第202話 クリス対キリア
――数日前。
生徒会の手伝いをしていて遅い夕食を食べている最中、妻のクレアが珍しそうに尋ねてきた。
「クリス様はどうして闘技大会へ出ようと思われたのですか?」
「自分は『学院最強』と呼ばれていますから。代々の方々が出ているのに、自分だけ出ないわけにはいきません」
今まで学院最強と呼ばれた人物は皆、闘技大会に出てきた。
それこそが証明する手段とばかりに。
だからクリスも出ると言う。
しかしクレアは首を傾げた。
「本当にそれだけなのですか?」
仮にも夫のこと。
数年来の夫婦というわけではないが、それでも違和感はある。
彼はそれだけで闘技大会に出るような人物だろうか、と。
もちろん責任があるからこそ出るのだろう。
けれど他にも何か理由があるような気がしてならない。
妻としての勘だが、夫は苦笑して参ったとばかりに目を細めた。
「クレアには敵いませんね」
確かにクリスはそれ以外の理由も持って戦う。
うん、と頷いて答える。
「自分自身に証明したいんです」
闘技大会に出ることによって。
そこで優勝することによって。
「確かに背中を任せて貰える、と」
他の誰でもない自分に証明したい。
「あとは意地です」
「意地ですか?」
クリスは頷きながら、茶目っ気を出して告げる。
「自分も男の子ということですよ」
◇ ◇
準決勝第一試合。
クリス対キリア。
優斗は来賓室を離れると、とある少年と合流して選手の控え室に顔を出した。
目的の人物は次の試合が最大の山場だということを理解して、僅かに顔を伏せ集中している。
「良い表情だね」
優斗が声を掛けるとキリアは顔を上げた。
「……先輩。わたしはクリス先輩に勝てる?」
「可能性はある。僅かしかないけどね」
決して0%ではない。
手繰り寄せることが出来る細い糸は確かに存在する。
「本当に強いから厄介よ」
「そりゃね。クリスの強さを別の名で評するなら、確か……和泉曰く『完全無欠』だったかな」
「何よそれ?」
「学院最強だと僕と被るからってね」
別にいいだろうとは思うが、二つ名が被るのは面白くないと断言していた。
クスクスと笑い声を漏らしたあと、優斗は不意に真面目な表情になる。
「実力や才能は当然だけど、鍛錬時間でも君はまだ追いつけていない。そして間違いなくクリスは僕らの世代で十指に入る。常識から見れば論外の強さを持つ奴が君の相手だよ」
自分や修、正樹という桁外れの実力者を加えても十指には入ってくる。
とてもじゃないが相手になると思わないほうがいい。
「それでもわたしは……負けたくない」
ぎゅう、と握り拳を作る。
例えクリスが相手だとしても、可能性があるのならば諦めたくない。
「だったら勝ってきなよ。僅かな糸をたぐり寄せればいい」
「いいの? クリス先輩なのに」
「今日の僕はキリアの応援。クリスは敵だよ」
本気で言っている。
今この瞬間、優斗は間違いなく親友を敵として見ている。
たった一人の弟子を応援する為だけに。
「……こんな時だけ甘やかさないでよ」
「こんな時しか甘やかしてあげないんだよ」
優斗がキリアの肩を叩く。
「だから一番力が入る応援を連れてきた」
控え室のドアが音を響かせて開いた。
「キリアっ!」
顔を向ければ馴染み深い幼なじみがそこにいる。
彼の声がキリアを後押しする。
「頑張れ!!」
親指を立てるロイス。
「……まったく、凝り過ぎよ」
これで奮い立たないキリアではない。
彼女は立ち上がると、自分自身にも言い聞かせるように宣言する。
「勝ってくるわ!」
気合いは入った。
覚悟も決めた。
あとはやるだけ。
◇ ◇
「順調に来てんな」
修が気軽に言ってくる。
確かに問題なく勝ち進んでいる、と言っても過言ではないだろう。
「しかし次はキリアさんですから今まで通りとはいかないでしょう」
二年の女子トップ。
さすがに今日、戦ってきた中では一番の対戦相手となるだろう。
「バックには優斗も付いてるかんな」
「まあ、ユウトのことですからアドバイスはしないでしょう」
