ブラック・ブラック・ミルキーアウト

キョーカ

ブラック・ブラック・ミルキーアウト

 黒白。


 二人の少女が仲良さそうに歌いながら夜の街を歩いていた。

オレンジ色の街燈の下の二人は片方は髪から服まで上下黒ずくめで、もう片方は髪から服まで白ずくめ……目は赤い。

街燈の下でも返ってすぐに解る風貌。白黒のコントラストが光に映えていた。


「詩緒里は夏場はあまり外に出られなくて不便だね」


「そうね、亜里香。私、昼の海辺に行ってみたいなあ……。静まり返った夜の海もいいけど、人で賑わっているところも見てみたいわ……」


 夜道を女の子が二人、というと危なっかしいが、街と言ってもここは田舎なせいか悪人はおろかただの通行人が現れるような気配さえしない。

この街は全国でも有名な観光地なのだが。


 詩緒里はアルビノだ。昼間は日光を極力避ける必要がある上に、好奇の目に晒されやすかった。

そのため、人が少ない田舎街、夜を選んで出歩いていることが多い。


 今二人のいるH街は斜陽の港街。観光で食い繋いでいるような場所。

観光出来るような場所は山ほどあるが、遊べる場所がないのが玉に瑕だった。

夜、海の側を通ると夏でもひんやりとした潮風が肌を撫でる。


 二人とも、それでもこの街が好きで、観光客がいなくなるタイミングを見計らって出歩くのを日課にしていた。

遠くで車が走る音が聞こえるが、なんとなくそれは日中の喧騒がそこに忘れ去らているような感覚にも似ていた。


「花火大会、行く? 」


 それとなく亜里香が詩緒里に聞いた。いつも話を振るのは亜里香だ。


「えっ……、ど、どうしよう……人、怖い……音も……」


 詩緒里が戸惑いながらそう返すと、亜里香は知っていたかのようにくす、と笑って言う。


「昼の海辺に行きたいって言う割に臆病なんだから。音なら耳を塞いでいればいいよ。それに、花火が見れる人がいない場所なんていっぱいあるからさ」


 詩緒里の耳を塞ぐように、亜里香は詩緒里の耳に手を添えて見せる。

それを聞いて詩緒里はやっと安心したような顔をした。


「勿論、詩緒里を一人で行かせるなんてことはしないよ。私も行く。私だって見たいもん、花火」


「そうね……」


 詩緒里は微笑んだ。

いつもわたしたちは一緒よ、と亜里香は詩緒里と手を繋いだ。

そうすれば詩緒里が心の底から安心するのを亜里香は知っている。


 詩緒里は臆病だった。昔からアルビノゆえの外見と体質の弱さでいじめられていたからだ。

亜里香も膚は白いがアルビノとそうでない者とでは白さがどうしても違う。どうしても比べてしまう。引っ込み思案な詩緒里を、亜里香はいつも助けていた。

そしていつの間にか、二人は行動を共にするようになり、今ではこうして毎日夜の街をうろついている(これだけ聞くと行いが良くないかのようだ)。



「そうだ!教会行ってみない? 」


 ふと、亜里香が目の前の急な坂の上を指差した。

その先は地元でも有名な廃教会へと続く道。丁度、坂の上に月が輝いている。


「教会? 」


 詩緒里はきょとんとした顔をする。知らなかったのかもしれない。


「この坂の上に、教会の跡があるじゃない。前から行ってみたいと思ってたの。綺麗なステンドグラスがあるって話よ」


「い、いいのかな……、勝手に入っちゃっても」


 不安そうな声はいつものことだ。その度に亜里香は苛立つことなく言葉をかけてきた。

いつも誰かに怒られるのではないか、という恐怖心に苛まれているのを知っているから。


「大丈夫。今まで何人も教会に入ってるし管理してる人もそのこと知ってるけど、一度も怒ったことないから」


「う、うん……。それなら……。いいな、私行ってみたい……」


 結構急な坂を上る。舗装されているとはいえ凸凹なデザインの石畳なので、詩緒里にはちょっと辛い坂かも知れない。

詩緒里に合わせてゆっくり上り、廃教会の入口までたどり着いた。

二人は思わずその建物を見上げる。白と黒の教会。

廃教会とはいえ、きちんと管理されていてまだ綺麗な外観は、荘厳な雰囲気を漂わせる。

なのに何故か立入禁止の表札も、鍵がかかっている様子もない。荒らされないのだろうか。


 不思議に思いながらも視線を落とすと、廃教会の入口の扉の上に御使の絵が飾ってあるのを見つけた。剣を携えた竜人の絵。

御使とはただの天使とは少し違っていて、自分がそれを良いものと決めつければ天使に、悪いものと決めつければ悪魔になるというもので、二人はその宗教についてはよくは知らないが、そういう教えらしいと何処かで聞いていた。


