第92話 失敗と大失敗

 厨房に立った瞬間、失敗したと優斗は思った。

 

「ミル、大丈夫?」

 

「……大丈夫」

 

 調理場にいるのは優斗、卓也、刹那、朋子と……身体を震わせているミル。

 

「僕も迂闊だった。男が苦手って言ってたんだから、三人もいれば厳しいよね」

 

「ユ、ユートは……昨日も話した、大丈夫。タクヤも……頑張る。今日は1メートルぐらいまで、頑張れる。二人とも、マサキと似た雰囲気あるから……たぶん、大丈夫」

 

 異世界人で正樹と近い年齢の二人。

 だからこそ、普通の男よりは拒否感がないのだろう。

 

「ということは?」

 

 優斗の視線が刹那に向かう。

 

「……お、俺か?」

 

「セツナ、意味わからないから……ムリ」

 

「珍獣扱いだね」

 

 まあ、分からなくもないが。

 

「…………うぅ……」

 

 微妙にヘコんでいる刹那に卓也が気付く。

 

「お前、地味に傷ついてないか?」

 

「そ、そんなことはない! 俺は零雅院刹那なのだからな!」

 

「――っ!」

 

 ミルがビクっとした。

 なるほど、と卓也が頷く。

 

「それが怖がってる理由か」

 

 すぐに大声を出し論理も通らない。

 確かに未知だからこそ怖い。

 

「刹那。ミルにだけは克也になれないか? なんか異世界人の男は正樹さんのおかげで別枠になってるみたいだしな」

 

「真名を捨てろというのか!?」

 

「ミルにだけな」

 

 卓也はちょいちょい、とミルを指差す。

 

「お前だって女の子を怖がらせるのは趣味じゃないだろ?」

 

「し、しかしだな……」

 

 刹那は指先を追い、ミルを視界に入れる。

 小さく震えている彼女。

 

「あ……うぅ……」

 

 さすがにそんな姿を見て、貫き通せるかと言えば……無理だ。

 

「……わ、分かった」

 

 刹那は右手の包帯を外していく。

 そして大きく、深呼吸。

 

「俺は克也だ。林克也」

 

 そして改めて自己紹介。

 雰囲気もガラリと変わった。

 普通っぽい。

 

「ミ、ミル・ガーレン」

 

「ガーレン……と呼べばいいか?」

 

「ミルでいい」

 

「俺も克也でいい。たぶん、そっちのほうが年上だろう?」

 

「十五歳」

 

「俺が十四歳だから、ミルの一つ下だ」

 

 そして刹那はぎこちなく笑みを浮かべる。

 

「怖かったら言ってくれ。すぐに直す」

 

 告げた刹那に対し、ミルは目をパチクリさせる。

 さっきとは別人のように思えた。

 

「ユート。セツナ、ユート達みたい、普通になった」

 

「これからミルにだけは普通の克也って子になるから安心してね」

 

「分かった」

 

 

       ◇      ◇

 

 

 ミルは思いの外、頑張っていた。

 もちろんそれは優斗がフィオナ以外の女性は恋愛対象という観点で塵芥だと思っているのもあるし、卓也のように子供と接するような感じであるからこそ“男性”という意識が遠のいたのもあるだろう。

 だから昨日よりも1メートルちょっと距離が狭まった。

 つまりは二メートル以内まで近付くことができた。

 刹那はさすがに三メートル以上の距離を保たれたが。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 早めに昼食を摂り、午後は全員でアルカンスト山へ。

 とはいっても三千メートル級の本命を登るのではなく、標高六百メートルくらいの隣にある小さなアルカンと呼ばれる山を登る。

 直線で頂上に突き進むのではなく、迂回路を通ってぐるぐると回りながら頂上を目指した。

 道半ば、正樹とハーレム二人、そしてクリスが先頭をガンガン歩いていき、少し離れたところに優斗達の姿がある。

 卓也はミルにレシピを話し終え、彼女がメモを書いているのを見ながら優斗と与太話。

 

「微妙にルミカとミルと仲良くなってるから、フィオナに怒られないように気を付けろよ」

 

