第三節

「……ハア?」

 少年の言葉を受け、ルシェルファウストは表情のない真顔のまま、しばらく、その場に立ち尽くしていた。しばらくすると、彼は、急に眉根を寄せてシワを作り、自分の耳を少年に向けて、その横に手を添えて、聞き返すような仕草をした。

「すまん、どうもよく聞こえなかった。もう一度言ってくれるか?」

 ルシェルファウストは向けた耳を少年に近づける。

「え? あ、はい。あの、ですから! この教会を守るために、力を――」

「教会!?」

 ルシェルファウストは驚き、声を上げた。少年も驚き、びくりと肩を揺らした。

「まさか!?」

 ルシェルファウストは、何かに気づいたようにハッとし、素早く辺りを見渡した後、少年の格好をじっと見つめた。頭の先からつま先まで、舐めるようにじっくりと見定める。

 金髪碧眼の、歳の頃は十五、十六ほどの小柄で瘦せ型の少年。顔立ちは性別がわかりにくい中性的で可愛らしい感じ。童顔で、年齢の割に幼く見えるタイプだ。

 そんな少年だが、何やら変わった服装をしている。一般的にそれは、法衣と呼ばれる類の服なのだが、少し形状の異なるそれは、主に聖職者が身にまとう、聖職服と呼ばれるもの。少年の胸元にはキラリと光るものがあり、見ると、それは立派な銀の十字架……。

「おまえ、神父か!?」

 ルシェルファウストは目を丸くし、慌てて少年から遠ざかった。

「え? あ、はい」

 彼の突然の反応に少年は一瞬驚いたが、すぐにキョトンとした顔で返事をした。

「なっ、なあにぃ!?」

 ルシェルファウストの形相が見る見るうちに変わり、迫力を増す。彼に睨まれ、少年は思わず上半身を後ろへと反らしてしまう。

 一度は退いたルシェルファウストだが、また、ずかずかと少年の眼前へとにじり寄り、自身の顔を、少年の顔に当たらんばかりに近づけた。

「おまえは馬鹿か!?」

 ルシェルファウストは声を荒らげた。すると、すぐさま指を突き出し、少年の眉間をその指先でぐりぐりと押し始める。

「ひぃっ」

 ふいに指を突き出してくるものだから、少年は怖くて目を瞑ってしまう。それでも構わず、ルシェルファウストは少年の眉間をぐりぐり。彼の指だが、爪が長く伸びており、そのうえ、先が鋭く、刺さりはしないものの、眉間の肉に食い込んで地味に痛い。

「聖職者が! 教会で! 悪魔召喚の儀式を行うなんぞ、前代未聞だ! いくらなんでも、やっていいこととそうでないことの区別ぐらいはつくものだろう!? ハハッ! まさか、神父様に召喚されるとはなあ!」

 ルシェルファウストはあまりの馬鹿馬鹿しさに吹き出してしまった。天井を見上げて、嘆く時のように額に手を置いている。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 指から逃げるべく後ろへ下がり、少年はまたもひたすらに謝り続けている。水飲み鳥のように、カクンカクンとしきりに頭を下げていた。そんな少年の姿を前にして、ルシェルファウストは、怒っていたことも、呆れていたこともどうでもよくなってしまい、一つだけ小さな溜め息を吐いた。

「……もういい。この俺様を呼び出したのだから、それ相応の悩みがあってのことだろう。とりあえず、事情を話してみろ」

 ルシェルファウストは、また目を潤ませている少年の姿に、続けざまに溜め息を一つ。腕を組み、じっと少年を見下ろす。

「あ、あの、その、実は……」

 涙を拭い、少年は顔を上げた。そして、おもむろにその事情とやらを語り始めた。

「この教会がある村は……あ、教会は、村はずれの丘の上にあるんですけど、見晴らしのいい場所なんですよ――って、ああ、違う! 村! そう、村です! ここは、名もない小さな村なんですけど、村と言っても、ほんと言うと集落みたいな所なんですけど、あまり人がいないので静かなんですが、でも、だから平和で、争いなどとは無縁のような素晴らしい場所なんです。僕は……あ、僕の名前はクリスと言います。紹介が遅れてすみません」

