第113話  愛の使い方

 優斗は少しだけ安堵したのか、小さく寝息をたてた。

 フィオナは優しい表情を浮かべていたが……少し、曇る。

 

「……これで……優斗さんは傷つかない」

 

 小さく、息を吐いた。

 

「……まだ……駄目なんですね」

 

 宮川優斗の根底にあるものは分かる。

『フィオナを傷つけない』こと。

 悲しませず、苦しませず、大切にする。

 何人たりとも傷つける者を許さない。

 大切の中でも特別。

 まるで――宝石のように扱われている。

 

「…………」

 

 でも、彼は未だに変わらない。

 どれほどの言葉を受けても。

 どれほどの行動を受けても。

 その根底のために取る行動は……何一つ変わっていない。

 変える気がない。

 

「…………っ」

 

 だから彼にとっての間違いは間違っていない、と。

 これ以上、彼を苦しめないためには、そう告げることしか出来ない。

 

「…………ばか」

 

 ウィルが死なず、フィオナは悲しまずに済んだ。

 現に従弟のことでは今も悲しんではいない。

 間違ってはいない。

 

「…………ばかです」

 

 けれど正しくもない。

 彼は前提を間違えている。

 今までも、そして今も。

 

「…………」

 

 宮川優斗は『     』からこそ。

 一番大事な前提を刮ぎ落としている。

 

「……私はウィルが死なないで悲しまずに済みました」

 

 仮にも従弟だから。

 叔父、叔母、従兄を考えれば『死んでもいい』とは思えないから。

 

「……でも、ウィルを助けてくれて『ありがとう』も『うれしい』も……貴方に言ってないんですよ」

 

 言えるわけがない。

 言えるはずが……なかった。

 

 

       ◇      ◇

 

 

「お帰りなさいませ、旦那様」

 

 老齢な執事が出迎える。

 師団長は頷いて、居間へと足を運んだ。

 

「……良い具合に手加減されたな」

 

 痛みはない。

 治療魔法をかければ、すぐに傷もなくなった。

 

「本懐は遂げられましたか?」

 

 執事が尋ねる。

 

「……いや、できなかった」

 

 師団長はソファーに深く座る。

 そして、執事に今日の出来事を話した。

 

「彼――ミヤガワは後悔しているだろう」

 

 自分の行いに。

 

「冷静に考えれば、何も間違いなどないというのにな」

 

 経緯はどうであれ。

 結果は間違ってはいない。

 

「女を奪われたぐらいで殺そうとする、というのは些かやりすぎな類だろう。無論、俺や彼にとっては間違いではない。ただし一般的に考えれば、間違っている行いだ」

 

 常識として見るのであれば。

 

「殴ろうと、斬ろうと、何をしようと……殺してはならない。それぐらいの罪だ」

 

 殺されても仕方ない、ではない。

 殺すほどのものではなかったと。

 殺すのはやり過ぎだと。

 そう思われる問題。

 

「故にミヤガワがウィル=ナイル=ロスタの命を救ったことは正しい。お前もそう思うだろう?」

 

「私は旦那様の味方ですので、何とも言えかねますが……旦那様の意向に同意した方が正しいと?」

 

 矛盾している。

 

「結果を語るのであればな。無論、今でも心に怒りは渦巻き、ウィル=ナイル=ロスタを殺したいとは思っている。それを間違っているとは俺も彼も思っていない。だが、それとは別問題で語るべきだ」

 

 何を以て考えるのか、ということ。

 

「俺らからすれば、俺は間違っていないしミヤガワは間違っている。しかし同じ状況になれば、俺とて立ちはだかるだろう。己の考えと矛盾していたとしても」

 

 優斗はフィオナの為に立ちはだかった。

 そして自分は妻の為にと立ちはだかっただろう。

 騎士としての本分もある以上、優斗以上に。

 

「無論、止められはしないがな」

 

 止められるかどうかは別として、行動として同じ行動を取るだろう。

 

