第133話 蹂躙

 不思議な人だとケイトは思う。

 

『この指輪は彼の全てとなる』

 

 村に関係ないからこそ迷惑を掛けろ、など。

 

『我が名は優斗。彼の者と契約を交わした者』

 

 どう考えても不思議だ。

 

『我が呼び声、我が呼びかけ、我が声音。全ては祖への通り道となる』

 

 ただ、彼から聞こえる声は暖かく。

 

『願い求めるは根源を定めし者。精霊王と呼ばれし者。全ての父よ』

 

 彼から届く言の葉は柔らか。

 

『今こそ顕現せよ』

 

 けれど凛として響く。

 どうしようもないほどに安心を感じてしまう。

 どうしてか触れることを許されない神聖さを感じる。

 

『来い』

 

 左手を広げ、威風堂々立つ姿。

 

『パラケルスス』

 

 ケイトはその姿に――お伽噺を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 優斗は視線を精霊王に向けると一言告げる。

 

「護れ」

 

『契約者殿が望むこと、違えることなく』

 

 ふわりと浮かびながらパラケルススが何かを唱え始める。

 優斗は見届けると、ケイトに振り返った。

 

「ノイアーがどこに行ったか分かる?」

 

「たぶん、カプスドル伯爵のところ」

 

 それ以外ない。

 

「場所は?」

 

「この一本道を行けば着くわ」

 

 ケイトが経路を指差す。

 優斗は一つ、首を縦に振った。

 

「了解。あの馬鹿をケイトさんのところへ連れ戻しに行ってくる」

 

 そして駆け出した。

 当然、彼の不可思議な行動に村にいるカプスドル伯爵の護衛達が気付いている。

 

「さっきから何をやって――」

 

「邪魔だ」

 

 立ちはだかろうとした5人の護衛を一瞬にして吹き飛ばす。

 同時、一気に村の中がざわついた。

 護衛達も村人も何事かと騒ぐ。

 だが、

 

『これで終いとしようかの』

 

 パラケルススが手を翳し、護衛達が動く前に身体へ一気に重みが掛かった。

 一人残らず全員が地面に押し潰れる。

 

『まこと、運が無い奴らだとは思うが……契約者殿がいる以上、命運も尽きたと思うほうが懸命というもの』

 

 余裕綽々の表情で村中を見回すパラケルスス。

 優斗が走り始めてから僅か10秒ほどの出来事。

 ケイトも呆気に取られた。

 というか目の前に浮いているのは何なのだろう。

 

「……おじいちゃん、何者?」

 

『ちょっと凄いおじいちゃんとでも言っておこうかの』

 

 茶目っ気を出しながら、パラケルススは微笑んだ。

 

 

       ◇      ◇

 

 

 鉈を振り回す。

 だが、どうやっても当たらない。

 

「おいおい! それで攻撃のつもりか!?」

 

 囲んでいる50人から嘲笑が飛んでくる。

 カプスドル伯爵邸の門の前で、ノイアーは護衛達に囲まれながら立ち向かう。

 笑われても、馬鹿にされても構わずに振り回し、振り回し、そして、

 

「おら、腹が留守だぞ」

 

 膝蹴りを食らった。

 

「……うぐっ!」

 

 衝撃と痛みでノイアーは跪く。

 すぐに立ち上がろうとしたが、背から足蹴にされる。

 さらには足も手も踏みつけられた。

 折れてはいないだろうが、痛みが走る。

 

「……っ!」

 

 耐える。

 こんなので叫んではいられない。

 自分が諦めれば、ケイトはもっと苦痛を……絶望を味わうことになる。

 

「ああああああぁっっっ!!」

 

 叫んで暴れる。

 どうにか起き上がる為に。

 しかし、

 

「少々うるさいよ」

 

 カプスドル伯爵がいつの間にかやって来て、ノイアーの頭を踏みつける。

 一瞬、ノイアーの目が眩んだ。

 が、すぐに踏みつけた相手を睨み付ける。

 対するカプスドル伯爵は飄々とした表情のまま。

 

「まったく、こんなことをしても無駄だというのに」

 

「オレは父親だ! 妻と娘を守るのがオレの役目だ!」

 

「その為に村はどうなってもいいと?」

 

「……っ」

 