 少年は自らをクリスと名乗った。

「そんなことはどうでもいい……」

 ルシェルファウストは組んでいた腕を軽く解いて片手を出し、それを横に振った。

「ああ、すみません! えーっと、どこまで話したかな……あ! そうです、僕! 僕はこの教会の神父なのですが……と言っても仮のようなものでして、本来は僕のお師匠様がこの教会の正式な神父様なんです。とてもお心が強く、そのうえ、とてもお優しい方なのです。知性に優れていて、教養もあり、孤児だった僕を養子として引き取ってくださったうえに、人並みの教育まで施してくれました。村の方々からもとても愛されている方なのです」

 お師匠様とやらの話になると、クリスと名乗る少年の表情はパッと明るくなり、笑顔になった。それに饒舌だ。まるで、自分のことのように嬉しそうに語っている。

「ほう、そうか。俺様にとっては、邪魔な存在でしかないがな……」

 笑顔のクリスとは対極的に、ルシェルファウストは話を聞けば聞くほど不機嫌になってゆく。しまいには眉間にシワまで寄せている。

「ここは、そんな、とてもいい場所だったんです……でも……」

 クリスの顔から、ふいに笑顔が消えた。

「先日のことでした。突然、村に人相の悪い人たちが現れたんです。人の顔のことをとやかく言うのはよくないことですが、本当に怖くて……僕なんか、睨まれただけで震え上がってしまいました」

 クリスは現に震えている。

「そんな人たちが頻繁に村に現れるようになり、村の方々に嫌がらせをしたり、時には、暴力までふるって、家や、土地の権利証を無理やり売れと言ってきたんです!」

「ふーん。ようは地上げ屋か。いま時、古臭い手を使う奴らだなあ」

 ルシェルファウストは呆れたような顔をする。

「地上げ屋さんというんですか? ――あ、それで! 当然、村の方々は断固として反対の姿勢を取っていたんです。もちろんですよ! 急にそんな無理難題を押しつけてきたんですから! あまりにも理不尽です!」

 クリスは声を荒らげて、ぎゅっと拳を握り固めた。思わず興奮してしまったらしく、すぐ我に返り、慌ててその拳を引っ込めた。落ち着こうと深呼吸している。

「で? それからどうなったんだ?」

 ルシェルファウストはさっさと先を話せと目で訴える。

「あまりにも理不尽なその申し出に、普段は温厚なお師匠様も立ち上がりました。人望に優れていたお師匠様は村の方々からの信頼も厚く、お師匠様をリーダーとして地上げ屋の人たちに立ち向かいました。あ、ですが、暴力などは一切ふるいませんよ。暴力に暴力で訴えても意味がありません!」

 クリスは目を輝かせて、なんとも誇らしげにそう答えてみせた。しかし、どう見ても、そのお師匠様とやらの受け売りなのは明らかで、ルシェルファウストはすぐに見抜いたが、そんなことはどうでもいいと、追及はしなかった。

「……反対勢力か。ふっ、普通ならば、そんな邪魔臭いものが出てくる前に叩き潰してしまうべきだろうに。そいつら、素人か……?」

 ルシェルファウストはクリスに聞こえないほどの小さな声でぶつぶつと呟いていた。

「ですが、そんな矢先のことでした。連日、押しかけてくるその人たちの相手をしていたお師匠様の心労が溜まり、元々弱かった心臓に負担がかかってしまって……」

 クリスの表情が悲しみの色に染まった。

「お師匠様はいまも寝床に臥せられています。立ち上がることもままなりません。するとどうですか! そんな人の不幸に付け入るように、あの人たちはここぞとばかりに強行してきました! 脅迫にも等しい手段で、無理やり、村の方々から権利証を奪い取って! 村の方々も必死に守ろうとしましたが、相手は数と力を武器にして、そのうえ、警察の方々まで裏で通じているのか、いくら訴えてもなしのつぶてで……あまつさえ! この聖なる地である教会にまで手を伸ばしてきたんです!」

クリスは憤慨していた。怒り、そして悲しみと悔しさのあまり、涙している。

「……」

 クリスがその小さな肩を震わせながら語っている姿を、ルシェルファウストは、無言のままに見つめていた。熱心に聞き入っているように傍目には見えるのだが、その内心はひどく冷めていた。

(当たり前だろう、阿呆)

 ルシェルファウストは退屈で堪らず、思わずあくびが出そうになって手で口を隠した。

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