「しかし第三者の視点から見れば、俺が間違っていてミヤガワは間違っていない」

 

「……難しい話ではありますな」

 

「確かに。だから彼が必要以上に苦しんでいないことを祈る」

 

 最愛を傷つけない為という、理由があまりにも独善的な故に優斗は自身の行いが間違っていると思っている。

 第三者的の考えを持てば楽だろうに。

 であれば間違いではないというのに。

 優斗はしない。

 

「彼は俺より10歳以上も下だ。年若いのだから間違えて当たり前だろうに」

 

 優斗自身の考えと矛盾したとしても結果が正しいのであれば、それでいいはずだ。

 師団長は大きくため息を吐く。

 

「では、旦那様とミヤガワ様が苦しむ元となったあの方はどうなさるのですか?」

 

 執事が訊く。

 

「馬鹿のほうか?」

 

 ウィルを殴って終わらせると言ったのだから、これ以上どうこうすることはない。

 彼と約束をした。

 手を出さない、と。

 もちろん顔を合わせればどうなるかは分からないが、それでも出会わなければ約束は果たす。

 己を傷つけてまで、自分の願いを果たしてくれるであろう彼の想いを慮って。

 

「いえ、違います」

 

 けれど執事が首を振った。

 となると“あの方”が誰を指すのかは一目瞭然。

 

「離婚だ」

 

 師団長はすっぱりと答える。

 

「俺は他人のものになった女を置いておくほど、心は広くない」

 

 絶対に不可能だ。

 

「きっとあいつを前にすれば、また怒鳴るだろう。なじるだろう。ふざけるなと激怒するだろう」

 

 先ほどの繰り返しだ。

 裏切った女に対して、許すという考えはない。

 

「ただ、愛していた女だ。だからこれ以上、悪態を突くことはしない」

 

 けれど、だ。

 それだけ。

 最後の良心と言うべきもの。

 

「二度と顔を合わせる必要は無い。事の次第は全てお前がやってくれ」

 

 もう決めた。

 愛しているからウィルに怒り、殺そうと思った。

 けれど、愛していたが故に彼女を許せない。

 

「了解いたしました」

 

 執事が慇懃に頭を下げた。

 全てを決めたことで、師団長は力を抜く。

 

「……俺は最愛とすべき者を間違えたのだろうな」

 

 逃れられぬ結婚だったとはいえ結婚したからには愛し、愛したからには大切にしていこうと思った。

 唯一でいようと思っていくほどに。

 

「俺の恋愛観は、やはりコーラルにとって異端なのだろう」

 

 国柄に沿った恋愛ができない。

 

「ちゃんと一人の女性とやっている方もいらっしゃいますよ」

 

 思わず執事が言葉を挟む。

 

「数は多くないだろう?」

 

 師団長はフォローするなといった感じで手を振る。

 

「どうするか」

 

 これからのことを。

 未だに腹の底から気分が悪い。

 煮えるような熱さは憎悪であり、凍えるような胸の冷え方は殺意だ。

 

「…………」

 

 きっとこの国では同じ事の繰り返しになる。

 いっそのこと、愛する者を二度と作らないほうがいいかもしれない。

 思わず師団長が天井を仰ぎ見ると、執事は丁寧に腰を折って申し上げた。

 

「ならば――」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 夜道を歩きながら、ウィルは合流したカイアスに尋ねる。

 

「……兄さん。ぼくはどうして殴られたのかな?」

 

「分からないかい?」

 

 聞き返すカイアスにウィルは頷く。

 

「これはあくまで私の予想だけどね……」

 

 前置きをして、兄は弟に語る。

 

「お前が恐れていた師団長は会場に来ようとしていた。ユウト君が感じた殺気というのは、おそらく彼が放っていたものだろうね。そして殺気ということは、殺そうとしてたということだ」

 

 間違いなく殺しに来ていた。

 

「けれど今、お前は無事でいる。つまりはユウト君が“何か”をした。おそらくは交渉やお願いをされた結果、お前を殴ることで事を収める……ということになったんじゃないかな」

