第9話 古武術使いと肉の魔女(3)

「蔵部! とりあえず陸上部の部室に来てくれないか! この男! 石持勇気! お前に折り入って頼み事がある!」

「入んないぞ、陸上部」

「なんでだよぉ……」


 陸上部の熱烈で執拗な勧誘は、放課後になっても続いていた。


「お前ほどの逸材を帰宅部に眠らせておくのは人類の損失だ! どうせ何も用事なんて無いんだろ!」

「アイリが待ってるから無理」

「二重の意味で許されんぞお前……!」


 音がするんじゃないかと思うほどに強く歯を食いしばって、石持は和馬を睨みつける。


「今日のアレはまぐれだってば。諦めてくれよ」

「諦めん……俺は絶対! 諦めんぞォ……!」


 そう言って、崩れ落ちる石持。

 そのまま手を小さく振って別れの挨拶をしてみせる。


「……芸が細かいな」

「――ッ、じゃあ!」

「じゃあじゃねえよ。入んないからな」


 顔を上げた石持に、和馬は手を降って別れを告げた。




「悪い、待たせた」

「んーん。お疲れさま」


 和馬とアイリは、学校近くの神社で落ち合った。

 二人きりで帰るための習慣は、いつから始まったのか思い出せない。

 けれど、お互いの用事がない日はそうすることが当たり前になっていた。

 和馬は歩みの速度をアイリに合わせて少し遅める。


「カズくん、今日晩御飯なに食べたい?」

「んー、カレーとか」

「カレーじゃ明日のお弁当に使えないじゃない」


 主婦めいたアイリの反対に、特に考えもない和馬の意見は却下された。


「えー……じゃ、ドライカレー?」

「そんなにカレー食べたいの?」


 小首を傾げるアイリに、和馬は首を振って応える。


「わからん。俺も父さんも、料理は詳しくないし……アイリに任せるよ」

「任せるって、それが一番困るんだよ?」

「じゃあやっぱり、ドライカレーが食べたい。アイリの作った」

「んー、ドライカレーかぁ。カレー粉、もうなかったよね? 確か」


 和馬は思い出そうとして、やめた。

 蔵部家の台所は、アイリに掌握されて久しい。アイリが覚えていないことを、和馬が覚えているはずがないのだ。


「アイリがないってなら、ないんじゃないかな」

「じゃあ、買いに行かないと」

「いや、先に帰ってていいよ。いろいろ準備もいるだろうし……俺がひとっ走りして買ってくるよ」


 和馬がそう言うと、アイリは微笑みを浮かべながら和馬の顔を覗きこむ。


「……なんだよ」

「カズくん、そんなにお腹すいちゃったの?」

「育ち盛りなんだよ! 悪いか!」


 顔が近いのが妙に気恥ずかしくて、和馬は顔を背けた。


「ふふっ、元気でいいね。じゃ、カレー粉と、いろいろ買ってきてほしいものあるかな。お台所見てから、要るものメールするね」

「……頼む」

「りょうかーい。じゃ、また後で」

「ん。気をつけてな」

「カズくんこそ、買い物間違えないでね」


 俺は子供か。

 和馬がそんな文句を言う前に、アイリはスキップしながら角を曲がっていってしまった。

 和馬はため息を小さく吐くと、真っ直ぐスーパーに向かうことにした。




 のんびり歩いてスーパーに向かうこと20分。アイリからのメールを見て和馬はしっかりと買い物を果たし、家に向かっていた。


「カレー粉、小麦粉、ナスに牛乳……忘れもんでもあったらさんざんからかわれるからな」


 子供扱いされているのに、お使いまで失敗したら目も当てられない。

 和馬は、帰路何度も、メールと買い物袋の中を確認しながら歩いていた。


「それに、ネズミ返しか。ネズミなんか出るか?」


 アイリはたまに、こういうよくわからないものを買うことがある。

 和馬には何に使っているかはわからないが、彼女が必要だと言うのなら、それは必要なのだろう。

 ネズミを見たことがないのは、和馬達が台所に立たないからなのかもしれない。

 秋の空はつるべ落とし。スーパーに行って帰ってくるだけで、すっかり夕暮れ時になっている。

 腹の鳴る音に急かされるようにして、自然と足早になってしまう和馬。

 遠くからもわかるくらいの大きな豪邸、もはや屋敷といったほうがいいような羽原家の隣。

 今どき珍しい純和風の家が、蔵部家だった。

 和馬はほとんど駆け出すような早足のまま、家の戸を開ける。


「ただいま」


 玄関を開けると、そこには、三つ指をついて和馬を出迎える死体があった。

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