第217話 all brave:加害者と被害者

 

 

 優しかった父と母が、ある日を境にして変わった。

 苛立ち、怒鳴り、怯えていた。

 日に日に酷くなっていき、優希にも隠せないようになってきた。

 彼女自身、近所の視線が向く度に首を捻る。

 好奇心と興味と蔑みと哀れみ。

 全てが込められていたが、幼い優希が視線の意味にまで気付くことはなかった。

 それから少ししてのこと。

 

 両親が自殺した。

 

 優希が小学校に行っている間に、首を吊ったらしい。

 遺体を見てはいないけど、自分の机の上に遺書があった。

 遺書に書いてあった全文を優希は覚えていない。

 引き取ってくれた遠縁の老夫婦に見られた際、奪われたから。

 けれど確かに綴られてあったのは、宮川優斗への恨みと怒り。

 言葉は理解できずとも、文字の形から届く激しい憎悪。

 

 だから分かったのだ。

 両親は宮川優斗の所為で死んだ。

 いや、殺された。

 故に当時、6歳の少女は怒りと憎しみを抱き彼を呪った。

 

 

 

 

 そして五年生の冬休み。

 宮川優斗が死んだ。

 バスが爆発し、亡くなったらしい。

 ニュースが大きく報道され、死亡者の一覧に彼の名前があった時は歓喜した。

 何年経とうとも忘れるはずがない。

 忘れるわけがない。

 同姓同名だとしても構わない。

 ざまあみろ、と思った。

 天誅が下った、と思った。

 死んで当たり前だ、と思った。

 自分の両親を殺しておいて、何をのうのうと生きているのだ、と。

 爽快感さえ覚えた。

 

 

 ――けれど。

 

 

 未だ事件が取り上げられている最中。

 引き取ってくれた遠縁の老夫婦が夜中、話していることを聞いてしまった。

 眠い眼を擦り、声を掛けようとした時に。

 

『優希の両親がしたように、また誰かに狙われたのか?』と。

 

 出るはずの音が消え、息が止まった。

 全身が凍り、体温が全て奪われたように感じた。

 何の話なのか、この二人は何を言っているのか、理解するのを拒みたかった。

 

 しかし自分は確かに聞いた。

 また誰かに狙われたのか? と。

 そして、彼を狙った相手に両親がいたことを。

 

「……っ」

 

 天海優希という少女は、現実を見ないフリなど出来ない少女だった。

 単純に恨んで憎めばいい、と思えるような子でもなかった。

 気持ちそのままに反論すればいい、という子でもなかった。

 紛うことなく、自分を育ててくれている二人が真剣な面持ちで話していることだ。

 問答無用で否定するのは無理だった。

 

 だから引っ掛かったからには知らなければならない。

 今まで自分が知ろうともしなかった理由。

 宮川優斗が――両親を殺すに至った理由を。

 

 

 

 

 そして優希は探した。

 優斗に関わりがあった者や、親交があった者達を。

 彼が通っていた高校や中学を中心に話を聞き続けた。

 すると幸いにも彼の“後輩”に会うことが出来た。

 他の知り合いよりも深く事情を知っていた後輩は、優希に有益な情報をもたらしてくれた。

 宮川優斗が住んでいた住所を。

 そこは今、後見人が管理しているということも。

 

 

 

 

 

 

 “青下”という紳士然とした男性は優希が尋ねてくると、普通に迎え入れてくれた。

 客間に通して紅茶を用意し、彼女の前に置く。

 

「随分と大きくなりましたね」

 

「……っ、覚えて……いるのですか?」

 

「ええ。優斗さんが初めて無関係な人間に対する配慮をしなかったので」

 

 青下は表情を一切変えずに事実を話し始める。

 

「あの老夫婦を探すのには私も骨が折れました。なにせ、優斗さんの親族はあらかた片付けていたので。しかも貴女に被害が及ばない場所となると、唯一の場所と言ってもいいでしょう」

 