クリスと対戦する時でさえ、何ていい相手と巡り会えたんだろうとしか思わないはず。
アドバイスを行って勝率を上げようなんて考えてない。
ありのままの彼女がどれほど対応出来るのか。
それこそが優斗の求めていることだろう。
「とはいえ彼女の中で培われたものに、それなりの自信はあるようです」
挑発的な視線を向けられたことからも違いない。
けれど彼にしては本当に珍しく“不確かで曖昧”なのに自信を持っている。
「まあ、俺らはクリス応援団だからな。頑張ってこい」
「ありがとうございます」
◇ ◇
リングへクリスとキリアは並んで登場する。
アナウンサーが学院最強と二年女子トップの対戦を大いに煽っているが、二人は耳に入っていない。
「今日こそは勝たせてもらうわ」
「自分も譲る気はありません」
挑戦的な視線と受け答える視線が両者を貫いた。
二人が歩く先にはフェイルがいる。
「制限時間は十分。決着がついたと思った時点で俺が止める。それ以上の攻撃を行った場合は反則だ。殺すつもりで殺すのは御法度。他に言うことはない。存分に戦え」
キリアもクリスも頷き、お互いに開始線まで下がっていく。
二年の女子トップと学院最強の戦い。
周囲の注目も最高潮に達した。
フェイルは互いが位置に着いたのを確認する。
「それでは……始めっ!!」
開始の宣言と同時にキリアは右手を前に掲げた。
「求めるは風切、神の息吹!!」
間髪入れず上級魔法による先制攻撃。
豪風がクリスへと向かっていく……ことはなく、すでに彼は横に飛びずさっていた。
キリアもさらに追い打ちを掛けるように魔法を続けざまに放つ。
「求めるは水連、型無き烈波!」
水の中級魔法を詠唱し、幾数もの水玉をクリスへ向けて放つ。
しかしそれも切り裂かれ、クリスが前傾に態勢をシフトさせた。
「求めるは――」
キリアはさらなる詠唱をしようと思ったところで、クリスの様子に気付く。
舌打ちしてショートソードを抜いた。
「――っ! 相変わらず速過ぎるのよ!」
ゼロから瞬時にトップスピードへ乗ったクリスが襲いかかる。
左肩まで上げられた右手から放たれるは袈裟斬り。
「風雅っ!」
キリアは風の恩恵を受けたショートソードで対応する。
が、突進の威力も加わった一撃に防ぎながらも吹き飛ばされた。
「この……っ、求めるは風撃、割断の鼬鼠!」
飛ばされながらも中級魔法を放つ。
クリスが魔法の対応をしている隙に着地すると、キリアは不意打ちとばかりに飛び込んで斬りかかる。
「はぁっ!!」
思い切った横薙ぎ。
それをクリスは完全に見切って僅かに下がるだけでかわし、今度は自分の番だと突きを放った。
「まだまだよっ!」
キリアは真っ直ぐに迫る細剣に対して、真上から叩きつけるように軌道をずらす。
「炎舞っ!」
次いで炎を纏わせ、ショートソードを跳ね上げるように振り抜いた。
しかし軽く首を逸らして炎ごとかわすクリス。
「今度は反撃の間を与えませんよ、キリアさん」
態勢を戻すと同時に横薙ぎ。
防がれたとしても、さらに連撃。
上から振り下ろし、下から斬り上げる。
絶え間なく続けられる連続攻撃。
完全に攻め手と受け手が決定した。
されどキリアは止まらないクリスの攻撃を防ぎ、かわし、いなし、逸らしていく。
成長しているな、とクリスは内心微笑ましく思う。
――本当に力を付けましたね、キリアさん。
出会った頃の彼女ならば、自分の剣戟に対応など出来なかった。
けれど今はどうだろうか。
拙いながらもクリスの攻撃を防いでいる。
必死な形相で、それでもかすり傷一つ負っていない。
頑張って優斗に教えを請おうとしていた頃をクリスは懐かしくなった。
トラスティ家の庭で優斗に挑んでいたキリア。
けれど簡単にショートソードを弾かれ、息も絶え絶えの彼女に優斗は軽く言い放つ。
『はい、今日はこれでお終い』
ひらひらと手を振って優斗は家の中へ入っていった。
息も絶え絶えな彼女は大の字で庭に寝そべる。
すると近付いていく人影が一つあった。
