第216話 all brave:切り離せない過去

 

 

 ――6年前。

 

 完全に不意打ちだった。

 リビングのドアのカギが閉められた瞬間、相手の右拳が優斗の身体に打ち込まれて何かが折れる音が体内に響いた。

 さらに別の人間が振り下ろすゴルフクラブを反射的に右手で防ぐ。

 アイアンのインパクト部分が右手首に当たり、激痛が走った。

 

「……っ!」

 

 けれど倒れることも痛がることもせず、優斗は無理矢理に距離を取る。

 が、視界に映る消音装置付きの黒い銃。

 引き金に掛けられた指が動く。

 そして発砲。

 優斗の頭に狙いを定め、通常よりも少ない音量を響かせた銃弾は、かろうじて察した彼が頭を左に傾けることによって擦るだけで終わった。

 そして二人は追撃をせず、優斗の動きを観察している。

 

「……」

 

 優斗は現状を見据え、言葉を吐き出した。

 

「“あの子”が上にいるのに、何を考えてる?」

 

 優斗の問い掛けに対して二人は一言も発しない。

 いくら消音装置があるといっても、完全に音が消えるわけもない。

 二階にいるあの子が察して降りてくることだってあるはずだ。

 

「僕は言った。お前達の目的も分かってる、と。なのに養子になるわけがないだろう」

 

 相手から舌打ちが聞こえ、ありとあらゆる暴言が向けられる。

 優斗にとっては常に向けられる類の羅列。

 その中で一つ、今の宮川優斗にさえ一切理解できない言葉が吐かれた。

 

「――っ!」

 

 同時、優斗は追い詰められた状態なのにも関わらず前に出る。

 右手は使えないが、左手は生きている。

 素人を相手にするには十分すぎた。

 狙いを定められる前に拳銃を弾き、手中に収める。

 同時に距離を取って窓ガラスに数発、撃ち込んだ。

 ガラスが破砕する音と共に優斗は外へと躍り出る。

 そして塀を超えると同時に車が横に乗り付けた。

 優斗が飛び乗ると車はすぐさま、発進する。

 後部座席で脇腹を抑えながら痛みに呻く優斗に、ドライバーが声を掛ける。

 

「想定外のことがありましたか、優斗さん」

 

「いや、完全に僕のミスだ」

 

 仰向けになって息を整える。

 おそらく手首、肋骨は折れていた。

 

「大事はしないだろうと甘い考えを持った」

 

「狙われていることは理解していたのに?」

 

「……だから言っただろう。甘い考えを持ったと」

 

 少なくともあの瞬間にやるわけがないと勘違いをしていた。

 優斗は自嘲するように呟く。

 

「心底、愚かしい考えだな」

 

 どこかにあるとは分かっている。

 そうであるとは知識として知っている。

 けれど“彼らがそうなのではないか”と、僅かでも考えてしまったから優斗は反応が遅れた。

 

「どうされるのですか?」

 

「……決まってる」

 

 だからもう、憧れを持つことはない。

 遠慮もしないし考慮もしない。

 今まで幾十、幾百の悪意を受けてきた。

 故に相手が“敵”であるならば、自分がやらなければならないことは一つ。

 

「自殺させろ」

 

 そして折れた肋骨とは逆にあったポケットからレコーダーを取り出し、助手席に投げる。

 ドライバーは僅かに視線をレコーダーに向けると、また前を向いた。

 

「よろしいのですか?」

 

「先に殺そうとしたのは向こうだ。例えあいつらと連なっている人間がいようと、どうでもいい」

 

 そう、誰がいようともだ。

 考える必要も鑑みる必要もない。

 

「畏まりました」

 

 ドライバーが恭しく返事をした。

 今まで何度、何十、何百もあったやり取り。

 けれど宮川優斗が本当に堕ちた日を決めるとするならば。

 この日なのだろう。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 優斗はできるだけ重くならないよう、あくまで口調は軽い。

 

「まあ、殺したと言っても直接手を下したわけじゃないけどね。意味合いとしては僕が殺したと言っても過言じゃないってこと」

 

 少しおどけるような仕草さえ見せながら過去を語る。

 

「向こうの世界で一番ヘマをしたのは、優希の両親を相手にした時だよ」

 

「ヘマ? お前がか?」

 

「うん。右手首に肋骨三本、頭部裂傷。それが彼女の両親にやられたこと」

 

 怪我した箇所を次々に指差していく。

 左の脇腹、右の手首、そして右の側頭部。

 

「数センチ躱しきれなかったら、僕はこの世にいないね」

 

 それぐらいのことをやられた。

 

「決定打だった。彼女の両親にやられたことは。僕が完全に大人を信じなくなるには十分だったんだ」

 

 僅かでも夢見てしまっていたからこそ、失敗した。

 だからこそ考えが行き着く。

 大人を相手に気を抜くほうが馬鹿なのだと。

 

