落ちてくる

ひょーじ

第1話

 よくある話だそうである。


「もう落ちてこないから、話しても大丈夫かな」

 買い物の帰り道。友人の美代さんは、運転する私の横でそう口火を切った。

 美代さんはいわゆる「見える人」で、たまに私に体験談を聞かせてくれる。


 それは、彼女が学生だった頃。

 いつも通りの雑踏の中。

 彼女が友人と町を歩いていて、あるビルに差し掛かった時。

 ひゅっ、と「それ」は落ちてきた。

 ほんの、三歩前。

 人に、見えた。

 そしてそれは、一緒に歩いている友人にもたまたま「見えてしまった」。

「!」

 何か言いかけた友人を、ぐい、と引っ張る。

「気がつかないふりして真っ直ぐ歩いて」

 ええ、だって……と言いたそうに振り向きかけた友人を、

「見ないで!」

……思わず振り向いて、怒った。


 前に向き直る、寸前。


 また落ちて。

 消えた。

 人の形を失いかけた朧な影は、地面に着く前に消えた。


 自ら命を断った人は、死んだ実感がないまま自分を殺そうと「その瞬間」を際限なく繰り返すのだそうだ。

「自殺した人は、みんなああなるんだよ。あれが『自殺』に対する『罰』。だから、自殺だけは絶対にしちゃいけないんだよ」

 美代さんは言う。

「無間地獄は『あの世』じゃなくて『この世』にあるんだよ。私も、他の人に聞くまで知らなかったんだけれど」

 その話を聞かせてくれた人もいわゆる「見える人」で、家族は今でも自殺した場所で自分の体を切り続けているという。


 昔は自殺癖があったんだ、と語る美代さんが、今でも無事な理由がわかった気がした。


 なお、そのビルでは女子高生の飛び降り自殺があったのだそうだ。美代さんが生まれる、十年以上も前の出来事だったという。

 ほどなく、美代さんは学校を卒業してその場所を通ることはなくなった。

 何か落ちてくる、という話も、聞かなくなった。

 今でも「落ち続けている」のか、単に人の目には見えなくなってしまったのか。それは、定かではない。


 よくある話だそうである。

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