第246話 小話㉕:天下無双、襲来


 クリスが庭で鍛錬をしていると、来客の知らせが届いた。

 その相手の名は先日、自分と戦いたいと言っていた人物。

 おおよそ冗談や嘘を吐くような人物ではないので、本当に来ると思っていたから覚悟はしていた。


「さて、ウチダより話は聞いているだろう?」


「ええ。伺っていますので天下無双が来られた理由は分かるからいいのですが……」


 守衛門まで迎えにいったクリスだが、天下無双がすでにほくほく顔でいた。

 そしておそらく理由は隣に立っている彼女だろう。


「なぜキリアさんがすでにボロボロなのでしょうか?」


 クリスが天下無双の隣を見れば、なぜか戦い終わったかのような出で立ちのキリアがいた。


「なに、レグルのところへ行く途中にミヤガワの弟子と偶然会ってな。お主とやる前に一戦しただけのことだ」


 天下無双が話し掛けたところ、キリアが勝負を挑んだらしい。

 ボロボロの姿である少女は不機嫌そうな表情でクリスに先の戦闘を伝える。


「精霊剣も劣化版虚月も余裕で防がれたのよ。やんなっちゃうわよね」


 挑むからには勝つつもりでいたし、勝てなかったからこそ悔しい。

 正直言って、天下無双だろうと負けたことが腹立たしいこと、この上ない。

 けれどクリスは彼女の話を聞いて、軽く耳を疑った。


「……すみません。一つ質問なのですが、精霊剣はまだしも“あれ”をどうやって防いだのでしょうか?」


「上級魔法を三発当てれば簡単に防ぐことができる」


 簡単に言うが、簡単にできることではないとクリスはしみじみと思う。

 紛れもなく神話魔法虚月の劣化版であり、部類としては最上級魔法に近い代物だ。

 ある程度のものを消滅させれば消えるとはいえ、ほぼ初見で防ぐなど理解できない。


「いやはや、満足させてもらった。さすがは大魔法士の弟子、戦い方が他と違う特徴があって非常に面白かった」


 未だ強者には入らない。

 けれど強さを望み天下無双にすら勝とうとする少女との戦いは、老いた身には清涼な感慨を抱かせる。


「やはり未来ある若人と戦うのは胸が躍る」


 天下無双はそう言って、クリスに爛々とした視線を向けた。



      ◇      ◇



 レグル邸の庭にて剣を抜く二人の姿。


「全力で来い」


「言われるまでもなく、そのつもりです」


 クリスは細剣を構え、一呼吸。

 次の瞬間、天下無双でさえ見惚れる突きを繰り出した。


「良い突きだ、レグルよ」


 美しい所作に感嘆の意を述べながら、天下無双は無造作に剣を振るって細剣を払う。

 だが払った瞬間には細剣は跳ね上がるように斜め上へと駆け上がり、首を狙った。

 しかしそれさえも天下無双は想定内と言わんばかりに握っている柄の余った部分で受け止める。

 そしてお返しとばかりに下から上へと斬り上げられた斬撃から、一気に天下無双の攻勢が始まった。

 剣士よりも強く振り抜き、騎士よりも無駄なく振り下げ、どの戦士よりも相手の挙動を制するような剣の軌道。

 けれどクリスは天下無双の剣戟全てを防ぐ。

 いなし、躱し、相対し、軌道を変え、傷一つ負わないほどに防ぎきる。

 その姿に天下無双は内心で、さらにクリスを褒め称えていた。


 ――おおよそ公爵家の長子とは思えない逸材だ。


 徹底された基本による緻密な剣戟。


 ――細緻……いや、最緻を求める者と呼ぶべきか。


 格別した剣技の精度に、卓越した技量。

 国が国であれば兵士団長や騎士団長にもなれるほどの逸材だ。


 ――しかし、まだ足りていないことは本人が実感しているだろう。


 クリスが求めているのは極み。

 基本から応用に進むのではなく、基本を極める。

 応用や奇襲を基本で凌駕すること。


 ――さて、このままだとレグルはジリ貧で追い込まれるが……。


 考えながらであろうと、実質的な剣技は天下無双が圧倒的に上。

 間隙を与えていないのだから、反撃する猶予も存在しない。

 このまま続ければクリスの敗北は必至。

 と、その時だった。

 仕切り直しとばかりにクリスが距離を取る。

 同時、天下無双が破顔した。


「なるほど。やはり見た目に似合わず、肝が据わっている」


 目の前にいる少年は地面に細剣を刺し、与えたるは二つの上級魔法。

 クリスト=ファー=レグルが編み出したオリジナルの魔法剣――火雷。


「“通す”つもりか、レグル」


 問い掛けに対し、クリスは首肯する。


「天下無双。貴方ほどの実力者に隙があるとは思えません。ですが――」


 このままでは勝てない。

 隙がないのであれば、やることは唯一。