 ほんの僅か、抵抗するノイアーの力が緩まった。

 そうだ。

 自分が反抗すれば災厄は全て村に降りかかる。

 

「いいねぇ、その表情。男ではあるが非常にそそられる」

 

 舌なめずりをするカプスドル伯爵。

 

「このまま無力感を噛みしめたまま殺したらもっと、そそられるだろうかね?」

 

 けたけた、と。

 けらけら、と。

 抑えきれない笑いを必死に噛みしめる。

 

「そしてケイトという母親には、まず夫の首を持って最初の絶望を噛みしめてもらうことにしようか」

 

 頭を踏みつけていた足を外し、数歩下がるカプスドル伯爵。

 代わりに一人、大剣を持った男が前に出る。

 

「殺せ」

 

 躊躇うことなく。

 ノイアーの死ぬ間際の表情を楽しむべく。

 カプスドル伯爵は言い放つ。

 大剣を持った男は振りかぶり、振り下ろした。

 

「――ッ!」

 

 ノイアーは暴れてどうにか逃げようとした。

 だが手は動かない。

 足も動かない。

 頭だって左右に振ったところでたかが知れてる。

 あとコンマ数秒で首筋に叩き込まれる大剣。

 様々な感情がない交ぜになる。

 怒りも、恐怖も、絶望も、後悔も。

 何と形容していいか分からない表情になっていく。

 それこそがカプスドル伯爵の望むもの。

 見たかったもの。

 しかし、

 

「危ない危ない、間に合った」

 

 ノイアーの表情は、そこで終わる。

 場違いなほどに暢気な声と甲高い音が彼の耳朶に響いた。

 

「……えっ……?」

 

「ノイアー、父親が家族を守るっていうのは同感だよ」

 

 視界に広がる大剣はショートソードで受け止められている。

 気付けば両手足を踏みつけていた足はなく、自由に動く。

 

「だけど無茶と無謀は間違えたら駄目だと思うんだよね」

 

 ノイアーからは見上げる背しか見えない。

 けれど、この声は間違いなかった。

 

「……ユウ……ト……?」

 

「まったく。僕が間に合わなかったら今頃、天国に行ってるよ」

 

 笑みを浮かべながら宮川優斗が立っていた。

 彼は大剣をはじき飛ばしてノイアーを引っ張り上げる。

 

「どうして……ここにいるんだ?」

 

「ジャンプ一番、全員の上を飛んでここに到着」

 

 囲んでいる護衛達を一気に通り越し、ノイアーを抑えている奴らを吹き飛ばして剣を受け止めた。

 

「そ、そうじゃない!」

 

 けれどノイアーは首を振る。

 訊きたいことは、それじゃない。

 

「お前、何でいるんだよ!」

 

 意味が分からない。

 どうして優斗がここにいる。

 これは村の問題だ。

 自分の問題だ。

 彼の出る幕など一つもない。

 

「何を言ってるの?」

 

 だが優斗は柔らかな表情のまま。

 そして初めて会った時、彼に言われた言葉をそっくりそのまま返す。

 

 

「困ったときはお互い様。でしょ?」

 

 

 してやったり、といった感じの優斗にノイアーが呆ける。

 すると不用意に近付く男が一人。

 ニヤつき、舌なめずりをしながら優斗の肩に手を掛け、

 

「馬鹿がもう一匹、増えやが――」

 

 言い終わる前に優斗は足を払い、倒れていく男の顎がちょうどいい高さになったところで、思い切り蹴り砕く。

 そして振り上げた足を、今度は踵を用いて喉仏に突き刺した。

 

「どうした。何か言ったか?」

 

 返事などないと分かっているにも関わらず、優斗はあえて口にした。

 空気が一気に張り詰める。

 

「問答無用だね」

 

 だが、その中で拍手をした人物がいた。

 カプスドル伯爵だ。

 

「登場早々、豪快なことをやっているものだ」

 

 これほどあからさまな人数差があるというのに、遠慮なく戦闘不能にする。

 恐怖というものがないのだろうか。

 

「お前がカプスドル伯爵か」

 

 そして当然、優斗に恐怖などない。

 この状況下に何かを思うことなどあるわけがない。

 

「一つだけ聞かせてもらう」

 

 冷徹な視線を向けて優斗は問う。

 

「どういう基準で殺す人を選んでいる?」

 

