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廃墟巡り 第1話

古ぼけた……よく言えば懐古的な趣のある列車に揺られること数時間、ようやく目的の駅へと着いた。改札も素通りできるような人気のない無人駅で、そこを出て数歩離れるか離れないかのうちにはもう、腰の高さまであるような雑草が生い茂っていて、獣道のような、自分の前にいつ人間が通ったか判らないような道を歩いてゆくことになる。時刻はもう昼過ぎで、夕暮れ時にはまだ少し早いといった時分だけれど、一番暑い時間帯を過ぎたにもかかわらず夏の殺人的な熱気が辺りに満ちていた。これから行くところが陽の当るようなところでない事だけが幸いだったなと、汗を拭いながら私は思った。これから行く場所は廃鉱だ。光の届かない地下空間。人の世界から忘れ去られた場所……。


山の斜面にある駅で、人里(というより集落といった方が正しいかもしれない)からはいくらか離れている。ここで降りた人間は私一人である。ホームには駅員もいない。さびれた場所だ。私も今回の廃墟を訪れるという理由でもなければ、ここへ来ることはなかっただろう。人里へ向かう道には申し訳程度ではあるがアスファルトが敷いてある。そちらから逆方向にあるのが私の目的地だ。石炭を採掘していた鉱山で、最盛期は非常に活気があり、ここら一帯が賑わっていたそうだが、時代の移り変わりと共に石炭の需要は減り、やがて鉱山は閉鎖に至った。今や当時の輝きは、見る影もない。


辺りに人がいないのを再度確認して、山へ入る。恰好はスニーカーとジーンズ。Tシャツの上に、日差しを遮るために着たカッターシャツ。いまは暑さのために、袖をまくっている。背中には必要な物を詰めたリュックサックを背負って歩く。山の中へ入ると、木々の影に私は隠れて、暑さは幾分か和らいだ。錆びた標識や崩れた石段など、事前に調べた目印を一つ一つ見つけて進んでゆく。水分補給の為に買ったペットボトルの飲料水を一本飲み干すころ、ようやく目的地にたどり着いた。廃鉱への入口は山肌にぽっかりと空いていて、辺り一面の自然の中へ奇妙に溶け込んでいた。ここは本坑への主要な入口ではなく、いくつか枝分かれした坑道の入り口の内の一つだ。もっとも主要な入口は既に埋め立てられ、人が入ることは出来ない。他の坑道への入り口もほとんどは同じように埋め立てられたのだが、ここを含むいくつかの入り口だけが、鉄格子の扉をつけて施錠するなどの簡易的な処置で閉鎖されている。この場所を選んだのは、他の場所に比べて比較的容易にアクセスできるのと、他者(特に管理者や警察など)と遭遇する危険が低いというのが主な理由である。


口をぬぐい、飲み干したペットボトルをリュックにしまう。扉へ近寄り、錆び付いたダイヤル錠を調べた通りに回す。四……七……二……四…………。かちゃり、と音がして、錠が開く。扉を開くと、氷のように冷たい空気が足元を這う。坑道への入り口をもう一度見上げる。ここから先は、暗闇の世界。立ち入り禁止の立札を無視して、廃鉱へ足を踏み入れる。念のため、錠を内側からかけ、私は懐中電灯を取り出して暗闇の中へ降りた。数歩も歩くと、すでに夏の気配は無くて、中は寒い。背後では、蝉がとても静かに鳴いていた。


頭をこすってしまいそうな狭い通路を抜けると、いくらか道が広くなる。道中には、ボロボロになった軍手や靴、それにツルハシといった道具がときおり落ちていて、ここが元は炭鉱だったことを思わせる。この坑道は中でいくつもの別の坑道と繋がっていて、まるで迷路のように入り組んでいる。懐中電灯の明かりで足元を照らしながら闇の中を歩く。もう蝉の鳴き声はずっと前から聞こえなくて、自分が歩く音だけが、この暗がりで不気味に反響するのみだった。


