第138話 only brave:目指した末に
少女は少々、不可思議な存在だった。
出会ったばかりの男に全幅の信頼を置き、男が言ったことに対して首を横に振ることは無い。
「どうしてそんなにも儂を信頼している?」
「貴方が『天下無双』だからです」
男が問いかけると、少女から予想外な答えが出てきた。
「これは力によって得られた二つ名だ。それがどうして信頼になる?」
「貴方の英雄譚を聞いていれば、信頼するに値すると思います」
けれど彼女の返答は要領を得ない。
男はさらに首を捻るばかり。
「不可思議なことを言うな、そなたは」
疑問符を頭に浮かべている男に対して、少女は嬉しそうで悲しそうな……色々な感情をない交ぜにした表情になる。
「……ただ、私は『天下無双』の話を昔から聞いていて、憧れと尊敬を持っていました。だから信頼しているんです」
それから数年。
男と少女は日々を平穏に過ごした。
天下無双の話を聞いては“大魔法士の許嫁”が目を輝かせ、少女の話を聞いては男は笑う。
「そなたを妻にする大魔法士は喜ばしいだろうな」
「そうですか?」
「髪の色といい、儂の初恋の女に似ているからな。間違いない」
懐かしそうに目を細める男。
不意に少女の瞳が揺れた。
「……貴方は結婚をしていないと伺いましたが、本当ですか?」
「他に好きな女が出来なかったから仕方なかろう」
男が言うと、少女は押し黙った。
「爺を哀れむか? リーリアよ」
くつくつとからかうような男に対して、少女は顔を上げて否定した。
「そ、そういうわけではありません!」
ぶんぶんと頭を振る少女に男は朗らかに笑う。
「今はそなたが大魔法士と結婚するのを見るのが楽しみなのだ。年齢的には孫みたいなものだからな」
男はぐしゃりとおおざっぱに少女の頭を撫でる。
もし仮定として孫がいるとすれば、このような少女であってほしいと思う。
◇ ◇
リライト王城に近くにある修練に使われる広間で、二人の男が相対する。
フェイルが審判のようなものを務め、レイナと副長はアリーの背後に。
「あまり気落ちしているわけではないのですね」
アリーは隣にいるリーリアに話しかける。
「正直に申し上げれば会ったこともないお伽噺の存在――『大魔法士』と結婚だと言われても、現実味がなかったのです」
選ばれただけであり、自分から望んだ立場ではない。
だからこそ落ち込むということはなかった。
「アリシア様、お尋ねしてもよろしいですか?」
「どうぞ」
「大魔法士とは、どのような方なのですか?」
でも気になることもあった。
紛いなりにも“大魔法士の許嫁”と呼ばれてきたからこそ、今代の大魔法士はどのような存在なのかと。
するとアリーはおかしそうな笑みを浮かべ、
「優しく温和で、妻のことをとても大事にしている方ですわ。友人という目で見るのならば、楽しいことも馬鹿なことも一緒にできる方です。ちなみにわたくしと大魔法士は、冗談で従兄と呼べるほどの気軽い間柄ですわ」
なぜか自慢するかのように言う。
いや、おそらくは彼女的に自慢なのだろう。
だからこそリーリアは困惑した。
「…………はあ」
ものすごい的外れな返答がきた。
というかこれがリライトの宝石と呼ばれる大国の王女、アリシア=フォン=リライトなのだろうか。
「……えっと、その、申し訳ありませんが、本当にアリシア様……なのですか?」
確かに美しい。
自分も男性から色々な賛美を受けてきて、それなりの容姿をしていることは自覚している。
だが、そんな自分すらも霞むほどの美しい女性が……なんか変だ。
先程感じた気圧されるまでのカリスマが何もかも消し飛んでいる。
「あら? わたくしを誰だと思って先程から話してらしたのですか?」
するとアリーはからかうかようで、挑発するかのような笑みを浮かべた。
さぁ、とリーリアから血の気が引く。
「も、申し訳ありません」
慌てて頭を下げた。
別にそういった意味ではないので、勘違いされているとしたら大変失礼なことを言ってしまった。
「ふふっ、冗談ですわ」
されどアリーもこの態度はわざと。
「こういうところが大魔法士と似ている、と言われるのです」
くすくすと笑うアリーにリーリアも強張った身体の緊張を解す。
と、同時に剣戟が響いた。
「始まりましたわね」
アリーの視線が柔らかなものから鋭いものへと変わる。
「天下無双。名を聞いたことはありますが、実際はどうなのですか?」
横目でリーリアに尋ねれば、彼女は一切迷い無く答えた。
「その名の通りです。他に並ぶ者がないとさえ謳われた最高峰の実力者。リライトの勇者であろうともやはり、難しいと思われるですが。いえ、本音を言わせていただけるのであれば、大魔法士であろうとも天下無双に勝つことは無理だと思っています」