 理由なき処刑なのだろうか。

 それとも何か理由があるのだろうか。

 

「気になるのなら教えてあげるよ」

 

 するとカプスドル伯爵は狂気の笑みを見せる。

 

「子を産んだ母親だ」

 

 ただ、それだけ。

 しかしそれが最高の処刑相手だ。

 

「子を産んだ後の母親というのはいい。子供を想い、子供との未来を願い、子供の成長を望み、その全てを台無しにされる瞬間というのは実にそそられる。夫がいる身で穢されたことによる絶望、汚されたことによる悪夢、命を絶つ瞬間に浮かぶ恐怖と諦め。あの表情が本当に愛おしい。私は今まで生後1ヶ月、半年、1年の子を持つ母親を殺してきたんだよ。だから今度は1年2ヶ月。子供が喋り初めて可愛い頃だろう?」

 

 絶望という絶望を感じさせて殺す。

 これほど愉快なことはない。

 

「なるほど。自身の娯楽の為に処刑をしているんだな」

 

 優斗は一つ、頷く。

 目の前の男がどういう人間かよく理解できた。

 

「つまり下衆か」

 

 人の風上にも置けない。

 最低の人間。

 

「よかった」

 

 このような男で。

 本当に安心した。

 

「何が『よかった』と?」

 

「決まっているだろう」

 

 これまで自分は仲間のことでしか戦ってこなかった。

 仲間の時ならば何があっても気にしない。

 どんなことになろうとも“どうにかする”。

 けれど今回、初めて赤の他人の為に動こうと思った。

 そしてここは他国で自分がどういう存在なのかも理解している。

 だからこそ『よかった』と思ったのだ。

 これほどの外道ならば、

 

「遠慮なく潰せる」

 

 何かを考慮する必要なんてない。

 

「ミエスタ女王がお前がしていることを知ったら、どう思うか考えたことはあるか?」

 

「いいや、考えるまでもない。女王といえど手が届かない場所は確実に存在するさ」

 

 カプスドル伯爵を地面を指差す。

 

「そして答えだよ、少年。だからこそ私はこのようなことが出来るんだ。村人の声なんてどこにも届かない場所だからね」

 

 告げて、今度は逆に問いかける。

 

「君は今まで私が愉悦し殺した母親達の仇討ちでもするのか?」

 

「僕にとって今までの人達は関係ないことだ。気にはしていないし、正直に言えばどうでもいい」

 

 気にもかけない。

 

「ただし今回のことは別だ。彼らには恩がある」

 

 泊めてもらった恩がある。

 食事をもらった恩がある。

 

「だからお前を徹底的に潰させてもらう」

 

「この人数を前にして、よくそこまで大見得を切れるものだね」

 

 人数にして50倍。

 ノイアーを守りきれるとでも思っているのだろうか。

 

「大見得?」

 

 だが優斗は鼻で笑う。

 

「悪いが切った覚えはないな」

 

 自分が出来ないことを言ってはいない。

 当然、可能だからこそ告げている。

 

「約束をした。ノイアーを連れ戻すと」

 

 赤の他人を信じてくれた彼女に。

 旦那を連れ戻すと言った。

 

「そして僕がこの約束を違えることはない」

 

 何があろうとも。

 

「……くくっ」

 

 けれどカプスドル伯爵は心底、面白そうに声を上げた。

 

「あはははははははっ! どうやってだ! これほどの人数を相手にする気か!?」

 

「当然」

 

 至極真面目に返す。

 

「殺すか殺さないのかを定めるのは別に適任がいる。せいぜい、手加減してやるから感謝しろ」

 

「気でも狂ってるのか。50人いるんだよ?」

 

 相手になるなど誰もが考えもしないだろう。

 だが、

 

「足らないな」

 

 優斗は言い切った。

 どうしようもなく数が少なすぎる。

 誰を相手にしていると思っているのだろうか。

 宮川優斗を倒したいのなら、

 

「最低でも1000倍は連れて来い」

 

 彼の声音に冗談の色はない。

 間違いなく、絶対として言っている。

 

「君のせいで村に迷惑が掛かる。それを承知で来ているのかい?」

 

 先程、ノイアーに言ったこと。

 彼を動揺させるに至った言葉。

 

「言っている意味が分からないな」

 

