11日目「面接」

「行ってらっしゃい」

 スーツ姿を誰かに見送られるのは初めてだった。

 教員採用試験の二次選考。四度目の正直と考えるとかっこ悪い。朝起きると莉緒は私よりも緊張していて、私が緊張する隙なんてなかった。

 長いペーパーテストを行う一次と違い、二次は半日で決着がついてしまう。だから午前と午後の二つのグループに分けられる。そして私は午後の組。

 今日から八月。日中の日差しは当然強く、堅苦しい格好が鬱陶しい。ただ毎日莉緒とこの日差しの下に足を運んでいた効果からか、肌を焼く太陽にそこまでの嫌悪感は抱かなかった。


 会場に着くころには額には汗が浮かぶ。ただ、早めに家を出ろと五月蠅かった莉緒のお陰で時間に追われることも無く、待機室に人が溢れる前に腰を下ろすことができた。

 周囲を見回すと、ポツポツと歳のいっている人も見えるが、若い人の方が多い印象だった。学生に見える男女も結構な数いる。私も若い枠に含まれていると信じたいが、何しろもう四回目。幸か不幸かそこそこの場数を踏んでいる。そわそわと落ち着かない様子で教本や携帯と睨めっこする子達とは違い、私の心情は穏やかで、緊張とは無縁な待機時間だった。

 時間が来ると待機室内に男が入室し、個人名を読み上げられ別室へ移動するよう促される。

 軽い説明の後に五人毎のグループに分けられ、小さな会議室に通された。四角い机を囲むように私達は座る。面接官は三人。一人は私達と同じテーブルに着席していて、他二人は部屋の隅で記入用のボードを持って私を見下ろしている。

 軽く自己紹介を終えると、集団討論が始まった。

 今回のテーマは何だろうか。これまで受けてきたテーマは「いじめの早期発見とその対応」「郷土愛を育むための教育とは」「保健室登校を行う児童をどのように対処するか」どれも明確な答えの無い物ばかり。それについて長い時間討論させて、協調性や主体性を見るのだろう。

 面接官の中でも一番偉そうな人物が咳払いをし、私達は息を飲む。

 そしてテーマが告げられた。

「では、テーマを発表します。テーマは児童虐待と学校側の対応について」

「――」

 私は息を飲む。最悪なテーマだった。

 早くなる心拍を落ち着かせる。大丈夫。平然としろ。これじゃ初めての子達と何も変わらない。

「時間は合計で四十分です。まずは各自一分程度に自分の意見を述べてからグループでディスカッションをし、児童虐待を発見した際に学校側が取るべき行動について意見を纏めてください」

 正解は無いので良く考えてみてください。そう軽く言い加えて、面接官は手元のボードに視線を落とす。

「では、始めてください」

 卓上の時計が鳴り、時間が動き始める。

 途端。若い女が一人、手を上げた。

「まずはタイムキーパーを決めましょう!」

 恐らく学生。はじめてのディスカッションなのだろう。主導権を握ろうと必死になっているのが手に取るように分かる。

「そうですね」

 テンプレートのセリフを放つ彼女に落ち着いた声色を返しながら、この子に今減点が入っただろうななんて考える。

 焦らずゆっくりと、平常心で。

 無難な意見を述べて円滑に場を回せ。

 ここでは我を出してはいけない。

 そう言い聞かせながら他人の意見に頷いていると、いつの間にか私の番が回ってくる。

 お題のせいで思考が回りすぎている。

 余計なことを言わないように、気をつけないと。

「ええと、長瀬さんはどうお考えですか?」

 主導権を無事握れた女が私に話を振った。

 前の人に乗っかろう。余計なことだけは言わないように――。

 しかし、そう考える頭など私の身体は待ってくれずに、口は動きだす。

「私は、児童虐待で一番たちが悪いのは、親が虐待している自覚のないパターンだと考えています。例えば――」

 真先に飛び出す言葉に内心では頭を抱える。これは私も減点が入るのかな、なんて諦めの思いが浮かんできた。


「長瀬麻里と申します。よろしくお願いいたします」

 グループワークが終わり、一人五分程度のままごとのような模擬授業も終わり、最後の個人面接の時間がやってきた。

「どうぞ」

「はい。失礼します」

 私一人に向かい合うのはスーツの男二人。どちらもそこそこ歳をとっていて威圧感がある。

 面接は嫌いだ。ここで初めて会う人間に私を評価される。

 数分の会話と紙に書かれた千文字前後の情報で何が分かるというんだ。まぁ、教員という職業に心から夢を抱いている訳ではない私の心情を読み取って、正確にお祈りをするくらいには私のことが分かるんだろうけれど。

 自己評価の低い私でも、他人に否定されるのは苦手だ。

 そこまで考えて、まだ私に承認欲求が残っていることに気が付く。化粧もするくらいだし、まだ他人の目は気にしていたんだ。面接なんていう自分探しの時間に重要なことを思い出せた。