「ドキドキして来ちゃった……」


 胸に手を当てる詩緒里を見て、詩緒里にはお化け屋敷に行かせるのは無理だろうな、と亜里香は思う。


「じゃ、入ろうか」


「あ、ちょ、ちょっと待って……」


 亜里香の手に引っ張られ、詩緒里も教会の中に足を踏み入れた。

教会は思っていたよりも手入れが行き届いていて、埃ひとつない状態でぴかぴかだった。今すぐにでも礼拝に使うことが出来るくらいだった。

何故使わなくなったのかは解らない。ここを手入れすることもこの宗教の修行のうちなのかも知れない。


 月を崇める廃教会。

本来なら今の時間に礼拝をしているはずなのだろう。

教会は窓から月が見えるように建てられていた。


「ステンドグラス……、見当たらない。なくしちゃったのかな……」


 詩緒里はきょろきょろと辺りを見回すが、何処にも肝心のステンドグラスが見当たらない。


「くす。詩緒里、上見てよ。ほら」


 隣にいた亜里香が上を指差す。言われた通り上を見上げると……。

詩緒里は思わず言葉を失い、次に感嘆の声を上げた。


「わあ……! 」


 そこには、大きく美しいステンドグラスが月光に照らされ輝いていた。

ステンドグラスの中には極彩色の中に、二羽の鳥が向かい合わせにデザインされている。

教会の中を覆い守るように、大きく翼を広げた形で。

あまりの見事さに、畏怖の念さえ感じるものだった。


「凄い……。亜里香は知ってたの? 」


「少しね。でもここまで綺麗だとは思ってなかった。来て良かったね」


「うん……! 」


 ようやく詩緒里が笑顔を浮かべるのを見ると、亜里香はこのステンドグラスの鳥について話し出した。


「この鳥はもともと月にある神の国の鳥なんだって。神の国と言ってもこの宗教は確か天国や地獄はないことになっているけどね。人は死んだら鳥になって、あの月のどこかにある神の国に飛んでいくんだって」


