第254話 Sister's Smile


 愛奈がトラスティ邸へ戻ると、家臣が並んで帰りを待っていた。


「お帰りなさいませ、アイナお嬢様」


 皆で愛奈を囲み、声を掛ける。

 心配のあまり抱きしめたり、オルノ伯爵達へ怒りを露わにする者。

 無事に帰ってきてほっとする者もいて、たくさんの想いが愛奈に向けられた。

 度が過ぎていると思える状況ではあるが、それでもバルトが家臣を代表して愛奈に伝える。


「前にお伝えしたでしょう? アイナお嬢様のことが、我々は大好きだと」


 大好きだから心配して、相手に怒りを向ける。

 単純だけれど当たり前のことだ。


「ロスカとタクヤさん、リル様がアイナお嬢様のためにご馳走を作ってくれています。どうぞご堪能下さい」


 そう言ってバルトは愛奈を広間へと連れて行く。

 テーブルの上にはたくさんの料理が並べられていて、その前には卓也達が待ち構えていた。


「ロスカさん、たくやおにーちゃん、リルねぇ……」


「アイナ、怪我はなかった?」


 代表してリルが近付く。

 服に汚れなど見当たらないし、フィオナもちゃんと守っただろうと信じてはいる。

 けれど心配しないか、というのは別の話だ。


「だいじょうぶなの。おねーちゃんたちがまもってくれたの」


「それならよかったわ」


 リルは愛奈を軽く抱きしめる。

 そして離れると、次にやって来たのは小さな赤ん坊。

 愛奈が抱っこすると、心配そうに声を掛けてくる。


「あいな、だいよーぶ?」


「うん。あんしんしてほしいの、まーちゃん」


 マリカともハグしてから、愛奈はゆっくりと姪っ子の身体を降ろす。

 その最中にも続々と家臣は広間へとやって来て、最後にエリス達が広間に到着する。

 エリスはテーブルの上を見て、キッチンを覗くと、


「あら? 料理の品数も量も多くないかしら?」


 愛奈のためのご馳走を作ると言っていたが、それにしても色々と多かった。

 すると卓也が周囲の人達を見ながら、


「おばさん。今日はみんなで一緒に食べることにしようと思ったんだけど大丈夫かな?」


 トラスティ家の家臣達も、愛奈のことが心配でたまらなかった。

 なのに食事で離れ離れになるのも可哀想だろうと思った卓也達は、全員で食べることにしようと画策した。

 普通の貴族であればありえないのだが、トラスティ家の人達はそもそも普通ではないので、


「構わないわ。ラナ、他にもテーブルを用意して」


 エリスは即了承して準備をさせる。

 すぐにラナが家政婦達に命令し、テーブルから食器やらが凄まじい勢いで準備された。

 キッチンにあった料理も手際よく渡され、速やかに簡易的な食事会場となる。


「夕飯にはちょっと早いけど、構わないわよね?」


 エリスがマルスに確認を取ると、家長は素直に頷いてグラスを手に取った。

 修やアリー、卓也、家臣達も倣うようにグラスを手に取る。

 そしてタイミングを見計らうと、マルスは全員に語り掛けた。


「今日は色々なことがあった。衝撃的な事実すらアイナにはあった」


 どこの国で召喚され、どのような繋がりがあったのか。

 それが今日、判明した。


「けれど何かが変わったわけではない。私達も家臣である皆も変わらずアイナを愛し、心配するだけだ」


 とはいえ判明した事実があったとしても、変わる必要はない。

 いつも通り、いつものままでいい。


「なぜならそれが、我が家の在り方だからだ」


 血の繋がりだの何だのは愛してから語るべきものだ。

 スタートラインにすら立っていない産みの母親に負けるわけがない。


「そして今、ユウト君が事態の収拾に動いている。なので私達がやるべきことは分かりやすい」


 彼が片付けるのならば、これ以上の不測の事態は存在しない。

 だからマルスが言うべき言葉は簡単だ。


「アイナが傷つかなかったことに目一杯、ほっとして食事を摂るとしよう」



       ◇      ◇



 優斗は王城にて王様へ報告。加えて明日、ゲイル王国へ向かうことを伝える。

 翌日に起こるであろう顛末もある程度、王様と話しながら方向性を決めていると夜も更けていった。

 そのあとトラスティ邸へと帰り、ラナ達から夕刻にあった宴の話を聞いて自室に戻る。


「さて、と。明日の準備をしておかないと」


 一日で帰ってくるつもりなので、そこまで大きな荷物は必要ない。

 あれこれと必要なものを選んでいると、小さなノックがあった。

 少ししてドアが開くと、


「おにーちゃん。きょう、いっしょに寝ていい?」


 そこにいたのは枕を持った愛奈。

