「やってらんねぇ」と叫びたくなる夜が出現する頻度の期待値を概算で求めよ。

阿井上夫

何のために小説を書くのか。

 小説が読めなくなってから、随分と時が経過した。


 例えば、先日、図書館で新刊を待ち望んでいた作家の作品を見つけて、大喜びで貸し出しカウンターに持ちこみ、自宅に戻ってページを開いたことがある。

 冒頭の一文でいきなり胸倉を掴まれ、その後の展開でジェットコースターの一席に押し込まれた。

 このまま、別世界の扉が開いて、しばし忘我の境地に移行することが出来る――と、途中まではそう考えていた。

 しかし、六十三ページ目まで読んだところで、急にその先に進むことができなくなってしまったのである。

 急につまらなくなったわけではない。

 物語の展開、表現の多様性、込み上げてくる感情――どれをとっても隙のない申し分のない出来で、以前の自分ならば徹夜覚悟で更に読みふけっていたと思う。

 しかし、途中でどうしても先に進めなくなってしまった。

 これが、他の好きだった作家の作品でも起きていることに気がついたのは、二年前だったと思う。

 以来、何度かこうやって試行錯誤を繰り返しているものの、どんなに面白いと感じた作品でも途中から先に進めなかった。


 理由は分からない。

 ただ、原因なら分かっている。

 自分が小説を書き始めたことと無縁ではない。


 *


「自分よりも上手な作家の文章を読んでいると、途中で急にコンプレックスに襲われるからだろうか?」

 いや、答えはそれではない。

 むしろ上手い文章を読むと書きたくなる。下手な文章を読んでも書きたくなる。


「売れている作家に対する羨望や焦りか?」

 いや、答えはそれではない。

 生活が成り立つだけの仕事は既にあるので、問題はない。そもそも、もっと売れたいのであればマーケティングをやっている。こんな悠長なことは書いていない。


「読むことに疲れたのか?」

 いや、答えはそれでもない。

 自分の作品を読み返すことは多々ある。それは読むことが出来る。

 他にもいろいろと考えてみたが、結局のところ現時点で私が考えている解は、これだった。


「影響を受けたくない」


 自分の作品の中に好きな作家の作品の影響を見ることは、ある程度はやむをえないことだと思っている。

 しかし、それがあからさまになってくると、どうしても居心地が悪くなってくるのだ。

 最初から二次創作と割り切っていれば問題はないのだが、オリジナルと思って書いているもののなかに既存作品の陰が見え隠れすると、途端に苦しくなってくる。

 それでも、書けない訳ではない。

 書こうと思えばいつでも、どこでも書くことが出来るという自信はある。

 ただ、そこに他の作品の亡霊があらわれることが辛くて、息苦しくなるのだ。


 それに、品質の問題もある。

 後から読んでみると、変に質の良い部分と、明らかに質の悪い部分が目に付いてくる。

 これは、書いた時に自分が集中していたかどうかとは関係がない。

 ある時は、

「本当に自分が書いたのか?」

 と目を疑いたくなるような見事な文章が出来上がっているし、ある時には、

「本当に自分が書いたのか?」

 と悲憤慷慨したくなるような悲惨な文章が出来上がっている。

 バックグラウンドによって異なるわけではない。

 それが単に誤字脱字のレベルであれば良いのだが、どう考えても自分の言いたいことの五十パーセントも表現出来ていないことに気づくことがある。

 さりとて、文章をひねくってみたところで、それが改善されるわけではない。


 言葉は出てくる。

 書こうと思えば書ける。

 しかし、他人の影がちらついたり、言いたいことを適切に現す表現が見つからなかったりする。

 それがとても苦しい。


 *


 そこで我に返って、

「ところで自分は何でこんなことをやっているんだ?」

 と自問自答したりもする。

 小説家にはなってみたいし、印税で生活が出来るのならばそうなってみたい気はする。しかし、今のままでも普通より上の生活はできるし、別に困ってはいない。

「生活がかかっていない分、本気になれないのか?」

 そう考えることもあるが、その一方で、

「人生の全てを小説にかけたところで才能がなければ大成はしないし、才能があるのならば考え方が甘かろうが大成するだろう」

 とも思う。

 根拠のない根性論は私が最も忌避するものである。

 では、結局のところ自分は何のために小説を書くのか。


 好きな小説を読むことが出来なくなり、

 言いたいことが上手く表現できない苦しみを抱えて、

 いまのところ生活の役にも立っていないし、

 単なる趣味の域を出ていない、

 読む人もほぼ見当たらない小説を、

 どうして私は書き続けるのか。


 それをもし他人から問われたとしたら、私はこう答えるだろう。  

「だって、もしかしたらこの苦しみの先に、自分なりに満足のゆく作品があるかもしれないじゃないか」


 その希望が消えない限り、書くことを諦めたりはしないだろう、と私は思う。

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