 学歴から学生時代の話。これまでの話に、様々な質問。恐らく誰にでも同じ物をしているのであろう定型文に返答し、その答えを履歴書にメモされていく。

 なんでこんなことしてるんだろ。

 教師になんてなりたい訳じゃないのに。

 どうしてこんなところで。

 そういえばこれ、去年も同じこと思ったっけ。

 今年こそは受かると思ってたんだけどな。このままじゃまた落ちてしまう。

 なんでこんなに気分が落ち込んでいるんだろう。

 多分集団討論のお題のせいだ。あれのせいで過去を思い出してしまったから。

「では、少し早いですが、こちらからの質問は以上です」

 面接官の言葉で、すべての質問が終わったことを知った。

 上の空で答えていった質問は振り返っても何一つ思い出せない。

 また、駄目だった。

「ありがとうございます」

「長瀬さんから質問はありますか?」

「いえ。ありません。大丈夫です」

「そうですか。では結果は事前にお伝えした通り、九月の十……」

 落ちたな。受かる感触が無かった。

 大学受験が終わった時とは大違いだ。あの時はテストをしながら無感情に自分が合格することを分かっていた。でも採用試験にはそれがない。

 やっぱり私は向いていないのかもしれない。試験の前までは自信があるのにいざ受けてみるとこれだ。結果を莉緒が聞いたら悲しむだろうか。あれ程対策しろと言ったのにと怒るだろうか。……あ、でも、結果の通知は九月だから、その頃にはもう彼女と一緒に生活していないのか。

 私は頭を下げて席を立とうとする。ガタと小さくパイプ椅子を揺らした時、面接官の一人が声を発する。

「あ、長瀬さん。一つ最後にお聞きしてもいいですか?」

 私は驚きながら面接官の顔を見上げ、小さく頷く。

「先程の討論から少し体調が悪そうに見えたのですが大丈夫ですか? もし体調が悪いなら落ち着くまで別室をお貸ししますが……」

「あ、いえ……」

 大人が私の顔を見ている。覗き込むように私を観察する。それがとても胸を搔き乱して、汗が噴き出る。

 児童虐待。そんな単語を聞いてしまったからだろうか。

 私は鮮明にあの光景を思い出す。

 最近ずっと見ている夢に引き込まれる。

「あの、一つ、質問してもいいですか」

「え? あ、はい。どうぞ」

「先程の集団討論のお題なのですが。行き過ぎた教育……。教育虐待にはどう対処すればいいとお考えですか?」

 私は面接官の顔も見ずに机を凝視しながらそんなことを聞く。

 もう面接の出来が良い悪いの問題ではなくなってしまった。

 私は何を口にしているんだろう。

「ええと。それは私個人の考えでも良いでしょうか?」

「……はい。すみません」

「いいえ。大丈夫ですよ。……そうですね。県が、いや、日本が抱える大きな問題の一つだとは考えています。そもそも勉強や塾。習い事で詰め込まれた生活で幸せになる子供なんていないんじゃないでしょうか。でも現状は、それを親御様に伝えることがとても難しい」

 男は丁寧な言葉で私の質問に答える。

 しかし、私の耳にはその一つすら届いていなかった。

 五月蠅い。

 耳元で救急車の音がする。

 扉を叩く音がする。

 私の悲鳴が聞こえる。

 どうして、こうなってしまったんだろう。

 もう何が何だか、分からない。

 おかしいよ。私。

 壊れてしまったみたいだ。

「私は、今の教育は全てがおかしいと思います」

 私の口から出るのは理屈もないただの文句。

「好きなことをして、笑って、それだけで十分な筈なのに」

 私の口から出るのは私の中に巣食うただの願望。

 止めなきゃと思う私はまだ残っていた。

 それでも、この口は止まらない。

 目の前で面接官たちは口を開けて固まっている。

 さっきまで受かる気がない程に無気力だった面接相手が、急に教育を否定しだしたんだ。驚かないはずがない。

「勉強なんて、必要ないのに!」

 体は震えている。

 やめてよ私。

 そんな話をこの人達にしたって何も変わらない。

 これじゃ試験どころじゃない。

 非常勤講師としてもやっていけなくなる。

 体は震えた。

 肌は泡だった。

 視界は揺れた。

 理性は焼き切れた。

「長瀬さん! 大丈夫ですか? ちょっと!」

 まるで水中にいるみたいに、外部の声は鈍く反響する。

 肩を揺すられた。

 視界は真暗だ。

 私は今立っている?

 私は今、どこにいる?

 これ以上はいけない。正気に戻って、頭を下げなくちゃ。

 適当な理由をつけて誤魔化さなくちゃ。

 じゃなきゃ。

 教師を続けられなくなる。

 …………。

 それでも。いいか。

「私の友人は、教育虐待の末に自殺しました」

 プツン。

 電源を抜かれた機械のように私の全ては消え、気が付けば私は真白な病院の天井を見上げていた。

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