「僅か一点だろうと作り出し――通します」


 正確無比を目指す剣戟を用いて、必ずや倒してみせる。

 さらに真剣味を増すクリスの表情とは逆に、天下無双は歯を見せるほどに笑いを抑えられない。


「隙を作り出そうとし、その一点を貫こうとする意気や良し」


 基本に不意打ちは存在しない。

 であれば天下無双に勝つ唯一の手段は隙を作りだし、逃さずに通すこと。

 それ以外の解答はない。


「参ります!」


「来い、レグル!」


 クリスの身体が霞み、いきなり天下無双の右に現れる。

 だというのにも関わらず、クリスに先制の機は与えられなかった。

 細剣を横薙ぎするよりも早く、天下無双の剣がクリスの胸元目掛けて薙がれる。

 それを受け、クリスは二歩下がった。

 同時、下がった反動を左足に溜め、細剣を左脇に置く。


「はあっ!!」


 気合いを込め、溜めた力を反動にして横薙ぎに振るう。

 細剣が届く範囲ではなかろうと関係ない。

 細剣に付与した炎と雷が天下無双目掛けて迸る。


「まだ温いぞ!!」


 しかし天下無双はそれさえも斬り散らせた。

 剣を扱う者としても一流であることを見せつける所行ではあるが、


「いえ、これを待っていました」


 それこそクリスが狙ったこと。

 同じく剣を振るったのにも関わらず、コンマ数秒の遅れが天下無双にはある。

 その遅れは薙いだ細剣を次の攻撃へ準備させるには“十分過ぎる”。

 引き絞られた右腕と同時に、下がった二歩分の距離を一投足で潰す。

 そして胴体の中心部を狙って放たれるは突き。

 剣による防御は出来ず、躱すことも出来ないタイミングで行った“壁を越えし者”による最高の攻撃。

 だからこそ、


「これはウチダがやったことだ」


 “御伽噺”であった者――現状ですら“壁を越えし者”の最高峰にいる天下無双には通用しない。

 クリスが細剣を突き出した瞬間、躱すこともせずに左の拳を握りしめる。

 そして本当に簡易な防御魔法を拳に纏わせると、


「フンッ!!」


 上から下へ、拳を細剣の平に目掛けて思い切り叩き付ける。

 単純明快ではあっても叩き付けた威力たるや、クリスの手から柄が離れてしまうほど。


「――っ!」


 右手に伝わった衝撃と痺れ、さらには地面に転がる細剣の音を聞いて反射的に飛び退くクリス。

 一方で天下無双は己の左手を見つめながら、若干呆れたような声を吐き出した。


「なるほど。試しにやってみたものの、実戦ではあまり多用したくない技術ではあるな。ウチダはよく平然とやるものだ」


 確かに奇を衒うには最高であり、近接戦闘を主とするのであれば会得するのも有りだろう。

 だが端的に言って紙一重過ぎる。

 僅かでも角度が狂えば成功しない上に、タイミングもズレを許されていない。


「さて、レグルは……」


 天下無双が視線を向けると、距離を取ったクリスが右手を前に翳している。

 彼が使う魔法は間違いなく火の最上級魔法。


「なるほど」


 同じように天下無双も左手を前へと翳す。

 そして、


「「求めるは連なる火神――」」


 同時に響いた詠唱にクリスは耳を疑った。

 このタイミングで神話魔法の詠唱はないと踏んだが、それでも想定外の詠唱。

 けれど疑問があろうと詠むことを止めることは悪手にしかならない。


「……っ!」


 だからこそ二人の前に浮かぶ魔法陣は同じく二つずつであり、


「「――灼炎の破壊」」


 重なり合った魔法陣から違わず同じ魔法であり、違わず同系統の巨大な炎が放たれた。

 だが大きさも威力も弱いのは……クリスが放った魔法。


「……っ、こちらが弱い!」


 炎同士がぶつかり合った瞬間、撃ち負けていることを察したクリスはすぐに離脱。

 直後、クリスが立っていた場所に相殺しきれなかった炎が到達する。

 けれど上回る威力の最上級魔法を放った天下無双は、さして態度を変えることもなく淡々とクリスに告げた。


「儂が最も得意とする属性は火。それを闘技大会で見せたというのに、使われないとでも思うたか」


 この世界――天の下では誰もが敵わぬと謳われた男が、神話に至っていない得意属性の魔法を使えないわけがない。


「そして餞別だ、レグルよ」


 突き出された左手はそのまま、さらに詠唱を詠む。


「求めるは“連なる雷神”――」


 クリスは耳に届いた詠唱と浮かぶ二つの魔法陣に目を見開き、即座に再度回避行動を取る……が、


「――纏雷の慟哭」


 天下無双はクリスの右後方に避けようとした初動さえ読み切る。