 

 あくまで想像の範疇でしかないが。

 大方、外れとも言えないものだ。

 

「本当に不思議なものだよ。一発殴ったことで、全てが終わるなんてね」

 

 激情家だと聞いている人物。

 なのに他人が殴っただけで終わるというのは、どうも腑に落ちない。

 

「……どういうことさ?」

 

「激情家が第三者に止められただけで止まると思うかい?」

 

 だから優斗が何かをしたと考えた。

 

「そしてもう一つの疑問は、どうしてユウト君が師団長を通さなかったのか、ということだよ」

 

 こちらも腑に落ちない。

 

「ユウト君はフィオナに手を出されれば国ごと破壊する、と言ってのける男だよ。そんな彼が“妻に裏切られた師団長”を止めた。少し不思議だとは思わないかい?」

 

 むしろ今言った理由でウィルを殺そうとやって来たのなら、優斗は間違いなく彼の行動に同意する。

 

「う、裏切ったって、そんな、ちょっとした――」

 

「それはお前の恋愛観だろう?」

 

 火遊びというのは、確かにウィルにとってはちょっとしたものかもしれない。

 しかし、

 

「言っただろう? お前は恨み、憎まれるようなことをしているんだと。私達のような者にとっては十分、裏切りなんだよ」

 

 憎悪するに値する。

 相手を怒り、憎み、殺そうとするほどに。

 

「私としては、フィオナの従弟だからユウト君がお前を助けたとは思っているけど、これに関しては本人に訊かないと分からないことだね」

 

 そこまで言って、カイアスは黙った。

 ルカは夫ほど理解ができていないので、彼女は何も問うことはない。

 少しの間、三人分の足音だけが響いた。

 

「……いくつか質問、いい?」

 

 恐る恐る、といった感じでウィルが口を開く。

 カイアスが視線で促した。

 

「殺気って……どうして分かったのさ?」

 

「それは私に訊かれても困る。ユウト君ほどの人物じゃないと分からないものなのだろうね」

 

 大魔法士と呼ばれるほどの者だからこそ、気付けた代物。

 

「もしかしたらぼくが対象じゃないって可能性は?」

 

「ありえないね。でなければユウト君がお前を殴る必要はない」

 

 なればこそ分かる。

 優斗が師団長と出会っていることに。

 

「だったら、ぼくは……」

 

 口の中、出血し続けている欠けた場所を感じながら、

 

「護られたんだ。あの人に」

 

 昨日出会った、フィオナの婚約者に。

 カイアスはウィルを一瞥すると、告げる。

 

「相対的に考えなくとも」

 

 今日の結果を見れば、

 

「絶対的にお前は格好悪いよ、ウィル」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あと少し歩いて、目標としていた場所へとたどり着く。

 目的の客室の前でノックする。

 すると、フィオナが出てきた。

 もう一人、いるはずの男性の姿はない。

 

「ユウト君は?」

 

「寝てしまいました」

 

 後ろをちらりと見て、フィオナは扉を閉める。

 彼らが話をしに来たのは分かった。

 ロビーのテーブルへと三人を促す。

 

「疲れてしまったのかい?」

 

「そうですね。結構、参ってましたけど……明日にはいつも通りに振る舞うと思います」

 

 少なくとも、それが出来る人だ。

 けれどフィオナの言葉を聞いてウィルが少し焦る。

 

「……け、怪我でもしたの?」

 

 だとしたら自分のせいだ。

 

「精神的に参ってるんです。怪我は一切ありません」

 

「で、でも、師団長を相手にしたんじゃ……」

 

「あの人からすれば、師団長の方でも取るに足らないですよ」

 

 大魔法士が負けるはずもない。

 

「とはいえ戦ったことで、精神的な負担があったのは事実です」

 

 自分自身を曲げたことが彼を傷つけた。

 

「……やっぱり、ぼくが悪いのさ」

 

「ウィルが悪いことなど私は百も承知しています」

 