 近所だと優希の両親の行動は知られている。

 関係者も同様だ。

 だから全く関係なく、尚且つ引き取れる人物を選ぶのは骨が折れた。

 

「……だとしたら、やっぱり宮川優斗がわたしの両親を…………」

 

「その通りです。優斗さんから天海夫妻を『自殺』させるよう、私が話を受けました」

 

 淡々と事実を告げる。

 優希の両手が握り込まれた。

 けれど決して感情的にはならないように、ぐっと堪える。

 

「……なぜ、宮川優斗はわたしの両親を殺したのですか?」

 

「貴女が知る意味はあるのでしょうか?」

 

「……わたしは真実が知りたいのです」

 

 ただ単純に恨んでいたい。

 憎むだけでいたい。

 けれど、今はそれが純粋に出来ない。

 引っ掛かるものを知ってしまったからこそ、取り除かなければならない。

 

「どうして宮川優斗がわたしの両親を殺さなければならなかったのか。わたしは知る必要があるのです」

 

 青下に対して、真っ直ぐに言う。

 彼は一切表情を変えないまま、

 

「分かりました」

 

 機械のように頷いた。

 そして立ち上がり、棚から“とあるファイル”とレコーダーを持ってきて、机の上に置いた。

 

「私は彼が死んだとは思いませんが、それでも書類上は死んでいます。ならば死人に口なし、知りたいのであれば止めは致しません。貴女の感情全てを覆されることになる覚悟があるのなら、それもよいでしょう」

 

 青下はレコーダーの再生ボタンを押す。

 何が始まるのかと訝しんだ優希だが、すぐに察する。

 酷いノイズが聞こえたあと、乾いた銃声のような音。

 

『“あの子”が上にいるのに、何を考えている?』

 

 続いて声が聞こえた。

 かなり険が含まれている声音のあと、優希は息を呑む。

 聞こえてくるのは暴言。

 

「…………そんな……」

 

 思わず声が漏れる。

 レコーダーから再生されているのは、忘れるはずがない人々の暴言だった。

 

「……うそ…………なのですよ……」

 

 否定したいと思った。

 けれど出来ない。

 だって聞いてしまった。

 たくさんの罵詈雑言に含まれて、

 

『せっかくお前を脅して、優希を“使って”呼び寄せたのにふざけるなっ!!』

 

 父が自分を道具扱いする台詞を。

 再び発砲音が響いたところで、青下はレコーダーを止める。

 

「ご理解しましたか? 貴女の両親は金の為に優斗さんを殺そうとした。だから優斗さんは殺した。そういうことです」

 

「……っ! だ、だとしたら、だとしたらですよ! もし、わたしの両親が宮川優斗を殺そうとしなかったら…………っ!」

 

「今も生きていた可能性は多いにあります。当然のことでしょう? 優斗さんの敵とならなかったのだから」

 

 敵になったから殺した。

 単純にそれだけのことだ。

 

「……だ、だとしても、どうして殺したのですか!?」

 

「これはまた奇異なことを問い掛けますね。殺しに来たのだから、殺されて当然でしょう?」

 

 やられたから、やり返す。

 どこにでもある応酬だ。

 

「それとも自分の両親が優斗さんを殺すのは構わないけれど、優斗さんが殺し返すのは駄目だと?」

 

「別に殺さなくてもよかったっ! そうではないのですか!?」

 

 人を殺すのは悪いことだ。

 当たり前で、単純なことを振りかざす。

 だから例え殺されそうになったのだとしても、殺していいなんてことはない。

 

「話になりません」

 

 けれど青下は意に止めない。

 もし優斗が一般論に従っていたのならば、だ。

 

「貴女の言葉は優斗さんに『死ね』と言っている。加えて貴女の両親に優斗さんを――何の非もない少年を『殺せ』と言っているようなものです」

 

 そう、彼が生温さを持っていたのなら、すでに死んでいただろう。

 一般論を振りかざして生きていられるなら、宮川優斗は“あんな風になっていない”。

 