 重ね合わさった魔法陣から生まれた巨大な雷群は、コンマ数秒後にクリスが到達したであろう場所に甲高い音を響かせながら落ちる。

 決して当たらないように注意されて放たれた魔法に、天下無双は満足そうな笑みを。クリスは苦笑いを浮かべた。


「さて、どうだ?」


「はい。自分の負けです」



      ◇      ◇



「ご指導、ありがとうございました」


 クリスは頭を下げる。

 逆に天下無双は満面過ぎる笑みだったので、大層満足したことだけはクリスにもキリアにも分かった。


「儂が魔法剣による攻撃を切り裂くことさえ織り込み済みであったとは、恐れ入ったぞレグル。そして決め手として用いられる魔法剣で隙を作ろうとするなど、儂とて勘違いした」


「それで通ればよかったのですが、細剣を手放す大失態を犯してしまいました」


 剣をぶん殴られるなど初の体験だ。

 だからこそ対応が思い浮かばず、衝撃で手放してしまうことになった。


「いや、なに。老いた身で力は衰えているのでな。技術を用いらせてもらった」


 あそこまでシビアな技術だとは思っていなかったが、それもクリスが相手だったからであろう。


「筋力という意味でも、まだまだご健在だと思いますが」


「昔なら叩き折る自信があったのだが、折れなかった。であるからして筋力の衰えは隠せぬよ」


 中々に理解しがたいことを言われたが、先ほどの戦いでそれ以上に理解できないことがあったので、クリスはそっちを天下無双に訊く。


「しかし天下無双は先ほどの詠唱をどこで知ったのですか? 自分はかなり単語を探したのですが」


 火の最上級魔法の詠唱はかなり探した。

 似通った詠唱になるとは思っていたが、それでも大変だったのをクリスは覚えている。

 けれど天下無双はあっけらかんと言ってのけた。


「神話に至らぬのであれば、詠唱は無意識に浮かんでくるものだ。それが使い手の域にまで達していればの話だがな。故にレグルが捻出した詠唱も、正確には到達したからこそのものであろうよ」


「あ~、そういえば先輩もそんなこと言ってたわ。わたしの劣化版虚月の詠唱も、そこまで苦労したとは聞いてないし」


 色々と独自詠唱から連想して探したりはしたらしいが、結局は『求めるは――』に落ち着いたと聞いている。

 天下無双はキリアに頷きながら、今度はこちらからクリスに問い掛けた。


「レグル。お前の基本と正確性に対する拘りはどこから来ている?」


 どこまでも貫きたいと思うほどの想い。

 強くなる為に応用に走ることさえしないのは、なぜなのだろうか。


「性に合っている。ただそれだけなのだと思います」


 けれどクリスはさして考えることもなく、素直に答えた。

 何千何万も繰り返し続けること。

 そして繰り返すほどに成長していくことが楽しいのだろう、と。

 その想いを誰よりも強く抱いているから。


「基本に忠実で正確な剣技。その一点に関して、自分は誰であろうと譲るつもりはありません」


 それが例え、大魔法士や始まりの勇者であろうと。

 譲るつもりは一切ない。


「なるほど。であるからこその“壁を越えし者”か」


 才能に加え、譲れない想いがあるからこその実力。

 天下無双が納得するように頷いた。

 次いでキリアにも問い掛ける。


「してフィオーレよ。食い入るように儂らの戦いを見ていたが、参考になったか?」


 ただ単に勝負を見ているだけ、というわけではなかった。

 まるで睨み殺すように勝負を見ていた彼女は一体、何を思っていたのかが気になる。


「参考っていうか、今のわたしが勝つ為には情報が必要だもの。天下無双もクリス先輩もね」


 キリアはクリスとは違い、強くなる為に必要なものは何だって欲する。

 それが宮川優斗の系譜にいる大魔法士の弟子――キリア・フィオーレの根底だ。


「くっくっくっ。この儂に啖呵を切るとは、やはりミヤガワの弟子だけあって度胸がいい」


 だからこそ天下無双は再び破顔する。

 自分の二つ名を知って尚、勝利を掴もうとする若人二人に格別の喜びを覚えてしまう。

 そして喜んでしまうからこそ、思考の着地点は目下一番の重要課題になる。


「やはりリーリアの相手とするは、主らのような者が好ましい。フィオーレが女であることが本当に悔やまれるな。リーリアの両親も儂に任せているとはいえ、嫁き遅れとなってしまっては儂のダメージが大きい」


 とはいっても、このような若人はそうそういるものではないから困る。

 う~ん、と唸って天下無双は二人に尋ねた。


「誰か良い者はいないだろうか?」


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