 自嘲するウィルに対して、フィオナはピシャリの言い切る。

 

「でも、あの人はウィルを責めませんよ。後悔したのも間違えたのも、あくまでも自分が悪いと思ってますから」

 

 ウィルは関係ない。

 彼が傷ついたことも、苦しんだことも。

 

「い、いや、そんなことないさ。だって僕のせいで――」

 

「ウィルは何を勘違いしているんですか? 原因は貴方であろうと、優斗さんは私を悲しませないために戦い、傷ついた。私のためにどうしようもない馬鹿をやって傷ついたあの人の後悔も間違いも何もかも、私が受け止めるべきものです。ウィルの出る幕ではありません」

 

 しゃしゃり出てくる必要はない。

 

「フィオナ。間違いとは何だい?」

 

 カイアスが訊く。

 精神的に参ったということは、やはり同じ感情を抱いていたのに止めたことだろう。

 だが、間違いとは一体、何だ?

 

「彼にとって一番大きな間違いは、私を下世話な噂に巻き込んでしまうことです」

 

 そしてフィオナはカイアスに説明した。

 あの場でウィルを殴った理由を。

 

「カイアス従兄様。ウィルの行いはこの国において、殺されるほどのものですか?」

 

「いや、違うよ」

 

「でしたら、やはり優斗さんがウィルを救ったことは他人から見て間違いではないのですね」

 

 一般的に見れば優斗は正しいことをした。

 彼にとって意味はなくとも、それは幸いではないかと思う。

 

「ユウト君が他に間違っていると思ったことは?」

 

「師団長を止めたことです」

 

 明らかに優斗の在り方と反している。

 

「今回はたまたま、私が“まだ”ウィルを悲しむことができた。そして私は優斗さんが隣に居れば、何があろうとも厭わない。だから優斗さんには『間違っていない』と伝えました」

 

 師団長と戦ったことも。

 フィオナを噂に巻き込んでしまうであろうことも。

 優斗の視点では間違っていない。

 でも、と。

 フィオナは続ける。

 

「ウィルを護ってよかったと思っても、私を悲しませずに済んだとしても、あの人は師団長の方と戦ったことや過程に関してだけは、間違っているということを絶対に譲りません。第三者の視点で見れば何一つ間違っていないなどということは、絶対に考えることをしません」

 

 優斗にとっては、過程が本当に間違っている。

 

「私にとっては、前提から間違えているというのに」

 

 ぐっ、と。

 右手を握りしめる。

 それは悔しさであり、辛さであり、もどかしさだ。

 

「また、同じ事になれば……きっとあの人は傷つく。自分の感情を殺してでも、また同じことをする」

 

 何度だって同じことをする。

 

「その理由が『私が悲しむから』です」

 

 唯一にして絶対の理由。

 

「……馬鹿なんです、本当に」

 

 宮川優斗という男は。

 

「私だって同じように“最愛”に傷ついてほしくない、と。そう思っているのに。“最愛”が傷つく以上に辛い事なんて、ありはしないのに」

 

 自分だって彼と同じなのに。

 

「そのことを――あの人は気付きません。どれほどの言葉を、行為を届けても覚えておく気がないんです」

 

 そうしようとしない。

 

 ――だって。

 

 あの人は。

 

「どうしようもないほどに自己を考えていないから」

 

 あまりにも自分を殺してしまう。

 

「だから優斗さんが自身を責めないようにするには、ウィルが死ななかったことで『私は悲しまなかった』と。嘘では無くとも正しくはない事実を伝えるしかないんです」

 

 フィオナにはもっと辛いことがあるのに。

 もっと苦しいことがあるのに。

 言えない。

 

「それでも、伝えるべきだとは……思わなかったのかい?」

 

 カイアスが訊く。

 フィオナにとっての大前提を彼が間違えているなら、それを伝える必要があるはずだ。

 けれどフィオナは握りしめた拳を、さらに強め、

 

「……言えるわけ……ないじゃないですか……っ」

 

