風が、

「何、……っ!?」

 音がする。

 風を切るような音がする。遠くから、……上から、近付いてくる!!

 動けなくて視線だけを上に向ける。視界に映る、黒い冬の空。それを遮り、上から、もっと黒い影が、――降りてくる。


「……失礼。お前が今、神社で神の使いをしていた者で間違いないな」

 舞い降りた「彼」は、無表情でそう言った。

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