「騒動の発端は貴女の両親です。殺される原因も貴女の両親です。なのに優斗さんだけが悪い、という論調には賛同致しかねますね」

 

 だから一般論を正論で返す。

 

「優斗さんは殺人鬼ではありません。始まりがなければ、結果は生まれない。誰かが殺そうとしなければ、殺すことはありません。つまり、貴女の両親がどういった人物であったか理解できますか?」

 

 単刀直入、簡潔明快に。

 紛う事なき真実を青下は告げる。

 

「貴女の両親は金が目当てで人を殺そうとする下衆です」

 

 過去は揺るがない。

 莫大な財産を持っている優斗を引き受け殺して、自分達の物にしようとした。

 これは確定していて、優斗には一切非がない。

 

「…………っ」

 

 優希は……反論できなかった。

 反論できる要素を見出せなかった。

 感情は否定していても、過去が否定させてくれない。

 

「そして真実を知りたいと言うのであれば、もう二つ教えましょう」

 

 青下は彼女の言葉を汲むからこそ、全てを伝える。

 それが例え優希にとって、酷いことになろうとも止めることはない。

 

「貴女の悲しみなど、優斗さんが直面した惨劇の欠片程度にしか過ぎない」

 

「……かけ……ら?」

 

 思わず優希の身体が震えた。

 馬鹿にしている。

 どうしようもなく侮辱している。

 

「ふざないでほしいのですよ!! 親が殺されたわたしの感情を、どうして欠片だと断言できるのですか!!」

 

「では、親を目の前で肉片とされた優斗さんに対して言えますか?」

 

 けれど青下は冷静そのもの。

 個人的感情の強さではなく、現実の悲惨さを以て二つの対象を見比べる。

 

「切り刻まれ、臓器を引きずり出され、それすらも分割される。優斗さんは目の前で目撃しましたよ、親の死に様というものを。しかも、その親にも物心つく前から道具として扱われ、死にかけたことなど両手でも収まらない」

 

「……な、なにを……言っているのですか……?」

 

 彼の過去など興味はない。

 どんな人間であろうとも、関係ない。

 そう言いたくて……優希は言えなかった。

 

「人ではなく人形だ、と本人は仰っていました。優希さんもご存じでしょう? 何の感情も見せなかった優斗さんを」

 

 問い掛けに対して、優希は思い出す。

 全く無表情だった優斗のことを。

 あの時は性格だと思っていた。

 けれど実際は違う。

 ただ単純に、彼は笑うという感情を持っていないだけだった。

 

「加えて莫大な遺産があるからと、親族や親の知人から命を狙われる。誰も助けることはなかった。終盤こそ落ち着いて対処できましたが、最初の頃は何度も大怪我を負っています。貴女の両親にも手首と肋骨を折られ、頭部も裂傷しました」

 

 青下はファイルを開き、中に挟まれている多数の書類の中からカルテを見せる。

 当時――優斗が負った怪我の詳細が記されているものを。

 両親が行った優斗への殺人未遂の結果を。

 

「…………こ、これを…………本当に、わたしの両親が……?」

 

「ええ。間違いありません。貴女も先ほど音声を聞いたでしょう? 特に酷いのが、拳銃という“人を当然のように殺せる武器”を、貴女の両親は優斗さんに向けた。もちろん、それが手元に渡ったのは我々のミスと言えるでしょう」

 

 我先に全ての財産を手に入れる、という人間ばかりではなかった。

 例えば――協力し、手に入れた莫大な財産を分かち合う。

 そういう嫌な繋がりが親族同士であり得た。

 宮川優斗はただの子供ではない。それを理解していたからこその――武器。

 確実に死を連想できる威圧を持った物。

 どうしたって天海家では手に入れることはない、と高を括っていた。

 