 なるほど、だからこの教会の中は鳥や翼をデザインしたものが多いのか、と詩緒里は納得した。


「そしてこの鳥たちは、白い鳥が歓喜を司り死んだ人を歌で癒し、黒い鳥が悲哀を司り罪人を歌で裁くことになっているの。だけどね……詩緒里? 」


 亜里香が詩緒里のほうを見ると、詩緒里は眼を閉じてじっとしていた。


「祈ってるの? 」


「うん、祈りたくなったの」


 ふっと目を開けた時、その時だけ詩緒里には怯えがないように見えた。


「詩緒里らしい……。他の人に見られたらおかしいって笑われちゃうかも知れないね」


 亜里香は別段驚きもせず、やはり、といった風だった。

詩緒里は詩緒里で亜里香が何を祈ったのか聞かなかったことを不思議に思わなかった。


「そうね。内緒よ、これは」


 そして詩緒里は教会の壁にさりげなく金属製のプレートが打ち付けられているのに気付いた。

読もうとしたが、何故か名前部分が潰されている。


「遥か天上の国、我らを導き給え……シ……と……ルカノ……読めないわ……」


 思わず首を傾げる。他の聖人の名や御使、神獣の名前はそのままなのに。

何か悪意があるかのようだ。この手入れの具合から考えるとプレートを変えないのが妙に思えた。


「名前を潰すってことはよっぽどのことよね。自分たちが崇めているものを消すんだから」


 使われなくなったのはこの鳥を崇めなくなったからなのだろうか。

考えても出ないことだったので、もう少しだけステンドグラスを眺めて、二人は廃教会を出ることにした。


「そういえば入口の御使の絵はなんて名前だったのかな……」


 ふと詩緒里がそのことを口に出すと、即座に亜里香が答える。


「確かアルギオンって言ったかな。違う世界から来た御使」


「違う世界? 」


「違う宗教から取り込まれたって意味かも知れないね」


 詩緒里はなるほど、という顔をしながら微笑んだ。


「亜里香って本当にこういうことには詳しいんだね」


「まあね!……そろそろこんな時間だし、朝が来る前に帰ろうか」


 草木も眠る、時間すら過ぎた早朝。既に陽が昇りかけている。

少女たちを引き留める者はまだ現れないが、二人は流石に帰ることにした。

詩緒里はびくびくしていたが、その度に大丈夫、と亜里香は詩緒里と手を繋ぎながら声をかける。



「あ」


 何か思いついたように亜里香は一旦手を放し、近くにあった自販機に駆け寄る。

何が並んでいるか一通り見た後、詩緒里の方を振り返った。


「何か飲まない? 」


 そう言って自販機を指差す。


「え?こんな時間に……早過ぎない? 」


 普通なら、どこかの喫茶店にでも入るところなのだろうが。

こんな時間では、どの店も開いてない。

詩緒里がどう返そうか迷っている間にガタンという音がして、亜里香は買った飲み物を取り出していた。


「たまにはいいかなって。今飲んだ方が、頭はっきりするかもよ」


 亜里香が買ったのは珈琲だった。

つまり、今日は本気で寝る気がないということだ。早朝らしい涼しげな風が吹く。


「そうね……たまには、いいか」


 寝ないことに関しては詩緒里は平気だったので、よくこんな「夜更かし」をしていた。


「何がいい? 」


「え、えーと……亜里香と同じものがいいな……」


「解った」


 もう一度、自販機が珈琲を吐き出した。

並んでいる店の前にベンチがあったので、そこに座って珈琲を飲む。

少し、妙な絵面かも知れない。


「詩緒里って、意外とこういうの飲むよね」


「意外って何? 」


 詩緒里が笑った。


「なんとなく、砂糖やミルクを多めに入れるイメージがあるから」


「亜里香も、ブラックで飲みそうなイメージ、かな」


 実際は逆なんだよね、と言いながら飲む缶珈琲はその中間のような味がした。

ブラックとはいえ珈琲の色はいくらミルクと混ざっても灰色にはならない。混ざりはするけど違う色。

つい亜里香は白黒の自分たちと重ねてしまっていた。

仲がいいのに何故か昔のことは語り合って来なかったから。


「……」


「亜里香? 」


「あ、ごめんごめん。ぼーっとしてた」


 二人は缶珈琲を飲み終わると、側にあったゴミ箱に詩緒里は空き缶をそっと捨てた。

と同時に、一台の車が二人の前を通り過ぎて詩緒里がびくっと反応する。


「大丈夫」


 外出恐怖症にでもならないだろうか、と亜里香は内心ヒヤヒヤしていた。

そろそろ本格的に明るくなる頃だ。差さなきゃ、と詩緒里は日傘を差した。


「さて。今度こそ帰ろうか」


「……帰りたくない」


「……え? 」


 詩緒里がぽつりと漏らした言葉に亜里香は立ち止まった。

俯いた詩緒里の顔を見ることは出来ない。


「ううん。今のは嘘。帰ろう、亜里香」


 朝になり、観光客の喧騒が響くようになってきた。

少し怯える詩緒里に声をかけながら、人ごみの中を歩いていく。

帰る場所は、先ほどの教会がある坂よりずっと上にある。


「着いた。……ただいま」


 そこには誰もいないのに、帰宅すると亜里香は思わずそう言ってしまう。癖みたいなものだ。

詩緒里が「自分たちの家」の様子を見て安心する。


「こっちは……落書きされたりはしてないからまだ大丈夫ね」


 ……家。

家と言ってもただの家ではなかった。

廃教会。今日忍び込んだ廃教会と比べて、ずっと朽ち果てた教会だった。

埃だらけで、窓ガラスも割れている。

到底普通に住めるような場所ではなかった。それが二人の家だった。


「楽しかったね、シリン」


 亜里香は詩緒里のことをそう呼んだ。


「ありがとう、アルカノスト。私、また貴方に迷惑かけちゃった……」


 詩緒里も亜里香のことをそう呼んだ。


「気にしないで。シリンにはもう怖い思いはさせない。突然貴方がいなくなっちゃって、私びっくりしたのよ。言いつけを破って罪人を癒したなんて言うから」


 亜里香はいつの話とも知れないことを話し出す。


「だって……神様のしたことは理不尽だったから……。お陰で私は月から墜とされて、人間を……戦争を知ることになったの」


 詩緒里は見た。自分たちを利用した宗教と、大きな大砲の音と。

そして時は過ぎ、平和で誰もいない街に二人は住み着くことになった。


「シリンは罰で一度記憶を取られてしまっていた。だけど私が後を追って、貴方を見つけて、……あとは貴方の知る通り」


 亜里香は詩緒里の目をじっと見つめる。


「あの教会に行っても、まだ全部思い出し切れなかったけど、ゆっくり思い出して行けばいい。花火が大砲の音に聞こえなくなったら、二人で見に行こうね」


 月光に伸びる二人の影。二人の背中にある翼は、あのステンドグラスの鳥と同じものだった。


「ねえアルカノスト。飛べないって不便ね」


 ここの教会のステンドグラスは無残にも割れて、どんな姿だったのかもう解らない。

色とりどりの破片が床に散らばるのみだ。


「そうね、ここは苦しい。月と、ここと、どちらが幸せなんだろう」


 亜里香は詩緒里の手を握った。


「だけど不思議ね。私、帰りたくないの……」


「私もよ」


 亜里香は微笑んだ。

今度は喫茶店にでも行って、珈琲を頼もうか、なんて言いながら。


「絶対に私は離れない。離れないから。ずっと一緒にいよう」


 誰も知らないこの場所で、二人は静かに羽ばたいていた。

きっとこれからも、人々はこの忘れ去られた鳥たちを振り返ることはないのだ。


 そうであって欲しい。

混ざり合って灰色になってしまいたい。二人が混ざり合えないのなら、せめて。

亜里香は持って帰って来ていた缶珈琲の缶を椅子の上に置くと、何故か珈琲の色が羨ましくなってしまった。


 紅茶じゃなかったのは、きっと世界を苦いと感じていたからだろう。

甘ったるい天上の国にはもう戻る気はない。


 ただ、花火が待ち遠しかった。

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