 しかし優斗には通じない。

 

「今日、ここでお前は終わる。どうして今後のことを考える必要がある」

 

 カプスドル伯爵に対して、あまりにも愚かな物言い。

 我慢できずに失笑した。

 

「あっはははははっ!! この私をどうやって――」

 

「お前程度をどうにか出来ない奴が、ここにいるとでも思っているのか?」

 

 まるで事実だと言わんばかりに高圧的な態度を優斗は崩さない。

 これも嘘を言っているとは思えなかった。

 初めてカプスドル伯爵の表情が険を含む。

 

「……何者だい? 君は」

 

「下衆に名乗るとでも思っているのなら、ずいぶんと僕の『名』を軽く見ているものだな」

 

 そして話は終わりだ、とばかりに優斗はノイアーに振り向く。

 

「……ユウト」

 

 ノイアーは少し呆然としていた。

 今のは何だったのだろう。

 口調も、雰囲気も、態度も。

 何もかもが知っている優斗と違う。

 けれど自分に向けられる雰囲気は変わっていない。

 馬鹿みたいに穏やかな優斗のまま。

 

「お前……二重人格だったりするのか?」

 

 この状況下でトンチンカンな問い。

 

「ノイアーって案外、肝が据わってるよね」

 

 硬い表情をほぐす優斗。

 二重人格だと言われたのは初めてで、ちょっとビックリした。

 

「こいつらぶっ飛ばすけど、どれくらいがいい? 『軽く』『適度に』『全力で』の三つがあるけど」

 

「全力で」

 

 考えるまでもなくノイアーが答えた。

 

「分かったよ」

 

 左手を振るう。

 指輪が輝き、背後には4つの魔法陣が生まれた。

 

「おいで」

 

 名すらも呼ばずに喚ぶ。

 ただ、それだけで四大属性の大精霊が召喚される。

 

「ノイアーをお願い」

 

 4体の大精霊が頷く。

 しかしノイアーにとってはよく分からない存在かもしれない。

 いきなり出てきたものに驚いていた。

 優斗は小さく笑って、再びカプスドル伯爵と相対した。

 表情は再び冷酷なものに変わっている。

 

「攻撃でもしてくればよかっただろうに」

 

 まあ、意味はないが。

 

「……それは何だ?」

 

 優斗の背後にいる大精霊に警戒する面持ちのカプスドル伯爵。

 

「なんだ、知らないのか。残念なことだ」

 

 馬鹿にするように挑発した。

 知識がないと嘲笑されているようで、僅かに眉をひそめるカプスドル伯爵。

 優斗はさらに囲んでいる奴ら全員を相手に言い放つ。

 

「さあ、50人。お前らはカプスドル伯爵の護衛なんだろう? これから僕はこいつを泣いて喚いて『もうやめて下さい』と懇願するまで虐げる」

 

 徹底的に。

 圧倒的に。

 絶望を感じるまで。

 

「護衛というのなら守ってみせろ」

 

 張り詰めた空気が広がる。

 息苦しい何かが場を支配し始めた。

 明らかに立場は逆なはずだ。

 彼の台詞は護衛達が言うことこそ普通であり、とても一人の男が50人に向けるものじゃない。

 けれど、誰もが否定も馬鹿にすることも出来なかった。

 戦う者だからこそ感じる――恐怖。

 

「とはいえ、守らなかったところで逃げられると思うなよ。お前らが“どうしてここにいるのか”を、こいつの発言で気付かないとでも思っているのか?」

 

 本当に最低の部類の奴らだ。

 どうしようもなく馬鹿にしている。

 だからこそ憐憫は必要なく、同情も容赦も思いやることなど欠片たりとも存在しない。

 

「一人残らず助かると思うな」

 

 これが皮切りだった。

 1対50の戦い。

 けれども戦いと呼ぶことすら生温い『1』の蹂躙が始まる。

 

 

       ◇      ◇

 

 

「……すっげーな」

 

 ノイアーの視界に映るのは、ある意味で恐ろしい光景。

 たった1人の人間が50人を相手取る。

 

「ユウト、こんなに強いのかよ」

 

