ずっと傘を探していた。
ひさだひさ
第1話
大切な傘ほどなくしてしまう。
これまでにいったい何本の傘をなくしてきたことか……。
だから、使ったあとにすぐに鞄にしまうことのできる、折りたたみ傘を持つようにしている。
でも昨日は傘を持っていなかった。
急に降り出した雨。ちょっと待てば止むよね、という期待とはうらはら。
どんどん雨は強くなっていく。
ビニール傘を買うにも、近くにお店はない。
でも出かけなければならないから、私は母の傘を借りた。
母に借りるのは嫌だった。
それは、今まで、幾度となく、母の傘をなくしてしまったから。
父が愛用していた傘、祖母の思い出がつまった傘……
いろいろと私は忘れてきている。が、母は決して私を責めない。
怒りはしないが、静かな口調で
「ああ……残念ね、悲しいわね」とだけ言って、もう傘のことにはふれない。
だから私もとくに弁明はしたことがない。
そして、これ以上大切な傘を“奪う”わけにはいかない。
でも出かけなければならないから、私は母の傘を借りた。
長年、丁寧に使われた美しい傘だった。
閉じたときの様子がすっきりとした細身でなんとも品がある。
手にしたとき、「忘れてこないでね」という心の声が聴こえたような気がした。
「そうね、絶対に忘れないよ」と強く思い、家を出た。
用事を済ませている間に雨は上がってしまった。すっかり地面が乾いていた。
「うん大丈夫」
私は母の傘を持っている。そしてそのまま家へと戻った。
玄関の、元にあった場所に傘を収めると、ホッとしてすぐに眠ってしまった。
そして夢の中。
あまりにも「忘れてはいけない」「なくしてはいけない」と思っていたせいか、夢に傘が出ていた。ううん、正確には傘は出てこなかった。
だって私は「傘をどこかに忘れてきた」からだ。
忘れたであろう場所をたどるも、母の傘は見つからなかった。
心当たりはすべて探した。でも見つからない。
どうしよう、どうしよう、どうしようとぐるぐる葛藤するうちに目が覚めた。
「夢か」と気づくのに時間がかかった。
「なんと言ってあやまろう」と台所へ行くと、
母が「昨日は傘、ちゃんと持って帰ってきてくれたのね」と言った。
よかった。なくしてはいなかった。
私は傘が怖い。
だから、これからも、すぐにしまうことのできる折りたたみ傘を使うしかない。
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