「養子にならなければ脅す。脅しきれなければ殺す。脅すにしては最適な武器であり、人一人を殺すにしても素晴らしい武器でしょう。もちろん貴女の両親はあくまで一般的な方々。順序を間違えたのか、元々脅しで使用するつもりがなかったのか私には分かりかねます。ですが脅すことに使わず殺害を目的に使用し、しかも小学生の子供に向けるというのは最悪と言ってもいいでしょう」

 

 断言され、優希は泣きそうになった。

 怪我をした箇所の理由を見て、どうしてか視線が歪む。

 

「貴女も世間一般から比べれば不幸でしょうが、優斗さん相手に不幸比べなどしようと思わないことです。自分の不幸で優斗さんを糾弾しようとするならば、彼を全肯定せざるを得ませんよ」

 

 親を殺されても仕方ない、と。

 思わされることになる。

 

「最後に。優斗さんが本当の意味で人を――大人を信じなくなったのは、貴女の両親が元凶です」

 

 けれど突きつけられる真実は終わらない。

 一人の少年を確実に人間として終わらせた。

 それが誰なのか、真実を求めるなら知らなければいけない。

 

「彼を本当の意味で“堕とした”。一人の少年の人生を戻れない方向へ定めたのは貴女の両親です」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 予感は確信になり、過去にあった出来事へと繋がる。

 優斗は端的に述べた。

 

「優希は青下と会ったのか」

 

「……っ!」

 

 再び驚いた様子のアガサ。

 優斗が不思議そうに見る。

 

「どうした、違ったか?」

 

「い、いいえ。貴方の後見人であった方の名前が、そうであると私も伺っています」

 

 慌ててアガサが首を横に振る。

 何か透視でもしているのではないだろうか。

 そう疑いたくなるぐらいだった。

 

「アオシタという方は言っていたそうですよ。『私は彼が死んだとは思いませんが、それでも書類上は死んでいます。ならば死人に口なし、知りたいのであれば止めは致しません。貴女の感情全てを覆されることになる覚悟があるのなら』と」

 

「ということは、あれを聞いたんだろうな」

 

 当時11歳の少女が、あのやり取りを耳にした。

 その時の心情を……誰かが理解できるはずもない。

 

「てーぷ、というものがそちらの世界にはあるそうですね。音声を残しておける装置がある、と」

 

 そして優希は知った。

 何があったのか。

 何が起こったのか。

 両親が自殺に至った本当の原因は何であったのかを。

 

「ユキはヴィクトスに来た時、大層苦しんでいました。恨みたかった相手をお金の為に殺そうとしていた両親と、だからこそ両親を殺した貴方。嘘だと否定したくても、記憶にある声が貴方を罵っていたこと。そして自分のことを“使っていた”と紡いだ言葉が否定させてくれません」

 

 今までの全てが覆された瞬間。

 信じていた足下さえもが崩れた瞬間だった。

 

「だからあの子にとって、どちらが悪いのかは明白だった」

 

 優斗は殺人鬼じゃない。

 理由なく殺すことはありえない。

 理由があるから殺した。

 

「そして両親が貴方を真に堕とした元凶だということもユキは知っています」

 

「……あいつはそこまで言ったのか?」

 

「真実というものは、全て知るから価値がある……と」

 

「……相手の歳を考えろ、青下」

 

 優斗の後見は差別も区別もしない。

 目の前に現れた相手に対して、誰にでも同じように接する。

 それが年老いた相手であろうと、幼い女の子であろうと。

 何一つ考慮せずに過去と真実を突きつける。

 

「ユキは優しい子です。例え両親を殺した相手であったとしても、自分の両親が悪いのなら恨むべきではない。いえ、それどころか『どこまで恥知らずなのだろう』と。彼女は言っていました。恨んではいけなかったし、憎むなんて以ての外だと」

 

 優希は『それでも』という言葉を使えなかった。

 それでも親を殺したのから。

 それでも自分から家族を奪ったのだから。

 そんな風に思えなかった。

 

「“加害者の娘”が何を馬鹿なことを考えている。そう言っていました」

 