「そっちもね。リルのほうが過激だから気を抜いたら怖いよ」

 

「オレはせいぜい、ビンタまでだ。大精霊は飛んでこない」

 

 優斗と卓也の口から聞いたことのない女性の名前が出てきた。

 一緒に歩いている女性陣が目を輝かせる。

 

「誰なの?」

 

「もしかしてユウト君とタクヤ君の“良い人”ですか?」

 

 女性らしく恋話は好きなのか、朋子とルミカが食い付いてきた。

 

「リルっていうのは卓也の婚約者」

 

「フィオナは優斗の嫁さんだ」

 

「婚約者ですか!」

 

「お嫁さん!?」

 

 ルミカはさらにテンションが上がり、朋子は少し驚いている。

 

「その歳でお嫁さんがいるの?」

 

「貴族って結婚が早いんだよね」

 

「優斗先輩は貴族なの?」

 

「そうだよ」

 

 肯定する優斗。

 そして朋子は優斗の奥さんのことを考えて……ある可能性を思い付く。

 

「卓也先輩。昨日、優斗先輩は厨二病を具現化した人だって言ってたわよね?」

 

「ああ、間違いないぞ」

 

「ということは、もしかして……」

 

 大抵、こういう人物のお嫁さんというのは相場が決まっている。

 卓也が首肯した。

 

「朋子の考えてる通り、優斗の嫁さんはシャレにならないぐらいに美人だ。しかも公爵令嬢」

 

「本当にそうだなんて凄いわ」

 

 ここまで正しく物語のような存在だと、変に感心できる。

 

「タクヤ君の婚約者というのは?」

 

 ルミカが突っ込んで訊いてくる。

 

「リステル王国第4王女様だよ」

 

「……お、王族ですか?」

 

 優斗の説明に軽くルミカが引いた。

 

「その通り」

 

「えっと、つまりリライトから来ていただいたのは大魔法士様と王族の婚約者と公爵家長子の三人……なんですか?」

 

「そういうことだね」

 

「こんな面子が揃って他国に来るなんて、何かしらの重要事案があるんじゃないかって勘違いしそうだな」

 

 揃いも揃って名前だけを聞けば壮大な面子。

 けれど残念なことに事実は違う。

 

「実際は厨二病二人の相手だけどね」

 

「ふっ、つまりオレと朋子は大国の重要人物を動かすほどの――あがっ!!」

 

 前髪をファサ、と掻き上げようとした刹那の頭を卓也が軽く叩く。

 

「アホか。オレらは変人対応に定評があるってことで来てるんだよ」

 

 冗談抜きで理由がそれなのだから、リライトも懐が深い。

 

「…………」

 

 するとメモを取り終えたミルが優斗と卓也を交互に眺めていた。

 優斗が彼女の視線に気付く。

 

「……ミル? どうしたの?」

 

「他には、いないの? 凄い人、普通は女性がたくさんいる」

 

 ミルは先頭を歩いている正樹に視線を送る。

 確かにニア、ミル、ジュリアと三人の女性が彼の周囲にはいる。

 だが優斗と卓也は小さく笑って手を振った。

 

「ムリムリ。他にいたらリルにぶっ飛ばされる」

 

「僕はフィオナを愛してるし、他の女性なんていらない」

 

「……愛してる?」

 

「そう、愛してる」

 

「愛してると、他にいらないの?」

 

「僕の場合はね」

 

 あくまで宮川優斗の場合はそうだ、というだけ。

 

「一般論なら卓也に訊いたほうがいいかな」

 

「……何の羞恥プレイだ、おい」

 

 自身の恋愛を年下に教えるとか、恥ずかしいにも程がある。

 けれどミルは真っ直ぐに訊いてきた。

 

「教えて」

 

「いや、凄く恥ずかしい」

 

「教えて」

 

 ミルの視線と言葉。

 それは年の割に何も知らない少女のように思えて。

 

「……しょうがないな」

 

 卓也は頭を掻きながら了承した。

 

「オレはリルが好きだ。あいつが他の男を好きだとか言ったら、きっとヘコむし泣きたくなる。あいつを誰にも譲りたくない。リルには俺以外、誰も男が近寄ってほしくないって思うし、だからオレは自信を持ってリルに恋をしてるって言える」