 どうしようもないほどの感情を吐き出す。

 

「だって優斗さんはたくさん辛いことがあって、たくさん苦しいことがあって、だから考えも、生き様も、存在も、ありとあらゆる点で――間違えすぎてるんです」

 

 あまりにも普通からかけ離れている。

 

「人を殺すことを厭わず、人を憎むことで生き抜き、人と違う力を持っている……何一つ正しいとは言えない人なんです」

 

 絶対的に打ち砕き、躊躇無く蔑み、容赦なく圧倒する。

 

「だから強い」

 

 敵を完膚無きまで蹂躙する。

 

「けれど……」

 

 同時に、彼はとても強くて優しい。

 己の本質を知っているからこそ、優しく在りたいと願い続けて、優しくいようとする。

 

「あの人は狂っているが故に……弱い」

 

 敵には強固な意志を以て相対する。

 それこそ大魔法士と呼べるほどに。

 けれど、違った場合。

 彼の敵ではないものが立ちはだかった場合、それは容易に彼の心を抉る刃になる。

 

「本当に弱い人なのに、あの人は私のためなら自身を傷つけることを厭わない」

 

 自己を投げ捨て、放棄する。

 

「私自身が誰よりも彼の刃になるというのに、傷ついた彼に『前提を間違っている』と言えるわけがない」

 

 宮川優斗はどうしようもなく『     』。

 それを彼自身は知っているのに、変えようとしない。

 だからフィオナの言葉が刃になってしまう。

 

「……言葉では届かない」

 

 何を言っても分かってくれない。

 気付いてくれない。

 知ってくれない。

 

「言葉では届かないから、態度で示さないと……。彼が気付いてくれるまで、ずっと示し続けていかないと」

 

 いずれ、やってくる。

 狂っているから弱い、彼の心の限界。

 

「……本当に……壊れてしまう」

 

 矛盾して、後悔して、宮川優斗は壊れるまで自身を傷つける。

 そして彼が壊れる理由はただ一つ。

 

「……私が壊してしまうんです」

 

 “フィオナの為”という想いが、優斗を壊す。

 

「私はまだ……あの人を支えきれてない」

 

 彼を形成した日々から。

 

「……癒しきれてない」

 

 彼を狂わせた人生から。

 

「……あの過去によって得てしまったものから、私は…………護りきれてない」

 

 今の彼に至らしめた歳月から。

 未だに救い出せていない。

 

「だから時間を掛けてでも、あの人が自分を大切に出来るま――」

 

「それは間違っているよ」

 

 フィオナの独白を、カイアスが止めた。

 カイアスは一度、ルカを見た後にフィオナを見据える。

 

「お前がやったことはやはり、間違っているよ」

 

 もう一度、彼女が理解できるように告げる。

 

「お前はユウト君にとっての間違えは、間違えじゃない……、と。そう言ったのだよね?」

 

 彼がこれ以上、傷つかないように。

 頷くフィオナにカイアスは首を振る。

 

「違うよ。お前にとって彼が間違えたこととは何だい?」

 

「……私のために自身を投げ捨ててまで傷つくことです」

 

「だったら、絶対にそれを言わないといけないんだ」

 

 フィオナがやったことは護ったことではなく、目を背けさせた。

 

「“愛”の使い方を間違えちゃいけない」

 

 傷ついてほしくない。

 護りたい。

 でも、だからといって目を背けさせてはいけない。

 

「でも、今の優斗さんをもっと傷つけるなんて……」

 

「今やらなければ、いつやるんだい?」

 

 確かに彼が普通ならばいいだろう。

 時間を掛けて、ゆっくりと。

 今回がたまたまで、今後数年、このようなことがないと断言できるのであれば。

 

「彼は一般人じゃない。大魔法士だ」

 

 世界最強と呼ばれる者。

 セリアールで特別視される存在。

 その身に降りかかる出来事は数多いはずだ。

 

「似たようなことは――すぐにやってくるかもしれない。時間というものは、あるようでないんだよ」

 