今の発言から窺えるのは、マルクに対する絶対の信頼。
朧気な大魔法士の実力ではなく、知っているが故の確固たる『天下無双』の実力を彼女は信じている。
アリーは彼女の言葉に目を細め、
「リーリアさん、貴女が天下無双のことを信頼しているのは分かりますわ」
先刻の会話で彼女はほとんど、入ってこなかった。
全幅の信頼をマルクに置いているからだ。
「でも、わたくしも信じているのです」
眼前で剣を振るっている少年を。
「わたくしの勇者であるシュウ様を」
誰よりもアリーは信じている。
だから負けるはずがないと思っている。
「それに何よりも、あの二人は特別なのです」
修と優斗。
互いを同等と認める、他の誰も入ってこれない頂に立っている者同士。
「大魔法士は唯一、シュウ様と『力』で並び立てる存在なのですわ」
「……大魔法士が……唯一?」
リーリアの問いかけにアリーは首肯する。
「同じ場所に立っているからこそのシンパシー。シュウ様の孤独を理解できる唯一の存在。だからこその絶対の信頼」
二人の戦いを見ながら、羨むような言葉を告げる。
「数あるうちの一つとはいえ、妬けてしまう関係ですわね」
“特別”だということが分かるから。
羨む気持ちがないと言ったら嘘になる。
「でも、そんな二人を見ているからこそ彼らは同等であると理解できますわ」
優斗が最強であるならば、修は無敵である。
これは自分達の中で絶対だ。
「しかしながら、貴女は大魔法士ですらも天下無双には敵わないと仰いました」
あの『最強』が『天下無双』には勝てないと言ってのけた。
だからだろうか。
アリーは訊きたいと思った。
「貴女は何を以て天下無双を信じているのですか?」
◇ ◇
剣を振り抜く速度は年輩とは思えないほどの速度。
そして受ける剣に轟くは予想以上の衝撃。
「これがじいさんの振るう剣かよ!」
想定外も想定外だ。
けれど、それは年齢からしての想定外。
『力』として見れば、修の予想を超えることはない。
――でも、すげえな。
この歳になって、この剣裁き。
衰えた肉体を経験でカバーし、失った筋力を技術でフォローする。
まだまだ一線で戦えるほどの『力』を持っている。
とはいえ修は彼の横薙ぎ、上段からの振り抜き、時折混じる魔法すべてを防ぐ。
そして防ぎながら……思う。
彼は何を考えて戦おうとしたのだろうか、と。
修は右から飛んでくる剣閃を防ぎ、その反動を利用して後方へと飛ぶように下がる。
そして防御主体の構えを取った。
「…………」
けれど追撃はなく仁王立ちするマルクの姿があるだけ。
「どうしたんだよ、じいさん」
ずっと攻め込んできていた彼だっただけに違和感がある。
けれどそれはマルクも同じこと。
「……なぜだ」
手を合わせただけで分かる。
目の前にいる少年は強い。
少なくとも“防戦一方”になるなどありえない。
こんな爺が一方的に攻めるなんて、そんな現実は存在しない。
「小僧、なぜ手を抜く!! この儂が分からぬとでも思っているのか!!」
言ったはずだ。
示せ、と。
最強と同等と言うならば、見せろと。
自分はそう言ったはずだ。
「大魔法士はもっと……」
自分が辿り着けない場所にいる。
「もっと……っ!」
自分が名乗れないほどに遠い場所にいる。
「もっと強いはずだ!!」
自分の伸ばした手が届かないほどに、遙か彼方に存在する『二つ名』なはずだ。
『最強』という意は、最も強いからこその意。
なのに、こんなにも近くにあると思えるものか。
「……じいさん」
届いた天下無双の独白。
修は驚いたように目を見張り、そして申し訳なさそうに頭を掻いた。
「悪かったよ」
確かに様子見していた。
まったくもって余裕を持った戦いをしていたのは否定できない。
けれど、気付かされた。
今の発言で修も分かることができた。
――このじいさん、きっと……。
“負けたい”と思っている。
いくら歴戦の戦士とはいえ、今のマルクは昔より実力が落ちていることだろう。
だとしても圧倒的に負けることはない。
それだけの経験を持ち、力を持っている。
ならば“昔の自分”は負けるはずがない、と。
感じてしまうのが道理。
修は気合いを入れるため、両の頬を叩く。
「謝りついでに先に言っておく」
そして身体に力を込めた。
「これからあんたをボッコボコにするけど勘弁してくれな」
宣言しながら重心を前に傾ける。
天下無双が歯をむき出しにして笑った。
「言ってくれるな、この小僧がっ!!」
同時、修が弾けるように飛び込んだ。
今までの速度とは段違い。