 

「…………」

 

「言いたいこと、分かったか?」

 

「……ごめん。難しい」

 

「だろうな。恋愛なんてもんは十人十色だ。分かんなくてもいいんだよ」

 

 卓也達がその後も談笑する。

 優斗がふと前を見れば正樹がチラチラと後ろを振り返っていた。

 少しだけ歩みを進めて正樹に追いつく。

 

「大丈夫ですよ。彼女、頑張って話してますから」

 

「ミルが世話になってるね」

 

「いいんです。卓也は世話焼きですし、僕も教えるのは楽しいですから」

 

「けれどミルが男の人とあれだけ普通に話せるなんて驚いた」

 

「正樹さんと同じ異世界人っていうのが功を奏してるんですよ」

 

「それでも凄いと思うよ。男の人なんてボク以外は基本的に口を利かないから」

 

 ふっ、と正樹は柔らかく笑う。

 

「お兄ちゃんとしては、ちょっと安心かな」

 

「お兄ちゃんですか?」

 

「どうしたの?」

 

「いえ、そうでしょうね。正樹さんのことですか――」

 

 朴念仁の彼に諦めの台詞を告げようとした瞬間だった。

 

「――ッ」

 

 鳥肌が立って立ち止まる。

 思わず登路から見える景観――気付けば砂漠になっている中央に位置する骨を見据える。

 まるで南瓜をハリボテにしたような形の骨だが……。

 

「優斗?」

 

 立ち止まった優斗に卓也が声を掛ける。

 彼の異変に気付き、先に歩いていたクリス達も集まってくる。

 そしてルミカが優斗の視線の先にあるものに気付いた。

 

「ああ、あれですね。昨日、ちょっとだけ話しましたよね? 大魔法士様が魔物からイエラートを救ってくださったと」

 

「あれがその魔物?」

 

「はい。お伽噺にもなっているフォルトレスです。大魔法士様に圧倒され倒されたモデルが実際いるのも、このアルカンスト山が巡礼地として賑わっている理由の一つです」

 

 得意げに説明する。

 

「……そういえば、マリカに読み聞かせた絵本にあったかもしれない」

 

「童話や文献によれば、フォルトレスは精霊を食料とするらしいんです。だから大魔法士の神話魔法――『虚無』によって倒され骨となったフォルトレスの近くには、未だに精霊が寄りつかないと言われています」

 

「……倒された、か」

 

 優斗は目を細める。

 

「確かに倒しはしたんだろうけど……」

 

 それだけだ。

 倒され、骨だけにされているだけ。

 

「ユウト君? 何が言いたいのですか?」

 

「死んでない」

 

「えっ?」

 

「正樹さんは分かりますよね?」

 

 優斗が振ると、正樹は神妙に頷いた。

 

「……うん。微かにだけど威圧される」

 

 ただの死体が威圧感なんて出せるわけがない。

 故に“あれ”は骨であろうとも生きている。

 

「殺せないのか?」

 

「たぶんね。マティスが殺せてないから」

 

 卓也の問いに確信は持てないが、おそらく間違ってはいない。

 そういう存在なのだろう。

 

「精霊も骨の周囲には全くいないけど……骨だけであろうともフォルトレスって魔物が精霊を食べたからか、それとも精霊が逃げたか。どっちかだろうね」

 

「復活、というオチはないでしょうね?」

 

「そこは安心してもいいんじゃないかな、クリス。千年間もあの状態なんだから問題ないと思う。誰も手出しをしなければ復活なんてしないよ」

 

 触らぬ神に祟りなし、だ。

 

「でも優斗くん。ボクと君がいるんだから、何かしら手を出したほうがいいんじゃないかな?」

 

 正樹が提案する。

『大魔法士』と『フィンドの勇者』がいるのであれば出来ることは多い。

 けれど優斗は首を横に振る。

 

「駄目です。マティスが何かしらの結界魔法をしてるとは思いますけど、千年前の魔法陣なんてさすがに弄れませんし、迂闊に復活させたら不味いです。たぶん、そんじょそこらのSランクより余裕で強いですよ」

