第224話 lost brave:それは「救い」とは呼ばず

 

 いつからだろうか。

 エクトには聞こえなくなっていた『声』がある。

 

 “勇者で在れ”

 

 まるで囁くように心に突き刺さる。

 自分は勇者で在らねばならない、と。

 ずっと言われるがままに動いてきた。

 そして動いて、動いて、動いていると……いつの間にか『声』は聞こえなくなっていた。

 故に『トラストの勇者』である自分の成すべき事を――『世界を平和にする』という大義の為に動いた。

 だから『世界の平和』の為の障害は全て取り除く。

『世界の平和』の為に動いている自分が唯一正しく、障害となる発言や行動は全て正しくない。

 周囲の人間は自分に付いてきた。

『完璧なる者』だと賞賛し、『聖なる勇者』だと崇拝してきた。

 そのことに関して良い気分であったのは間違いない。

 偽りざる“自分自身の感情”だ。

 そして『世界の平和』をどう捉えたのかは、紛うことなく自分の思想だ。

 

 だから他の勇者と相容れなかった。

 だから……リライトの勇者と王女は自分に立ちはだかった。

 

 力と言葉、両方が通用しなかった。

 自分とセシルは何もかもが駄目だった。

 反論する術を持っていなかった。

 けれど『世界の平和』の為には、彼らの考えは不要。

 だから言うことを聞かせる為にどうするのかを考え、まずは話し合いの場に連れ出す必要があった。

 なので一番連れ出すのに容易なヴィクトスを最初に選び、そして一人だけでも連れてくればいい。

 それだけで『世界の平和』の為に言うことを聞かせられるはず……だった。

 けれど失敗に終わった。

 いや、それだけならマシだろう。

 最終的には完全に蚊帳の外だ。

 誰も彼も自分達のことを見ていなかった。

 自分達の背後にあるものを見ていた。

『完全なる者』にして『聖なる勇者』と呼ばれた自分は、誰からも相手にされなかった。

 

「…………」

 

 エクトはゆっくりと目を開けながら、今日起きた出来事も含めて思い返す。

 

「おや? 目が覚めていたのかい」

 

 すると声を掛ける老人がいた。

 

「私はこの国を去る前に君の様子を窺いに来ただけなのだけれど、調子はどうかな? 未だ思考が正常に働かないのであれば、ゆっくり養生するべきだ」

 

「……タングスの勇者」

 

 エクトは横たわる身体そのままに、視線だけを源に向ける。

 自分が『死ね』と言い続けた勇者は、柔らかな様子でエクトの体調を気に掛けてくれた。

 けれど自分は今、どうするべきなのかが何も分からない。

 

「俺は……どうすればいい」

 

 あれほど確固たるものとしてあった『勇者で在れ』という言葉は、ぽっかりと穴が空いたように抜け落ちていた。

 今の自分は何者なのか、理解ができなかった。

 源はエクトの言葉を受けて、素直に思うことを伝える。

 

「大魔法士とフィンドの勇者に、原因となった魔法について聞いたよ。君の身を苛ませることとなった魔法に欠陥があったことも、君が勇者として在る為に持った思想が決して魔法の影響ではないこともね」

 

 つまるところ魔法の影響で『世界を救う』が『支配する』に変わることはない。

 それはあくまでエクトの考えが異常だったということ。

 

「別に辞めてもいいだろうし、どうしてもいいと思うよ。大魔法士と賭けて負けたことを理由に勇者を辞めたって誰も文句は言わないはずだ」

 

 優斗の賭けは生きている。

 ということは、それを理由に『トラストの勇者』を辞めたところで文句は言えない。

 

「君はどうしたいんだい?」

 

「…………」

 

「勇者を続けたいのかな?」

 

「……分からない」

 

「謝りたいのかな?」

 

「……分からない」

 

「だとしたら全部投げ捨てても構わないよ」

 

 何も判断できないのであれば、何もかもを放り出してもいい。

 

「甘いことを言ってしまえば、君に不備はない。神話魔法によって傀儡の身になっていたのだから」

 

「違うっ!」

 

 けれど源の言葉にエクトは首を振る。

 

「……あれは……俺だ」

 

 少なくとも『世界の平和』というものをどう捉えていたのか。

 その為にどのような行動を取ったのか。

 それは全て自分がやったこと。

 

「俺がやったことだ……っ!」

 

 皆と相容れないから、他の奴らが分かっていないのではない。

 皆と相容れないということは、自分がおかしかったということ。

 自分が示す『世界の平和』というものは、確実に皆と違っていたということ。

 