 しかもほとんど一撃で戦闘不能にしていく。

 膝を、腹を、腕を、足を叩き折る。

 もう何人倒れているかは分からないが、おおよそ半数はやられている。

 気絶している者、痛みで苦しんでいる者、立ち上がれない者。

 様々だが一様に苦悶以外に恐怖を浮かべていた。

 残っている奴らが優斗を一斉に攻撃しようとしても、その前にショートソードの一薙ぎで吹き飛ばされ、集団に穴が空く。

 魔法を使えど斬られ、お返しとばかりの魔法が周囲を巻き込みながら放たれる。

 

「人間ってあんな簡単に吹き飛ぶもんなのか」

 

 護衛達は村人より強い。

 とはいえ、戦いの心得があっても優斗にとって雑魚は雑魚。

 中級魔法すら満足に扱えない集まりが敵うわけもない。

 ノイアーの前にも未だに人垣はあるが、自分の四方を守るように浮遊しているモノによって、攻撃一つ届いてこない。

 というよりも得体の知れない彼らに対して攻撃を躊躇っている。

 すると、

 

「やはり、もしもの用心というのは必要だね」

 

 カプスドル伯爵が懐に手をやった。

 

「あ、あいつ――」

 

 何かをやろうとしている。

 ノイアーの身体が思わず動くが、薄緑の大精霊が軽く手で制した。

 そして口元に指を当てる。

 

「……黙って見てろって?」

 

 こくん、と首を縦に振った。

 どうやら問題にならないらしい。

 

「これを使うのは初めてだから楽しみだね」

 

 六角形の板を放り投げたカプスドル伯爵。

 と、同時に聞こえてくるものがある。

 

『型無きは誰にも囚われず』

 

 ショートソードを振り、蹴りをかましながら優斗より紡がれる言葉。

 何なのかノイアーには分からない。

 けれどどうしてか、ただの言葉じゃないということだけは理解できる。

 

『誰にも捉えられず、誰にも防がれず、誰にも止められることはない』

 

 カプスドル伯爵の投げた板から六芒星の陣が生まれる。

 それが何かを悟った護衛達が巻き込まれないようにと、逃げるように下がった。

 そして出てくるは……魔物。

 

『故に何よりも自由な存在を妨げるは何も無い』

 

 その姿、体長にして8メートルの巨大な狼。

 カプスドル伯爵が勝ち誇り、

 

「さあ、あの少年を殺――」

 

『吹き荒べ烈風』

 

 魔物に命令をしようとした瞬間、鎌鼬と呼ぶことすらおこがましい数十、数百もの風が魔物を切り刻んだ。

 一瞬にしてカプスドル伯爵の横から吹き飛ばされ、門に叩き付けられ、それすらも打ち壊して伯爵の邸宅へと激突し絶命する。

 あまりにも常軌を逸した破壊力に護衛達の攻撃の手が止まった。

 

「魔物を呼べば勝てるとでも思ったか?」

 

 静かになった戦場で優斗がせせら笑う。

 

「わざわざ呼ばせてやったんだから感謝しろよ」

 

「……なっ!?」

 

「お前が魔法具と取り出した時点で何をするかは理解できた。それでもわざと召喚させてやったんだから、僕に感謝すべきだろう?」

 

 巨大な魔物を現れた瞬間に殺す。

 それほどの力を持ちながら未だ誰一人殺していないというのは、徹底的に手加減されていて『遊ばれている』と思えても仕方ない。

 カチャリ、と武器を地面に落とす音が幾つも聞こえた。

 

「……う……ぁ……」

 

 恐怖に震えながら踵を返し、逃げだそうとしている護衛達が何人もいる。

 しかし甘い。

 

「一人たりとも逃がすつもりはないと言ったはずだ」

 

 いつの間にか彼らの前には光の大精霊がいる。

 障壁に阻まれ、一向に逃げられない。

 

「お前らがこれからやろうとしていたことは、もっと外道なことだろう? それよりも甘いのに、どうして逃げる必要がある」

 

 さらに闇の大精霊が姿を現すと、黒い塊を生み出した。

 何だ、と誰もが思う前に塊は護衛達を一人残らず取り込み始める。

 あまりにも異様で恐ろしい状況。

 だが逃げようとしても無駄だ。

 呑み込む速度のほうが早い。

 

「暗闇の恐怖に絶望でもしてろ」

 

 未だ動いていた護衛全員を塊が取り込むと、優斗が吐き捨てるように言う。

 