 優斗は笑みを浮かべて準備を止めると、


「いいよ。おいで」


 愛奈をベッドに入れてから明かりを消して添い寝するように自分も寝転がる。

 そして隣にいる妹の頭を優しく撫でた。

 くすぐったそうに撫でられている愛奈は嬉しそうに笑いながら、


「さいしょね、おねーちゃんがまもってくれたの」


 今日の出来事を優斗に話し始める。


「アリーおねーちゃんもしゅうにいも、おとーさんもおかーさんもまもってくれたの。かえってきたら、みんながしんぱいしてくれたの」


 愛奈に関わった人達は愛奈のために動き、心配した。


「すっごくうれしかったの」


 抱きしめ続けてくれた姉がいて、颯爽と現れて守ってくれた王女と勇者。

 例え産みの母親がいようとも変わらずに愛することを教えてくれた両親。


「やっと“かぞく”のこと……わかった気がするの」


 血が繋がって入ればいい、というだけじゃない。

 家族となるには何が大切なのかを、皆が教えてくれた。

 けれど優斗は苦笑し、


「そんなことはないよ。愛奈は最初から、家族がどういうものかちゃんと知ってた」


「そうなの?」


 聞き返す愛奈に兄は頷きを返す。


「じゃあ、質問。愛奈はどうして僕のことを『おにーちゃん』って呼んだのかな?」


「えっと……」


「僕が愛奈を助けたから? それとも僕が愛奈より歳上だから?」


 確かに優斗のことを『おにーちゃん』と呼べる状況は揃っていた。

 けれど愛奈が呼んだのは、もっと前のタイミング。


「違うよね。愛奈は最初から僕のことをお兄ちゃんって呼んでた」


 出会った時からずっと『おにーちゃん』だった。


「副長は『騎士のお姉ちゃん』で他にもたくさんの人達がいた。だけど愛奈が単純に『お兄ちゃん』って呼んだのは僕だけ」


 たくさんの歳上の男性がいる中で、唯一の呼び方。


「血は繋がってないし、出会ったばっかり。だけど愛奈は“識ってた”んだよ」


 直感なのか、偶然なのか、何なのかは優斗でも判断できない。

 だけど間違いなく、愛奈は無意識で理解していた。


「愛奈のお兄ちゃんが僕だってことを」


 だから家族がどのようなものか、ということを愛奈は知らずに理解していた。

 なぜなら『おにーちゃん』は、家族であることを知らなければ呼べないのだから。


「そしてお兄ちゃんがどうして、愛奈のことを『妹』だって言ったと思う?」


「どうして……?」


「そうだよ。お兄ちゃんも愛奈のことを大事な大事な『妹』だって言うのは、ちゃんと理由があるんだ」


 今になって思えば、愛奈が天才であるからこそ蜃気楼の如き可能性も一つ思い浮かぶ。

 けれどやっぱり、優斗にとって一番大切な理由はこれだ。


「僕と愛奈は生き方がそっくり。妹だって否応なく思ってしまうくらいに」


「おにーちゃんとあいなは、そっくり?」


「うん。それがお兄ちゃんと愛奈の中にある“繋がり”」


 同じ耐え方をして、同じように生きてきた。

 優斗だからこそ、愛奈の頑張りがどれほどのものかを誰よりも理解できた。


「だから愛奈の名前は二つあるんだ」


「ふたつ?」


「一つは愛奈も知ってる通り、アイナ=アイン=トラスティ。これはトラスティ家の次女として愛奈が持ってる名前」


 今の愛奈にとって一番大切なもの。

 誰に対しても証明できる名前。

 けれどリライトに来てから得た名は他にもある。


「もう一つは異世界人として、愛奈がいつか名乗る時に必要とするものだよ」


 兄の問い掛けに対し、愛奈は少し落ち込んだ表情になって答える。


「……ゆずき……あいな?」


 愛理が柚木であるなら、自分もそうなのだろう。

 愛奈はそう考えたが、兄は妹の頭を優しく撫でながら否定した。


「ううん、違う。愛奈のもう一つの名前はね――」


 ゆっくりとした口調で、優斗ははっきりと伝える。

 リライトの異世界人であるからこそ得た、そして優斗が助けたからこそ得た繋がりを証明する名前。



「“宮川愛奈”」



 誰の妹であるのか。

 たったそれだけ分かっていれば、簡単に出てくる名前。


「みやがわ……あいな?」


 不思議そうに聞き返す愛奈。

 けれど優斗は不思議がってる妹を見て、くすくすと笑う。


「だってお兄ちゃんの妹なんだから、苗字も一緒で当然でしょ?」


 おかしなところ一つない。

 兄妹の苗字が同じなのは当たり前だ。

 例え血が繋がってなくとも、愛奈は優斗の妹なのだから。


「だからトラスティだろうと異世界人だろうと何だろうと、お兄ちゃんはいつだって愛奈のお兄ちゃんなんだよ」