 金の為だけに殺そうとして、加えて優斗を押し留めていた最後の一つを破綻させた夫婦の娘。

 しかも恨みと憎しみを抱き続け、彼が死んだことに大層喜んだ。

 優希にしてみれば、自分はあまりにも最低な部類の人間に映った。

 

「だから……あの子は自殺しようとしたのです」

 

 伏し目がちなアガサから届いた、衝撃の事実。

 修が驚きの声をあげた。

 

「自殺って……お、おい、ちょっと待てよ。じゃあ、その優希って子がセリアールに召喚された状況って……」

 

「高所から飛び降りた結果です」

 

 死ぬ間際に異世界召喚は起こる。

 事故だろうと他殺だろうと……自殺だろうと。

 優希はビルから飛び降りた時、異世界召喚された。

 

「召喚された当時は精神的にも随分参っていて、医者からは心が憔悴しきっていると言われました」

 

 現れた瞬間、泣いていた。

 しばらくは話し掛けても反応がなかった。

 それだけで気付く者は気付く。

 何があって召喚されたのかを。

 

「あの子の後見の家となったキャロル……今日、一緒にいる少女や当時はまだ勇者でなかったライトの献身的な介護で、少しずつ心を開いてくれました。真っ当に喋ってくれるようになったのは、ほんの数ヶ月前」

 

 たくさん話し掛けて、色々な話をした。

 その中で一つの話題に彼女は反応を見せた。

 

「切っ掛けは貴方の名前です、ミヤガワ様」

 

 大魔法士が現れた。

 その人物の名前は宮川優斗。

 優希と同じ異世界人で……彼女にとっては忘れられない人。

 

「あの時から、あの子は少しずつ話してくれるようになりました」

 

 自分のこと。

 過去のこと。

 何があったのか。

 どうして召喚されたのか。

 どうして……優斗の名前に反応したのかを。

 

「そしてユキがだいぶ喋れるようになったとき、言っていました。『たぶん大魔法士はわたしの知ってる宮川優斗です』と」

 

 同時にアガサ達は知った。

 二人の関係性を。

 だから先ほどのような事が起こった。

 大切にしている者だからこそ、肩入れしてしまうから。

 そして優斗はキャロル達の反応こそが正しいと思う。

 

「切っ掛けがどうであろうと、僕は僕の意思で彼女の両親を殺した。そこには一切考慮する必要がない。優希にとって僕は仇だ」

 

 自分の事情を考える必要などない。

 

「親を殺したのに恨むな、とは言えない」

 

「直接手を下したわけではないのでしょう?」

 

「確かに僕の手を汚して殺したわけじゃないが、だからといって無関係だと言えるわけもない」

 

 誰の意思で誰を殺したか。

 明白だからこそ、何一つ意味がない。

 

「優希は自分を責める必要はない。苦しむ理由もない。僕とあの子の両親との因縁には無関係なんだから、もっと単純に考えていいんだ」

 

 あくまで優希の両親と優斗の問題だ。

 そこに親の分を背負う理屈は存在しない。

 けれど、

 

「……いいえ、無理でしょう。優希はそんな風に思えない子ですから」

 

「だとしたら、どうして連れてきた。“加害者の娘”だと勘違いしているなら、あの子が苦しむことぐらい分かっていたはずだ」

 

 自身を加害者の娘だと思っているのであれば。

 被害者と会ってしまえば苦しむに決まっている。

 それが分かっていて何故、あの子を連れてきた。

 

「……ユキが……『会いたい』と言ったのです」

 

 アガサが口唇を噛みしめながら、言葉を吐き出す。

 彼女だって分かっていた。

 会わせれば苦しませることなんて。

 余計に重荷を背負って、自身を責めることだって。

 けれど優希が漏らしたのだ。

 

『会いたい』と。

 

 謝っても許されない。

 罪を背負っているなんて当然で。

 自身を余計に苦しめることなど分かっていた。

 それでも『会いたい』という言葉を口にしたのだ。

 