 言っては傷ついてしまう。

 ならば何も告げないで目を背けさせ、時間を掛けて正していく……ではない。

 

「届かないと嘆くんじゃない」

 

 嘆く暇があるのなら、届けろ。

 届くように伝えるべきだ。

 

「届かないと思うのなら、届くように泣いて、喚き、叫べばいいんだよ。『お前は一体、誰の最愛を傷つけているんだ』と怒鳴ればいいんだ」

 

 例え優斗を傷つけてでも。

 

「何度でも、何度だって、彼が変わるまでお前の想いを叫び続けるんだ」

 

 彼が変わるまで。

 そしてカイアスはふわりと微笑む。

 

「ルカはずっと、私にそうしてくれたよ」

 

 最愛の妻はカイアスの行動によって自身が傷ついていることを何度でも、何度だって言ってくれた。

 カイアスの行動はさして変わらなかったが、フィオナに会いに行くことはなくなった。

 疑われる回数を減らすため、来た時だけにしようと思った。

 もしかしたら、華開かせる誰かを待つことが出来たのも、ルカのおかげかもしれない。

 

 ――そう、だから。

 

 己の行動の結果を、本当の意味で“気付いている”か“気付いていないか”では大きな差がある。

 優斗とフィオナであれば、尚更だ。

 

「彼が自身を傷つけたとしても、それは間違いなく“フィオナの最愛を傷つけた”という意味に他ならない」

 

 絶対に。

 

「彼はね、今ここで気付くべきなんだ。自傷して護ったところで、最愛は何一つ喜ばないということを。その行動が何よりも最愛を傷つけていることを」

 

 手遅れになる前に知らなければならない。

 

「だからフィオナも覚悟を決めなさい」

 

 愛する者のために。

 誰よりも惚れている男のために。

 

 

「彼がお前への愛を以て間違うというのなら、お前が彼への愛を以て間違わせるんじゃない」

 

 

 何をしなければならないのかを、しっかりと見定めろ。

 

「……カイアス従兄様」

 

 思わず呆けたフィオナに、カイアスはさらに言葉を届ける。

 

「支えるんだろう?」

 

 ユウト・ミヤガワを。

 

「護るんだろう?」

 

 ユウト=フィーア=ミヤガワを。

 

「癒すんだろう?」

 

 宮川優斗を。

 

「だとしたら答えは一つだ」

 

 カイアスはフィオナの頭を撫でる。

 

「彼が“お前の為に”という免罪符が掲げ、自身が不必要な傷を負わないように」

 

 言ってやれ。

 

「それこそがフィオナにとって一番辛いものだということを」

 

 喚いてやれ。

 

「フィオナにとってユウト君が一番、間違えていることを」

 

 叫んでやれ。

 

「言葉で、行動で、心で、お前の全てで届けてあげなさい」

 

 何度でも、何度だって。

 

「そして彼が――」

 

 宮川優斗こそが、

 

「――フィオナを誰よりも十全に幸せにしている存在だということを、教えてあげなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 フィオナはカイアスの言葉を聞き届けると……頭を下げて部屋へと戻る。

 一方で、呆然としているウィルの姿があった。

 

「ウィル」

 

 声を掛けるカイアスに対して、彼は軽く身体を震わせた。

 

「お前が間違っているとは言わないよ。なぜならお前がやったことは、殺されるほどのものではないからね。そしてユウト君が傷ついたのは、自身が馬鹿なことをやったと思っているのは、彼とフィオナの問題だ」

 

 正直な話、蚊帳の外でしかない。

 

「けれどね、ユウト君が傷ついたおかげでお前は生きている」

 

 今もちゃんと。

 

「死なずに済んでいる」

 

 そしてウィルは優斗が護った理由がどうであれ、

 

「だからユウト君が己を曲げてまで、自身を傷つけてまでお前を助けたことを。そしてお前がしたことにより、お前を殺したいほど憎んでいる男がいることを。少なくともそれぐらいは、理解してあげなさい」

 

 

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