 それが助けた優斗の責任であり、覚悟だ。

 妹だと思い、妹を引き取ると決めたからには、愛奈の兄であることを常に証明し曖昧なことすら許さない。

 それが出来ないのなら、兄になる資格なんてものはない。

 優斗は朗らかに笑うと、再び妹を撫でてから寝る体勢を取った。

 すると愛奈は枕の上にあった頭をちょこちょこと動かし、兄の枕に乗せた。

 そしてふにゃっとした笑顔で、


「おやすみなさい、おにーちゃん」


「うん。おやすみ、愛奈」



       ◇      ◇



 翌朝。

 優斗が遅くなるので泊まっていた修は、事情を知り慌ててやって来たクリスとココとトラスティ邸の広間で朝食を摂っていた。


「まあ、でも、あれだよな。シスコン大魔法士の妹を誘拐しようとするとか、破滅願望ありすぎだろ」


 兄バカの拗らせっぷりは仲間内で一番なのに、産みの母親がいるからといって何とかなると思うほうがおかしい。


「その前にシスコン勇者とシスコン王女が先に出て行っているではありませんか」


「アイちゃんも色んなところで溺愛されてますし、当然の結末といえば当然の結末です」


 とはいえクリスとココは呆れながらも、きっと自分達が現場にいたら同じことになっただろうと考えてしまう。

 朝食を食べながら話していると、嬉しそうな表情の愛奈と優斗が広間に現れた。

 姿を見た瞬間、すぐに分かるぐらいだったので珍しそうにエリスが尋ねる。


「アイナ、ずいぶんと機嫌が良いけどどうしたの?」


 身支度は優斗が整えたのだろう。

 髪の毛もおそらく彼がやったはず。

 けど、それにしては笑顔が満面過ぎでエリスも驚くぐらいだった。


「おかーさん、あのね! あいなのいせかいじんとしてのなまえはね、みやがわあいなって言うの!」


 愛奈はニコニコしながら報告する。

 エリスは義息子へと向き直り、


「ユウトが教えたのね。今は別に必要無いから知らなくて大丈夫……とか言ってたのに」


「どんな時でも愛奈のお兄ちゃんだってことを証明するには、伝えたほうがいいかなと考え直したんですよ」


 今の愛奈が異世界人としての名前を必要とする時なんて、無いほうがいいに決まっている。

 そうならないように優斗もエリス達も気を付けていたのだが、今回でちょっと方針を変えた。

 もちろん愛奈の苗字なんて年長者組と呼ばれるアリー、クリス、卓也などは知っていたことでもあるのだが、


「……はっ!? ちょ、ずりいぞ優斗!」


 あまり小難しいことは考えない修、和泉、ココなどは愛奈に宮川という苗字があることなど気付いてもいなかった。

 なので修は反射的に羨ましさが滲み出た声を出す。


「はっはっはっ。何のことやら」


 これからゲイル王国へ行くので、馬車の中で食べるお弁当をロスカから受け取った優斗は勝ち誇った表情を浮かべた。

 

「僕が助けて、僕が妹だと言ったんだよ。しかもリライトの異世界人にするって言うんだから、苗字だって宮川でいいでしょ」


 ひらひらと手を振りながら、優斗は玄関へと向かう。

 愛奈も見送るために付いていくと、修がエリスに叫んだ。


「おばさん! 今から内田愛奈にならねぇの!?」


「マルスがリライトの異世界人として認める書類にサインしたやつ、『宮川愛奈』になってたから無理ね。というかそれ、タクヤ君も通った道だから。貴方達がミヤガワになるほうが楽よ」


 くつくつとエリスが笑う。

 誰も彼も反応が一緒というか、愛奈のことを溺愛していることが分かる。

 修はエリスの提案にう~ん、と首を捻り、


「それはそれで有りなんだけど、みんなで宮川って呼ばれたら誰が誰かわかんねーんだよな。訂正するのも面倒そうだし、しゃーねーか」


 正直、修はそこまで苗字に拘りは無い。

 卓也も和泉も同様だ。

 ただ単純に手間だの面倒さだのを考えると、別に今のままでいいかと思うだけ。


「まあ、今回は兄貴に花を持たせてやんよ」


 修はパンを頬張りながら納得するように頷き、再びクリス達と話し始める。

 一方で玄関にいる優斗は愛奈の頭を二度、ポンポンと触れた。


「今日は修達と出来るだけ一緒にいるようにね」


 危険はほとんどないに等しいが、昨日の今日だ。

 念のため修達に守らせたほうがいい。


「うんなの」


 こくこくと頷く愛奈に満足して、優斗は扉へ手を掛ける。

 いつも通りの優しい笑顔と、兄に似せようとする笑顔を互いに向けて、


「それじゃ、いってきます」


「いってらっしゃい、おにーちゃん!」


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