三人の若者が貸し倉庫にいた。

 チームの仲間とバイクのアイドリングを吹かしている。

「サブちゃん、こないだ輸入したライト、板金で合わせてくれよ」

 卓也が吹かしたバイクを見つめながら言った。けたたましい爆音の中では声を張らなければならないのだろう、相手に向かって大声を上げている。

「おう」

 板金屋のサブが応じた。ワンオフ加工ならお手の物だと言わんばかりに軽い返事で答えている。卓也が先日手に入れたアメリカ輸入のヘッドライトはひどく古いものだったが、手入れが行き届いており無骨でいてパワフルなフォルムをしていた。卓也のバイクのライトカウルは内側にマイナーチェンジされたインジケーターが埋め込まれ、他人には区別のつかないランプになっている。大味だがスマートなミニミニメーターに、サブが板金で叩きだしたワンオフ仕様ならメカニカルな出来栄えになることは請け合いだった。

「へへ、期待してるぜ」

 富久は二人の会話を聞きながらも、明日の運送の仕事のことを考えて、億劫な気分になっていた。バイクで仲間と走ること以外何もやりたいと思えないのだ。数年前まで富久は生まれてこのかた、やりたいことなど見出せず、義務教育を終えてからは、ただ漫然とその日暮しを続けていた。当時日雇い人足の仕事で日銭を稼いでいたのだが、たまたま一緒に働いていた同年代の卓也に声を掛けられてから、バイクに興味を持つようになったのだ。初めは乗り気のしなかった富久だったが、次第にバイクの魅力に惹かれていった。こつこつとマイナーチェンジを繰り返しては有り金を干からびさせていた。このまま日雇い人足如きの稼ぎでは話にならないので、それを機に運送の仕事に就いたのだ。あまり自分に向いている仕事とも思っていない富久だったが、収入のほとんどをバイクにつぎ込むことでその疎ましさを晴らしていた。単車が持つ力感と仲間と一緒に走る一体感が、これまで富久が得たことのない高揚を生み出し、鬱積した日々を弾き飛ばしていくようだった。自分がのめり込めることを見つけた富久にとって、運送の仕事は煩わしい時間でしかなかったのだ。

「ちょっと聞いてくれよ」

 卓也が声を上げた。

「この前、ホームレスのジジイかババアに絡まれたんだよ」

「へえ」

「何かわかねえけどよ、やかましいだか何だかでよ。こちとら単車飛ばしてるだけなのによ」

「そうだね」とサブ。

「ちょっと待ってくれ」

 富久は割って入った。

「何だよ。富久」

「ジジイかババアってどういうことだ」

「ああ、それか」と卓也は笑いながら言った。「あいつら汚いし、服はクタクタだし、全員歳を食ってるように見えるから、ジジイだかババアだかわかねえんだよ。大抵ジジイなんだろうけど、たまに声が高いのがいたり、中にはオバサンみたいなパンチパーマのやつもいるしよ。どっちかよくわかんねえんだよ。あいつらそういう訓練でもしてんじゃねえのかってぐらいだ」

「違いないね」とサブ。

「それでよ。そのうちの一人がぶつくさ文句言いながら、俺の単車にベタベタ触りだすんだぜ」

 卓也はトラッカーシートやコックピットなどを指し示し、触られたであろう箇所をしきりに説明する。たしかにワンオフのサイドカバーにはパウダーコート仕上げが施されていたはずだが、特徴的な太い三本の黒髭のようなラインが掠れてしまっている。だがそれ以外は特別汚れてはいなかった。おそらく、卓也を激昂させたのはサイドカバーの掠れではなく、買いたてであるキャニオンタイプのシートに触られたことであると富久は勘付いていた。富久やサブに嬉々として雑誌を見せながら注文し、あれほど待ち焦がれた低反発のシートだったのだ。富久には卓也の怒りも理解できる気がした。

「俺もう頭にきてよ。そのジジイだかババアを蹴り飛ばしてやったぜ」

 卓也はゲラゲラ笑い出した。

富久は卓也に関する体面の芳しくない噂をよく聞いていた。曰く、窃盗をしているだとか、強請の片棒を担いでいるという具合で風説の絶えない若者だった。そうでなくとも、高価なパーツの費用をどうやって捻出しているのか、富久やサブにも明かしていないのだ。日雇い人足の給金で賄えるほどの金額なわけがなく、そのことに水を向けると適当にあしらわれ、あまりくどいと機嫌を損ねてしまうような始末だった。たまに会話についていけないこともあるが、富久にとって折角得た人生で初めての仲間と呼べるような人物たちだったのだ。どうあっても下手なことをしたくなかった。サブに関しては悪い噂を聞かないが、卓也に対する姿勢は富久と変わるものではない。他のチームの面々も卓也の暗い噂は周知の秘匿として、これまで触れることもなく過ごしてきていた。まわりですらそうであるのなら、富久としても無理に聞き出そうとすることもないだろうと思っていた。そういうふうに自分自身を宥め、ひび割れてしまいそうな関係の危惧に富久は自ら蓋をしているのだった。

「誰かに見られてないよな」

 サブが言った。警告の意味もあるのだろう、軽い会話の中でもしっかりとした声で言葉にしている。

「あいつらワラワラいるんだ。一人二人蹴り飛ばしたところで大したことねえよ」

「警官に見られでもしたら厄介だぞ」

 今度は富久が口添えた。卓也の噂話を無視するにしても、行動の程度には注意を促しておく必要がある。

「むしろ感謝してほしいくらいだぜ」卓也は悪びれもしない。「あいつら沸いて出てくる蛆虫みたいなもんだろう。職にあぶれた肥溜めどもには足蹴の一つも勿体ねえや」

 富久もサブもいつもながらの卓也の高説に辟易気味で、どう取り成せばよいものかと眉を顰めていた。

 そのとき、影が現れた。

 貸し倉庫の入り口付近にのっそりと、影の持ち主が立っている。しかも異様なほどの背丈がありそうだった。十数メートル離れていても、その巨躯が並ではないことがわかる。日照の角度と相まって影が三人のところまで伸びてきている。二メートルほどの体格だろうか、常人離れした肉体の持ち主だった。顔は陰になって見えないが、頭髪は乱れて油が乾いたような重く汚れた質感を備えている。身なりもよれたシャツにジーンズというお世辞にもまっとうな人物とは思わせない要素が揃っており、どう見ても浮浪者にしか見えない男だった。片手に酒瓶のケースらしきものを持ち、中には二本ほどの瓶とパウチ状の袋か何かが入っている。

「おい、何だよ、あいつ」

巨躯の浮浪者は鷹揚にあたりを一、二度見渡すと、酒瓶ケースの中身を取り出し倉庫内の地面に置いた。さらに手に持っていたケースもひっくり返して地面に置くと、その上に腰を下ろした。そして酒瓶の一つを手に取り、栓を指で強引に引っこ抜くと、その場で飲み始める。何を考えているのかまったくわからないが、男は堂々とした佇まいだった。闖入者の意図のわからぬ振る舞いに、三人とも顔を見合わせていた。

「何だよ、あいつ」

 卓也はそう表現した。

 富久はいきなり酒をやり始めた男の左眼の瞳が傾いていることに気がついた。

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