「最初の頃は父や母の兄弟だったり、いとこだったり、色々な人達が僕の前に来た。どいつもこいつも酷かったよ。牢屋に入れて飼い殺そうとしたり、養子にして金を得た上で殺そうとしたりね。一人も僕を育てる、救うなんて考えはなかった。まあ、数百人単位で山狩りみたいなことをやられた時は、さすがに参ったよ」

 

「それはユウトさんが幾つぐらいの時に?」

 

「10歳から12歳ぐらいまでかな」

 

 年がら年中、よくもまあ次々と飽きずにやって来たものだ。

 アリーも僅かに驚きを見せる。

 

「よく生きてましたわね」

 

「最終的にはどいつもこいつも最低、半殺しにはしたしね。その後は……まあ、御察し下さいってところかな」

 

 悪意に優しさは必要ない。

 あってしまえば、それはすなわち自分が死ぬことを意味するのだから。

 

「でね。当時の僕はすでに人間不信だったんだけど、その時かな。初めて優希に会ったのは」

 

 それはいつものようではあったけど、いつもとは少しだけ違った。

 話の発端は『優希の家庭教師をする』といったものだった。

 

「あまりにも常軌を逸して精神疾患云々と思われるのも嫌だったから……というか、優希の両親に通報を匂わされてね。だから打算というのもあったけど、警戒していながらも僕は優希と会った。それで数回、勉強を教えたことがあるよ」

 

「あん? そういうのって後見の人……、たしか“青下”さんがちゃんとしてれば問題ねーんじゃないのか?」

 

 修が正論を挟んだ。

 けれど優斗は苦笑しながら手を横に振る。

 

「無理無理。青下は使えなくてね。部下としては優秀だったけど、保護者とするには難しいものがあった。修だって名前ぐらいは知ってるけど、見たことはないでしょ」

 

「ああ」

 

「実はあいつ、確認されたら保護者失格レベルの人間なんだよ」

 

 だからこそ後見にしたと言えるが。

 そして優斗は当時の天海優希のことを思い返す。

 

「あの子は小等学校に上がったばっかりで、いつも笑ってる子だった。僕って感情を止めてたから、よく『つまらない』って言われたのを覚えてる」

 

 僅かに表情を崩すと、優斗は自分の頬に両手を置いた。

 

「こんな感じで『笑うというのは、こういうことなのです』なんて、僕のほっぺたを引っ張ったりしてね」

 

 だから過去の記憶を引っ張り出せば、思い出として残っているものだってある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五回目の家庭教師の日。

 優希は90点の算数のテストを片手に、大威張りしていた。

 

「ほめてください」

 

「満点ではない以上、褒めることはできない」

 

「さんすうのさいこー点を取ったのだから、ほめてください」

 

 無表情の優斗が突っぱねるが、優希は全く気にしない。

 なので諦めて口だけでも褒めてあげることにした。

 

「……偉い」

 

「わらってほめてください!」

 

「よく頑張った、偉い」

 

 表情が一ミリも動いていない。

 ロボットか何かが喋っているようだった。

 優希は頬を膨らませる。

 

「どうしたら、わらってほめてくれるのですか!?」

 

「無理だ」

 

「やっぱりまんてんなのですか!?」

 

「……話を聞け、優希。無理だ」

 

「まんてんとったら、わらってほめてください!」

 

 優斗のことなんて一切無視。

 決して折れない優希に優斗は嘆息した。

 

「……努力しよう」

 

「どりょくではなく、やってください!」

 

「…………考慮する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 優斗は昔の自分を思い出して、笑ってしまう。

 

「今でこそこんなだけど、当時の僕は鉄面能面の精神完全停止人間だったからね。僕の笑顔なんてレア中のレアだよ」

 

 中学に入るまでは愛想笑いすらも失っていた。

 本当に、心から笑えるようになったのは修達と出会ってから。

 だから当時の優斗の笑顔は存在しない、といっても過言じゃない。

 

「でも、それが優希との最後の会話だった。それ以降、あの子とは会ってない」

 

 事件があった。

 優斗と優希が二度と会えなくなる事件が。

 

「彼女の両親は僕を養子にしようとしてた。何度も家族にならないか……なんて言われたんだけどね、僕は当然のごとく拒否した」

 

「理由は?」

 

「優希の家は会社――商工を営んでたんだけど、経営が良くなかった。だから僕が持ってる財産を狙っていると考えた」

 

「……? だとしたらおかしいですわ。いくら若かったとはいえ貴方らしくありません」

 

 彼と酷似しているからこそ、アリーはよく分かる。

 当時フン。11歳。まだまだ男の子と呼べる範囲ではあるが、それでも宮川優斗だ。

 そこまで分かっていたのならば油断をしているとは思えない。

 

「……ほんと、僕らしくなかったんだよ。少し憧れていたんだろうね、何の変哲もない家族ってやつに」

 

 優斗は苦笑する。

 あの時、まだ自分は甘かった。

 