「ユキの持っていた淡く儚い“夢”は真実を知ったからこそ、今でも残っているのです」

 

 捨てたはずのもの。

 過去に望んだ宝石の一欠片。

 叶えようとは思わないけれど、それでも残っている。

 だから一目でいいから、優斗を見たかった。

 

「自分に気付いてしまったら、ミヤガワ様に過去を思い出させてしまう。故にユキは甲冑に身を包み、この場にいます」

 

 矛盾と甘え。

 相反する想いがあって、自分に対する弱さがある。

 

「けれど」

 

 馬鹿馬鹿しい、甘ったれと断言することはできない。

 僅か12歳の女の子が迷って、相反して、弱かったところで誰が責めることができよう。

 

「…………けれど……っ!」

 

 アガサはそんな優希を守りたいと強く願う。

 あの子が望むことを、望むままに。

 やってあげたい。

 

「お願いします、ユキと会って下さい! あの子だということを気付かないフリをして、会って話してほしいのです!」

 

 頭を下げる。

 あの子の為ならば、何だってする。

 

「全ては私の一存です。ミヤガワ様に無理難題を押し付けていることも承知の上です」

 

 怒鳴られようと、殴られようと、殺されようと。

 どうされても仕方がない。

 

「嫌な過去を思い出させた私を……恨んでいただいても構いません。非は私にのみ、存在します」

 

 責は自分が受け持つ。

 優希には何も渡さない。

 決意を持ったアガサの瞳に、優斗が溜息を吐いた。

 

「……まったく。トラストの勇者とは別の意味で矛盾してる」

 

 会いたくないけど会いたい。

 どうしようもないほどに矛盾だ。

 

「優希が僕に会って話すことで、あの子が人として駄目な部類に堕ちることもありえる。それでも君は望むのか?」

 

 曖昧な感情だった視線。

 優斗が判断できなかった。

 ということは、再び優希が『優斗が死ぬことを喜ぶ』ようになる可能性はある。

 そんな優希をアガサは望むのだろうか。

 

「また恨むことが出来るなら、自身を責めて苦しむことはありません」

 

「……確かに。そういう考えもありだな」

 

 良い傾向だとは思わないが、少なくとも悪化はしない。

 悪くはない、と優斗も頷いた。

 けれどアガサはそれを望みたくはない。

 

「ただ、出来るのであれば……全てが上手くいくことを望んでいます」

 

 簡単な話じゃないのは分かっている。

 分かってはいるけれど、望みたい。

 甘く、生温い……都合のよい優しい結末を。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 優斗がアガサと共に部屋を出て行く。

 残った修は難しい表情をしたままだ。

 

「……なあ、アリー」

 

「はい」

 

「こういうのってよ。どっちが悪いとかあるのか?」

 

 加害者と被害者の娘。

 被害者と加害者の娘。

 どう取ればいいのだろうか。

 

「人による。そうとしか言えません」

 

 けれどアリーにだって断言はできない。

 

「わたくし達も判断できませんわ。わたくし達はどうしたってユウトさんに肩入れしていまいますから」

 

 優斗は悪くない。

 彼を殺そうとした優希の両親が悪い。

 だからアリーとして優斗が被害者で、優希は加害者の娘だ。

 

「あちらも同じ事でしょう。ユキさんに肩入れしているから、ユウトさんに大魔法士をやめろ、と。そう言ったのだと思いますわ」

 

 優希は被害者の娘で、優斗のような加害者がセリアールに憚ることなど許されない。

 どうしたって優希の目に入ってきてしまう。

 だから言ったのだろう。

 大魔法士をやめろ、と。

 

「しかし……」

 

 アリーは優斗と優希の考えを考察する。

 二人は相手が悪い、などと考えていない。

 だとするなら、

 

「どちらも『自分が悪い』と考えているのなら……穿つ方法はあるのではないかと、そう思いますわ」

 

 

 

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