『大丈夫ですか?』
倒れているキリアの顔を覗き込むのはクリス。
用意していた飲み物を彼女に渡す。
『ありがと、クリス先輩』
疲れている身体に鞭打って起き上がり、コップを受け取る。
勢いよく飲み干していくキリアにクリスは苦笑した。
『しかしユウトに教えを請うとは、中々に無茶なことをしますね』
『そう? 何だかんだで教えてくれるわよ』
当時、キリアは結構面倒見が良い人なんだと勘違いしていた。
実際は問答無用でキリアが突っ込んでいただけの話だが。
『あと先輩がね、時間があったらクリス先輩にも訓練を受けてみろって言ってたわ』
大きく深呼吸をして息を整えると、キリアはにやりと笑った。
『えっと……まさか今ですか?』
『だってクリス先輩、暇でしょ?』
キリアは立ち上がってやる気満々。
先ほどまで疲れて倒れていたのが嘘のようだ。
クリスはほとほと呆れたような表情をさせながらも、
『分かりました』
頷き、笑って相手をしたのだった。
けれど細剣とショートソードの打ち合う音が十回も満たず、キリアの得物が彼方へと飛んでいった。
彼女の目の前には細剣を軽く突きつけたクリスが微笑んでいる。
『あー、もう! 負けたわ! しかもあっさりと!』
もの凄く余裕を持たれている。
優斗より全くもって嫌みのない姿なので、キリアも無駄に負けず嫌いを発揮することはなかった。
『疲れているからですよ』
『関係ないと思うわ』
特に最近、優斗に挑んではボッコボコにされている身としては、疲れ云々で対応できるようなレベルじゃないことぐらいは把握できていた。
本当に強い。
しかも剣技がとても綺麗だった。
僅か数回の振りしか見ていないのにも関わらず、惚れ惚れしてしまう。
『ねえ、クリス先輩。時々でいいから戦ってくれる?』
『自分でよければ』
『ほんと!? 嘘じゃないわよね!?』
満面の笑みでにやつくキリア。
なのでクリスも笑みを交えて答える。
『ええ、もちろんです』
これがおおよそ、五ヶ月前の出来事。
クリスは懐かしいと本当に思う。
強い相手に出会えただけで一喜一憂し、才能がないのにも関わらずひたすらに上を見続ける。
こんな女の子だからこそ、自分の親友が師匠になった。
最高の師匠を得て驚くほどの成長を見せている。
「ああああぁぁっ!!」
初めてやった時は十回も剣戟を重ねることが出来なかった少女が、今や隙を見て反撃を狙っている。
「……ふふっ、懐かしいものですね」
キリアの上段からの振り下ろしをクリスはバックステップしながら受ける。
けれど試合中にも関わらず笑みが零れてしまった。
キリアもさすがに不思議に思ったのか、追撃せず怪訝な表情になる。
「クリス先輩、どうして笑ってるの?」
「ああ、いえ、すみません。つい嬉しくなってしまったんです。キリアさんの成長を見てきましたから」
頑張っている姿を知っている。
必死になっている姿を知っている。
あの大魔法士が敷いてくれた道を必死に走っていることを知っている。
キリア・フィオーレという少女がどんなに過酷な道を進んでいるかを知っている。
だから嬉しくなってしまった。
「けれど――」
クリスの表情がふっと真剣になる。
「――ここまでです」
本当ならこの場で、真剣な場で彼女の頑張りを見ていたいと思う。
しかし、それももうお終い。
これ以上は彼女に対して不義理になってしまう。
そして何よりも、自分自身に証明できなくなってしまう。
「ようやく本番……ってわけね」
キリアが身構える。
師匠のように震わせるような圧力ではない。
だが理解できる。
今、自分の前にいるのは本当の意味での『学院最強』だ。
「キリアさん。一応伺いますが、これより先は命に危険が及びます。それでも戦いますか?」
「……クリス先輩。わたしがやめると思う?」
「思いません」
断言できる。
やめるわけがない。
「貴女は――自分の親友に教えを請うているのですから」
この瞬間において逃げる、退く、帰るということを教わっていない。