「だから分からないんだ。俺はどうしたいのか……分からない」

 

 心の芯となっていたものが根こそぎ無くなった。

 自分が何者なのか、自分は何なのか、自分は何をすればいいのか、何一つ答えが出ない。

 けれど源は柔らかな口調のまま、エクトに声を掛ける。

 

「だとしたら一番最初を思い出せばいいのではないかな? 異世界人の勇者とは違う君にはあるはずだよ。幼い頃、いずれ勇者になると言われた時にどう思ったのか。君は覚えてるかい?」

 

 エクトは源に問われ、もう朧気しか残っていない過去の記憶を遡る。

 一番最初、勇者になってくれと言われた時のことを。

 

「嬉しい……と思ったはずだ。どれほど苦しくても、どれほど辛くても、この力があったから俺は勇者になれる。だから嬉しかったはずなのに……今の俺はあまりにも勇者と掛け離れている」

 

 けれど自分の行動は勇者と掛け離れている。

 自分が望んだ勇者に自分はなっていない。

 

「……やっぱり俺は勇者に相応しくないんだろう」

 

「そうだろうか? 私は勇者が間違えて選ばれるとは思っていないんだよ」

 

 清廉潔白な人間だけが勇者に選ばれると源は思っていない。

 一つの罪も犯していない人間だけが勇者に選ばれるとも思っていない。

 

「人によっては君を許すな、と。犯した罪を償わせる為に断罪しろと言うかもしれない。間違いを犯した者は、それだけで不穏分子なのだから」

 

 しかしその考えはあまりに潔癖だ。

 聖者しか認めない思想でしかない。

 

「だけど私は甘くていいし、生温くて構わないと思っているんだよ。間違いを犯したからといって全てが君のせいではないというのに、手を伸ばさないのは可哀想じゃないかな」

 

 源は誰よりも長く勇者をしてきたからこそ、そう思っている。

 

「だから君さえよければ、少しの間でも私の下へ来ないか? 私が今まで勇者として生きてきた全てを君に教えよう」

 

 勇者とはどのような存在なのか。

 どのような人間なのか。

 どのように生きていくのか。

 人それぞれの勇者がある中で、誰よりも長く勇者をやってきた自分の生き様を知って、何かを感じ取ってくれればいい。

 

「そして君が救うんだ。この国を」

 

 全てはこれからだ。

 過ちを犯し、今まで築き上げてきたものは壊れた。

 だからといって、再び築けないわけではない。

 

「今度こそ見合えばいいんだよ。『聖なる勇者』と呼ばれ、『完璧なる者』と呼ばれた君に」

 

 しかしそれが救いかと問われれば、確実に否となる。

 

「けれど決して君にとって救いとは呼ばない。苦痛の道を強いることになる。それを背負うのかどうかは、君の意思次第だよ」

 

 素直に勇者を辞めたほうが楽だろう。

 何も考えずに放棄したほうが痛みはないだろう。

 けれど源は『そうしたいのか?』と問い掛ける。

 勇者として選ばれたのであれば、彼にも勇者として大切な魂があると思っているから。

 だから、

 

「……少し、考えさせてくれ」

 

 エクトの返事に源は笑みを浮かべると、部屋から出た。

 そして横を見て壁に寄り掛かっている修に声を掛ける。

 

「甘すぎる、とリライトの勇者は思うかな?」

 

「いいや、そんなこと思わねーよ」

 

 修は背で壁を押し、真っ直ぐに立つ。

 

「それに源ジイも言ってたろ。決して救いなんかじゃない、って」

 

 エクトが原因ではあるが、エクトだけが原因ではないことを背負えと言った。

 ただの謝罪だけで済まないのは分かりきっていることを。

 だから救いとは口が裂けても呼べない。

 

「なあ。一つ訊いていいか?」

 

 修は源と一緒に歩き始めるついでに気に掛かっていたことを尋ねる。

 

「タングスの勇者の意は何だ?」

 

 国を守る。

 他者を救う。

 国それぞれに勇者の意はあるが、源の今までの対応を聞いている限りではどちらも違う。

 どうしてエクトの言葉に耳を傾けていたのか。

 どうしてエクトの思想の間違いに対して、初めて否定したのか。

 その答えに辿り着くのは一つだけだった。

 源は柔らかな表情で修が予想した通りの答えを口にする。

 

「世界を平和にする、だよ」

 

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