枝分かれした道を探索する。ここは休憩室……ここは道具置き場……散らかっていて、かつてここに確かに誰かがいた痕跡がある。ほこりと、鼻をつくカビの臭いがする。こうした場所で、写真を撮る。懐中電灯だけでは暗いので、用意してあった別の光源を取り出して、撮って回る。朽ち果てた施設。忘れ去られた世界がここには存在していて、この空間を自分がひとり占めしているという贅沢に興奮する。撮影を済ませてさらに奥へ進むと、深い穴がある場所へ出た。ここは二股に枝分かれしていて、片方はさらに奥へ繋がっている道のようで、もう一方が、どこまで続いているのか分からない竪穴だった。穴の手前には、危険を知らせるように警告が書かれた縄が張り巡らされていた。足を滑らせないように気を付けながら縄をくぐって穴を覗く。底が見えない。明かりも届かないようだ。小石を拾って投げ入れると、一度側面に跳ね返った音がした後、ずいぶん経ってから底へ落ちた音が小さく響いた。降りることは出来そうもないなと考えていると、遠くに人の歩く音が聞こえた。しかもだんだんと近づいてくる。こんなところへ来る人間なんて、ろくでもない人間に決まっている。肝試しの不良か、私のような廃墟巡りなのかはわからないが、どちらも面倒なので、できれば遭遇したくないというのが正直なところだ。機材を回収し、私は音をたてないように気を付けながら奥へ進む。そこは簡易的な備品置き場のようなところだったようで、行き止まりだった。ひとまずそこへ身を隠し、息をひそめた。少し遠いが、顔を出せばここからは例の竪穴がのぞける位置である。足音はさらに近づいてくる。しかも、ひとりではなく、どうやら複数人のようだった。


足音は、竪穴のそばで止まった。話し声がする。複数の男たち。声から察するに、ここへ来たのは三人。一人は、口数の少ない、低く、威圧感のある声。もう二人は、一方は気だるげな、もう一方は落ち着きのない、若い男の声。懐中電灯の光が三つ、なにかを警戒するかのようにせわしなく動いていた。彼らは持ってきた荷物を乱雑に地面へ置いた。バックパックだろうか?砂袋を落としたような、重みのある鈍い音を荷物がたてた。低い声の男が指示を出す。若い声の男たちは、それを聞き、荷物のファスナーを開け、中身を取り出す。それが何かは、暗くて見えない。彼らは、それを穴へと引きずってゆく。そして、穴のすぐ手前で立ち止まり、せーの、と掛け声をかけてそれを穴へと放り投げた。三人目が照らしていた懐中電灯の光が、一瞬だけ、彼らが運んできたその「荷物」が一体何だったのかを映し出した。今でも目に焼き付いている。あの生気のない、血まみれの顔。ほとんど声をあげそうになる。あれは、間違いなく人間だった。穴の奥で、鈍い音がした。男たちは、少し会話をしたのち、あくびをしながら去ってゆく。私は動かない。足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなってからもなお、私は身じろぎ一つできないでいた。それからさらにずいぶん経ってから、私は石のようになった体をようやく動かした。そして、誰もいないことを何度も確かめながら、音をたてないように気を付けながら、私は帰り道をたどりはじめた。


来た時よりも、ずっと長い距離を歩いている気がする。彼らが去っていったあとに聞こえるのは、私の足音……私の息遣い……私の鼓動……。それだけであるはずなのに、なぜか、背後から誰かの足音が聞こえるのだ。闇の中、何度も振り返る。明かりを向けても、そこには誰もいない。ほんのすぐそばで、足音がしたというのに……。あの穴にいる何者かが付いてきているのではないかという想像が頭をよぎる。私は小走りになる。そして、足音も、ぴったりそれについてくるのだ。


暗闇の中に光が浮かび、ようやく私がやってきた場所へたどり着いたことを知る。鉄格子にかかっているダイヤル錠に飛びつき、急いで開けて外に出る。むせ返るような夏の空気が辺りを満たしている。蝉が大声で鳴いていた。振り返っても、中には誰もいない。ただ、坑道の奥へと、暗闇が続いているだけだった。

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