体感にして倍は違うのではないかと思えるぐらいに、霞んで見えた。
「……っ、速い!」
マルクは半ば反射的に防御の態勢を取るが、
「おせえ!」
修は叩き付けるように剣を振るった。
型などない、まるで無造作に上から下へとぶちかまされた一撃。
と、同時にバックハンドブローが飛んでくる。
それをすんでのところで躱す、が今度は回転した勢いを使った横薙ぎの剣閃が視界に入ってきた。
「……ぬぅっ!」
かろうじてマルクは自らの剣で横薙ぎを逸らす。
怒濤の攻撃が天下無双を襲った。
まるで縦横無尽にして自由奔放。
剣技と呼べるほど洗練されたものではない。
けれど押される。
「うっしゃあっ!」
剣を防げば次の瞬間に蹴りが飛んでくる。
まだ蹴りならマシだが、不意に拳も襲いかかってくる。
ハチャメチャであり、予測を立てにくい。
しかし、
「……くくっ」
気付かぬうちに笑い声が漏れる。
久しく忘れていた。
戦いというものを。
挑む、という感情を。
「30年早ければ良かったかもな!」
修が挑発するように大声を出した。
「抜かせ! 小僧、まだ産まれていないだろうが!」
攻撃に転じる。
僅かな間を縫った突き。
それを修は、
「しゃらくせえっ!!」
剣を手放し前へと踏み込みながら右の手の平を使って逸らした。
同時に左手でボディーブローするように当てると、
「ぶっ飛べ!」
風の魔法を叩き込んでマルクを弾き飛ばす。
◇ ◇
「幼い頃からずっと天下無双の話を聞いて私は育ってきました」
二人の戦いを見ながらリーリアを思い返すように話す。
「だから私は“大魔法士の許嫁”となった際、一つのお願いをしました」
けれど視線はマルクに固定されている。
「護衛は天下無双がいいと」
ずっと聞き続けてきた。
憧れて尊敬し続けてきた。
「誰が天下無双の話を?」
「……お祖母様が話してくれたのです」
たくさんの事を。
天下無双になってからの話を。
天下無双になる“前”の話を。
「“大魔法士の許嫁”という制度がなければ、もしかしたらあの人は私の……」
話している最中にマルクの吹き飛ぶ姿が二人の目に映った。
そこでリーリアは口を噤む。
胸元を強く握り、少し目を伏せた。
「……リーリアさん」
アリーは彼女の言葉から一つの推論が浮かぶ。
このような偶然があるのかどうかは分からない。
けれど、彼女の態度と想い。
その全てを鑑みるとするならば、
「貴女はもしかして――」
◇ ◇
吹き飛ばされ、地面に伏している身体に力を込めてマルクは立ち上がる。
「……くっ」
だが軽く蹌踉けてしまい、剣を杖のようにして身体を支えた。
「なんだよ、じいさん。もう疲れたのか?」
「うるさいわ」
とはいえ本音を言えば、今のは効いた。
久方ぶりに身体の芯までダメージが残っている。
「しかし、そうだな」
年齢的なことも考えれば長々と戦えば戦うほど、自分は不利になるだろう。
ならば、だ。
「名残惜しいが、これで最後にするとしよう」
魔力も体力も余力のあるうちにやるしかない。
「小僧。これから儂は最後にして最大の攻撃を放とう」
己の“最強”を撃つ。
「逃げることなど……するわけもないか」
言葉として修に告げているマルクはふっと笑った。
相対する修は剣を地面へと刺し、絶対に逃げないと示すように右手を突き出した。
彼はマルクがこれから何をするのかを理解している。
でも、だからこそ逃げない。
「この『天下無双』に対して、真っ正面から上回ろうとしてくれるのだな」
自分が何を求めているのかを理解しているから。
自分がどうしてほしいのかを分かっているから。
修は避けることなどしない。
真っ正面から真っ向勝負。
そして打ち砕く。
これこそがマルクの望んでいること。
「…………振り返れば頑固としか言えない道のりだった」
脇目もふらず、常識を言われても無視する。
ただ一人を求めたが為に、他に脇目を振ることもなかった。
けれどもう――40年
決着をつけてもいいだろう。
マルクは修を見据える。
「見せてみろ、小僧。『最強』と同等である『無敵』の強さを」
長く、永く歩いた。
見果てぬ道を駆け抜けてきた。
けれどそれも、決着だ。
永年の感情を全て込めて、今一度叫ぶ。
「示してみせろ!! 『無敵』であるお前が『最強』の強さを!!」
故に紡ごう。
求めたがこそ辿り着いた境地を。
研鑽の為ではなく、誇る為ではなく、栄光の為でもない。
ただ一人の女性の為に、ただ一つ求めた『名』を目指した末に届いた場所。
『求め爆ぜるは炎の定め』
誰も謳わぬ神話をここに紡ごう。
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