第247話 Sister's Cry①
八月半ば。
フィオナは広間のソファーで愛奈に耳かきをしていた。
「こっちはお終いです。あーちゃん、ゴロンして下さいね」
「ごろーん、なの」
姉の太ももを転がって、愛奈は反対に向く。
そして耳の中に耳かきが入っていくと、気持ちよさそうに目を細める。
「くすぐったいの」
「ちょっと我慢してくださいね。すぐに終わりますから」
手際よく耳掃除をしていくフィオナ。
あらかた綺麗になったことを確認すると、梵天を愛奈の耳の中でくるくると回す。
そして完璧だ、と自負したところでフィオナは妹の髪の毛を撫でた。
「はい、綺麗になりました」
「おねーちゃん、ありがとうなの」
「どういたしまして」
フィオナは掃除道具を片付けながら、愛奈に提案する。
「今日はお母様と優斗さんが王城へと行っていますし、まーちゃんはお昼寝中です。なのでお姉ちゃんと一緒に買い物へ行きませんか?」
◇ ◇
どうにもフィオナの他人に対するセンスは、全てファンシーなものに傾くらしい。
なので買い物をする時、対象が優斗の場合はフィオナのセンスなど特に役立たない。
それは親友であり彼と似通っているアリーに駄目出しされるぐらい、酷いことを自身で理解している。
だが愛奈と約束して、苦手なものを治すために頑張っていた。
「あーちゃんの髪を彩るリボンや髪飾りで新しいものが欲しいですね」
フィオナは妹と一緒に、貴族御用達のファンシーショップに足を運んだ。
幾つか見繕い、愛奈の頭に合わせながら選ぶ。
それはピンクの可愛らしい髪飾りであったり赤いリボンではあったが、自分の妹にはよく似合うとフィオナはしみじみ思う。
出会った時には長すぎた髪の毛も、今は肩ぐらいに切り揃えられいる。
うなじ部分で二つにまとめられている髪は、最初に優斗がやった髪型で愛奈一番のお気に入りだ。
それが姉としてはちょっと悔しくて、珍しくフィオナも対抗心が浮かんでくる。
だからリボンや髪留め、髪飾りは姉である自分が選んだ物こそ妹を映えさせるのだと頑張りたかった。
一方で愛奈は嬉しそうにフィオナを眺めている。
姉が一生懸命に選んでいることが、心底嬉しい。
たったそれだけのことが、愛奈にとっては本当に幸せなことだと知っているから。
「やっぱりあーちゃんには明るい赤やピンクのほうが似合いますね。あとは……いっそのこと、白いリボンでもいいかもしれません」
今まではやはり、ピンクや赤などを選んでいた。
もちろん似合うのもあるし、個人的なセンスもあるし他にも重要な理由がある。
しかしいっそのこと、真っ白なリボンはどうだろうかとフィオナは考える。
なので物は試しと、優斗やフィオナと同色の黒の髪色を持つ妹の頭に、白いリボンを当ててみた。
「あっ、これは本当に似合ってますね」
何度も頷きながら満足した様子をフィオナは見せる。
買うことを決定し、次いで店員にも見繕ってもらった。
店員がフィオナの話を聞いて勧めたのは薄紫のリボン。
「こちらもアイナ様の髪の色によく、映えると思います」
もちろん、これも問題なく似合っていた。
しかし色合いとしては地味目で、だから愛奈はフィオナの袖を引いた。
「あーちゃん、どうしました?」
「あのね、これですぐにあいなってわかる?」
質問の意味。
それが何を示すのかフィオナは知っているからこそ、妹に感心してしまう。
――さすがはあーちゃんですね。
内田修と同じ『天才』。
お伽噺の枠に入る勇者の正樹すら平然と越える才能の持ち主は、自分が『守られている』ことさえ気付いている。
「じゃあ、聞いてみましょうか」
「うんなの」
頷いた愛奈は店内を物色している男女のところへ向かうと声を掛ける。
「えっと、これだとね、あいなだってわかりやすい?」
「……えっ?」
話し掛けられた男女は、突然のことに狼狽する。
もちろん見ず知らずの少女が声を掛けてきたから……ではない。
“護衛対象”である少女が声を掛けてきたから。
彼らが受けている命令は『隠密に愛奈を護衛すること』だ。
慌ててフィオナに助けを求める視線を向けると、苦笑が返されるだけ。
愛奈の才能が如何ほどかというのは聞いていたが、それでもバレるとは思っていなかっただけに焦りも大きかった。
「そ、それはですね……」
とはいえバレているどころか『守られている』ことも気付かれてしまったのだから、男性は情けない境地になりながらも愛奈へ素直に頷く。
「もちろんです。そのリボンを付けているアイナ様を我々は瞬時に見つけることができます」
「うん、わかったの」
納得する答えを貰えて、愛奈は薄紫のリボンを買うことにした。
せっかくなので、買った商品をその場で店員が綺麗に付け始める。
その間、少し離れたところにいるフィオナへ護衛していることがバレた片割れの女性が話し掛けた。
「……あの、フィオナ様。アイナ様はいつから気付かれていたのでしょうか」
「おそらく最初からだと思いますよ」
「い、一応、近衛騎士の中でも隠密に長けた者達が選ばれているのですが」