立ち向かうことこそ成長への道と教えている。
「こっちとしても、そろそろ奥の手を暴きたいところね」
「いえ、その必要はありません」
クリスは首を振って否定する。
暴く必要はない。
今の彼女なら大丈夫だと知ったから。
「見せましょう。貴女なら『知れば死ぬことはない』と分かりました」
クリスが左手を真横へと広げる。
訝しんだ表情のキリアに対してクリスは詠唱を詠む。
この場においては“内田修しか知らないはず”の詠唱を。
「求めるは“連なる火神”――」
左手より生まれた二重の魔法陣。
重なり、通常よりも大きな魔法陣となる。
そして、
「――灼炎の破壊」
陣より生まれた巨大な炎は、神話魔法でなければ壊れない結界を焦がすほどに絶大な威力を誇っていた。
「……っ!?」
爆炎による熱風がキリアの頬を叩く。
正直、呆けて驚きたかった。
けれど驚くよりも先に、今の魔法が何なのかを把握するのが先だ。
「上級魔法を……“合わせた”?」
「はい。神話魔法には欠片も届きませんが、それでも上級の中で最上位に位置する威力の魔法でしょう。おそらくは誰も知らない上級魔法です」
修を除けば使い手は存在しないはずだ。
「誰も知らないって………。クリス先輩はどうやってそれを?」
「色々と試したんです」
正反対の魔法陣を砕き、合わせることが出来るのであれば。
同種の魔法陣を“重ね合わせ”て扱うことも出来るはずだ、と。
世界から認識されている魔法もあるはずだ、と。
そう考えた。
「そしてもう一つ」
クリスは細剣を地面に突き刺す。
同時、足下に魔法陣が広がった。
「求めるは火帝、豪炎の破壊」
唱えた詠唱によって細剣に魔法が付与されていく。
けれどそれだけではない。
もう一種の魔法陣が足下に広がる。
「求めるは雷神、帛雷の慟哭」
二つ目の詠唱を。
二つ目の魔法を細剣に与える。
「……まさか…………」
キリアが目を見張った。
クリスは微笑みながら突き刺した細剣を引き抜く。
細い刀身には炎が吹き荒れ、雷が閃光の如く鳴動していた。
「魔法剣“火雷”――ホノイカヅチ。自分はそう呼んでいます」
クリスが生み出した唯一。
オリジナルとでも言うべき魔法剣。
「これもキリアさん達がやったことの応用……というわけではありませんが、ヒントにはさせてもらっています」
元々、魔法陣を砕くという発想はセリアールに存在しない。
魔法とは決まりきったものであるからこそ、威力を求めるのであれば“神話魔法”の使い手にならざるをえない。
誰もが思っていたことだ。
けれど風穴はある。
優斗とキリアがそれを証明した。
「反発するから合わせることが出来ない。だからこそ発動前の魔法陣を砕くわけですが、それでも制御は難しい。しかし反発しないのであれば発動後でも合わせることは出来る。自分でもやってやれないことはない」
難しいことには難しい。
過去に色々と試した人物とているだろう。
けれど現存していないということは、諦めたか無理だと悟った。
しかしクリスは目の前に異常な師弟がいるからこそ、諦めなければ出来るだろうと信じていた。
「もちろん貴女達のあれと比べれば効率が悪いことは確かです」
先に使った炎の最上級魔法と言うべきものも。
今、扱っている魔法の共存による魔法剣も。
効率という点では確かに分が悪い。
「けれど捨てたものではありませんよ、魔法の重ね掛けというのも。特に“火雷”は属性の共存が出来ますから、利便性は貴女達の魔法よりも上であると自負しています」
微笑むクリス。
そこには確固たる意思が存在する。
キリアと同じように、同じ者達を目指す視線が確かにある。
「確かにあの二人は強いですよ。自分とて勝てる気はしません」
誰が、とは言わない。
けれども伝わる。
どの二人のことを指しているのかキリアは分かる。
「しかし――負けているのに『それで良し』とするわけでもありません」
最強無敵の二人だから。
チートの権化と化け物だから。
だから追いつけないと諦め見切りを付けて、なあなあに過ごすのか?
