深夜の電話

夏炉冬扇

前段

 もう何年も前の事になりますかねぇ……。とある博物館で守衛の仕事をしていた事がありまして、まあ、そこまで規模の大きな博物館ではありませんからね……常駐している警備員といっても、ごく少数。

 場末の博物館にしては学芸員さんや事務方の人間も含め、職員はそれなりに居ましたけどね。我々のような外部の雇われ警備員なんてものは、そんなに数は必要無いってなもので、来館者のある日中はともかく、閉館後の夜間ともなると、朝まではたった一人な訳です。

 とは言っても、モダンな建物で展示されているものだって、別に怖い物がある訳じゃあありませんから、夜間に一人であろうとそれほど気味が悪いようなところじゃないんですね。

 事務員の方々や学芸員さんなんかとも時々雑談なんてして、実にアットホームな雰囲気。

 私もよく喋る方ですから、休憩中の喫煙所でよく一緒になる事務員の方々とは、ああでもない、こうでもない……と色々とお喋りをして、自分で言うのもなんですが、館の方々からは結構気に入られていたものです。そこで働いている人間の中では私が一番若かったという事もあるかもしれませんねぇ。

 中には鬱を患っている職員もいらっしゃいましたからね……。私も過去に鬱を患っていた経験上、色々と相談を持ちかけられたりしたものでした。


 ある日、私が夜勤で夕方に出勤して来た時の事——

 着替えを済ませて、守衛室のデスクに座って、いつも通り出入館管理をしていました。

 デスクの上には固定電話が一台置いてあって、出入館管理帳なんてものも置いてある。

 出入館管理とは言っても、閉館後の夜ですからねぇ。こんな時間から来館して来る人なんて滅多に居やしません。

 その日の仕事を終えて次々に帰る職員を一人一人チェックするだけです。


「あ、お疲れ様でしたぁ」

「お先で〜す」

「お疲れ様です」

「お先〜」


 全員が退勤するまで、こんなやり取りが続く訳です。

 時には定時で上がれない職員が、


「すみませんねぇ。今日は12時近くになっちゃうかもです」


 わざわざ言いに来てくれたりもして、こちらは、


「ああ、遅くまで大変ですねぇ。いや、こちらは大丈夫ですよ」


 とまあ、内心は「早く帰ってくれないかなぁ」とか思ったりもしてるんですが、表向きは笑顔で答えてあげたり……。

 そんな中、よく喫煙所で一緒になる事務員の方が帰りがけに、


「なに? 今日、夜勤?」


 と、何やらニヤニヤして声をかけて来ました。

 こちらは、


「ええ、そうなんですよぉ」


 と、にこやかに返すと、彼は、


「ここ、お化け出るよ」


 なぁんて言い出しまして……。

 もうイタズラっぽい笑みを浮かべているから分かるんですよね。


(そんな子供だましが通用するような年齢じゃないんだけどなぁ)


 なんて、内心は思っているのですが、ここはお互い冗談と分かった上で話を合わせてやろうと思いまして、


「あ〜、じゃあ出くわしたら祓っときますよ〜」


 笑ってこのように返したところ、相手も笑って帰って行きました。


 確かに昔はこの一帯に日本陸軍の施設が多数存在したそうですが、特に連合軍の攻撃を受けただとか、大勢の人が亡くなったという話もありませんからね。

 キレイなところですし、昼夜問わず静かな場所とは言っても怖いと感じさせるようなところではないんです。

 私自身、幼い頃の夢が古生物学者になる事でしたから、学芸員の資格を取得しようと勉強していた時期も有りますし、守衛という全く博物学とは関係の無い仕事とはいえ、博物館で働ける事が楽しかった事も有るのかもしれませんねぇ。


 そうこうしているうちに一人、また一人と帰って行き、やがて館内には私一人が残されました。

 当たり前のいつもの事です。誰か一人でも残って居られちゃあ、こちらも困りますからね。

 夜も随分と遅い……。

 我々も夜勤とはいえ仮眠を取る事が認められているので、じゃあ、寝る前に巡回して来るべぇ……と懐中電灯を手に守衛室を出ました。

 辺りはひっそりと静まり返っている……。

 照明が落とされて暗いとは言っても、あちらこちらに非常誘導灯が点っていますから、ぼんやりと暗い館内を緑がかった白い明かりが照らし出していて、多くの場所は懐中電灯を照らさずとも歩いて行ける事が出来る程です。


 ヒタッ ヒタッ ヒタッ


 音と言えば自分の足音だけ。


(こんな場所に盗みに入る奴なんて居ないんだけどなぁ)


 金目の物がある訳じゃあ無いので、いつもそう思ってはいるのですが、これが我々の仕事ですし、何かあってからじゃ言い訳のしようも無いですからね。

 隅々まで細かくチェックして行く訳です。


「んだよぉ! ここ使ったら消しとけよ!」

「燃えるゴミのとこにペットボトル捨てるなよ!」

「もぉ〜! ここ鍵閉まってないじゃん!」


 怖いとは感じないものの、一人というのは少々寂しいものがありますから、館内を巡りながら、こんなふうにブツブツと言ってる事が多いんですよねぇ。

 時には鼻歌なんて歌ったり……。

 大半の場所は何とも思わないのですが、一部……私がここに勤めるようになってから、ずっと妙な空気を感じていた場所が有りました。

 私が以前、真言宗の僧侶になろうと独学で少し勉強していた事があるという話をご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、別に霊感なんてものが有る訳じゃありません。

 ただ一ヶ所……昼間でも照明を落として薄暗くしていると、妙に空気が淀んでいる……とでも言うのですかねぇ……。そんな区画があるんです。

 いくつもの収蔵庫が並ぶ廊下……。

 その一帯ね……私、好きじゃないんですよ。

 暗さや静けさで言えば他の場所と変わらない……。それどころか、この収蔵庫前の廊下よりも真っ暗な場所はいくつも有ります。

 ただ、その区画だけは足を踏み込むと、どうにも重い……。

 一人で歩いているのに、時々、自分の足音に別の誰かの足音が重なって聞こえて来るような感覚に襲われる事も有るんですよね。

 私よりも長く勤めている先輩も、


「あそこは何だか気味が悪いよね」


 なんて言ってた事も有りましたし。

 そんな嫌ぁな空気のする場所ですから、私も自然と足早になってしまうんです。


(あ〜、さっさと次行こう)


 こう思いながら、ひと通りチェックを済ませて次の場所へと移動するんです。

 まあ別段、ここで何がある訳でも無いですし、あった事もありません。その日だってそうでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る