そう。彼女達は近衛騎士の中でも手練れが選ばれている。
幼いながらも、リライトでは重要人物のうちの一人である愛奈。
けれど幸せに暮らしてほしい、という王様の考えがあるので周囲をガチガチに固めるような護衛をしなかった。
自由に、気ままに過ごしてもらうために。
結果、選ばれたのが隠密と護衛に長けた近衛騎士。
彼女達はローテーションを組んで密かに愛奈の護衛をしていた……のだが、普通にバレてしまっていた。
「あーちゃんは本当の意味で『天才』だと呼べる子ですから。幼くも確かな才覚を持っているんです」
気配を察することが出来る。
見ただけで魔法を使うことが出来る。
徹頭徹尾、天才を貫き通せる才能の持ち主。
「なのであーちゃんの場合、普通よりも距離を広げるか隠密に磨きを掛けなければ気付かれてしまいますよ」
「……外にいる時は見失わず、気付かれず、すぐさま守りに行ける限界の距離を取っていると自負していたのですが」
「そこは優斗さんのように言わせてもらえるなら要精進、ということです。護衛対象は幼い普通の令嬢ではなく、異世界人であり破格の才能を持った少女ですから」
相手が普通であれば、それでいい。
けれど普通ではないから気付かれる。
女性騎士は呆けた様子で愛奈の顔を見ると、少し表情を崩して笑みを浮かべた。
「分かりました。これからもたゆまぬ精進とアイナ様の護衛を。そして気付かれないよう、頑張ってやっていきたいと思います」
「はい。よろしくお願いします」
◇ ◇
愛奈は左手に白いリボンを入れた袋を持ち、右手はフィオナの左手と繋がれている。
「おねーちゃん。ありがとうなの」
「いえいえ、お姉ちゃんも楽しかったですよ」
なので感謝したいのはこちらだ、とフィオナは思う。
けれど愛奈は嬉しそうにしながらも、気にしていることがあった。
「でもね、まーちゃんはいいの?」
マリカのことを訊いてくる愛奈。
それはお昼寝中のマリカをラナに任せて買い物に来たが、大丈夫なのだろうか……という問いではない。
自分のことはどうでもいいから、という意味が込められた問い掛けだ。
だからフィオナは力強く頷く。
「確かに私はまーちゃんのママですけど、あーちゃんのお姉ちゃんでもあるんです。だから私にとってあーちゃんとの時間も大切なんです」
だってそうだろう。
大切な娘と、大切な妹。
どちらも間違いなくフィオナの家族だ。
「私はあーちゃんのことが大好きなんですから、今のような質問をしては駄目ですよ?」
意図に気付いたからこそフィオナは窘める。
「……はい、なの」
愛奈は顔を上げて、姉の表情を伺った。
けれどそこに浮かぶのは怒りでも悲しみでもなく、妹に向けた優しい感情。
いっぺんの曇りさえ存在しない想いに、愛奈はフィオナの手を少しだけ強く握った。
「あいなね、おねーちゃんがおねーちゃんでよかったの」
「お姉ちゃんも同じです。あーちゃんが妹で本当に良かったですよ」
血の繋がりはない。
世界さえ別なのだから、純然たる姉妹と呼ぶには値しないかもしれない。
けれど愛奈にとっては関係ない。
今、ここにいる人は自分にとって大好きな――
「……えっ?」
と、愛奈が考えた瞬間だった。
不意に感じた“怖気”に、身体が震えた。
同時、足も止まってしまう。
感じているものに、ぐらりと平衡感覚さえ失ったように思えた。
これは“知らないもの”ではなく“知っているもの”。
愛奈にとって、どうしても忘れられない感覚。
「…………あっ……」
息も突然、乱れた。
全身から体温が全て奪われたかのように、急速に温かさが失われていく。
それはフィオナが妹の異変に気付く、どころの話ではない。
「――っ! あーちゃん、どうしたんですか!?」
一瞬で異常が起こったと判断できるほどに、愛奈の様子が一変した。
身体が震え、瞳からも光が失っている。
「いったい、なにが……!?」
フィオナは愛奈を抱きしめ、慌てて周囲を見回す。
ほんの数秒前まで、普通にしていた。
だというのに何が起因になって愛奈がそうなったのか、判断できない。
即座に思い浮かんだ原因は六将魔法士のジャルだが視界内に存在せず、この瞬間でフィオナが確定できるほどの強烈な違和感は見当たらない。
「けれど“何か”があるはず……っ!」
そう、愛奈の才能は破格。
僅かな気配すら気付いてしまうほどの、類い稀なる天才。
フィオナが分からずとも、愛奈は様々なことに気付いてしまう。
それはある意味、両親や優斗の誤算であるほどに。
愛奈以上に察することが出来る人物がいなかった場合、誰よりも先に気付いてしまうのは愛奈だ。
良い感情も悪い感情も、良い気配も悪い気配も愛奈は気付いてしまう。
家族という幸せを得て、才能を開花させていったからこその弊害。
だから――“今”の愛奈にとっての異物があれば、敏感に感じ取ってしまうのだ。
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