だとしたら、引き継いだ名を語る資格など一切ない。
「自分は歴代の方々が築いてきた『学院最強』としての矜持があります。学院の看板を背負った責任があります」
自分こそがリライト魔法学院を代表する存在なのだ、と。
自負がなければ矜持も責任も存在しない。
「そしてイズミが評してくれました。『完全無欠』と」
絶対的なオールラウンダー。
弱点など見つからない存在。
「とはいえ穴が無くとも弱ければ何の意味もない」
今でも十分だと誰が思うものか。
最強と無敵がいるというのに、思えるはずがない。
「自分は己に対して、そんな『甘いこと』を許したくはない」
なればこそ足掻く。
ただ一人で修練していた日々を種にして。
仲間が出来たからこそ知ったことを糧にして。
「案外、負けず嫌いなんですよ。自分も」
男としての退けないものがある。
『学院最強』として背負うもの、果たすべきものがある。
なればこそ足踏みしているわけにはいかない。
「これが……学院最強」
キリアはクリスの言葉を聞いて、鳥肌が立った。
これこそが宮川優斗と内田修に庇護されるわけでも守られるわけでもなく、一緒に戦える実力者の姿。
「……ッ」
ぞくり、とする。
考えてみればそうだ。
あの心配性な優斗や修が気にせずに背中を預けられる。
そんな相手が同世代で何人いるというのだろうか。
「はは……っ。十分クリス先輩もありえない存在ってわけね」
身を以て体験した。
今代の学院最強の凄さを。
当時の先代すら超える強さを。
「強い」
誰もが驚いていた。
誰もが唖然としていた。
誰もが騒然していた。
けれどその中で、唯一相対しているキリアは笑みが零れてしまう。
「ほんと、どうしようもなく強い」
上には上がいる、なんて分かってる。
だから沸き上がる感情を抑えきれない。
――勝ちたい。
強い相手に。
全身全霊で戦いたい。
でなければ自分が今、ここにいる意味がない。
武者震いを戦う意思に変えて、キリアは構える。
「行くわ」
「応えましょう」
クリスも同様に細剣を構える。
先に動いたのはキリアだった。
「水麗っ!」
水の精霊を纏わせ、距離があるにも関わらず剣を一薙ぎ。
飛沫がクリスへと襲いかかる。
その隙にキリアは下がり詠唱を始めた。
「甘いですよ」
けれどクリスは躊躇せずに飛沫へと飛び込む。
雷撃が水の塊を破壊し、炎撃が水を蒸発させる。
同時、右前に足を踏み込み横薙ぎをキリアへ見舞う。
「フッ!」
「――っ! まだっ!」
キリアは左から襲ってくる細剣をかろうじて弾く。
だが雷撃が僅かに身体に触れた。
刺すような痛みがキリアの全身を貫き、
――くそ、予測じゃ間に合わない!
キリアは内心で舌打ちをする。
ギアを一段上げた……どころではない。
体感的には三倍にも四倍にも感じる。
本能と経験による予測ではどうしても遅れてしまう。
追いつけない、判断がつかない、かわしきれない、確定しきれない。
――だったら……。
求めなければならない。
予測の先にある“予知”を。
「……っ」
返すように右から振り抜かれた剣先をかわしても炎が服を僅かに焼いた。
雷も僅かに皮膚へ突き刺さる。
――まだ判断が遅いわ。
クリスの行動の予測開始場所はもっと早められるはずだ。
もっと正確に挙動を読むことが出来るはずだ。
動きから見通せ。
始動から感じろ。
1秒先の未来を想定し確定させるんだ。
「くっ!!」
しかしクリスは速い。
縦横無尽に迫り来る流麗な剣戟を裁ききれない。
幾筋もの血がキリアの身体から溢れてくる。
やはり近接戦闘で勝つ手段は存在しない。
一歩、無理矢理に力を込めてバックステップをした。
「求めるは連なる火神、灼炎の破壊」
しかし少し距離を空けただけなのに、最上級の威力を誇る火の魔法が放たれた。
キリアは無理矢理に横へ飛んでかわす。
――1回だけでいいのよ。
躍起になる。
何回か、なんて贅沢は言わない。
一度だけでいい。
クリスの行動を完全に先読みすることが出来れば、
「――っ!」
その瞬間を見つけた。
左脇に収められる細剣の予兆。
威力を発揮する為の僅かな、コンマ数秒の溜め。
「闇の精霊!」