「あの二人が優希を愛していたのは事実だと思う。けれど僕に近付く為の道具として使ったのもまた事実だった」

 

 数ある罵りがあったが、その中でも優斗が覚えているものがある。

 それが『せっかくお前を脅して、優希を“使って”呼び寄せたのにふざけるなっ!!』という言葉。

 

「正直、理解不能だったよ。徹頭徹尾、道具として僕を扱っていた両親のほうがまだ分かり易い」

 

 だから間違えた。

 まさか金の為なら愛している娘さえ使えるなんて、思ってもいなかった。

 

「そして彼女の両親の提案を断り、二度と行かないことを告げた瞬間だった。優希が二階にいるのに、仕掛けてくるなんて思ってもいなかった僕は完全に油断してた」

 

「……無茶苦茶だろ。お前を殺してどうすんだよ」

 

「修、世の中は理論通りになんていかない。金を渡さなければ殺すなんて短絡的に考える奴らはごまんといるし、殺して家捜しすればいいって馬鹿みたいな結論に達する人間だって数えられないぐらいにいる」

 

 莫大な財産というものは魅力的な魔物だ。

 人を容易く変える。

 

「では、どうやって始末を?」

 

「僕らの世界には会話を記憶させられるレコーダーっていうものがある。僕は常に持ってたんだよ」

 

 気を抜いたとしても、甘い考えを持ったとしても、最低限のことは忘れていない。

 

「あとは簡単。僕へ向けた悪意ある言葉をダビングして近所、仕事の取引先、その他諸々の天海家が生きていく為に必要な場所へテープを送った。まあ、他にも青下が色々とやったはずだよ。優希の両親を自殺へ追い込む為に」

 

 優斗より、よほど青下と呼ばれる人間のほうが精通していた。

 人を追い込む方法を。

 そして罪にならないように、証拠や物証を消滅させる方法を。

 だから優斗は使えると思ったし、青下も冷酷な彼を主人としていた。

 

「そして結果は僕が描いた通り自殺。優希は一人取り残されて遠縁の家に引き取られた」

 

 一つの家族は破滅させた。

 これには何一つ偽りがない。

 間違いなく、どうしようもないほどに優斗は家族を壊した。

 

「だから……違和感があるんだ」

 

 あれが本物の優希なら、なぜそうなったのか。

 疑問が浮かぶ。

 

「青下の話だと、優希は両親の遺書を読んだと聞いてる。もちろん分からない文字だってたくさんあったと思うけど、間違いなくあの子は両親が書いた僕に対する罵詈雑言を目にしているはずなんだ」

 

 ということは、必然として優希は優斗を恨んでいる。

 恨んでいないわけがない。

 

「なのに……」

 

 と、その時だった。

 ドアが二度、ノックされる。

 

「ヴィクトスのアガサです。ミヤガワ様はいらっしゃいますか?」

 

「入っていいよ」

 

 ちょうど優斗も訊きたいことがあった。

 見知らぬ他人だと言い張ろうとも思ったけれど、そうもいかない。

 この疑問は解決しておかないといけない。

 

「一度は戻ろうと思ったのですが、申し訳ありません。やはりはっきりとさせておきたいのです」

 

 アガサは室内に入ると、真っ直ぐに優斗を見る。

 そして再び問い掛けた。

 

「貴方はユキのことを知っていますか?」

 

「知ってる。だから僕からも問いたいことがある」

 

 あっさりと認め、優斗は本題を出す。

 彼としては、この疑問を解決させることこそ重要だ。

 

「君はどうして僕に優希のことを教えた?」

 

「貴方にユキと会ってほしい。私の願いはそれだけです」

 

 アガサは真摯に言葉を口にした。

 だから優斗の表情が不意に変わる。

 ある意味で嫌な予感が当たったからだ。

 

「勘違いされているかもしれません。ですが、あの子は貴方のことを――」

 

「“恨んでない”。そうだな?」

 

 優斗の確信めいた言葉に、修もアリーも驚きを隠せなかった。

 アガサも目を見張る。

 どうして、そう確信的に言えるのか理解できなかった。

 逆にアガサの反応を見て、優斗は大きく溜息を吐く。

 

「向けられた感情は曖昧だが、だからこそおかしい。僕を殺したいほど憎んでいて当然のはずなのに、感じた視線に敵意や悪意を断定できなかった」

 

 そう。

 彼女の視線から感じるものは曖昧だった。

 恨まれることをやったのに。

 憎まれることをやったのに。

 それが突き刺さってこないのは確実に何かしらの理由がある。

 

「……おかしくはないと思います」

 

 だからアガサは小さく首を横に振った。

 

「ユキは……貴方がいなくなった後、両親がなぜ死んだのかを調べました」

 

 ぽつり、と話し始める。

 これは彼女達が優希から聞いたこと。

 必死になって“優希を救おう”としたアガサ達が、ようやく聞き出せた過去。

 

「あの子は――真実を知っています」

 

 

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