 

 死なないだけでも意味が分からないのに、さらには別格の存在感。

 一般人からすればシャレになっていない。

 

「現状、イエラートにいる人間で戦えるのは僕だけでしょうね」

 

「き、貴様! 正樹は『フィンドの勇者』なんだぞ!」

 

 いつものように優斗の言葉を否定するニア。

 

「だから何ですか?」

 

「貴様に戦えてマサキが戦えないはずがない!」

 

「…………」

 

 優斗が思わず絶句した。

 あまりにもあほらし過ぎて言葉も出ない。

 

「ふんっ! 的確すぎて反論もできないだろう! 大魔法士だか何だか知らないが、マサキを舐めるのも大概にしろ!! フォルトレスが復活したところでマサキが倒すさ!!」

 

 ニアは先日あったことを覚えていないのか、忘れているのか。

 それとも都合の良いように解釈しているのか。

 意気揚々と反論する。

 

「…………」

 

 けれどさすがに、これはふざけすぎだ。

 

「お前、正樹さんを殺したいのか」

 

 優斗から出てきたのは予想以上に辛辣な言葉だった。

 

「“あれ”は恐らく“こっち側”の存在だ」

 

 言うなれば『お伽噺になるほどの相手』だということ。

 

「イエラートすら簡単に消滅させることができるかもしれない」

 

 爆弾ということは分かれども、威力の分からない爆弾だ。

 

「そういった相手と正樹さんを戦わせたいのか? お前は」

 

 “化け物”の相手は“化け物”しかできない。

 だから『フィンドの勇者』では相手ができない。

 

「勇者が最強だという幻想は捨てろ」

 

「違う! マサキは最強なんだ!」

 

 ニアが剣を抜く。

 もう一人のハーレム――ジュリアも構えた。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ二人とも!」

 

 正樹が慌てて止めようとする。

 しかし……遅い。

 分からないのなら思い知らせてやらないといけない。

 

「だったら今、僕がここでお前らを皆殺しにしてやろうか?」

 

 先日、ジャルに向けた十分の一以下の殺気をニア達に向ける。

 けれども純然たる“それ”に、思わず正樹の右手も聖剣に伸びかけた。

 

「フィンドの勇者は最強なんだろう? なら僕のことを倒せる。そういう理屈だ」

 

 優斗が右手に魔力を集める。

 もう少し殺気も強めたほうがいいか、と優斗が考えたその時だ。

 

「……駄目」

 

「それぐらいで十分だろ?」

 

「これ以上はやり過ぎになってしまいます」

 

 ミルと卓也、クリスが割って入った。

 

「ユウトがそこまでやってあげることはないと思いますよ」

 

「言って分からないなら、思い知らせる……って考えなんだろうけどな。お前は怖すぎるんだよ」

 

 二人の言葉に優斗の殺気が霧散する。

 

「やり過ぎだった?」

 

「当たり前だろ。それにお前がやってることを理解できるの、オレらぐらいだ。他人じゃビビって終いだよ」

 

 優斗がやろうとしたのは『優斗の相手をできないのであればフォルトレスと戦うことなど到底不可能。だから手を出すな』と知らせてやることだ。

 けれど普通に考えて、そこまでの考えに辿り着くわけもない。

 

「……ん~、そっか。駄目か」

 

「はい、残念ながら」

 

 クリスの肯定に「失敗したか」と優斗は反省する。

 

「ミル、ごめんね」

 

「……大丈夫。本気じゃないのは、分かった」

 

 とはいえ、よく飛び出せたものだと思う。

 あの優斗の殺気を前にして本当に勇気を持って出てきた。

 

「正樹さんもすみません」

 

「ううん、いいんだよ」

 

「いえ、さすがに僕が悪いです」

 

 物わかりの良い仲間が周りにいるから、普通の人でもこれぐらいなら理解してくれるだろうと思ってしまった。

 

「刹那、朋子」

 

「なんだ?」

 

「なに?」

 

「僕がいなくなっても絶対に近付かないこと。あれはお伽噺の存在だよ」

 

 

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