ほんの少しだけクリスの眼前に広がる暗闇。
もちろん微かでも動けば再び視界は開ける。
「次っ!」
そこを狙い撃つようにキリアは光玉を生みだし、爆ぜさせる。
――これで一瞬でも視界は眩むはず。
暗闇からの光。
短時間の出来事であろうと目が追いつかないはずだ。
瞬間的な高速移動で距離を取ったキリアは魔法陣を砕く。
「求めるは穿つ一弓――っ!」
だからこれで逆転してみせる。
クリスが自分の姿を捉える前に、今使える最強の魔法を最速で編んで放ってみせる。
◇ ◇
『闇の精霊!』
優斗はキリアの動きを見た瞬間、僅かに立ち上がった。
「――っ! 違う、そうじゃない!」
思わず出てしまった大声が弟子に伝わるわけもない。
キリアは魔法陣を合わせ、砕き、組み合わせ、光の弓矢を生みだそうとしている。
追い詰められたからこその逆転を目指した一手。
しかし、それは間違いだ。
焦りから最善の手段を間違えている。
彼女が求めなければならなかったのは予知ではない。
完全にかわしきれないのであれば、最小限のリスクを以て攻撃へと転じる攻防の見通し。
「……馬鹿」
けれどもう遅い。
僅かに存在した“勝利”という細い糸が、
『――消滅の意思ッ!!』
魔法の完成と共にプツリ、と切れた。
◇ ◇
光の弓矢を生みだして構える。
キリアが使った魔法で欠点があるとすれば、砕いた魔法陣を組み合わせる際にどうしても相手から注意を逸らしてしまうこと。
優斗のように無理矢理に組み合わせることが出来ず、丁寧に合わせなければならないから。
それがほんの僅か、コンマ数秒の時間だったとしても……。
クリスほどの相手となれば絶好機へと変えられてしまう。
「……えっ?」
キリアは視界にクリスを捉えていた。
意識は一瞬逸れたとしても、間違いなく視界の範囲内に入れていた。
なのに消えた。
陽炎のように、ふっと見失った。
「終わりです」
真横から聞こえる声。
同時、踏み込まれる足と同時に身体が吹き飛ばされた。
「うぐっ!!」
キリアの全身に痛みが走った。
さらに地面を転げて激痛が広がっていく。
「……こん……のぉっ!」
身体に刻まれる痛みを無視して無理矢理に左拳で地面を殴りつけ、反動で身体を浮かせ態勢を立て直す。
多少無理をした為か、左腕の感覚が無くなった。
それでも、と視界範囲外から襲ってきているであろうクリスに対し、
「風雅っ!」
精霊を纏わせた一撃を真横に放った……つもりだった。
何かに接触した感触はないのに、振り抜いているはずの腕の軌道が下へ変えられる。
さらにキリアの意思に反して巻くような動きになり、瞬間――ショートソードが真上に跳ね上げられた。
「――あっ」
そして首筋に細剣を当てられる。
「…………」
フェイルが近付いてくる。
もう、細剣を払ったところで無意味だ。
態勢は決まった。
しゃがみ込んでいる敗者と相手の首筋に細剣を添える勝者。
冷たい感触がキリアに悟らせる。
ぐっと奥歯をかみ締めて、言った。
「……参り……ました」
告げたと同時に細剣が鞘へ収まる。
会場のボルテージが高潮に達した。
素晴らしい戦いをした二人に賞賛の声が広がっていく。
その中でキリアは悔しそうに呟く。
「クリス先輩も……出来たのね」
瞬間的な移動。
優斗が教えてくれた技。
あれだけ頑張って会得したものを、彼は容易に使ってきた。
「レイナさんの速さはこれですから。扱いが難しいので常時使えるようなものではありませんが、虚を突くぐらいには必要かと思ったんです」
あくまでこの技は視界から消えるほどの速度で移動するだけだ。
気配を感じ、さらに反応できる者達には通用しない。
「あれは目眩ましにならなかった?」
「ええ。キリアさんは彼の直属ですから、こういうことも教わっていると思っていました」
「……そう、よね」
本当に目を眩ませられたなら、彼が動けるわけがない。
そうでなかった以上、キリアの行動は読まれていたと考えるのが普通だ。
「………………どうしようもないくらい、負けね」
これでキリアの闘技大会は終わりを告げた。
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