「残るは一人」

 

 視線を向け、優斗はカプスドル伯爵に向けて歩き出す。

 

「く、来るな!」

 

 カプスドル伯爵が短剣を振り回しながら牽制する。

 護衛50人を容易に叩きつぶし、魔物すら瞬殺する輩。

 そんな化け物が近付いている。

 

「来るなと言っているじゃないか!!」

 

 叫び、威嚇するように短剣がきらめく。

 しかし意味がないにも程があった。

 優斗に短剣をはじき飛ばされ、カプスドル伯爵は胸ぐらを掴まれる。

 

「お、お前は誰に暴力を――」

 

「お前こそ誰を相手にしていると思っている」

 

 そして門壁まで持ち上げて歩いて行くと、顔面から叩き付けた。

 鼻の骨ぐらいは折れただろうが、それだけ。

 痛みも絶叫するほどのものではない。

 

「な、何が目的なんだ! 金なら出してやる! 謝礼でも地位でも何でも考慮してやる! だから――」

 

「“してやる”? どちらが上なのか理解できていないのか?」

 

 もう一度、叩き付ける。

 

「……う……ぐっ」

 

 今度は鼻血が出た。

 赤いものがカプスドル伯爵の服を汚していく。

 

「話を聞く余裕は出来たか?」

 

 優斗は特に感慨は無い。

 ただ単純に、叩き付ける。

 それがたまらなく恐怖を煽った。

 泣いても無駄。

 叫んでも意味がない。

 地位を振りかざそうと、金を見せようと関係ない。

 

「……な……何が目的……なんだ?」

 

「ノイアーとケイトさんに対する謝罪。村に対する謝罪。そして――」

 

 優斗は言いかけて、やめる。

 

「これは後で伝えよう」

 

 そう言ってカプスドル伯爵を投げ捨てる。

 

「まずはノイアーに謝罪しろ。自分が何をしようとしていたのか分からないほど愚図でもないだろう?」

 

「ふ、ふざけるのもいい加減にしたまえ! こんな村民に対……し……て……」

 

 思わず言い返そうとするカプスドル伯爵だが、段々と尻つぼみになる。

 

「どうした。言ってみろ」

 

 石ころを見るような視線を送る優斗。

 この視線をカプスドル伯爵はよく知っている。

 

「別に抵抗するのは構わないが、10秒経つごとにお前の四肢が消えていく。それでもいいんだな?」

 

 こいつは自分と同じだ。

 人を『人』と見ていない、どこまでも残虐になることが出来る人間の視線。

 

「安心しろ。僕がお前を殺すことはない。腕が飛ぼうと足を失おうとしっかり生かしてやる。ただし痛みで狂うなよ。後々、面倒だ」

 

 やると言ったのならばやるだろう。

 躊躇なんて単語は彼の中にない。

 それが問答無用で理解できてしまう。

 だから、

 

「……すま……ない」

 

 カプスドル伯爵は謝罪の言葉を述べた。

 

「伯爵様は最上級の謝り方を知らないのか?」

 

「……ぐっ……」

 

 優斗が暗に告げていること。

 それは貴族であるカプスドル伯爵のプライドが許すはずがない。

 だが、

 

「……申し訳……ありません」

 

 カプスドル伯爵は膝を着き、頭を下げた。

 考えてなどしていられない。

 すれば結末は分かっている。

 

「ノイアー、これで一旦は矛を収めてほしい。とはいえ別に殴る蹴るぐらいならやってもいいが、どうする?」

 

「……いや、正直言えばお前がやってるところを見ただけでお腹いっぱいだ」

 

 確かに全力でやってほしいと言ったが、こんな展開だとは思いもよらない。

 

「そうか」

 

 優斗は視線でカプスドル伯爵を促す。

 村についてこい、と言外に言っている。

 逆らえるわけもなく、カプスドル伯爵は頷いた。

 優斗とノイアーは二人で並んで歩く。

 

「なあ、ユウト」

 

「どうかしたか?」

 

「やっぱお前って二重人格だろ?」

 

 あらためて思う。

 というか別人にしか見えない。

 別に怖さというものはなかったけれど、やっていることは悪党も真っ青だ。

 優斗も自分で理解しているのか、苦笑する。

 

「否定できないかな、それは」

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